2004年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第18号

無侵襲血糖計測の新手法―ハイスピード・エリプソメトリーによる生体偏光脈波の計測

研究責任者

中村 真人

所属:東京医科歯科大学 生体材料工学研究所 生体システム分野 助教授

概要

1.はじめに
臨床医学において、血糖測定は必要不可欠な検査の一つである。特に糖尿病、新生児医療などでは、治療管理、合併症や予後改善のために、血糖測定は必須で、かっ、瀕回に及ぶ。例えば、インスリン治療に欠かせない一日血糖検査では、患者は、毎食前後と就寝前の1日計7回、数日間にわたって血糖を計測する。また、新生児医療では、脳障害をもたらす低血糖予防のため、3時間に1回、低出生体重児では2時間毎の血糖検査がルーチンに行われている。
現在、血糖を測定する場合は、注射器で採血するか、または、針で皮膚を穿刺し、血液をしぼって、簡易携帯型血糖測定器で検査するかしかない。患者は、毎回、針を刺す痛み、傷、出血、恐怖で、大きな肉体的、精神的ストレスを強いられる。医療従事者、患者家族も、採血の手間と負担、血液を介した感染事故のリスクを負う。
これらの背景から、無痛、非観血、無侵襲での血糖測定への要望は非常に大きく、これまで、多くの研究者たちが無侵襲血糖測定に取り組んできた。ブドウ糖に特有な吸収波長での吸光を計測する分光光度計測、生体組織の吸光係数、散乱係数の計測、ラマン光計測、Photoacoustic measurement、眼の前眼房水での旋光角の測定、その他いくつかの方法が報告されているが、無侵襲での正確な血糖の絶対値計測は、今なお困難を窮めており、実用に至っているものはない1)~4)。
血糖とは、正確には血液中のブドウ糖と定義されるが、無侵襲での計測する場合、組織全体をひっくるめての計測となる。血液と言っても赤血球などの細胞成分と血漿の液性成分があり、さらに組織にはさまざまな細胞や細胞外マトリクスの実質成分、細胞内液、細胞外間質液がある。加えて、それらは、多種多様な物質を含み、しかも不均一、不特定構造で構成し、三次元分布も全く特定できない。また、生体は光の散乱を伴う散乱体であるため、光路や光路長を特定することも困難である。無侵襲血糖測定は、このような状況の下、極めて微弱なブドウ糖による情報のみをより分けて特定せねばならないという実にきびしい難事業への挑戦である。
2.新しい無侵襲血糖計測法の試み
2.1生体偏光脈波の着想
筆者は、新しい無侵襲血糖計測法のアイディアとして、臨床で活躍しているパルスオキシメータと、光の強度計測と同時に計測できる旋光角に着目した。パルスオキシメータは、無侵襲に動脈血酸素飽和度をモニタリングする装置であるが、その最も重要な特徴は、動脈の脈動に伴う光信号の脈動を計測することで、皮膚の上から組織全体を計測するにもかかわらず、動脈血の酸素飽和度情報のみをうまく抽出している点にある。一方、旋光角とは、光学活性物質により偏移させられる偏光振動面の回転角であるが、ブドウ糖は直線偏光を反時計回転させる左旋光性の光学活性を持ち、その旋光角は、光路長とブドウ糖濃度に比例関係することが知られている。もし、動脈の脈動に伴って旋光角が変動していたら、それが計測できれば、まさに動脈血の血糖情報が導き出せるのではないか?そう考えて、生体偏光脈波の計測を思い立った。
2.2生体偏光脈波計測による無侵襲血糖計測の理論背景
一般に、光学活性体を含む媒体では、旋光角θの変移は光路長1と光学活性物質の濃度Cに比例する。すなわち、
θ=α×l×C…(1)
αは、比旋光度と言われ、物質の種類、温度、波長によって決まっている。ブドウ糖の比旋光度は、633nmの波長光で、4.562(度cm21g)である。
一方、動脈の脈動は、組織内の血液量の増減をもたらし、生体を通る光の吸収を変化させる。パルスオキシメータの原理では、この動脈脈動に伴う光強度の変動から、光学的厚さの変動を見ている5)・6)。光学的厚さとは、見かけ上の光路長のことである。もし、動脈の脈動により光学的厚さが変動するならば、光路長に関係する旋光角も変動することが予想される。すなわち、(1)式は、
△θ=α×△l×C…(2)
と表せる。ゆえに、濃度Cは、
C=(1/α)×(△θ/△l)・・(3)
と表され、血糖値Cは、Δlに対する△θの比に相関することが分かる。もし旋光角の脈動が計測でき、光強度の脈動との関係が調べられたならば、そこからブドウ糖濃度が推定できる可能性がある。
2.3生体偏光脈波の計測:これまでの研究経過と本研究の目的
上記のごとく理論的可能性が考えられるものの、まず旋光角の脈動を計測する装置が必要である。旋光角を測定する装置は一般に旋光度計、もしくはエリプソメータと呼ばれるが、ステッピングモータで偏光板を回転させながら、サーボ機構で透過光の最暗または最強の角度に合わせて角度を求めている。そのため、数秒に1回しか測定できず、旋光角分解能も10分の1度が限界である。動脈拍動に伴う変動はとても計測できないし、血糖計測に必要な分解能もない。したがって、生体偏光脈波の計測には、高分解能かつ高速計測を実現する装置を自作する必要があった。
また、生体は光を散乱させる散乱体で、生体を透過してきた光と言っても、厳密には前方散乱光である。しかし、散乱光で旋光角を計測した報告は見当たらず、散乱場での旋光角計測の可能性から調べる必要があった。
そこで、筆者は、高速高精度に旋光角を計測する手法として、True Phase Measurement Techniqueに着目し、実験用旋光角計測装置(試作1号機)を自作し、散乱体での計測を試みた4)・7)・8)。装置の感度限界から、生体に比べ、ごくわずかな散乱場での実験ではあったが、True Phase Measurement Techniqueのノウハウを得、散乱場での旋光角計測の知見として、散乱体を透過した光であっても旋光角計測が可能であることと、その旋光角には媒体中のブドウ糖濃度が反映することを確認した8)。
そこで本研究では、生体を通した光でも感知計測できるように高感度化し、さらに血糖レベルのブドウ糖濃度による旋光角が計測できるよう高精度化し、しかも動脈拍動が感知できるよう高速化した旋光角計測装置を作製し、実際に生体を通した光で生体偏光脈波を計測することを目的とした。
3.ハイスピード・高分解能旋光度計測装置の試作
3.1True Phase Measurement Technique
まず、True Phase Measurement Techniqueの概要を述べる4)・7)・8)。入射光には、回転する偏光子を通したレーザー光を用いる。偏光子を通ることで入射光は直線偏光となり、偏光振動面は偏光子回転に伴って回転する。直線偏光となった入射光は、検体通過後、固定した偏光子を通して観測される。ここで計測される光強度は、回転する偏光子と固定偏光子の影響で、サイン2乗の波形となる。検体通過により偏光面が偏移されると、その旋光角は、このサイン2乗波形の位相のずれとなって表われ、検体を通らないレファレンス光との位相差を求めれば、旋光角が得られるというしくみである。高速回転、高速サンプリングにより、精度を落とさず、高速化できる。
3.2ハイスピード・高分解能旋光度計測装置の試作
医学的に計測が必要な血糖値の範囲は、20~40091dlで、191dlの精度が要求されるとすると、光路長1cmあたり、分解能4.562×10'3度の測定が必要と見込まれる。また、動脈の脈動による旋光角の変化を捉えるためには、毎秒20サンプルの旋光角計測が必要である。
この高速・高精度で生体の旋光角計測を実現するため、ハイスピード・高分解能旋光度計測装置を試作した。図1に装置の概要を示す。生体への透過性が高く、かつ、酸素飽和度の影響も受けにくい805nm(isosbestic wavelength)の近赤外レーザーと、高感度フォトダイオード、増幅装置を採用した。また、本装置では、偏光子の回転にエンコーダ付き中空モータを用い、そのエンコーダ信号をレファレンスとした。レーザー発生装置、偏光子、エンコーダ付き中空モータ、高感度フォトダイオード、電気的増幅装置を含む光学系装置(特注品、ユニオプト、静岡)、高速AD変換ボード(DAQ-CARD6062E、日本ナショナルインスツルメンツ、東京)を入手して、中空モータの制御と信号計測用プログラムを自作した。偏光子は1200rpm(20回転1秒)で回転させ、サンプリング周波数は100,000Hz、もしくは、200,000Hzで計測した。
4.生体偏光脈波の計測
4.1予備実験:散乱体での旋光角計測
今回試作した装置で、生体と同レベルの散乱媒体での検討を行った。散乱媒体として、イントラリピッド(イントラリピッド20%、PharmaciaAB、Stockholm、Sweden)希釈液を用いた。イントラリピッドは、散乱媒体内の光伝播解析実験にしばしば用いられる9)。イントラリピッド濃度が0、0.5、1.0、1.5%、D・glucose液の濃度が0、10、20、30、40、5091dlとなるよう調節した検体を光路長10mmの石英セルに入れ、旋光角を計測した。
結果:結果を図2に示す。まず、散乱体なしでは、ブドウ糖濃度が増えるほど旋光角は小さくなり負の線形相関が認められた。次にブドウ糖濃度が同じ場合で散乱の及ぼす影響を見ると、イントラリピッド濃度が高くなるほど旋光角が進む傾向を認めた。しかし、ブドウ糖濃度が1091dl以下の領域では、イントラリピッド濃度が1.0%以上で飽和した。次に、同じイントラリピッド濃度の場合についてブドウ糖濃度の影響をみると、散乱体がない場合と同様、ブドウ糖濃度が高くなるほど旋光角は減少するが、イントラリピッド濃度の上昇に伴い、勾配は急になり、ブドウ糖濃度の影響をより強く受ける。しかし、イントラリピッド濃度がさらに上がると、全体的にグラフは、直線から逆S字状の曲線へと曲線化が進み、右にシフトする。イントラリピッド濃度1.0%以上では、高いブドウ糖域でしかブドウ糖濃度による変化が見られなかった。
以上から、散乱体イントラリピッド溶液を通して計測された旋光角は、ブドウ糖濃度を反映するものの、その反映の仕方は、イントラリピッド濃度の影響を大きく受け、散乱の影響は決して少なくないことがわかった。
4.2生体偏光脈波の計測
本研究で試作したハイスピード・高分解能旋光度計測装置を用いて、実際に生体を通した光で生体偏光脈波を計測した。人差し指をフォトダイオードに接着し、爪側から偏光レーザー光を照射した。
結果:指を通して得られた信号の生波形を図3に示す。パルス状に出ているエンコーダ信号と、その2倍の周波数でサイン波を描きながら、全体としてゆっくりした周期で脈動する信号波形が計測された。回転偏光子の2倍の周波数波が感知できるということは、指を通した光にも、入射光の偏光情報が確実に残っていることを示している。また、ゆっくりした周期変動は、動脈の脈動により生じる波で、この脈動の谷が血圧の収縮期にあたる。

図4に指を通して得られた光強度の変化(A)と位相の変化(B)を示した。(A)では、動脈脈動に伴う光強度の変化が見やすくなるよう、ピーク領域のY軸をズームアップした。エンコーダ信号と計測信号の位相差を求め、その位相の時間変化を、(A)と同じ時間軸で(B)に並べて示した。両グラフから明らかなように、動脈による光強度の変動に同期した位相、すなわち旋光角の変動が認められた。このようにして、生体偏光脈波が計測できた。
この偏光脈波の脈動では、光強度が弱い時(収縮期)に、位相は早くなっている。光強度が弱い時とは、すなわち、光学的厚さが厚い時、と考えられるので、光学的厚さが厚い分、ブドウ糖の影響を多く受け、そのため旋光角はブドウ糖の影響を強く表す減少方向に変動することになる、と推論される。
5.まとめ
本研究で試作したハイスピード・高分解能旋光度計測装置を用いて、実際に生体を通した光で生体偏光脈波を初めて計測することができた。光生体計測では、動脈の拍動に伴って、光強度が脈動するとともに、光の偏光情報も脈動することがわかった。血糖との関連を論ずるためには、光強度変化と旋光角の変動の関係や偏光脈波の詳細な特徴を調べるなどまだまだ先は長いものの、将来、パルスオキシメータのような有効な生体計測への応用が可能になるかもしれない。
しかしながら、散乱体を通しての旋光角計測では、散乱の影響は思いのほか大きく、ブドウ糖による旋光角変化も、散乱によって大きく左右されることも判明した。また、生体には、ブドウ糖のほかにも、さまざまな光学活性物質が含まれ、それらは組織だけでなく、脈動をもたらす血液中にも含まれる。したがって、今回得られた生体偏光脈波も、ブドウ糖以外の物質や散乱自体の変化がもたらしているのかもしれない。生体偏光脈波のメカニズムや影響物質・要因など、さらなる解明が必要である。