2016年[ 科学教育振興助成 ] 成果報告

滝伝説再現実験から次世代の環境資源利用を考える

実施担当者

間世田 雄人

所属:岐阜県立大垣養老高等学校 教諭

概要

1 はじめに

本校のある岐阜県養老郡養老町には、滝の水が酒になりそれを飲んだ病弱な老人が元気になったという孝子伝説で有名な「養老の滝」がある。また、この滝近くから湧き出る「菊水泉」も若返りの水とされ、それぞれが滝百選、名水百選に選ばれている。そこで、私たちはこの伝説を科学的に再現するため滝や湧水から野生酵母を分離し、この分離酵母の同定試験を行った。その結果、この酵母がパンや清酒の製造に適性のあるSaccharomycescerevisiaeであることを確認した。さらに、この菌による日本酒醸造試験を行い、成分分析から伝説再現が科学的に可能かどうか検証した。
また、湧水「菊水泉」を仕込み水にした醤油造りを行い、その諸味中から耐塩性酵母を分離し、それが醤油の主発酵酵母と後熟酵母であることを確認した。これら分離酵母の研究と食品加工への利用から、地域の環境資源のもつ魅力とその保全を考える活動について報告する。

2 酵母の分離と醸造試験(清酒と醤油)

2-1 野生酵母の分離と清酒醸造

酵犀の分離源を滝の水や付近の士壌、湧水「菊水泉」とし、まず最初にアルコール発酵力をもつ酵母苗を菊水泉から分離することができた。同定試験の結果、この菌はLachanceafermentatiの仲間であることがわかり、これを「菊水酵母」と名づけた。この分離酵母と清酒醸造で一般的に用いられる協会7号酵母(K7酵母)とで清酒醸造比較試験を行った。
本校ば清酒醸造免許を有していないため、製造試験は岐阜大学の施設を利用した。また、実験室レベルでの醸造のため、仕込みには直接乳酸を添加する速醸もと法を採用した。諸味の調製は実際の日本酒醸進に倣い、麹と蒸米を三段階に分けて酒母へ仕込んだ。
まず本校で栽培したうるち米を精米機で7割まで削り、菊水泉の汲み水で蒸した。蒸米142g、市販米麹67g、汲み5.3m1、分離酵冊とK7酵母(分光光度計にてOD660=2/600ml)をガラス瓶内でそれぞれ混合した。15℃設定で48時間発酵後、蒸米225g、米麹54g、汲み水263mlを添加した。さらに24時間後、蒸米390g、米麹82g、汲み水503mlを添加した。15℃で20日間静置培養し諸味をろ過後、65℃に設定した恒温水槽で20分間の殺菌をして完成とした。分析は高速液体クロマトグラフにてエタノール、酢酸、コハク酸、乳酸の濃度を定量した(できた日本酒を10ml遠心分離して上消を10?Q分取したものを供試した)また香気成分の分析は岐阜県産業技術センター内のガスクロマトグラフで行った。
その結果、菊水酵母でできた酒のアルコール濃度はK7酵母のものと変わらなかったが、酢酸値は6倍高く、香気は弱かった。そのため、菊水酵母は日本酒醸造に向いていないと評価され、岐阜大学応用生物科学部の中川教授より、酒専用酵母種(Saccharomycescerevisiae)の分離を薦められた。そこで、滝壺の水や土壌を分離源に再度実験を進めたところ、Saccharomycescerevisiaeを含む4種類の酵母菌を分離することができた。分離たS.cerevisiaeに滝酵母と名づけ、この菌の清酒醸造試験を新たに行い、清酒の成分分析を行った。
この結果、滝酵母の酒は、K7酵母の酒とよく似た香気組成を示した。とくに、清酒中の基本エステル成分である酢酸エチルを10Omg/Qの濃度で生成していた。また、清酒の基調香である高級アルコールのイソアミルアルコールと代表的な吟醸香である酢酸イソアミルも、K7酵母の酒と同程度含まれていた。有機酸最は、酸味の原因である酢酸値がK7酵母の酒の半分以下で、リンゴ酸、コハク酸含有最はほとんど変わらなかった。この結果より、滝壺から分離した酵母(滝酵母)は、湧水から分離した酵栂(菊水酵母)より、清酒醸造に適性があることが確認された。
また、滝酵固で仕込んだ]青酒の品評会を、岐阜県産業技術センターと岐阜大学が共同で行い、ミルク臭のするすっきりした味の酒と高評価を得た。現在、この菌は産業技術センターで保存されている。
また、滝壺付近から分離した酵母は、S.cerevisiaeの他に、Candidaintermedia、Williposissaturnus、Schizosaccharomycesjaponicasの3種であることが同定試験より判明した。Candidaintermediaはセルロース系バイオマス等からの効率的なエタノール生産菌として研究が進められている。稲わらや籾殻のセルロースを酵素や希硫酸で加水分解すると、六単糖であるグルコースや五単糖のキシロース、二糖類のセロビオースが生じる。分離したL.fermentatiやS.cerevisiaeでセルロース系バイマスの発酵試験を行ったが、キシロースやセロビオースからエタノールを生産することができなかった。今回分離したC.intermediaはキシロースやセロビオースからエタノールを生産できる菌としての研究が報告1)されており、この菌の発酵性を確認中である。Williopsissaturnusの培養液はエステル臭がとても強く、この果実臭を食品に付与できれば新たな利用価値が生まれる。また、この菌の仲間には、毒性をもつ6価クロム還元菌が見つかっている。分離菌が6価クロムの安全な処理につながる可能性がある。
Schizosaccharomycesjaponicusは、1928年九州大学付属農場から単離された分裂酵母である。同じ種のSch.pombeは、多くの国でバイオエタノールや酒造りで産業利用が進められているが、このSch.japonicusに関しては遺伝学の研究以外に産業利用は少なかった2)。アルコール発酵力が強く、S.cerevisiaeと同様に酒、パンなどへの可能性を感じている。また、滝酵母をアルギン酸カルシウムに包括したリアクターを試作して、ミカン果汁を基質にした連続発酵試験を行った。リアクターを並列に亜べることで、アルコール生成を増加させることができたが、2列目のリアクター内の酵母菌が、アルコールの影響を受けたためか死滅するものが増えた。しかし、香気は十分で、リアクターでの連続発酵試験を検討中である。

2-2 湧水醤油の醸造と耐塩性酵母の分離

本科には醤油を製造するための蒸煮タンクや圧搾機などの設備があり、毎年10001!,の醤油を製品化している。その醸造経験を生かして、湧水「菊水泉」を仕込み水にした楯油の開発を目指した。まず、湧水が食品製造に利用できるかを調べるため、①キレート滴定による全硬度(水中のミネラ
ル量測定)、②BOD試験とCOD試験(水中の有機物量測定)、③大腸菌群検査を行った。湧水は、地元養老町の湧水「菊水泉」と大垣市の湧水「加賀野神社の水」、垂井町「垂井の清水」の3か所の分析を行った。その結果、大垣と垂井の湧水の硬度は6Omg/Q,の軟水であり、養老の湧水は12Omg/Q,の中硬水に分布されることがわかった。BODとCODの試験結果から含まれる有機物量は、3つの湧水とも微量であった。中でも菊水泉は、両試験とも0.5mg/Q,以下であり、環境省が定める水の基準値(lmg/Q,)以下であり、高い清浄度であることが確認された。また、大腸菌群は全ての湧水で陰性であった。(第3者機関による水質分析27項目の結果でも、飲料水として異常は認められなかった)本科では、醤油造りの設備が幣っていることもあり、生徒からの提案で湧水「菊水泉」1000Qを仕込み水にした醤油の醸造を開始した。地元の中学生に学校の大きなタンクを使った湧水醤油の作業体験をしてもらうため、通常の仕込み景で行った。使用した大豆と炒り小麦は300kg、食塩は260kgである。1年間熟成した湧水醤油の分析を行ったところ、全窒素(燃焼法)は1.2%、塩分(モール法)17.0%、アルコール(GC法)3.1%で、市販醤油とほぼ同じ成分値となった。
湧水醤油の品質を調べる中で、諸味から耐塩性酵母の分離を行った。分離した2種類の酵固菌は、同定試験の結果ZygosaccharomycesrouxiiとCandidaversatilisと判明した。Z.rouxiiの特徴は、グルコースからエタノールと醤油香の主成分であるHEMF(4-ヒト,,pキ込2エチJv-5-}チJv-3-7うン)を生成する産膜酵母であり、醤油造りにおいて初期の主発酵を担う苗といわれる。C.versatilisは、仕込み後半から生育が旺盛となり、醤油の特徴香のひとつである4-EG(4-エチルク、アヤコール)などを生成するため、後熟酵母に分類される。この両薗を醤油諸味から選択的に生育するための培地を検討した。Z.rouxiiは、フラクトース同化性で硝酸カリ非同化性であること、C.versatilisはフラクトース非同化性で硝酸カリ同化性であることがわかり、この培地から選択的にこの2種類の酵母菌を分離することができた。また、C.versatilisの増殖が、Z.rouxiiの増殖を追う形で認められることが多く、この原因を次の実験で確認した。Z.rouxiiの培養液を4か月間、30℃で放置した液(自己消化液)をつくり、それをC.versatilisの培養液に添加したところ、培養液1ml中500万だったC.versatilisの菌数が、5日後には6000万に増加した。このことから、後熟酵母の増殖が主発酵酵母の消化液の成分に関係していると推定した。Z.rouxiiの生成するアルコールは、C.versatilisの生育に影響を与えていないようである。

2-3 次世代への環境啓発活動

滝から分離した酵母を使った地元中学生対象のパン講座は、発酵や焼き上げの合間に、伝説の由来や定期的に行うゴミ拾い活動を紹介した。また、菊水泉を使った醤油造りでは、諸味の観察会や撹拌体験を行い、大垣市内の中学校出飢講座では、酵母菌の実験の他に、市内湧水地の保全状況やその水質について話をした。これらの研究活動が新聞で紹介されると、小中学生から「私もやってみたい」と声を掛けられるようになった。この活動に取り組む班員の中には、養老町出身者が数人いるが、滝や湧水がどのように保全されてきたか、この活動をするまで知らなかったと言う。保全活動は、看板を立ててその由来を伝えたり、水路の清掃をしたりする活動が一般的だと思うが、加工品づくりなど自分たちの学習を生かした環境幣発活動あっても面白いと思う。養老町、大垣市、垂井町の湧水利用では、役所や自治会の許可を得る必要があったが、この経験も貴重だった。

3 まとめ

地元の町に伝わる伝説を再現するプロジェクトを立ち上げ、養老湧水「菊水泉」の水質が食品をつくるのに適していることを確認した。菊水泉から分離した酵母菌について、大学の協力を得て同定試験を行った。目的の遺伝子を増幅する操作を実際に経験し、また種類判定ができたことはとても意義深い。この試験でL.fe皿entatiと判定した酵母菌による清酒醸造試験では、14%のアルコールを生成することができたものの、その味は酸っぱく、香りも弱かった。そのため、養老の滝に何度も出かけ、滝の水や上壌を持ち帰り、分離実験を繰り返したところ、滝壺から清酒やパンづくりに一般的に使われるS.cerevisiaeの分離に成功した。この菌を使った清酒醸造試験により、酢酸生成を抑えた香気に優れた酒ができた。現在、この菌は岐阜県産業技術センターにて保存されている。また他にも3種類の酵母菌を分離することができ、これらの菌の利用を検討中である。
生徒たちは、本校に清酒醸造免許が無いことやできた酒の味を確かめることができないなど、高校生による清酒醸造の難しさを感じることもあったようだ。しかし、分離酵母でできた酒の官能検査を岐阜大学に相談すると、大学が県産業技術センターと合同で品評会を実施し、香りと味のバランスがよい酒だと評価してもらえた。また、養老町や大垣市の酒の蔵元からも醸造試験における助言を受け、最近は高校生の清酒試験に逆に優位性を感じるまでになったと話してくれた。また、この分離菌を使った地元中学生対象のパン講座や出前講座の中で、滝や湧水が大切な環境資源であることを紹介でき有意義だったと言う。
湧水による醤油造りでは、中学生に湧水の保全状況や水質を説明しながら、醤油造りの講義、作業体験をさせた。同規模の醤油醸造を行っている設備があり、分析結果から市販醤油と遜色ない品質の醤油ができあがった。現在200ml入りの湧水醤油が1200本製品化でき、町のブランド商品として認められることになった。また、熟成に閲わる微生物が湧水の硬度やpHの影響を受け、特徴ある醤油に仕上がる可能性があることから、養老町の湧水の他に、大垣市と垂井町の湧水で臨油の仕込みを始めた。これは、地域ブランドとして、各町から応援をいただいている。
菊水泉による醤油醸造の中で、諸味から2種類の耐塩性酵母の分離に成功したのは、大きな成果であった。塩化ナトリウムを含んだ選択培地では分離はうまくいかなかったが、そこに醤油諸味をろ過した液を添加することで、菌の分離につなげることができた。また、主発酵酵母と後熟酵母の両菌を分離することができ、その増殖の関連性を見つけることもできた。さらに、第3者機関により2種の菌株を入手し、分離酵母との発酵性を比較した。現在、大量に培養した分離苗を諸味に添加することで、醤油の速醗が可能かどうか検討中である。また、醤油諸味などは細菌や別の種類の酵母菌など複雑な微生物の共生環境にあるため、微生物の混合培養についても研究を進めている。
地元の環境を知る、見直すきっかけになればと進めた取組であるが、昨年度は岐阜県環境管理技術センターから水環境ワークショップでの発表を依頼され、岐阜大学で活動紹介の機会を得た。また、東京理科大学科学論文コンクールでは優秀5編、東京都市大学環境活動グループ実践賞では最優秀賞などをいただいた。今年度は、分離菌の新たな活用としてビジネスプランコンテストに挑戦し、日本経済大学や常葉大学での大会で入賞した。また、湧水を含む環境資源や物づくりを外国人観光に結びつけるプランで発表した全国高等学校観光選手権大会では3位となった。
今後も次世代に元気を与えられる活動を生徒と展開して行きたいと思う。