2015年[ 科学教育振興助成 ] 成果報告

滝伝説再現実験から次世代の環境資源利用と保全を考える

実施担当者

間世田 雄人

所属:岐阜県立大垣養老高等学校 教諭

概要

1.はじめに
 パンやワイン、清酒といった発酵食品に利用される Saccharomyces cerevisiae は用途に適した能力を持つよう馴化された酵母菌である。それに対してこれまでにない特徴を求め野生酵母の探索が行われるようになった。野生酵母は土壌、大気、海、河川、花弁、果皮など自然界のあらゆる場所に生息している。最近では奈良工業技術センターが八重桜から分離した酵母菌で清酒醸造1)を、名城大学が付属農場から分離した酵母菌を利用して日本酒を開発している。このように自然界には酵母菌が広く分布しており、新しい風味をもった発酵食品ができる可能性がある。2)、3)
 本校のある岐阜県養老町は、滝の水が酒になりそれを飲んだ病弱な老人が元気になった という孝子伝説で有名な「養老の滝」がある。 またこの滝近くから湧き出る湧水「菊水泉」 も若返りの水とされ名水百選に選ばれている。
 私たちはこの伝説を科学的に再現するため 滝や湧水から野生酵母を分離し、この分離酵 母の同定試験を名城大学で行った。そしてこ の菌による日本酒醸造試験を岐阜大学で行い、有機酸量、香気成分の分析を行い酒造りの適 性を確認した。また酒造りの他にこの分離菌を利用したパン製造や新しく分離した酵母菌の同定試験を行った。さらに湧水そのものを仕込み水にしたしょう油づくりも行った。地域の環境資源の持つ魅力とその保全を地元の中学生など若い世代に考えてもらうきっかけになればと進めたこれらの活動について報告する。


2.実験方法
(1)日本酒醸造試験
 本校は日本酒醸造免許を有していないため、岐阜大学の施設を利用して醸造試験を行った。今回の試験は実験室レベルでの醸造のため仕 込みに直接乳酸を添加する速醸もと法を採用 した。またもろみの調製も実際の日本酒醸造 に倣い、麹と蒸米を三段階に分けて酒母へ仕込んだ。なお分離酵母の対象区として、日本 醸造協会が頒布している K7株も同様の条件
で仕込んだ。まず本校で栽培したうるち米を精米機で 7 割まで削り、菊水泉の汲み水で蒸した。蒸米142g、市販米麹67g、汲み水158ml、乳酸(10 倍希釈)5.3ml、分離酵母(分光光度計にて OD660=2/600ml)をガラス瓶内で混合した。15℃設定で 48 時間発酵後、蒸米 225g、米麹 54g、汲み水 263ml を添加した。さらに
24 時間後 K7 区について蒸米 390g、米麹 82g、汲み水 503ml を添加した。分離酵母は発酵の進行がやや遅いと判断し、さらに 24 時間発酵させ、K7 区と同様に原料を添加した。15℃で20 日間静置培養し諸味をろ過後、65℃に設定した恒温水槽で20分間の殺菌をして完成とした。分析は高速液体クロマトグラフにてエタノール、酢酸 コハク酸、乳酸の濃度を定量した(できた日本酒を 10ml 遠心分離して上清を 10 ?分取したものを供試した)また香気成分の分析は岐阜県産業技術センターに依頼して行った。

(2)分離酵母によるパン製造試験
 分離菌を増殖用液体培地 500m(l(0.5%酵母エキス、0.5%ポリペプトン、0.5%麦芽エキス、5%ショ糖)に接種し 30℃の恒温器で振盪培養した。72 時間後遠心分離機で得た菌体 35 gに 100ml の滅菌水を加え、そこに強力粉100g、ショ糖 10g、滅菌水 100ml を加え、30℃で 24 時間発酵させ生種とした。生種200g に強力粉600g、砂糖40g、滅菌水300ml などを加え(ひと班分)、一次・二次発酵を行い焼き上げた。町の中学生に生種の調製と生地の発酵・焼き上げを体験させた。

(3)清酒専用酵母のスクリーニング
 岐阜大学と岐阜県産業技術センターは、清酒造りに適した新しい酵母菌の探索プロジェクト(G 酵母プロジェクト)を立ち上げている。香気成分分析の協力先である産業技術センターから本校にこのプロジェクトの参加依頼があり協力することとなった。分離を目指す野生酵母は清酒醸造に適した性質をもつ Saccharomyces cerevisiae であり、伝説再現を目指す上でも分離源は養老の滝付近の水、土壌とした。

(4)湧水を利用したしょう油醸造試験
 本科では年間 1200 リットルのしょう油を岐阜県産の小麦や大豆を原料に製造している。そこで養老の湧水を仕込み水に利用した「湧水仕込みしょう油」の開発についても養老町の中学生に作業体験をさせながら進めた。

(5)湧水しょう油の成分分析
 湧水中の全硬度はキレート滴定法で行った。また水中の有機物含量から水の清浄度を判定するCOD試験とBOD試験、しょう油中の塩分含量測定(モール法)も本校で行っ た。全窒素の分析は岐阜県環境管理技術センターの協力を得て紫外線吸光光度計を用い て分析した。またしょう油中の香気成分につい ては愛知県豊橋市のしょう油メーカーのGC-MS(ガスクロマトグラフ質量分析計) を使用して分析した。

(6) しょう油諸味中からの耐塩性酵母の分離
 しょう油醸造に関わる酵母は清酒の酵母と同様古くから野生の酵母が蔵付き酵母として蔵や桶に住み着き、それがしょう油の特徴的な香りを生成する。しょう油酵母は主発酵酵母の Zygosaccharomyces rouxii と熟成酵母の Candida versatilis に分類される。
Z.rouxii の特徴はグルコースからエタノールとしょう油香の主成分である HEMF(4-ヒドロキシ-2エチル-5―メチル-3フラン)を生成することである。熟成酵母の C.versatilis は仕込み後半から生育が旺盛となり、しょう油の特徴香のひとつである4-EG(4―エチルグアヤコール)などのしょう油の多様な香りを生成するといわれる。市販しょう油は発酵熟成のため培養したこれらの酵母を発酵途中の諸味に添加している。そこで湧水しょう油に独特な風味を付与するため諸味中から酵母菌分離培養し、添加することとした。分離に使用した培地は 0.5%酵母エキス、1%ポリペプトン、1%グルコース、8%NaCl、2%寒天である。殺菌後シャーレに流し込み、諸味の希釈液をコンラージ棒で広げ30℃で 96 時間培養した。純粋分離した菌のアルコール発酵性をダーラム管で確認した。また分離した酵母菌の同定試験も行った。


3.実験結果
(1) 日本酒醸造試験
 湧水「菊水泉」から分離した酵母(菊水酵母と名付けた)の遺伝子同定試験のため電気泳動を行った。その結果 PCR により酵母のITS 領域が増幅されていることを確認した。その後 DNA シーケンサーにて塩基配列を確認したところ Saccaromyces cerevisiae の近縁種である Lachancea fermentati と 99%の相同性を示した。この菌による醸造試験を行い 25 日目に諸味をろ過し火入れをした。今回はおり引きを行わない「どぶろく」状態で完成とした。
高速液体クロマトグラフにより定量した 日本酒のエタノール量は菊水酵母、K7 ともに約 14%で、市販品と同程度まで生成されていた。有機酸量は図3に示すように K7 はコハク酸が最も多く、次いで乳酸が検出された。分離酵母は酢酸値が K7 の6倍であった。香気成分の分析から酢酸エチルは同程度であ ったが、イソアミルアルコールについては K7 が菊水酵母の2倍の値を示した。酒シンポジウム(岐 阜大学)の利き酒会の中でも分離酵母の酒は酸味が強く、香りが弱いと評価された。

(2) 分離酵母によるパン製造試験
 日本酒醸造には不適だが分離酵母のアルコール発酵力は非常に強く、この能力を生かしたパンづくりを地元の中学生と行った。養老町に住みながら滝や湧水地を訪れたことのない中学生もおり、分離菌によるパンづくりの他に、滝や湧水地周辺のゴミ拾い活動や湧水から分離した酵母による酒造りなどの活動を説明した。

(3)清酒専用酵母のスクリーニング
 滝壺付近の土壌や滝の水を分離源として分離操作を行った。(滝に桜花弁や枯葉が落ちた水も試料とした)大学で同定試験を行い次の4種類の酵母菌を得ることができた。
①Saccharomyces cerevisiae
②Candida intermedia
③Williopsis saturnus
④Schizosaccharomyces japonicus
中でも清酒醸造試験に利用できる可能性の ある S.cerevisiae を滝壺の土壌より分離した。
 Candida intermedia はセルロース系バイオマス等からの効率的なエタノール生産菌として研究が進められている。稲わらや籾殻のセルロースを酵素や希硫酸で加水分解すると、六単糖であるグルコースや五単糖のキシロースや二糖類のセロビオースが生じる。分離したLachancea fermentati でセルロース系バイマスの発酵試験を行ったが S.cerevisiae の近縁種であるL.fermentati はキシロースやセロビオースからエタノールを生産することができなかった。今回分離した C. intermedia はキシロースやセロビオースからエタノールを生産できる菌としての研究が報告されており、この菌の利用を今後考えたい。
 Williopsis saturnus の培養液はエステル臭がとても強く、この果実臭を食品に付与できれば新しい可能性が広がる。
 滝 か ら 分 離 し た Schizosaccharomyces japonicus は 1928 年に九州大学付属農場から単離された分裂酵母である。同じ種のSch.pombe は多くの国でバイオエタノールや酒造りで産業利用が進められているが、この Sch.japonicus に関しては遺伝学の研究以外に産業利用は少なかった5)。滝由来の酵母菌としてパンなどの食品利用への可能性を感じている。

(4)湧水を利用したしょう油醸造試験
 現在 1000 リットルの湧水を仕込み水にしたしょう油の熟成中である。湧水の食塩水にしょう油麹を加えて約6か月が経過した。その間に地元の中学生対象にしょう油諸味の撹拌と観察という講座を開いた。また 50 リットル規模で試験醸造した湧水しょう油の披露会と販売会を町役場と鉄道の駅舎で行った。これは新聞各紙で紹介され、湧水の価値を考えてもらうきっかけになった。

(5)湧水しょう油の成分分析
 しょう油諸味の分析を行ったところ、アルコール 1%、全窒素 1.2%、塩分 16.4%、エキス 14.5 となった。この数値からこれをろ過、火入れして製品化した場合、市販品と同程度のものが現状でできていると予想した。香気成分の分析は今後行う予定だが、特別に湧水で仕込んだこともあり何らかの特徴を持ったしょう油になることを期待している。

(6) 諸味からのしょう油酵母の分離
 湧水しょう油の諸味中から2種類の耐塩性酵母を分離することができ、同定試験の結果産膜の性質をもつ主発酵酵母のZ.rouxii と後熟酵母の C.versatilis が見つかった6)。今後増殖したこのしょう油酵母を湧水しょう油の諸味に添加し、成分変化を調べる予定である。またしょう油酵母を固定化したバイオリアクターによるしょう油様調味液の製造(速醸法)を計画中である。


4.まとめ
 地元の町に伝わる伝説を再現するプロジェクトを立ち上げ、滝や湧水からの酵母菌分離を目指した。最初に分離した酵母菌は発酵性や発酵力試験を詳細に行い、その性質を多角的に分析することができた。また大学の協力を得て目的の遺伝子を増幅させる操作を生徒が経験し、また菌の種類判定ができたことは大きな成果である。この分離酵母による岐阜 大学での2回の清酒醸造試験では、味や香り に問題があったものの 15%のアルコールをつくることができた。その発酵力を生かした 地元中学生とのパン講習会では、身近に滝や湧水などの環境資源があることが紹介できた。
 岐阜大学、県産業技術センターと本校による清酒専用酵母分離プロジェクトでは、滝付近の土壌から目的の S.cerevisiae の分離に成功した。予備試験では発酵力が強く、香気も十分である。今後大学にてこの菌を使った清酒造りに生徒が参加する予定である。また他にも3種類の酵母菌を分離することができ、これらの菌の有効利用も検討中である。
 湧水によるしょう油づくりでは、町内の中学生対象に諸味のかい入れ体験やしょう油微生物の観察会を開催した。その中で滝や湧水のある公園内の月1回のゴミ拾い活動や水質調査について話をすることができた。また最初に試作した湧水しょう油の試験販売では地元の町長から、「町の活性化のために頑張ってほしい」と激励された。現在 1000 リットルの湧水による醸造を開始しラベルのデザインなどを考案中である。
 地元の環境を知る・見直すきっかけになれ ばと進めた取り組みであるが、さまざまな機 会で紹介することができた。9月には県環境 管理技術センターから水環境ワークショップ への参加を打診され、岐阜大学でプレゼン発 表をする機会を得た。また横浜の東京都市大 学や愛知工業大学でも紹介することができた。
 学校のある養老町をはじめ県西南部は地下水に恵まれ湧水地も多い。そこで地域の湧水地の保全を考えてもらうきっかけになればと各地にある湧水の水質分析を始めた。また各地の湧水を使ったしょう油の仕込み作業を6 月に行う予定である。
 これからも次世代の環境啓発につながる活動を生徒と目指したいと思う。