2015年[ 技術開発研究助成 (奨励研究) ] 成果報告 : 年報第29号

水溶液中における超分子糖センシング:2型糖尿病治療薬の精密センサー開発

研究責任者

福原 学

所属:大阪大学大学院 工学研究科 助教

共同研究者

井上 佳久

所属:大阪大学大学院 工学研究科 応用化学専攻 教授

概要

1.はじめに
 生体内において、糖は生命活動に欠かすことの出来ないエネルギー源である一方、過剰摂取が糖尿病や高血圧など様々な疾患を引き起こすことで知られている。このような特定の疾病、糖尿病や特に癌の発見は、対応する糖濃度を健常者のそれと比較することで見分けている1)。従って現在医薬系分野において、これら重大な疾患の早期発見のために、特定の糖を高感度で検知できる指示薬(センサー)の開発が性急に望まれている。
 このようなセンシング分野において、とりわけ水中における選択的糖認識は、糖分子への強い水和と立体多様性のため非常に困難であり、現代超分子化学において挑戦的なテーマの一つである。生体内での糖の認識は、タンパク質の特定サイトで行われており、そこでは弱い相互作用の中でも主に疎水相互作用、水素結合、CH-相互作用が協同的に働き精緻な識別を可能にしている2)。これまでの超分子化学の分野において、このような生体系での認識機構を模倣した種々の糖センシング人工ホストが合成されてきた。例えば、水溶液中で機能する糖センサーとして、青山ら3)やDavisら4)による水溶性の環状ホストが代表例として挙げられ、ここでは水素結合やCH-相互作用によって単糖および二糖を認識している。一方、これらとは認識機構の異なるボロン酸と糖のジオールとの動的な共有結合を利用する蛍光turn-on糖センサーが新海らによって報告されている5)。このような環状ホストを用いるデメリットは、糖分子の形やサイズに合わせて環を段階的に合成・拡張する必要があり、単糖や大きくても二糖が適合する空孔サイズを構築するのがこれまでの限界であり、三糖以上のオリゴ糖ではさらに立体多様性が増し、なおかつ水和も比例して大きくなるため、オリゴ糖の選択的センシングの報告例は非常に稀である。

2.カードランについて
 このような背景のもと、我々は生体系に近い環境である水溶液中で機能する糖センサーとして、多糖の中でもグルカンであるカードラン(Cur; 図1a)に着目している。グルカンは自然界に豊富に存在する高分子であり、医薬品、化粧品、種々の材料として多用な用途がある6)。Curはグルコースユニットが-1,3-結合で連結したグルカンであり、DMSO中ではランダムコイル構造となるが、水を添加することで再び螺旋を形成するという可逆的螺旋形性能を有している(図1b)7)。

3.これまでの研究と問題点
 このようなCurの可逆的螺旋形成能に着目して、我々はCurに構造変化を読み取るシグナル出力リポーターとしてジメチルアミノベンゾエート(DABz)を修飾した、修飾カードラン(DABz-Cur;図2a)が円二色性(CD)スペクトルによるエキシトンカップリングの変化量からオリゴ糖であるアカルボース(図2b)をセンシングできることを明らかにした8)。アカルボースは生体内で糖分解酵素を抑制する働きを持つ四糖で、2型糖尿病や肥満の薬として使われており、そのセンシングは医療の観点から非常に有用である1)。本系は、人工アカルボースセンサーの初めての例である。しかしながらこのセンサーには二つの欠点があり、十分な選択性を出すためには糖の濃度が30 mM も必要であり、医療現場で実際に応用する場合感度が悪く、またこの発色団であるDABzの分子内電荷移動吸収帯(260~360 nm)が体内に存在する補酵素であるNADHの吸収領域(340 nm 付近)に重なることも欠点である。

4.本研究課題
 このような問題を解決できる糖センシングを目指し、リポーターとして可視部に強い吸収帯を持つフリーベースポルフィリン(H2Por)および亜鉛配位ポルフィリン(ZnPor)を選択し、これらを化学結合で修飾したカードラン誘導体(H2Por-Cur,ZnPor-Cur)を設計した。
 なぜなら、エキシトンカップリングの強度は発色団間の距離の二乗に反比例し、モル吸光係数の二乗に比例するため、CTバンドのが約2万であるDABzよりもSoret帯のが約50万であるポルフィリンを発色団とすることで、Curの三重螺旋構造変化によるエキシトンカップリングの変化量が敏感になると考えられるからである。また、ポルフィリンのSoret帯は400~450 nm 付近であるため、NADHの吸収領域よりも長波長部で観測できるという利点もある。さらに、ポルフィリンが大きな系であることから、CH-相互作用が働くことも期待される。

5.5.1 修飾カードランセンサーの合成
 センサーであるH2Por-CurおよびZnPor-Curは、図4に示すスキームで合成した。溶解度の向上を目指し、ポルフィリン側鎖にオキシエチレン鎖を導入した。従って、原料である3は既知化合物であるので、文献に従って合成した9)。4のポルフィリンは新規化合物であり、アドラー法を適用することで合成した。続く加水分解により、リポーターであるH2Porを得た後、さらにこれに酢酸亜鉛を作用させることでZnPorを合成した。これら新規化合物は、各種NMR、高分解能質量分析、融点測定により同定した。これらのリポーターをCurに修飾するのは、我々が開発した合成手法で導入し、置換度xが3.6%, 5.2%のH2Por-Curおよびxが2.6%のZnPor-Curを得た。これら新規ポリマーは、各種NMRならびにIR測定により同定した。

5.2 修飾カードランセンサーの溶液調整
 H2Por-CurおよびZnPor-CurのDMSOストック溶液を調製し、この溶液を0.3 mL 量りとり、ここに2.7 mL のDMSOおよび水を加え、所定の濃度にして分光用のDMSOおよび10% DMSO水溶液を調整し、紫外可視(UV/vis), CDスペクトルを測定することで、これらカードランセンサーのキロプティカル特性を調べた。次にH2Por-CurおよびZnPor-CurのDMSOストック溶液を0.3 mL 量りとり、ここに種々の糖を溶かし、そこに2.7 mL の水を加えて10倍に薄めた10% DMSO水溶液を調製し、UV/visならびにCDスペクトルを測定し、糖認識能を検討した。

6.修飾カードランのキロプティカル特性
 図5に両ポリマーのCDスペクトルを示す。赤線のH2Por-Cur (x = 5.2%)において、DMSO中および10% DMSO水溶液中でのCDスペクトルにおいては、Soret帯に小さなエキシトンカップリングが見られた。CDスペクトルにおいて、10% DMSO水溶液中では、DMSO中でのエキシトンカップリング強度と比べてほぼ変化していない。この原因の一つとして、10% DMSO水溶液中において修飾Curが三重螺旋構造をとっているものの、ポルフィリンの強いスタックにより発色団同士の距離が非常に近く、小さなエキシトンカップリング強度になっているということが考えられる。一方、黒線のZnPor-CurのCDスペクトルにおいて、10% DMSO水溶液中では、DMSO中に比べて大きなエキシトンカップリングが確認された。また正と負のふたつのエキシトンカップリングが重ねあわさっており、種々のコンフォーマーが存在し、代表的なふたつのエキシトンカップリングが見えていると考えられる。これらの結果から、どちらの修飾Curもポルフィリンが強くスタックしていることが明らかとなった。ZnPor-Curでは種々のコンフォーマーの存在が示唆され、10% DMSO水溶液中では天然Curの持つ三重螺旋形成能よりもポルフィリンのスタックが構造を決定してしまっていると考えられ、Cur本来の糖センシング機能を発揮しないこともわかった。

7.修飾カードランによる糖センシング
 上述のようにZnPor-Curは、そのリポーター同士のスタックの強さのため糖センサーとしては不向きであったが、H2Por-Curのように中程度のスタック能であれば、糖センサーとして機能することが明らかとなったので、置換度xが5.2%のH2Por-Curのセンシング結果について述べる。図6に示すように10% DMSO水溶液中、45 mM のアカルボース存在下では、H2Por-CurはCDスペクトルにおいて、エキシトンカップリング強度が増加した。これはアカルボースの添加により、Curの三重螺旋構造の変化がリポーターに伝達され、ポルフィリン同士の双極子モーメントが励起子カップリングに好ましい位置に配置したためturn-onセンシングが可能となった。
 この結果を踏まえて、アカルボースを含む単糖から6糖およびアカルボースの部分骨格であるジエタノールアミンの選択性を調べたのが図7である。この図から、明らかにアカルボース選択的であり、turn-onセンシングが可能であることが明らかとなった。

8.まとめ
 本研究より、ポルフィリンをリポーターとするCurの水溶液中での2型糖尿病治療薬であるアカルボースの可視領域での選択的turn-onセンシングを達成した。しかしながら、以下の事実も判明した。発色団であるポルフィリンが強くスタックすると、Curの構造をかなり強固に固定し、構造変化を阻害していることが明らかとなった。今回は、45 mM と高濃度でのセンシングしか行えなかったのは、リポーターのスタックが決定的な要因となっている。従って、今後感度を上げるには、三価のAlや四価のZr, Hfなどを中心金属とする正電荷を有する金属ポルフィリンをリポーターとして静電反発によりスタックを妨げれば良い。つまり、これらの金属ポルフィリンをリポーターとして用いた修飾Curへと展開すれば、さらなる高感度センサーへの展開が期待できる。