1998年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第12号

水晶振動子の電極表面に直接結合する遺伝子組換え抗体の作製と免疫センサーへの応用

研究責任者

小林 淳

所属:三重大学 工学部 分子素材工学科 助手

共同研究者

宮嶌 成壽

所属:三重大学 工学部 分子素材工学科  教授

共同研究者

冨田 昌弘

所属:三重大学 工学部 分子素材工学科  助教授

概要

まえがき
特定の抗原だけを特異的に認識し結合するという抗体の有する能力は,さまざまな成分が混合したサンプル中の抗原を検出・定量するための免疫学的手法の発展をもたらした1)。ただし,ELISA法(酵素を結合させた抗体を利用して,酵素反応の結果生じる発色などの強さから抗体と反応した抗原を定量する方法)をはじめとする従来の免疫学的手法による検出では,実験室内で比較的時間をかけて操作を行う必要があり,より簡便で迅速な手法の開発が望まれてきた。そのような手法の一つとして考案されたのが,水晶振動子を利用した免疫センサーである。いくつかの先駆的研究2-5)により,センサーの基本的設計はかなり確立されたものの,一つのセンサーを作るために必要な抗体の量が他の免疫学的手法に比べて多いうえ,センサーの電極表面への抗体の固定法が煩雑でしかも効率が悪いことから,未だ実用化には至っていない。
一方,遺伝子工学により生産された組換えタンパク質を効率良く分離精製するための技術として,組換えタンパク質に特定のリガンドとの結合可能なアミノ酸配列を融合させ,リガンドを結合したカラムなどに目的の融合組換えタンパク質だけをトラップして他のタンパク質成分から分離する方法が開発されている。このようなリガンドと結合配列の組み合わせとしては,グルタチオンとグルタチオンSトランスフェラーゼ(GST)配列,マルトースとマルトース結合タンパク(MBP)配列,ニッケルとポリ・ヒスチジン(His-tag)配列(ヒスチジンが6分子程度連続した領域で,ニッケルイオンと電気的相互作用により結合する)などがある。特に,His-tagは,金属イオンとの結合が可能であることから,電極など電気的デバイスと抗体とのアフィニティーを高める上で有効な融合配列であると考えられる。
そこで,本研究では,水晶振動子電極上にモノクローナル抗体が安定に固定された実用的な免疫センサーを開発することを目的として,新しい抗体固定法を試み,その有効性を検証するとともに,遺伝子発現系で生産したHis-tagを付加した組換え抗体をニッケルでコートした水晶振動子の電極表面に固定するための基礎技術開発を行った。
内容
本研究課題においては,ウイルス病感染診断用免疫センサーの開発を念頭におき,そのモデル実験系として,抗原には昆虫ウイルスであるカイコ細胞質多角体病ウイルス(BmCPV)6),また抗体にはBmCPVに対するモノクローナル抗体7)を供試した。
BmCPVは,2本鎖RNAをゲノムとするレオウイルス科に属するウイルスであり,養蚕業に深刻な被害を及ぼすことが知られている。また,森林害虫の防除のために別のCPVが微生物殺虫剤として散布され,いくつかの国で効果をあげている。さらに,レオウイルスの中には,ヒトや家畜の下痢をひきおこすロタウイルスやイネの萎縮病をひきおこすイネ萎縮ウイルスなどが含まれている。したがって,本研究の成果は,単にモデル実験系であるカイコを含めた昆虫ウイルスの検出にとどまらず,ただちにヒトを含めた哺乳動物や植物のウイルス病にも応用できるものと期待される。
BmCPVをモデル実験系とする主な利点は,このような幅広い応用性のほか,本ウイルスがカイコとごく限られた昆虫にしか感染せず,人畜及び植物に全く無害であるという安全性と,飼育が容易なカイコを多数使ってウイルス感染実験をくりかえし行えるので,信頼性のある実験データが得られることである。
BmCPVウイルス粒子に対するモノクローナル抗体を産生するハイブリドーマ細胞は,1984年に本研究課題の共同研究者である宮鳥ら7>によって作出された。このハイブリドーマ細胞が産生するS11抗体はマウスの免疫グロブリンのIgG1クラスに属し,BmCPVと特異的に抗原抗体反応するのみならず,BmCPVの感染を中和する活性を示すことが明らかにされた。
これまでの研究において,ポリスチレン被覆あるいはプロテインAを介してS11抗原の水晶振動子電極上への固定を試みたが,前者は固定された抗原の配向がランダムなため,また後者についてはマウスのIgGがプロテインAと結合しにくいため,それぞれ免疫センサー作製のための抗体固定法としては不適当であった。そこでまず,本研究においては,このS11抗体に対しプロテインAよりもマウスIgG結合能の高いプロテインGを介した固定法,及び,電極上に交互吸着して形成させたポリイオンフィルム上に抗体自身の電荷を利用して固定する方法8〕を試み,安定かつ機能を保持した固定が可能か検討した。また,同時に,His-tagを付加した組換えS11抗体を作製するために必要となるS11抗体遺伝子のクローニングを行った。
成果
(1)モノクローナル抗体の電極上への効率的固定法の開発
AT-cut,基本共振周波数9MHzの銀電極水晶振動子と図1に示した2種類の専用セル(プロテインGを介した固定法ではセルaを,ポリイオンフィルムを介した固定法ではセルbを使用した)を使用し,電極の一方だけが水溶液と接触し,もう一方を水から遮断することにより,抗体の固定ならびに振動数の計測を水中で行った。
まず,プロテインGを介した固定法では,水晶振動子をアルカリと酸に交互に短時間浸漬し,さらに95%エタノールで洗浄する前処理を施してから,10μgのプロテインGを含む緩衝液20μ1を電極上に塗布し,20分間吸着させた。その後セル内を水で洗浄し,次に,16μgのS11抗体を含むリン酸塩類緩衝液(PBS)10μ1を塗布し,20分間吸着させてから,固定されない抗体を洗浄除去した。対照として,抗体を含まないPBS10μ1による処理も行った。また,比較のために10μgのプロテインAを使用して同様の抗体固定化実験を行った。
これらの実験における振動子の周波数変化を図2にまとめて示した。プロテインGの吸着による振動数の減少(a,b)は,プロテインA(c,d)とほぼ同様,70Hz前後であった。そして,S11抗体固定による振動数の減少は,プロテインGを介した場合は約60Hz(a)で,プロテインAを介した場合の約30Hzを2倍上回っていた。
このように,プロテインGを介した固定法はプロテインAよりも良好なS11抗体固定効率を示すことが明らかになったが,固定される抗体量が必ずしも常に一定ではないため,実用的な固定法としては不十分であると判断された。
一方,ポリイオンフィルムを介した固定法では,プロテインGと同様な前処理を行った振動子にセルb(図1)を装着後,セル全体を7mlの1.5mg/mlポリエチレンイミン(PEI)溶液の入ったプラスチックチューブに浸漬し,20分間吸着させた。次いで,セルを7mlの3.Omg/mlポリスチレンスルフォーネート(PSS)溶液の入ったプラスチックチューブに浸漬し,20分間吸着させ,さらに,PEIとPSSの交互吸着をもう1回繰り返し,ポリイオンフィルムでコートした振動子を作製した。等電点電気泳動の結果S11抗体の等電点が7.0付近であることが判明したので,抗体分子の電荷を正にチャージさせるためにpHを4.6に調整した抗体溶液20μ1(16または36μgのS11抗体を含む)を負の表面電荷を持つポリイオンフィルム上に塗布し,20分間吸着させてから,固定されない抗体を洗浄除去した。対照として,抗体を含まないPBS20μ1による処理も行った。
その結果を図3(a~c)に示す。まず,PEIとPSSの交互吸着により常に220Hz程度の振動数の減少が示され,さらに16μgの抗体の吸着では約90Hz,36μgでは2倍よりやや大きい約200Hzの振動数の減少が得られたことから,ポリイオンフィルムを介することにより安定かつ効率良くS11抗体を固定できるものと判断された。そこで,このポリイオンフィルムを用いて作製した免疫センサーによるBmCPVの検出を試みた。すなわち,S11抗体を固定した水晶振動子電極上に13μgのBmCPVを含むウイルス液10μ1を塗布し,20分間反応させ,洗浄により反応しないウイルスを除去してから振動数を測定した。対照として,抗体を固定していない振動子に対しても同様の処理を行った。その結果,抗体の有無にかかわらずウイルス粒子の結合による振動数の減少が認められ,しかも,抗体が固定されていない振動子の変化(約220Hz,図3e)は抗体を固定したもの(約80Hz,図3d)よりも大きかった。したがって,ポリイオンフィルム上に非特異的に吸着されるウイルス量が抗体に結合されるウイルス量よりも圧倒的に多いものと推察された。現在,このような,非特異的吸着を防ぐために,ウイルス粒子の表面処理やセンサー表面のブロッキングを試み,改善策を模索している。
(2)S11抗体遺伝子のクローニング
S11抗体を産生するハイブリドーマ細胞からmRNAを抽出し,S11モノクローナル抗体のH鎖とL鎖の可変領域cDNAをそれぞれ作製し,両者を結合させたsingle-chain fragment variable(ScFv)をファージディスプレーにより大腸菌のファージの尾に組み込んで発現させた9)。このようにして得られたファージライブラリーから,BmCPVを用いたpanningにより200個のクローンを選抜し,さらにそれらの中からELISA法により実際にBmCPVと結合するファージのスクリーニングを行った。
その結果,表1に示したように,3個のクローン(#9,#23及び#43)がELISA陽性であった。これら3クローンのファージDNAを抽出し,挿入されたScFv配列を決定したところ,いずれのクローンにも抗体の可変領域に対応する配列が含まれていた。しかしながら,抗体のH鎖及びL鎖の可変領域を完全に含むScFvは得られなかった。すなわち,クローン#9と#23にはL鎖の可変領域のCDR3配列しか含まれておらず,最も長いScFv配列を含むクローン#43においては,H鎖の可変領域は完全に含まれているものの,L鎖に関しては可変領域のCDR1配列が欠落していた(図4)。そこで,現在,完全なScFvを得るためにライブラリーのスクリーニングを継続するとともに,最も長い可変領域を含むクローン#43についてHis-tagを付加した組換え抗体遺伝子の作製とセンサー作製への応用を行っている。
まとめ
水晶振動子を利用した免疫センサーは,欧米ならびに日本においてバイオテクノロジーとエレクトロニクスを融合させたバイオセンサーの一つとして盛んに研究されており,さまざまな方法で抗体を固定した水晶振動子が試作され,高感度な測定結果が報告されている。しかしながら,これらの研究成果が未だに実用化に至らない理由としては,センサーを作製するのに非常に多量の抗体が必要なことと,抗体の固定量が変動しやすいため計測に使用できるセンサーの歩留りが極めて低いことが挙げられる。
本研究では,このような抗体固定における問題点、を解決するために,①従来の抗体固定法の改良と②電極表面上に結合可能な組換え抗体作製に必要とされる抗体遺伝子可変領域のクローニングを行った。その結果,前者については,プロテインGあるいはポリイオンフィルムを介した固定法を試み,固定量に関しては従来の方法を上回る結果を得ることができた。特に,ポリイオンフィルムを介した固定では量的にも,また,安定性に関しても良好な結果が得られた。しかしながら,ポリイオンフィルム上へのウイルス粒子の非特異的吸着を除去しないかぎりウイルス検出用の免疫センサーとしての実用化は困難であることが判明し,現在,さらなる改善を試みている。
また,後者については,抗体の可変領域の一部をScFvとして発現するファージの作製に成功したので,今後,さらに完全な可変領域からなるScFvの作製及びHis-tag配列との融合を行い,水晶振動子のニッケル電極上にHis-tag付加組換え抗体を固定して,センサーとしての実用性を検討して行く予定である。
本研究の成果をもとにして,近い将来,高感度なウイルス病診断用免疫センサーが開発できれば,モデル実験に用いたカイコ細胞質多角体病ウイルスのみならず,ヒト,家畜及び作物などのウイルス病診断においても有用な技術として実用化されるものと期待される。特に医学及び農学上大きな被害をもたらすウイルスにおいては,その発生現場で迅速に早期診断することが,その後の一予防策を講じる上で必要不可欠であるので,水晶振動子と小型軽量な周波数測定装置ならびにモバイル型パーソナルコンピューターから構成される免疫センサーシステムを構築すれば,このような現場での高感度な診断に最適なシステムとなるであろう。