2006年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第20号

機能分散型健康増進支援システムのためのウエアラブル生体情報計測・制御ユニットの開発

研究責任者

木竜 徹

所属:新潟大学大学院 自然科学研究科 情報理工学専攻 教授

共同研究者

田中 喜代次

所属:筑波大学大学院 体育科学系 助教授

共同研究者

牛山 幸彦

所属:新潟大学 教育人間科学部  助教授

共同研究者

羽柴 正夫

所属:新潟県健康づくり・スポーツ医科学センター  管理医師

共同研究者

田中 環

所属:新潟大学大学 院自然科学研究科 教授

概要

1.はじめに
高齢社会を迎えた我が国では,中高齢者を中心に運動によって健康を維持しようとする意識(ウエルネス)が高まっている.しかし,これに応えるウエルネスサービスは限定的なものであり,必ずしも多くのユーザーが必要に応じて十分に利用できる環境には至っていない.そこで,継続的な運動や効果的な運動を誰でも享受できるように,様々な場面でのウエルネスサービスを実現するシステムを開発する必要がある.キーポイントはウエルネス運動をストレスなく,日常的に享受できるシステムの構築と個人適合プログラムであると言われている.しかしながら,従来の方式は健康支援機器に組み込まれた運動プログラムの範囲でしか調整することができず,また,IT システムの運用も限定的なものである.これでは,継続的な運動意欲の維持は困難である.継続的な運動や効果的な運動を支援する方式はウエアラブル計測とユビキタス環境によって実現できる.IEEE EMBS Magazine でのWare itwell の特集1)では,ウエアラブル計測,PDA によるモニタリング,さらにPersonal Server を身につけ生体情報を無線IT システムで管理するPersonalArea Network の研究が紹介された.これによって,ウエアラブル計測でユビキタス環境な状態で心電図,血圧,呼吸,体温などがいつでもどこでもモニタリングできる様になってきている.今後,さらにセンサの工夫やユニットの小型化が進めば,利用が広範囲に広がるであろう.一方,健康サービス事業や筋力トレーニングに関連した施策のおかげで,国内でも様々な研究機関がそれぞれの専門的立場から積極的な事業展開を始めている.また,民間企業のプロジェクト(自発的総合健康支援システム開発)として,健康モニター機器開発,健康状態の評価,解析手法の開発,各機器間のデータプロトコルの統一に関する研究開発が行われた.以上の様に多様な健康増進支援システムのプロトタイプが出現してきている.しかし,もうひとつのキーポイントである個人適合プログラムのサービスが十分に確立されていないため,限定された範囲での展開に留まる.個人適合プログラムの開発には,大規模な履歴データベースが必要であり,局所的に限定された範囲では限界がある.今後重要となる個人適合プログラムを如何に実現するかが,健康増進支援システムの鍵となってきている.著者等は,複数の健康支援機器と複数の運動プログラムをインターネット上に展開し,いつでもどこでもだれでも自らの体力や体調に合わせて健康増進支援サービスを利用できるような仕組みを開発してきている(機能分散型健康増進支援システム)2)-5).その構想では,必要とする機能をネットワーク上に分散させ,ユーザーがオンサイトで必要な機能を必要に応じて組み合わせる方式である.今回は.継続的な運動や効果的な運動を支援するため,ウエアラブル生体情報計測・制御技術の開発に重点を置いた研究開発を行った6)-11).特に注目した点は健康志向機器に従来内蔵されていた計測・制御機能を分離することである.これによって,そのままのユニットを身につけ,インドアでの自転車エルゴメータ運動用にデザインした運動プログラムを,アウトドアでのアシスト付き自転車の制御へも活用できるようになる.ここでは,PDA と既存の生体情報計測ユニットの組み合わせによるウエアラブル生体情報計測ユニット10),11),および設計・製作したウエアラブル生体情報計測・制御ユニット6)-9)を紹介する.特に,自転車エルゴメータに関しては,開発済みのInternet-based システムをJava を用いてWeb-based システムに開発し直し,負荷制御実験にて履歴データベースの構築を行った.また,個人適合プログラムに関して,階層化意思決定法を用いて,休息時間から運動に対する個人個人の戦略を探るプロセスを明らかにした11).

2.システム構成
ここでは,PDA と既存の生体情報計測ユニットの組み合わせによるウエアラブル生体情報計測ユニット,および自転車エルゴメータの負荷制御用に製作したウエアラブル生体情報計測・制御ユニットを紹介する.

2.1 PDA によるウエアラブル生体情報計測ユニット
無線LAN 内蔵のPDA (iPAQ Pocket PC h5550,HP 製)とPCMCIA タイプの12-bit A/D 変換カード(DAQCard-6024E, National Instruments 製),小型の生体情報計測用ユニット(MYO-4, DELSYS 製)を用いてウエアラブル生体情報計測ユニットを構成した(図1).総重量は約600g となった.PDAに計測機能を持たせるために,LabVIEW PDAModule (National Instruments 製)で実行プログラムを開発した.この時点では,4チャネルの信号を各々1024Hz でサンプリングできた.なお,計測したデータは計測後に,CedarFTP for Pocket PC(FTP クライアントソフト)を用いて,無線転送できるようにした.これにより,被験者の運動を妨げることなく,表面筋電図,心電図および膝関節の情報を計測でき,さらに験者が待機しているサポートセンターで常時データ内容の確認をすることが出来るようになった.また,験者は転送されたデータを解析し,運動機能の評価結果をWeb 上にアップロードして,被験者のPDA に情報をフィードバックできる様にした.なお,このシステムを用いて,スキー滑走時の運動機能を計測し,筋疲労の発現を被験者にフィードバックするフィールド実験を行った10).また,自転車エルゴメータ運動時でも同様に筋疲労状態を被験者にフィードバックすることで,自覚的運動強度( RPE: Ratings of Perceived Exertion ) やNASA-TLX ( National Aeronautics and SpaceAdministration Task Load Index)等の主観的データを参考に,休息時間の設定に関する個人適合プロセスの基礎実験を行った11).

2.2 ウエアラブル生体情報計測・制御ユニットLinux ボードからなるウエアラブル生体情報計測・制御ユニットを製作した(図2).オンボードの12-bit AD 変換器,PCMCIA とCF(CompactFlash)タイプのメモリや無線LAN カード用のスロットを装備し,TCP/IP にて計測データや制御信号の送受信を行う.生体信号計測用のチャネルは4チャネルで,各々5kHz でサンプリング可能である.ユニットのサイズは100×180×45mm,重量は800g である.製作したユニットは単独では負荷制御値を計算せず,その役割を外部PC に持たせている.すなわち,ウエアラブル生体情報計測・制御ユニットは被験者側にあって,被験者の運動機能の変化を外部PC に送信し,外部PC が計算した制御値を受信した後,自転車エルゴメータの負荷ニットへ送信する役割を担っている.この際のデータの流れを図3に示す.なお,開発用言語はVisual C である.このシステムを用いて,自転車エルゴメータの負荷制御を行った8),9),11).計測した生体情報は表面筋電図,心拍数である.負荷制御法に関しては文献2)を参照のこと.

3.個人適合プログラムの調査
著者等は,自転車エルゴメータの負荷制御を継続的に個人適合させるため,客観的データと主観的データとの関係を人工ニューラルネットワークで評価しながらカスタマイズする運動プログラムを検討してきている3).著者等が提案している個人適合プログラムでは,基礎体力から導き出されるAT(Anerobic Threshold)値や体格によって負荷の最大最小値や漸増負荷の傾斜を決定し,一時的な漸増負荷を加えるタイミングや大きさを,その時点での個人個人の運動機能でカスタマイズできる様にした.すなわち,漸増負荷テストで運動終了時点での負荷をWLmaxとした上で負荷の最大値を各被験者のWLmax75%に設定し,最小値をWLmax50%に設定した.この際,運動に対するきつさと運動による効果とをうまくバランスする必要がある.そこで,以下の様な方式で個人適合プログラムの調査を行った.対象とした自転車エルゴメータ運動では,ひとつのセットで60rpm のサイクル運動と休息とを3~5 回繰り返し行うものとした.ただし,3~5 回の繰り返し運動の合間にとる休息時間は,各被験者の判断にまかせた.ここで,運動時の表面筋電図より運動機能の変化を休息中に推定し,その結果をPDA にフィードバック表示したセットとしないセットを設けた.なお,運動開始時から30 秒ごとに足・呼吸の順にRPE の調査を行い,さらに,運動のパフォーマンスを探るために,NASA-TLX を調査した.NASA-TLXは6 つの尺度項目からなり,精神的要求(MD:mental demand ), 身体的要求( PD: physicaldemand),時間的圧迫感(TD: temporal demand),作業達成感(OP: own performance),努力(EF:effort),満足度(FR: frustration level)から構成されている.NASA-TLX の特徴は,これら6 つの評価から1 つの総合値を算出するのに,個人ごとに算出された重み係数を用いることである.ここで,どの項目に重きが置かれているかを,相対的評価を可能とする階層化意思決定法(AHP: Analytic Hierarchy Process)で求めた.その後,NASA-TLX で集計された素点から幾何平均法を用いて,各評価項目および各被験者のウェイトを算出した.なお,これまでに蓄積した履歴データベースを利用し,J2EE によって構築したWeb-based システム上に個人情報管理サイトを構築した(Web-based システムは文献4)を参照のこと).

4.結 果
4.1 システムのパフォーマンス
PDAによるウエアラブル生体情報計測ユニットを用いて,約4km のダウンヒルコースにてスキー滑走時の運動機能を計測し,その場で情報をフィードバックするフィールド実験を行った.図4にセンサの配置を示す.ひとつのトライアルは約20 分のリフト搭乗(休息)と約5 分のスキー滑走(運動)の合計約25 分からなる.ここで,リフト搭乗時には2 分間の心電図を,スキー運動開始時から5 分間のスキー滑走中には表面筋電図,心電図,膝関節角を計測した.なお,サンプリング周波数1024Hz,量子化ビット数12-bit でA/D 変換し,PDA のSD カード(1GB)に保存した.この計測データ12MB を80 メートル離れたサポートセンターへ約7 秒で転送できた.この計測データからの筋疲労度推定には30秒を要し,そのJPEG 形式の結果を滑走後の休息中にPDA へとフィードバック(約1 秒でダウンロード)することができた.一方,PAD によるウエアラブル生体情報計測ユニットを用いて自転車エルゴメータ運動時の個人適合プロセスの調査を行った.被験者は,健常な成人男性10 名(21.9±1.1 歳.うち5 名は定期的な運動習慣をもつ)である.5 分間の自転車エルゴメータ運動の計測データ量はチャネルあたり1.21MB であった.この計測データをユニットからおよそ20 メートル離れた験者側のノートPC におよそ50 秒で転送できた.受信した計測データに対して運動機能変化の評価結果をJPEG 形式(90KB)に保存するまでおよそ20 秒,その後,PDA で閲覧するまでおよそ10 秒かかった.以上の結果,運動終了後,計測データに対して,無線LAN によるデータ転送開始からPDA での結果の閲覧まではおよそ70~80 秒であった.

4.2 AHP による主観的評価の分析
個人適合プログラムに向けた調査として,AHP による主観的評価の分析を行った.最初に,ウエアラブル生体情報計測・制御ユニットのパフォーマンスを調べながら,従来の個人適合プロセスの守備範囲を探った.ここでは,9名(21.3±1.7 歳)に対する負荷制御実験を行った(図5).図6は従来の個人適合プロセスを開発することを目的に,様々な負荷制御パターンで実験した例である.一時的漸増負荷を加えるタイミングによって筋疲労の進み方が異なることが分かる.したがって,一時的漸増負荷のレベルや加えるインターバルをどの程度とするかが重要な要素となることがわかった.そこで,PDA によるウエアラブル生体情報計測ユニットを用いた自転車エルゴメータ負荷実験にて,NASA-TLX での採点を元に6 つの尺度項目のウェイトをAHP で求めた.解析対象は52 セットで合計156 トライアルがある(フィードバックあり81 回,フィードバックなし75 回).メンタルワークロードのウェイトの平均値の差の検定を行った結果,「精神的要求」,「努力」,「満足度」において,フィードバックありなしで有意差(p<0.05)があった.すなわち,フィードバックなしの場合に比べ,フィードバックありの場合では「努力」のメンタルワークロードへのウェイトが全体的に減少していた.このことから筋疲労情報のフィードバックが利いたことが予想される.したがって,筋活動に基づく負荷制御が個人適合プログラムを作成する場合の重要な要因になることがわかった.

5.考 察
ウエアラブル生体情報計測・制御ユニットでは,計測した生体情報から活動量の推定値を出力できるだけでなく,無線LAN に接続できる.その結果,固定された健康機器(例えば,自転車エルゴメータ)の制御だけでなく,フィールドスポーツでの生体情報のモニターなど,様々な場面での応用が可能となる.また,既存の健康機器の改造は必要最小限で済ませることができる.しかも,携帯電話やPAD 等,他のIP 接続機器との連携をとったコンテンツの開発が可能となると考えている.さらに,ネットワーク上への機能分散が進めば,ユーザーが自ら利用する健康機器とユーザーの体力の変化に適応できる運動プログラムに必要な情報(個人情報を含む)だけを管理すればよく,安心してウエルネスのための運動プログラムを利用できる.その結果,選択した運動プログラムがユーザーの好みや体力にあわなくなった場合は,他の運動プログラムに簡単に切り替えることができ,ウエルネスのための運動をユーザーが継続しやすくなる.また,アウトドアへの展開によって,より爽快感のある運動プログラムや効果的な運動プログラムを提供できるようになるだろう.活発な運動を繰り返し行うと疲労が蓄積し,次第に運動のパフォーマンスの質が低下するだけでなく,最悪の場合,ケガなどを引き起こす事がある.この際,運動の合間に充分な休息を取ることが非常に重要である.運動量やその負荷量から休息時間を決定できそうであるが,そのタイミングやインターバルなどは個人差がある.これをカスタマイズする必要がある.この際,呼吸や心拍などが使われる場合が多く,筋疲労についてはあまり考慮されていなかった.今回の調査結果によれば,筋疲労情報をフィードバックすることで,「努力」のメンタルワークロードへのウェイトが顕著に低くなっていた.運動によって筋疲労が生じ,その後,筋疲労の回復過程となる.この回復過程の中から運動に対する効果は生まれる.以上のことから,筋疲労と回復のバランスが均衡するために,筋疲労をモニターすることの重要性がよく分かる.

6.まとめ
機能分散型健康増進支援システムのためのウエアラブル生体情報計測・制御ユニットの開発を目的とし,様々な試みを行った.すなわち,PDAによるウエアラブル生体情報計測ユニットと自転車エルゴメータ負荷制御用のLinux ボードによるウエアラブル生体情報計測・制御ユニットを開発した.スキー滑走時の運動機能の計測や,自転車エルゴメータ運動時の負荷制御でこれらのウエアラブルユニットが有効であることを示した.これによって,いつでもどこでも運動機能の計測が可能となった.さらに,個人適合プログラムを開発するための予備調査を行い,筋疲労情報のフィードバックの重要性,さらに運動効果の評価に対する個人性を調べる際に階層的意思決定法が有効であることを示した.すなわち,フィードバックする筋活動(筋疲労)情報は被験者に筋疲労に合った休息時間をとるために必要な情報であり,運動を継続的かつ効果的に行うために有効であることがわかった.