1990年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第04号

格子像投影方式定量立体計測法による眼底診断装置の試作研究

研究責任者

吉村 武晃

所属:神戸大学 工学部 計測工学科  助教授

共同研究者

中谷 一

所属:大阪厚生年金病院 眼科 部長

共同研究者

鈴木 範人

所属:大阪電気通信大学 精密工学科  教授

概要

1.まえがき
緑内障は眼内圧が一上昇し視神経に障害が生じ,視野障害を起し遂には失明にいたる疾病である。一旦視野障害が発生すると,その障害は回復しない。このことから緑内障においては早期診断法の確立が極めて重要である。一方,視野障害と極めて関係が深いのは,眼底乳頭の陥凹である。緑内障診断の有望な方法として,この乳頭陥凹の定量計測法の開発が近年活発に行われている。
乳頭陥凹を定量的に計測する方法として,HolmとKrakau等によって原理的な観点から提案された格子像投影法がある1)2)。ストライプ状の光をある角度から眼底に投影し,別の角度から観測する。眼底に陥凹があると,ストライプに歪みが生じる。その歪みから陥凹を測定する。我々はこの方法を発展させ,臨床的立場から緑内障診断に有効であることを既に提案している3)4)5)6)。
本研究ではこの格子像投影法による眼底定量立体計測装置を,実用装置として試作した。本測定法を実川化するには再現性,コンパクト化などの問題を解決する必要がある。最大のネックは画像処理の簡単化にある。本研究では二種類の投影格一子像を取り込むようにし,差分法を適用することにより,画像処理の簡単化を行った。このことはデータ解析の信頼性,再現性を高めることにもなる。臨床実験をし,装置の再現性を検計するとともに陥凹解析結果の評価を行った7)。
2.研究内容
2.1試作した装置の構成
格子像投影方式によって,眼底を三次ノO計測する試作装{置の構成を図1に,外観を図2に示す。本装置は格子像を眼底に投影する照明光学系と眼底像を撮影する観察光学系より成る光学装置,および撮像された眼底像を処理し,陥凹量を解析する画像処理装置から構成されている。光学装置は市販の眼底カメラ(キャノンCF-60Z)を用いた。この装置にはガイド光としてタングステンランプが装備されている。この光はリング状開口のアパーチャで制限される。このアパーチャの代わりに,その開口の一部のみ光が通過するアパーチャを用いた。穴付き鏡M2上にそのアバーチャ像が結像される。その鏡で反射された反射光は被検眼の瞳孔上の右端に再度結像されたのち眼底を照明する。図1にその光路を実線で示してある。さらに眼底に格子像を投影するため,眼底に共役な位置に格子を取り付けた。図1にその結像関係を示す光路を破線で示してある。格子像よりの光はM2で反射される。格子像はレンズL3の焦点面で結像したのち,レンズL3を通り,眼底面で結像する。用いた格子は透明領域の幅が100μm,間隔が200μmである。市販の眼底カメラの照明光学系をこのように改造することにより,瞳孔の右端から格子状の光が眼底に照明される。観察光学系としては市販の眼底カメラをそのまま使用した。眼底からの光は瞳孔を通過し,鏡M2の穴を通り,観測而に到達する。その位置は眼底像が結像される位置である。図1ではその光路を二点鎖線で示してある。観測面に設置される投影装置として,TVカメラ(NECTI-22A)を装置した。
画像処理装置は動画像処理装置(ハスク技研DAIANA)を使用した。TVカメラからのビデオ信号を512×512の画像メモリに取り込む。この取り込み終了と同時にコントローラに信号を送り,格子を格子線に垂直な方向に100μmだけシフトさせる。眼底には半周期シフトした縦格子像が投影される。この眼底像を再び投影し,別の画像メモリに取り込む。撮影用のスタートボタンを押すだけで,これら2枚の画像が自動的に画像メモリに取り込まれる。操作性が良い装置とすることが出来た。
ここで用いる画像処理装置では次の手順で陥凹解析をする。シフト前後の2枚の画像をそれぞれA,B画像と呼ぶことにする。A,B画像の差分画像を作り,背景の眼底像を除去し,格子像のみを取り出す。この格子像輝度の極大値および極小値を検出し,別々のメモリに記憶させる。これらのメモリから極大値のみの画像を読みだし,歪をともなった縦格子線を順次追跡する。次にこれらの抽出された格子線の歪量は一本一本基準線からの畦として画素単位で計算し,メモリに格納する。同じことをもう一方の画像(格子像輝度の極小値)を読みだし,同じ操作を実行する。これらは別々に計算されたが,一枚の画面上にまとめる。この得られた歪量を輝度変換する。この画像を表示させれば陥凹量を輝度で表した眼底の立体図が得られる。適当な輝度レベルでスライスし,境界線を求めば等高線図がえられる。さらに等高線図から,臨床に必要な様々なデータ,例えば最大陥凹の位置とその大きさ等が得られる。これらをグラフィックターミナル,プリンタに表示,またはハードデスクに記録する。
2.2 眼底撮影における差分法の適用
撮影される投影格一子像のコントラストが…般に極めて低い,この理由としては次のことが挙げられる。網膜と乳頭とでは反射率が極端に異なり,Disc内のPallorでは反射率が高く,しかも拡散性の高い物質で構成されている。網膜でコントラストを良くしようと投影格一子像の/乏均光強度を強くすると,乳頭では拡散光が強く表れるため格子像が消失する。一方乳頭でのコントラストを一上げようと投影光強度を弱めると網膜での格一子像が雑音に埋もれる。このことの他に乳頭付近は血管が集中している領域であり,血管は低反射率を持つことにもよる。つまり格子像と血管像との区別が容易でなくなる。ここでは良く知られている差分法を導入することにより簡単な画像処理で格子線が抽出できることを示す。
1次元の場合の差分法を模式的に第3図に示す。(a)は眼底の反射率の様子を示す。そこに格子像が投影されると反射光の強度分布は(b)のようになる。投影格子像が正確な矩形関数で表されるとしても,撮影される光強度分布は反射物質の拡散性のためにDC成分を持ち,さらに正弦関数状となる。通常PallorではこのDC成分が極めて大きいために,投影光強度を強くすると,格子線のコントラストが極端に低くなり消失する。もちろん正弦関数の振幅は反射物質の反射率に応じて大きくなり,拡散率に応じて小さくなる。次に投影格一予像を半周期シフトさせると(c)のような半周期シフトした」E弦関数の強度分布が得られる。(b)と(c)の差をとると(d)となる。背景の空間的反射率分布(a)は,(d)では格子像の振幅分布のみに反映している。このように差分法によって格子像のみを簡単に取り出すことができる。
第4図に本測定装置で正常人眼を測定した結果を示す。(a),(b)は投影格子像をシフトさせる前後のA,B画像であり,(c)はA,B画像の差分画像である、,(d)はそれを平滑化し,極値を求め,格子線を追跡した結果である。(e)はA,B画像の和をとった眼底像である(f)はA画像を直接平滑化し,極値を求め,格子線を追跡した結果である。(d)と(f)を比較して分かるように,眼底像の処理には差分法が極めて有効である。これは(a),(b)で血管像が格子像よりも強く現れており,また乳頭では格予のコントラストが極めて低いからである。しかし(c)図では背景の眼底像が除去され,格子のみが鮮明に得られている。眼底のように極めて拡散性の高い物質や吸収率の極端に異なる物質が空間的に分布する場合には,差分法が極めて有効である。
3.成果
3.1差分画像の処理とその評価
画像処理装置での演算操作は正常眼測定ではほぼ自動化され,必要な解析結果が約20分で出力される、,これらの演算操作で特に問題となる点は第4図の(c)から(d)への格子線の抽出にある。格子線の欠落補間や重なりの分離は単なる数値計算ではなく,その処理に判断操作を必要とする。それが多いと解析データの信瀬性が失われる。格子線の重なりは正常眼の解析例10眼については皆無であった。これは投影格子像間隔が適当であったことと,格子線輝度の極大値と極小値とを別々に追跡した結果であると思われる。格子線の欠落補間については10眼中6眼について必要であった。欠落のある6眼中4眼はその欠落は1カ所であった。残る2眼は2カ所であった。第4図(d)は(c)から格子線を抽出するとき欠落や重なりが一カ所もなかった場合である。同じプログラムで第4図(a)から格子線を求めると,(f)のようになる。この図からはどんな方法を持ってしても,もはや欠落補間や重なりの分離は不可能であり,格子線を信頼性良く抽出することが不可能である。これらの結果は第4図(c)の差分画像が格子線抽出に極めて有効であり,自動解析には差分法が必要であることを示す。
3.2再現性評価
本装置を臨床的に多くの人眼に適川する場合,同一条件で測定することは困難である。眼球は固定されておらず,眼軸の眼底カメラの光軸からの変位や角度があいまいとなる。模擬眼の最大陥凹を測定し,その再現性を評価する。測定された最大陥凹点での歪量は左眼に対しては7.3±0.5,右眼に対しては7.5±0.5画素であり,両者はほぼ一致した。明るい像が得られる範囲にわたって変えた測定条件に対して約7%の測定誤差内で測定された。この誤差は1画素以内であり,格子線の歪量を読みだすときの読み取り誤差である。このことは格子像投影方式の光学的特性は被検眼の設定が正確でなくても,十分高い再現性で陥四1測定ができることを示す。
人眼に対しては25歳男性の同一正常右眼を10回測定した。その結果,最大陥凹量は16.8±1.7画素であり,約10%の誤差範囲でまとまり,Cup‐Disc比(C/D比)は36.8±7.6であり,約21%の誤差範囲で求められた。異なった年齢の正常眼8例に対しては最大陥凹量は17.6±3.5画素であり,約20%の誤差範囲でまとまり,C/D比は41.7±12.0%であり,約30%の誤差範囲で求められた。
3.3陥凹量の解析
正常眼の生理的陥凹や恥長内障眼の乳頭陥凹を一ヒ記の方法で解析し,格子像投影方式による陥凹測定法の有効性を評価する。測定に当たって散瞳剤を点眼し,瞳孔径を約8mmに散瞳させた。解析した結果の一例を第5図に示す。対象症例は25歳男性右眼の眼底乳頭である。上図は等高線図であり,下図は最大陥凹位置での水平断而図である。等高線図で一番外側の曲線は乳頭と網膜との境界線であり,その囲まれた領域はDisc領域である。その次の内側に描かれた曲線はCup領域を示す。他の曲線は歪量が5画素(150μm)ごとに描いた。図中の十字線の交点は測定された最大陥凹位置を表す。陥凹は鼻側に急峻であり,耳側に緩やかである。この様に乳頭陥凹の3次元表示あるいは,ある軸上の陥凹断面図表示ができることは,臨床上有用である。
さらに緑内障眼の乳頭陥凹の等高線表示を第6図に示す。緑内障眼は正常眼に対しては明らかに解析結果に差があり,陥凹測定が緑内障視野診断に有望であることを示す。3次元立体表示と数値的表示を総合判断すれば緑内障診断が可能となると思われる。
4.まとめ
緑内障検査装置を実用化するためには装置を日常検査装置として稼働する必要がある。つまり集団検診にも使用できれば早期発見,早期診断が実現できる。このために本研究では格子像投影方式を採用し,差分法の適用により画像処理方法を改善し,再現性の良いコンパクトな装置を試作した。以下にその性能をもとめる。
1)撮影された格子像付き眼底像から格子線のみを画像処理によって抽出することは困難であり,差分法の導入を計った。眼底に投影する格子像を半周期だけシフトさせる駆動装置を付加し,シフト前後の2枚の格子像付き画像を0.17秒の高速で取り込む。この2枚の画像の差分画像では格子像のコントラストが極めて高い。このため差分画像からの格子線抽出を容易にした。この結果,再現性の高い陥凹解析が可能となった。このように画像処理が簡単であることは,解析を自動化すると共に,装置をコンパクトにでき,実用的に日常検査装置とすることができた。
2)眼底像の撮影条件として,眼球と眼底カメラとの距離は厳密に調整しなくても良く,解析される陥凹量に影響しない。このため通常臨床的に使用されている眼底カメラと同様に操作される。用いる光強度は通常の眼底カメラに装備しているガイド光で十分であり,安全性についても問題がない。専門技術者でなくても撮影ができ,操作性の良い装置である。
3)陥凹解析結果のうち,C/D比や最大陥凹量の数値的評価については,同一正常眼で良好な再現性が得られ,重度の緑内障眼と区別することができた。軽度の緑内障眼に対して数値的評価と陥凹の3次元表示とを併せて判断すると明らかな区別ができ,診断に使用できることが分かった。
以上により格子像投影方式による眼底立体計測法のいくつかの問題点を基本的に解決し,実用装置へ十分な成果が得られた。今後臨床データの蓄積が必要であるが,本装置は緑内障の早期診断という立場から極めて有望であると考えられる。