1996年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第10号

核磁気共鳴による体内温度分布の無侵襲画像化法に関する研究

研究責任者

黒田 輝

所属:大阪市立大学 工学部 電気工学科 助手

概要

1.まえがき
腫瘍・前立腺肥大症などの温熱療法及び超音波・レーザー治療時の体内温度の監視・制御,代謝異常・血行障害・炎症などの疾患の診断のために体内温度分布の非侵襲画像化技術の実用化が切望されている。本研究の最終目的は磁気共鳴で観測される水プロトン化学シフトによる温度分布画像化法の確立である。筆者は水プロトン化学シフトの温度依存性(純水において-0.01ppm/℃1))に着目し,これまでにマウス臓器(筋,肝,腎,脳)を用いたin vitro実験により組織の水プロトン化学シフトが臓器に依らず純水と同程度の温度係数(-0.007~-0.009ppm/℃)で温度に比例することを見出し,本パラメータの組織依存性が他のパラメータのそれに比べて著しく小さいことを示した2)・3)。磁気共鳴分光画像化法3)・4)及び位相分布画像化法5)を用いた温度分布画像化を提案し,両法による生きた動物体内の温度分布画像化が可能であることを示した6)・ηβ)。しかしながら,まだ臨床で必要とされる定量性(例えば癌温熱療法においては1℃/ 1cm3/ l min)を得るには至っていなかった。定量性の向上のためには本パラメータの温度依存機構の解明,及びその機構への生体要素の寄与の定量評価が必要であった。本研究では各種の水溶液ならびに麻酔下の小動物を用いて,これらの点を検討した。本報では特に電解質の水プロトン化学シフトの温度依存性への作用を明らかにし,これを基に麻酔下のマウスにおける同パラメータの温度依存性が摘出臓器におけるものと大きく異なる理由を論じる。
2 内容および成果
2.1 対象ならびに方法
(1)化学シフト測定の安定度
9.4Tの分光器(GX-400,日本電子,プロトン共鳴周波数400MHz)の化学シフト測定の安定度を検討した。水と重水の混合試料(H20:50%,D20:50%)をガラス試料管(直径5mm)に高さ40mmまで満たした。試料温度を27℃に保ち,重水素信号による磁界周波数ロックを行わず,さらに試料内の静磁場強度均一性向上のため一般に行う試料のスピニングも行わない状態で,2時間にわたって5分毎に水プロトン化学シフト測定をくり返した。FID信号の積算回数は1回とした。
(2)電解質水溶液における水プロトン化学シフトの温度依存性
(1)で用いた分光器を用いて種々の電解質水溶液における水プロトン化学シフトの温度変化を比較した。試料にはKCI (1, 10, 100, 1000mM), NaCl (1, 10, 100, 1000mM)及びCuSO4 (0.3, 0.5, 1, 5, 10, 20, 30, 50, 100, 1000mM)を用いた。試料はすべて直径5mmの耐熱ガラス試料管に高さ40mmまで満たした。試料管に温度制御した空気を吹き付けて試料の温度を変化させた。空気の温度は27,30,40,50,60,70℃と上昇させて設定し,最後に再び27℃に設定した。各温度においてプロトンスペクトラムを観測し,水プロトン化学シフトの相対変化を測定した。
(3)マウスin vivo組織における温度依存性
マウスにおける温度依存性を検討した。麻酔下(生食にて10倍希釈したペントバルビタール)のマウス(Jcl : ICR,雌,30-409)を(1)と同様の分光器のサーフェスコイルプローブ上に保定した。右後肢上部より温度制御した空気を吹き付け,同部位の温度を変化させた。空気の温度はまず27℃から51℃までの3℃刻みで上昇させ,同じ温度点をとおって下降させた。温度をモニタするために熱電対(素線径0.1mm,テフロン被覆,東京ワイヤー製作所)を同部位内に刺入した。右後肢下にサーフェスコイル(直径11mm)を置き,各温度における同部位のプロトンスペクトラムを観測した。スペクトラムより温度に対する水,脂肪プロトン化学シフトの相対変化,ならびに両プロトン間の化学シフトの差の変化を測定した。
2.2 結果
分光器の設定温度の不安定性は±0.3℃以内であった。図1に水プロトン化学シフトの測定値の不安定性を示す。測定値の不安定性は120minで最大0.005ppmであった。測定値に一次回帰を行うと,傾き及び相関は一0.0011ppm/h及び0.53であった。ゆえに主磁界の減弱による化学シフト測定の誤差は2時間の測定において0.002ppm/h程度,それ以外の,設定温度の不安定性を含む原因による誤差は最大で0.007ppm程度であったことになる。0.005ppmの変化が仮に27から50℃の温度変化の間に起こったとすると,起こりうる最大の温度係数の変化は2.2x10-4ppm/℃であった。
図2に電解質水溶液の濃度と水プロトン化学シフトの温度係数の関係を示す。純水試料における,酸素の常磁性の温度による変化を見積もった。
試料の直径と高さはそれぞれ4mmと40mmで,その体積は約0.5cm3になる。この体積外の試料管内がすべて酸素で満たされていたと仮定した。試料外の酸素の圧力は体積,モル一定のときの気体の状態方程式に,試料内の酸素の溶解量はHenryの法則に,各々支配される。これより温度Tにおける試料の体積磁化率χv(T)は次式で求められた
ここにCは酸素のCurie定数 (C=0.391K-1), Vo2(T)は1atm,TKにおける酸素の純水への体積溶解度を標準状態(1atm,273K(0℃))に換算した値[m3(O2)/m3(water)], Voは標準状態における気体の体積(Vo=2.24×10-2[m3]), P(T)は温度Tにおける試料管内の圧力[atm],Vsは試料の体積(Vs=5×10-7[m3])である。T=27℃(300K)においてVo2=2.82×10-2m3(02)/m3(water),P(T)=1atm, 70℃(343K)においてVo2=1.85x10-2m3(O2)/m3(water), P(T)=1.14atmとおく(9)とXv(27℃)=8.26×10-4ppm, Xv(70℃)=5.37×10-4ppmとなり,両者の差は2.78×10-4ppmであった。これは43℃の温度変化に対して高々0.03℃の差を生じるに過ぎず,分光器の設定温度の不安定性±0.3℃の1/10程度であるため無視できた。これより水溶液試料の脱気は行わず,化学シフトは全てある温度あるいは時刻における値を基準とした相対的な変化で評価した。純水試料の温度係数は27℃から50℃の温度範囲において一9.1×10-3±1.6×10-4ppm/℃であった。この値は2重試料管を用いて外部基準を基に測定された温度係数(-1.06×10-2~-9.5×10-3ppm/℃i)・1°))よりもゆるやかであった。
図3に麻酔下のマウス体内外各部の温度変化の一例を示す。マウスの大腿部の厚さを考慮し,サーフェスコイルの面より2mmの距離で90°パルスとなるように励起パルスの幅は14μsとした。図4,5及び6にそれぞれ水プロトン化学シフトの相対変化,脂肪プロトンの相対変化及び両者の差を示す。図4及び5に示すごとく,麻酔下マウスの大腿部の水・脂肪プロトンの相対変化は温度に対し共に正の相関を示した。変化はin vitroの場合2),3)と異なり非線形であると共に,最大0.3ppmに及ぶヒステレシスを示した。これに対し脂肪を基準として水プロトン化学シフトを観測した場合には,図6に見られるごとく全ての個体で負の相関を示した。直線回帰を行った結果では表1のごとく相関係数の平均は-0.9程度であり,相対変化の場合に比べて明らかに直線性が向上した。ヒステレシスは27℃における平均で0.08ppmで相対変化の場合に比べて著明に減少した。
2.3 考察
純水試料の温度係数が外部基準を基に測定された値より有意に小さかった原因は純水の密度の変化による体積磁化率の温度変化,及び試料にかかる圧力の温度変化10)と考える。
この純水の温度係数を基準にNaCl, KCl及びCuSO4、水溶液の温度係数を考察する。NaCl及びKClは水素結合に対してstructure-breaking作用11)を有し,水分子間の水素結合を緩め,プロトン周りの電子雲による磁気遮蔽効果を促進し,一定の温度下ではH20の化学シフトを低周波側にシフトさせる。その作用は両電解質でほぼ等しい。K+, Na+, Cl-は全て反磁性イオンであり,これら自身の磁性が温度によって変化することはないため,この作用の変化は磁化率効果とは別の作用である。したがってまた内部基準物質によって補正することはできない。このstructure-breaking作用が温度に対し一定であれば温度係数の変化は起きず,温度依存直線のy切片が低下するはずである。ところが図2よりこれらの電解質の濃度の増加に伴い,温度係数が正の向きに有意に増加した。これは電解質による低周波側へのシフトは温度が高くなるにつれて小さくなり,高温における化学シフトは低温における化学シフトより高周波側になったためと考える。哺乳動物の骨格筋の代表的な電解質として,細胞内液にはK+が155mM,Na+が12mM,Cl-が120mM程度,細胞外液にはK+が4mM,Na+が145mM,Cl-が4mM程度含有される12)。図2によるとKCIの150mMの濃度で,温度係数は一8.8×10-3ppm/℃程度である。この結果より位相分布画像化法4)・6)・8)による場合の如く,内部基準物質を使わずに組織水のプロトン化学シフトを観測した場合の温度係数が純水の場合を下回る理由のひとつが明らかになった。
CuSO4水溶液の温度係数は濃度の増加に伴い,負の向きに増加した。著者の知るところでは硫酸銅の水素結合への影響を水プロトン化学シフトの観点から論じた報告がなく,この電解質の作用機序は明らかでない。しかしながら,Cu2+イオンが常磁性を示す9)ことから,CuSo4水溶液におけるこの温度係数の変化はCurie則に従う体積磁化率の変化であると考える。試料の体積及び圧力の温度変化を無視すると,温度Tにおける試料の体積磁化率χ(T)は次式で求められる。
ここにCはCurie定数,ρはモル濃度[mol/m3],vsは試料の体積[m・]である。C,ρ,VSを一定とおくとχv(T)は温度の上昇に伴い反比例的に減少するため,高温度における化学シフトは低温度における化学シフトよりも低周波側に測定される。図2においてCuSO4水溶液の水プロトン化学シフトの温度係数が純水よりも負の向きに大きくなったのはこの常磁性の効果であると考える。さらに濃度が増加したときこの負の向きへの変化が大きくなったのは,常磁性の効果が濃度と共に増大したためと考える。以上より常磁性電解質がその磁化率効果により温度係数を負の向きに大きくすることが示された。
麻酔下マウスによる実験では水及び脂肪プロトン化学シフトの相対変化は図4及び5のごとく温度に対し正の相関を示し,両者の差は図6のごとく負の相関を示した。表1のように,この差を求めて得た相関・温度係数も個体によって大きく異なったが,この理由は温度をモニターした点が大腿部の1点であったのに,信号はサーフェスコイルプローブの感度領域全体で観測したためであると考える。このように定量性は十分でないものの,感度領域内に内部基準をおいて観測することにより,遮蔽定数に伴う変化と類似の結果が得られたことから,相対変化における正の相関は体積磁化率の変化によるものと考える。先述のごとく水プロトン化学シフトの相対変化の温度係数は反磁性電解質により符号は負のまま絶対値が小さくなり,常磁性電解質によりやはり符号は負のまま絶対値が大きくなるが,少なくとも生体組織中における電解質濃度の範囲では温度係数が正の符号を持つことは起きなかった。これより,ここで見られた正の相関は常磁性成分の濃度そのものが増加したためと考える。可能性のある解釈としては,温度の上昇に伴う還元ヘモグロビン濃度の増加がある;マウスの体に比して温度制御機構の熱容量が大きかったために温度変化が大腿部の局所のみならず体全体に及んだ。実際,深部体温を反映する直腸温度が制御温度の変化に伴って4℃から12℃変化した。深部体温の上昇は代謝の活i生を促し,血流量及び局所での酸素消費を促進したので,還元ヘモグロビン濃度が増加し体積磁化率が増加した。その増加が遮蔽定数の増加を上回り化学シフトが高周波側にシフトした。さらにその増加は温度の上昇に対して遅れを伴うため非線形となった。逆に温度が降下し始めても,血流量及び酸素消費量はすぐには低下せず,遅れを伴うため温度降下時は温度上昇時より常に化学シフトの値が高周波側にあった。この解釈を証明する実験データはまだ得られておらず,今後更なる検討を要する。しかしながら本結果により,in vivoの温度分布画像化において温度変化が広範囲あるいは長時間に及ぶ場合には,内部基準を用いて水プロトン化学シフトを測定する必要があることが示された。
3 まとめ
水プロトン化学シフトの温度係数の温度依存性はNa+, K+, Cl一といった反磁性イオンの水素結合に対するstructure-breaking効果の温度依存性,常磁性物質のCurie則に従う磁化率の温度変化に伴う体積磁化率の変化の寄与を受けることが分かった。生体組織においてはさらに常磁性成分(特に還元ヘモグロビン)の密度変化により温度に対し正の相関を持つことがあるが,そのような常磁性成分の変化は観測視野内(画像化の場合のボクセルにあたる)に内部基準を置くことにより補正できることが示唆された。現在,更に高分子及びpHの寄与の定量評価,還元ヘモグロビンの常磁性の影響の定量評価,各臓器組織の構成成分の違いによる水プロトン化学シフトの温度依存性の臓器差の解明を続けている。