1994年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第08号

時間分解顕微蛍光ファイバースコープの開発とヒト歯牙診断への応用

研究責任者

荒木 勉

所属:徳島大学 工学部 機械工学科 助教授

共同研究者

弘田 克彦

所属:徳島大学 歯学部 口腔細菌教室 助手

概要

1.はじめに
ヒト歯牙組織に紫外線を照射すると青い蛍光を放出することが古くから知られている(1)。また,動物種によって歯牙の蛍光特性が異なるとの報告もある(2)。ヒトの歯を構成している無機物はほとんどがヒドロオキシアパタイト(HOA)であり,有機化合物は不溶性コラーゲンである(3)。HOA自体の蛍光強度は歯牙組織の自然蛍光よりもかなり弱いため,歯牙蛍光の多くは歯牙コラーゲンに由来していると考えることができる。歯牙のコラーゲンは歯の成長過程において生成されてゆくため,蛍光特性の変化は歯牙の代謝と密接に関係しているはずである。したがって歯牙蛍光はヒトの老化生理の研究を進めていくうえで適切なプローブになると思われる。このような背景から我々はヒトの歯牙蛍光に興味を持った。これまでにも歯牙組織に対し,蛍光強度を測定した例が報告されているが(4),いずれも静的蛍光測定である。しかし静的測定では得られる情報には限界があるため,時間分解蛍光測定を併用して歯牙の蛍光調査を行ってきた(5)一(7)。この種の測定では励起光源の性能が測定精度を左右する。したがって光源の選択は本研究を進める上での重要課題となる。上記励起波長を考慮するとナノ秒パルス光源として窒素レーザーが候補に挙がるが,繰り返し周波数が高々数十Hzしか得られないため,単一光子計数法などの積算測定法では測定時間が長くなりすぎる。またモードロックガスレーザーはコストの関係で手軽には使用できない。そのため,本研究では初めに高輝度,高繰り返しパルス放電ランプの開発を行った。次に歯牙の蛍光測定を迅速に行うため,顕微ファイバースコープ蛍光測光装置を試作して,生体歯牙の蛍光を測定した。歯牙の蛍光測定としては,抜歯された歯牙の切片を作成して,その蛍光特性を詳細に比較した。特に時間分解蛍光減衰曲線に着目した。また各種人工歯牙素材の蛍光による審美性を考察したので報告する。
2.試作装置と測定試料
2.1パルス光源
励起用光源として2種類の自走型パルス放電ランプを使用した。第一の光源はFig.1Aに示す空気放電管で(8),発光スペクトルがヒト歯牙の励起ピーク波長(335nm)に一致しており歯牙の蛍光測定には最適である。アノードロッドには黄銅円柱(長さ25mm,直径16mm時C=5pF,19mm時C=10pF)が取り付けられており,ランプエンクロージャー(黄銅製,円筒内径22mm)とで同軸コンデンサーを形成する。容量5pF,電極間隔0.4mmに設定した場合,9KVの印加電圧のもとで発光時間幅1.4ns,発光繰り返し周波数は10KHzとなった。
本研究では光ファイバースコープの使用を前提としているため,さらに高輝度パルス光源が必要となる。そこで,市販の直流点灯Xeアークランプ(Xeランプ)を利用したパルス光源を新たに開発した。その構造をFig.1Bに示す。基本的接続は前述の空気放電管と同じである。ランプエンクロージャーとXeランプ電極金具とで同軸型コンデンサーを形成する。容量は約10pFであった。Xeランプとしては電極間隔が1~1.5mm程度のものを購入してその適応性を調査した。その結果,L-2173(浜松ホトニクス,35Wタイプ,電極間隔1.Omm)から安定したパルス発光が得られた。発光スペクトルと発光時間波形をFig.2に示す。紫外部から可視部に連続スペクトルを持ち,パルス発光時間波形はテイリングがあるものの時間半値幅3.5ns,立ち上がり時間は1ns秒以下であり,リンギングの無い素直な波形となっている。9KVをターミナルに印加した時,繰り返し周波数6KHzで発光し,ピーク発光強度は約25Wであった。数百時間のパルス駆動使用では特に電極の劣化は認められていない。
2.2顕微蛍光装置
(A)落射型顕微蛍光測光装置
はじめに各種歯牙組織の蛍光特性を把握するため,Fig.3に示すような据置型落射顕微蛍光測光羅を試作した。母体となる蛍光顕微光学系はNikon落射蛍光顕微鏡(XF-EF)であり,測定スポット径は0.4mmに設定した。通常の静的落射蛍光測定は高圧Hgランプ(100W)を励起光源とするアナログ電流測光である。時間分解測光は時間相関単一光子計数法を採用した。マルチフォトンによる測定波形歪を働小さくするため、1励起当りの光子計数率を3%以内に納めた。また、光源広がりを補正するため,観測蛍光波形に対し,デコンボリューション演算をほどこした。
(B)光ファイバー顕微蛍光観測装置
臨床の現場へ前述の落射顕微蛍光装置を持ち込むには可動性の点で問題が生じる。そこで手軽に現場へ持ち込み可能な簡易顕微蛍光装置を試作した。基本となる光学系はオリンパスHMTV-1硬性鏡であり,励起光を石英ファイバーバンドルで導き,蛍光測光機能を持たせた。Fig,4に装置構造を示す。対物レンズの倍率は20倍である。蛍光像に影響を与えず,試料上の励起光束密度を上げる目的で,中心部に穴をあけた凸レンズを試料と硬性鏡の間に装着した。その結果,励起光密度が4倍に向上した。しかし硬性鏡光ファイバーは通常のガラス素材であるため,360nm以下の紫外光が吸収される。したがって目的波長での蛍光励起能率が低いため励起光源として,前述の高強度Xeパルスランプを用いた。
2.3歯牙試料
テトラサイクリン蛍光の見られない健全歯15本(10~69歳)と齲蝕が認められる歯を用意し,頬舌的に薄切し,厚さ約500μm歯牙切片を作成した。また人工歯材として,レジンおよびセラミック歯をそれぞれ2本(計4本)用意した。標準試料として焼結HOAを用意した。
3.歯牙組織の蛍光
3.1歯牙蛍光の部位特性と年齢依存性
定常光励起によって歯牙各部位の蛍光励起および発光スペクトルを測定した。これをHOAの蛍光と比較した。なお象牙質蛍光測定では歯牙切片中央部に焦点を合わせた。HOAの蛍光ピーク波長は480nmであった。エナメル質の蛍光スペクトルはその主成分であるHOAのそれと一致していたが,HOAの蛍光強度はエナメル質蛍光の約30%にすぎなかった。一方,象牙質の最大蛍光スペクトルはエメナル質よりも20nm短く,蛍光強度はエナメル質の10倍程度であった。現代歯の場合,蛍光強度は固体差がある。
ここで見られた現代歯の蛍光強度変動が単なる固体差によるものか,年齢を反映した系統立った現象かを検討した。蛍光強度は象牙質内において部位による変化が生ずるため,測定部位を10ケ所選びその平均強度を年齢別にプロットした。その結果Fig.5に示すが,蛍光強度は年齢と密接な関係があることが分かる。
次に時間分解測光を行い蛍光減衰曲線を求めた。エナメル質では前述の蛍光スペクトル同様HOAに比較的よく似た波形を示したが,象牙質のそれとの比較では減衰速度の点で大きな相違が見られた。さらに象牙質蛍光減衰曲線の年齢差を調査した。その結果,Fig.6に例示したように加齢に伴って減衰が速くなった。このような蛍光強度,減衰波形の変化は明らかに加齢に伴う象牙質内の物質変化を示すものである。
3.3 齲蝕部による蛍光の変化
齲蝕(虫歯)があるエナメル質はその部位が黒くなり,肉眼で齲蝕を特定できる。しかし進行途中は着色があいまいである。そこで齲蝕部位と健康部位との蛍光スペクトル,強度を比較調査した。その結果,蛍光スペクトルのピークは長波長側へ25nmシフトし,蛍光強度も1/8程度にまで減少するなどHOAとよく似た特性を示した。HOAとの類似性を確かめるために時間分解蛍光を測定した。その結果をFig.7に示すが,健全部と齲蝕部では明らかな差がみられ,齲蝕が進んだ場合その減衰波形はHOAの減衰波形と一致した。また蛍光異方度を比較しても齲蝕部位はHOAの特性と合致する(HOAの蛍光特性は文献6参照)。
3.4光ファイバー顕微蛍光装置による測定
みかけ上同色にみえる人工歯素材(かぶせ歯)も紫外線を照射すると自然歯と異なる蛍光色を持つ。特に陶材歯のなかには黄緑色に発色するものがある。太陽光のもとでの発色を考えると審美上,蛍光色も考慮されねばならない。法医鑑定では歯牙がよく利用される。そこで各種人工歯についてナノ秒蛍光波形を求めた。ここでは現場での測定を前提として,光ファイバー顕微蛍光装置を用いた。測定結果をFig.8に示す。それぞれ固有の衰退特性を持つ。2種のレジン歯は蛍光発光スペクトルが同じで,明確には区別できなかったが,動的蛍光を指標にすればそれらが識別ができることがわかった。
次に被験者に対し歯牙蛍光を測定した。静止したモデル試料では測定に長時間をかけることができるが,被験者を長時間固定することは困難である。どの程度の測定時間が必要かを知るため,被験者を7分間静止させた場合と1分間静止させた場合の,切歯のエナメル質蛍光減衰波形を記録した。1分間の測定では特に蛍光強度が弱い部位に焦点を合わせた。その結果,Fig.9に示すように,7分測定で良好な蛍光減衰波形を記録できたが,1分測定ではピークカウントは7分の場合の1/20にまで減少し,総カウント数が高々5000となったため,SN比が悪く齲蝕などの検出には応用できない。蛍光が弱い部位では少なくとも5分間の測定時間が必要であるとの結論を得た。
4.考察
4.1ナノ秒顕微蛍光測定装置
ここでは空気放電パルス光源とXeパルス光源を使用したが,光子計数方式を採用した落射蛍光顕微鏡では空気放電管が有効であった。特に発光時間幅は1ns以下が達成でき,N2レーザーに対して発光時間幅の面でも遜色はなかった。しかし試作した光ファイバー顕微測光装置では光量が不足する。この場合高強度のXeパルスランプが有効である。この光源は発光時間幅が3nsであるためナノ秒蛍光測定において観測蛍光波形に光源時間幅でデコンボリューション処理を施す必要がある。Xe光源の発光波形は,立ち上がり時間が0.8nsでリンギングの無いスムーズな特性を示すため,この種の処理に無理が無い。光ファイバー顕微測光装置についてはまだ開発途中であるため十分な評価ができなかった。とくに励起用ファイバー材質に難点があるため,これを溶融石英に変更する必要がある。また歯牙測定では被験者の顔面固定方法を考える必要がある。
4.2ヒト歯牙の蛍光
牛アキレス腱より蛍光性架橋コラーゲンが単離されピリジノリンと名づけられている(9)。この物質は歯牙象牙質にも多く存在する。今回の測定では,象牙質の蛍光強度が加齢とともに増加することが判明したが,これはコラーゲン架橋が加齢とともに増大する(1°),という現象とよく合致する。さらに蛍光減衰波形も加齢に伴い速くなることがわかった。
従来より齲蝕の原因については酸による無機アパタイトの脱灰説が主流である。HOAが脱落すると高速減衰成分が無くなるため蛍光寿命は長くなるはずであるが,今回の測定では齲蝕部位の蛍光寿命は短くなり,HOAの蛍光特性に近づくことがわかった。このことは,齲蝕に伴い,エナメル質に含まれる微量の有機物が欠落したことが原因であると考えられる。このような齲蝕蛍光の変化を時間分解測定によって観察すれば,さらに詳しく齲蝕の進行過程を追跡することが可能であろう。時間分解蛍光測定をこのような目的で,臨床現場に導入するには今回例示したようなファイバースコープ方式の蛍光測光装置が有効である。
5.まとめ
1)専用のナノ秒時間分解顕微蛍光測定装置を試作した。光源としてタングステン電極の空気放電管とキセノン放電管を試作し使用した。
2)臨床への応用を考え,可動型光ファイバースコープ蛍光顕微鏡を開発した。
3)ヒト象牙の蛍光物質としてHOAと架橋コラーゲンの複合体を仮定した。
4)象牙質では加齢につれて蛍光強度が増し,蛍光寿命が短くなる。老化の検定に応用できそうである。
5)齲蝕エナメルでは健全部に比べて,蛍光強度が著しく減少し,蛍光寿命がHOAに近づいた。
6)人工歯素材はそれぞれ固有の蛍光色を持ち,生体歯牙の蛍光との不一致が美観上の問題となる。蛍光寿命も異なるため,歯牙鑑定に応用できる。