2008年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第22号

新生児中耳疾患スクリーニングのための診断装置の開発

研究責任者

和田 仁

所属:東北大学大学院 工学研究科 バイオロボティクス専攻 教授

概要

1.はじめに
ヒトの聴覚器官の概略図を図1に示す。聴覚器官は外耳、中耳、内耳の3 つの部分に分けられる。外耳は耳介と外耳道で構成される。中耳は鼓膜、耳小骨、鼓室で構成される。内耳は平衡感覚のための前庭神経と音を感知するための蝸牛で構成される。
外耳道に入射した音は鼓膜を振動させる。この振動はツチ骨、キヌタ骨、アブミ骨と呼ばれる耳小骨を介し、蝸牛へ伝達される。蝸牛は円錐形でらせん構造をしており、その内部はリンパ液で満たされている。アブミ骨の振動は蝸牛の卵円窓でリンパ液の圧力変動へと変換される。その結果、蝸牛内の聴神経は電気信号を発生する。その信号は脳へ伝わり、我々は音を感知する。中耳は外耳から蝸牛へと音を伝達する重要な働きをする。そのため、中耳炎や耳硬化症のような中耳の機能障害は伝音性難聴につながる。伝音性難聴は多くの子供で発症する一般的な病気であり、言語能力の発達を遅らせる可能性がある1)。そのため、中耳機能障害の早期診断と治療は臨床上重要である。
SFI meter は中耳動特性を測定するための有効な装置である2)、3)。SFI 検査では、外耳道内静圧PS を任意ステップで変化させ、その都度体積変位一定の音波を100 Hz から2 kHz まで掃引しながら,外耳道内の音圧を測定する。SFI 検査は中耳炎だけでなく、耳小骨の離断や固着の発見にも役立つ3)、4)。SFI 検査において、測定した外耳道内の音圧は次式により、単位がdB であるSPL (Sound Pressure Level) に換算される。
ここに、P は測定音圧、PREF は基準音圧である。図2 に正常な聴力を有する成人のSFI 検査の測定結果の代表例を示す。1 から6 の曲線は、PS が0、10、20、30、50、100 daPa の時の測定結果である。なお、図2 では、6 つの異なる測定結果の違いを明確に示すため、それぞれの曲線を上下に平行移動した。
SFI 検査で測定された外耳道内の音圧と中耳動特性の関係を明らかにするため、図3 にSPL と測定音圧から算出した鼓膜の体積変位量をそれぞれ実線と点線で示す。ΔSPL は最大SPL と最小SPL の差で定義した。ΔSPL が大きい場合には、鼓膜の体積変位量の最大値は大きく、ΔSPL が小さい場合には、鼓膜の体積変位量の最小値は小さくなる。したがって、ΔSPL の値は中耳動特性の指標として使用できる。最大SPL と最小SPL それぞれに対応する周波数の中間の周波数において鼓膜の体積変位量は最大となる。それゆえ、この周波数を鼓膜の共振周波数(RF : resonance frequency)と定義した。
図2 では、PS = 0 daPa のとき、ΔSPL とRF はそれぞれ5.9 dB、0.89 kHz であった。一方、PS が増加すると、ΔSPL は減少しRF は増加した。これはPS が増加するに従い、鼓膜の静的変形量が大きくなり、鼓膜と耳小骨の剛性が増加したためと考えられる。PS = 100 daPa の時、SPL はプローブの周波数f の増加に伴い減少した。すなわち、鼓膜のRF は0.4 から1.8 kHz の範囲で測定されなかった(図2)。この結果は、成人においてPS がΔSPLの減少に大きな影響を与えることを示している。
本研究では、新生児と乳幼児の中耳の機能をスクリーニングするため、両者に適用可能なSFI meter を開発した。そして、SFI meter を使用し、正常な聴力を有する乳幼児の中耳動特性を測定した。
2.新生児および乳幼児のためのSFI meter の開発
図4、5 はそれぞれSFI meter の概略図および写真を示す。SFI meter はプローブ、シリンジポンプ、ステッピングモーター、圧力センサー、AD/DA 変換器、パソコンで構成される。新生児と乳幼児にSFI 検査を行うため、図6 に示すSFI meter のプローブを開発した。3 つの穴が開いたビニールチューブをプローブの先端に取り付けた。ビニールチューブが折れるのを防止するため、ビニールチューブをプラスチックチューブでカバーした。プローブの直径は約3 mm である。ビニールチューブの3 つの穴のうち一つを利用し、PS をコントロールする。残りの2 つの穴は、それぞれプローブにより外耳道に体積変位一定の音波を入射させ、またその時の音圧変化をマイクロホンにより測定するために利用した。直径が4 から14 mm のカフをプラスチックチューブに取り付け、プローブを外耳道に挿入した。
SFI 検査は以下の測定手順で行った。プローブの先端を外耳道に挿入し、しっかりと密着させた。まず、PS を200 daPa に維持し、体積変位一定の音波を100 Hz から2 kHz まで掃引しながら,外耳道に入射させ、その時のSPL を測定した。次に、PSを200 daPa から-200 daPa まで-50 daPa ずつ変化させ、同様の実験を行った。
3.データおよび方法
3.1 成人
SFI meter の妥当性を確認するため、15 名の正常な聴力を有する成人でSFI 検査を行った(男性13名、女性2 名の大学生)。年齢は20 から29 歳であった(表1)。市販のインピーダンスメーター(Capella version 2.10、Madsen)でティンパノグラムを求め、被験者の中耳が正常であることを確認した。
3.2 乳幼児
仙台赤十字病院の新生児集中治療室の16 名の正常な聴力を有する生後7 から149 日(70 ± 36 日、平均 ± 標準偏差)乳幼児(男子7 名、女子9 名)を検査対象とした(表2)。妊娠期間は183 から272 日(214 ± 23 日)であった。SFI 検査時と出生時の体重はそれぞれ2118 から3344 g (2502 ± 297g)、760 から3432 g (1409 ± 612 g)であった。
全ての被験者はSFI 検査を受ける前に、聴性脳幹反応試験を受け、反応を確認した。また、SFI 検査の前に誘発耳音響放射(TEOAEs)を利用し、被験者の左右両耳のスクリーニングを行った。検査にはCapella を用いた。TEOAE によるスクリーニングの通過基準は、2 から3 kHz と3 から4 kHzの検査周波数域におけるSN 比が+3 dB と定義した5)。その結果、全ての乳幼児はTEOAE によるスクリーニングを通過した。すなわち、全ての乳幼児の外耳から内耳までが正常に機能していることを確認した。しかし、200 Hz の入射音を用いたティンパノグラムでは3 耳の計測でピークを示さなかった。この結果は、測定した耳が正常に機能していない可能性を示す。従って、測定した32耳のうち、3 耳を除外し29 耳を解析した。なお、この研究はヘルシンキ宣言に基づいて行われた。
4.結果
図7 に正常な聴力を有する成人の典型的な測定結果を示す。図7(a)、(b)はそれぞれ測定結果の三次元グラフと二次元グラフである。SFI 検査において、PS = 0 のとき、SPL は1200 Hz 付近で急激に変化した。SPL の最大値と最小値に対応する2 つの周波数の中間の周波数は中耳のRF を示し、SPL の最大値と最小値の差ΔSPL は中耳動特性を表す2)、3)。図7 の結果から、被験者の中耳のRF は1180 Hz、ΔSPL は7.8 dB であった。PS を増加させると、RF が増加しΔSPL は減少した。PS =200 daPa のとき、RF は2 kHz より大きく、ΔSPLは検出できなかった。15 名の20 から29 歳の成人でSFI 検査をした結果を表3 に示す。成人の中耳のRF の平均値とΔSPL はそれぞれ1062 Hz (標準偏差 = 174 Hz)、5.0 dB (標準偏差 = 2.4 dB)であった。
図8 に正常な聴力を有する乳幼児の典型的な測定結果を示す。図8(a)、(b)はそれぞれ測定結果の三次元グラフと二次元グラフである。PS = 0daPa のとき、被験者の中耳のRL は430 Hz、ΔSPLは7.3 dB であった。PS を増加させると、RF は増加しΔSPL は減少した。しかし、成人の場合とは異なり、乳幼児のΔSPL はPS によらず検出できた。測定した乳幼児の29 耳のRF とΔSPL の平均値はそれぞれ405 Hz(標準偏差 = 96 Hz)と7.7 dB(標準偏差 = 3.6 dB)であった(表4、5)。
5.考察
本研究では、生後7 から149 日の乳幼児にSFI検査を行った。その結果、中耳のRF の平均値は405 Hz (標準偏差 = 96 Hz)であった。Meyer らは乳幼児のRF は550 Hz 以下であり、成人のそれより低いと報告している6)。乳幼児の中耳動特性と成人のそれとを比較するため、20 から29 歳の15 名の聴力が正常な成人にSFI 検査を行った。その結果、成人の中耳のRF の平均値は1062 Hz(標準偏差 = 174 Hz)であった。乳幼児のRF の平均値は成人のそれの約2.5 分の1 であった。乳幼児の鼓膜の大きさは成人のそれよりも小さいため、中耳のRF が増加すると考えられる。しかし、実際には乳幼児のRF は成人のそれより低い。したがって、乳幼児の中耳の剛性は成人のそれより小さいと考えられる。
乳幼児のΔSPL の平均値は7.7 dB(標準偏差 =3.6 dB)であり、成人のそれ(5.0 dB(標準偏差 =2.4 dB))より大きかった。この結果は、乳幼児の鼓膜の半径は成人のそれより小さいが、乳幼児の鼓膜の体積変位が成人のそれより大きいことを意味する。さらに、乳幼児では成人と異なり、ΔSPL が外耳道内静圧によらず測定できた。この結果は、乳幼児におけるPS の中耳の周波数特性への影響が、成人におけるその影響より小さいことを示す。PSにより、中耳の周波数特性が変化する原因としては、主に耳小骨を支える靱帯または腱の歪みの非線形性が考えられる。したがって、乳幼児の靱帯または腱の歪みの非線形性は成人のそれよりも小さいと考察される。
6.結論
乳幼児の中耳動特性測定装置、SFI meter を開発し16 名の乳幼児の中耳動特性を測定した。乳幼児の中耳の共振周波数の平均値は405 Hz であり、成人のそれの約2.5 分の1 であった。乳幼児のΔSPL の平均値は7.7 dB であり、成人のそれの約1.5 倍であった。乳幼児の外耳道内静圧PS の中耳周波数特性への影響は成人に比べて小さいことが明らかになった。