1992年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第06号

放射光を用いた冠動脈診断のための高速画像採取解析システム

研究責任者

赤塚 孝雄

所属:山形大学 工学部 部情報工学科 教授

共同研究者

安藤 正海

所属:高エネルギー物理学研究所  教授

共同研究者

兵藤 一行

所属:高エネルギー物理学研究所  助手

共同研究者

武田 徹

所属:筑波大学臨床医学系  講師

共同研究者

田村 安孝

所属:山形大学 工学部  助教授

概要

1.はじめに
我国においても,心疾患が急増し主要死因となっており,その病態を解明し,早期に発見する手法の確立が切望されている。本研究は,虚血性心疾患の診断を,冠動脈の形態情報とその動的な血液循環機能とを抽出して,病変の早期の段階で高精度に実施できるシステムを開発しようとするためのものである。
血管の異常識別には選択的造影法によるX線画像が使われる。しかし,被験者の負荷が少ない検査法を考えると,心臓のように動きを止めることのできない対象臓器上の細い血管の形態を1mm以下の分解能で観測するには,造影剤注入前後の差分画像を心周期に同期して撮る通常のDSA法では困難である。そこで,動きが十分無視できるだけ高速に撮像して差分画像を得る手法が要求されることになる。X線吸収特性のスペクトル依存性に着目すると,2つの異なるX線スペクトルを高速に切り替える撮像でこれが実現できる1)。さらに,抽出情報の時間的変化を追うことで,心臓壁での循環動態が解析できることになる。
この原理による診断手法での問題点は,単色性の優れた高輝度X線光源を得ること,その高速なスペクトル切り替の実現,それに伴う画像の高速取込みと高速な差分処理を実行するシステムの構築,動態解析手法の開発ということになる。高輝度線源としては,放射光を用いればよいが,スペクトル切り替で撮像系が少し変化するという問題も生ずる。このためにも,撮像系の特性を補正しながら高速かつ高精度で画像情報を採取し,差分画像を抽出する画像処理系が必要となる。
したがって,2枚の画像の差分を正しく演算する高速アルゴリズムを開発し,操作性の良い長時間記録可能な高速画像採取装置を,その動態の解析や画像計測ができるシステムとして,放射光利用の冠動脈診断プロジェクトのなかで実現するのが本研究の主題である。
2.原理と方法
血管造影剤(ヨウ素)では特定のエネルギーすなわちK吸収端の前後で急激な吸収率の差異があり,生体組織にはこれが見られない(図1)。このX線吸収特性のエネルギースペクトル依存性を用いて,高速に照射スペクトルを変化させて2枚の画像を得,その差分画像を求めれば明瞭に造影部位を抽出できることになる。生体内では比較的高速な運動をしている心臓で,その上にあって共に運動している冠動脈の僅かな変形を空間分解能0.3mm程度で検出するためには,撮影スペクトルの切り替え間隔2ms程度にすることが理想的である。血管描出処理の概念図を図2に示す。
これを実現するために,高輝度の単色光が得られる光源として放射光を利用する。放射光のスリット状白色ビームを,シリコン単結晶での非対象反射を用いて,面状の単色ビームに広げ,シリコン鏡の角度を0.1度変化させることでスペクトルを切り替える。投影像をイメージインテンシファイアで受け,ビームスプリッターでスペクトル別の2つのCCDカメラに高速シャッターで振り分けて画像を得る日本独自の方式をとっている2)(図3)。
画像を採取してから必要な情報を抽出するまでの過程では,まず前述のような特殊なタイミングでの画像の取り込みとスペクトルきりかえに伴うビーム方向の変化による画像歪補正が必要となる。ここでは,2枚の画像を精度良く,ある観測時間に亘って任意のタイミングで取り込めるシステムを実現することにした(図4)。図3の右側のブロックに対応して図4のシステムを制作した。差分画像は取り込んだ画像の処理で求めることになるが,この際,血液潅流系の動態に着目した解析が可能なように,連続画像が読み込め,同時に関連した生体信号などの時系列信号も記録できるものとした。
なお,光学系と処理アルゴリズムが確立した段階で,DSPなどを組み込んで,実時間差分画像表示を可能にする予定である。
3.画像の採取表示装置
スペクトルの切り替え間隔は最高2msとし,抽出画像は少なくともビデオレートで記録したい。画像採取のタイミングが変則的であるので,通常のビデオ系の読みとり装置はそのままでは使えない。そこで,ディジタル画像としての取込みは,独立に2チャンネルを考え,A-D変換して512×512×12bitの2枚の画像を画像メモリに転送する方式とした。採取後の処理系からみたときには,同じメモリー空間として取り扱えるようになる(図4)。この大容量メモリは,操作性,信頼性の観点から近年安価になった高速ICメモリを用いた。
時間変化の観測は常に最高速度である必要はないので,メモリと後処理の節約や長時間解析のためにも,サンプリング間隔はプログラムで可変にした。また,解析を進めるうえで必要な心電図や時刻等の関連データも対応して記憶することにした。製作したシステムの仕様を表1に,外観図を図5に示す。図4における高速プロセッサーと光ディスクは未接続であり,記憶容量も不十分ではあるが,基本的な機能は実現できた。拡張性を持ったシステムとして構成しているので,今後研究の進展に合わせて増設予定である。なお,高分解能の表示装置としては,高品位テレビ規格のディスプレイを用いており,さらに,アルゴリズムの検討やデータの転送などが容易なように汎用計算機に接続している。
4.差分画像の構成と動画像解析
画像診断システム全体としては,高速エネルギー切替,面照射ビームの形成,画像の取込みと高速処理に解決すべき課題があった。さらに,低侵襲性をめざしての静脈からの造影剤注入では,造影剤が残っている心室と冠状動脈との重なりが避けられず,血管の描出が困難になる場合が少なくないため,撮像方向などの撮影条件にも十分な配慮が必要となる。ここでは特に,画像の取込みとその処理のシステムの検討を進めたが,これらもビームの形成法と密接に関連し,動態を含めた画像解析では臨床的条件設定とも関連してくる。
エネルギー切り替えは,分光結晶を振ることで行っている。この為,射影方向がわずか0.1度変化し,撮像系は固定なので像が歪むことになる。また,イメージインテンシファイアには分光特性があり,感度も必ずしも一様ではない。このような撮像条件や撮影系の特性から,そのままでは差分演算のほどこせない画像が得られることになり,その補正,位置合わせや正規化等の処理が必要となる。現在のシステムについてこれらの処理ソフトウェアの開発を進めている3)。
図6に体重16kgの犬を用いた実験での撮像例を示す。照射野を16mmX16mmにし,K吸収端より僅かに高いエネルギーのスペクトル光(33.17KeV+150eV)で撮像したものである。造影剤は,下肢より15mlを1秒間で注入した。左冠状動脈前下行枝,右冠状動脈が描出されている。この視野に関しては高速エネルギー切り替えが十分でないこともあって実時間差分処理は行っていない。
差分処理で得られた画像からの形態の計測と動態機能の計測については,通常の心血管造影画像の解析研究を進めており,その経験を発展させて放射光撮像画像系列に適用できる1)。
4.結び
2つの単色X線を用いた差分心血管造影法は,きわめて有効な心血管画像診断法と期待されており,シンクロトン放射光の利用できる米国スタンホードとブルックヘブン,西独ハンブルグ,ソ連ノボルジスクと我国高エネルギー物理学研究所で原理的な実験が行われてきた。わが国のK吸収端エネルギー差分造影画像法の研究は,高エネルギー物理学研究所放射光実験施設の設立以来計画され,同研究所,筑波大,電通大,九大,山形大,埼玉医大,防衛医科大等のメンバーによって,エネルギー切替,撮像システム,動物を用いた撮影条件設定実験等基礎的な検討を進め実現性を確認してきた。1-3)。
現在のところ,日本以外では米国方式のスリット光で走査する方法を用いているのに対し,面照射による瞬時撮像方式には,歪の少ないが像の収拾や画像時系列解析の便利さなどがある反面,輝度の減少や画像の高速入力とその位置合わせなどの問題が残る。物質のX線吸収特性に着目することで,特定物質の生体内分布の変化の追跡も可能であり,生体の機能評価にも有効な手段となる4-6)。本研究では,面照射方式の特長を生かした撮像解析手法のための,画像入力と連続記録システムの基本部分の制作を終えることができた。光学系や臨床的な撮像方式の確立と相俟って,この画像診断方式を完成させて行きたい。なお,ここで開発した任意の入力モードに対応できる長時間大量データの採取解析装置は,いろいろな分野のデータ解析に応用できるものと考えている。