2001年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第15号

携帯型酸素解離曲線自動解析装置の開発

研究責任者

今井 清博

所属:大阪大学大学院 医学系研究科 情報伝達医学専攻 助教授

概要

1.はじめに
血液またはヘモグロビン溶液の酸素解離曲線は、ヘモグロビンの酸素飽和度の溶存酸素の分圧(または濃度)に対する依存性を表す曲線である。それは、血液やヘモグロビンの酸素運搬機能の評価、ヘモグロビンの生理機能発現の分子論的機序の解明、異常ヘモグロビン症の診断と臨床症状発現機序の解明、赤血球酵素異常症の診断、輸血用保存血液の機能評価、患者の組織酸素化状態の把握、薬剤投与時のヘモグロビン機能の変化、人工血液材料の機能評価などに有用である。近年、酸素解離曲線は自動解析装置1)~4)を用いて簡便に得られるが、酸素分圧を検出する酸素電極とその増幅器、酸素飽和度を検出する分光光度計、X-Y記録器などを用いるために、装置は大型で重く、研究室や検査室での据え置きの状態でしか使用できない。しかるに、一人で運搬可能な、いわゆる携帯型解析装置が開発されれば、従来の装置より少ない実験室スペースで同等の用途に用いられるほか、野外での測定、たとえば野生動物血液の生理機能の研究、事故や遭難の現場での呼吸機能の診断に、また、特殊環境下での測定、たとえば高地適応の呼吸生理学、高圧酸素治療の影響、宇宙飛行士の呼吸機能のモニタリング、運動負荷と呼吸機能の研究(スポーツ医学)などの目的に、極めて有用であると考えられる。
筆者は、以前に、単一の酸素電極を用いて酸素解離曲線を自動記録する方法を考案した1)。この方法では分光光度計が不要なので、装置を小型化・軽量化できる反面、解析が面倒であるという欠点があった。しかるに、近年の電子機器やコンピュータの高性能化とダウンサイジングによって、この欠点が克服できる見込みがついてきた。そこで、今回、その原理に基づく携帯型装置を試作して、性能をテストすることを意図した。
2.測定原理
液相(ヘモグロビン溶液)と酸素分圧が零の気相(純窒素)が接しているとき、液相から気相への酸素の拡散に伴う液相中の酸素分圧の時間変化が、液相中に存在するヘモグロビンの酸素結合特性によって影響を受けるという現象を利用する。
いま、図1のように、セルに十分酸素で飽和したヘモグロビン溶液(体積V)を入れ、純窒素を流して気相中の酸素分圧を零に保つ。
磁気撹拝器で溶液を一定速度で撹絆すると、溶存酸素が徐々に気相中へ拡散する。このとき、溶液に挿入した酸素電極を用いて液相中の酸素分圧(P)を検出し、それの時間変化をコンピュータで取り込んで記録する。物理的に溶解している酸素の量、ヘモグロビンと結合して溶解している酸素の量、および両者の和をそれぞれXf, Xb, Xiとする。液相から気相への単位界面面積当たりの酸素の拡散速度vは、V=kp(kは比例定数)で与えられる。界面面積をS、時刻をrで表すと、
となる。ヘモグロビンの酸素飽和度をY、ヘム当たり濃度をChとすると、Xb=CnVYである。従って、Henry定数をλとする(Zf=λρV)と、
となる。(3)式を変形すると、
となる。ここに、τ=λV/kSである。(4)式を解いて、t=0にてY=1,p=p0なる初期条件を適用すると、
となる。ここに、Z=log(p/p0)一(-t/2.303τ)である。tが十分小なるときは、ヘモグロビンからの酸素解離がほとんど起こらないのでd(1-Y)~0、したがって、log(p/p0)~-t/2.303τ(図2の直線)となる。tが増加してヘモグロビンが実質的に酸素を解離し始めると、log(p/p0)VS.tプロットは直線より上方へずれる(図2)。t→∞,p→0,Y→0のとき、(5)式よりCh/2.303λp0=A(Aは図3に示した面積)となり、結局、ある時刻tにおけるYは
によって与えられ、図2,図3のグラフで表現される数値解析を実行することによって、pとYの関係が得られる。Ch,λ,v,k,S,Vなどの値は不要である。
3.装置の設計・試作
装置の小型化、軽量化を達成する方策として、100V交流を発生する充電式バッテリー(松下電工、ERV713-H)、ノート型パソコン(富士通、FMV-NE36A3)、小型窒素ボンベ(3.4B,純度99.9995%)、小型圧電式水流ポンプ(極光、バイモルポンプBPH-4141)、手製微小電圧直流増幅器などを使用した。
図4は装置の構成を表すブロックダイアグラムである。空気ポンプは熱帯魚飼育用のものを、ガス切換器は2個の医療用三方活栓を組み合わせたものを、磁気撹拝器は市販の小型のものを、それぞれ用いた。恒温水槽としては、発泡スチロールの箱に水を満たしたものを用い、それをバイモルポンプでセルに循環させた。プリンターは本装置には含めず、研究室で結果をプリントアウトする際に用いる。
図5は、特別に設計したセルの構造を表す。本体は18-8ステンレススティール製で、側壁には恒温水槽からの水を通す穴が通っている。酸素電極はClark型で、酸素に感応する先端部は側壁の穴から溶液に露出している。必要なヘモグロビン溶液の量は3mlである。酸素分圧信号は微小電圧直流増幅器で増幅の後、12-bltAID変換器を経てコンピュータに実時間で取り込み、メモリーに記憶させた。データのサンプリングは、一つ前のPの値の一定数倍(例えば、0.9倍)になったとき、次のPを取り込むようにした。実時間収集と解析のためのプログラムはBASIC言語で記述した。
図6は試作した装置の写真である。現段階では、各パーツを実験台の上で接続しただけであり、性能テストにはト分であるが、実用化にはこれらを一一つの筐体に収めることになる。
4.性能テスト
図7は、実際の実験データから作成した図2のセミログプロットをコンピュータ画面に表示したものである。
サンプリングされた点の他に、初期の直線部分を外挿した直線が示されている。図8は、図7のデータから作成したρ加ovs.Zプロット(図3)である。
図9は最終的に得られた酸素解離曲線をYvs.logpプロットとして表したものである。
左下に、50%酸素飽和度でのPの値(pso)とHill係数(nmax ; Hlll plot(log[Y/(1-}り]vs.logρ)の最大勾配)が与えられている。以上は、解析の経過が把握できるようにグラフを画面に表示させる動作モードの場合であるが、これらの途中経過を一切表示させないで最終結果(図9)のみを表示させるモードでは、測定後、瞬時にして結果が得られる。種々の濃度のヘモグロビン溶液と、種々の希釈倍率の赤血球浮遊液を用いて酸素解離曲線を測定し、それらから得たp50とnmaxの値を表1にまとめた。これらのパラメータ値は、通常の方法で得た値に類似している。
5.試作機の評価
今回の試作機の大まかな仕様を表2にまとめた。
酸素解離曲線の測定所要時間と電源持続時間とから、一回の充電で、約6本の曲線を測定できることがわかる。重量に占めるおもなパーツはポータブル電源(充電式バッテリー)と窒素ボンベである。総重量155kgというのは一人で運搬できる範囲ではあるが、自動車を用いればより機動性が増し、また、ライター用電源が使えるので、電源容量の制限も緩和される。測定所要時間を短縮することは、酸素電極の応答時間のために困難である。原理から理解できるように、本装置の測定精度は、pso付近での溶存酸素濃度とヘモグロビンに結合する酸素の濃度(すなわちヘム当たり蛋白濃度の半分)とが同程度な場合に高くなる。表1での実験条件はその場合に近い。
6.まとめ
本研究によって、以前に考案された酸素解離曲線自動測定法を実現する携帯型装置が試作された。それは従来の別の原理に基づく据え置き型の装置に比べてはるかに小型、軽量、低コストである。そして、それを自動車に搭載することによって、さらに機動性が増し、長時間動作が可能となる。本装置は、従来の装置と異なり、赤血球浮遊液から全血と同等なデータを簡便に得られるのが特長である。この特長は、全血の解離曲線を簡便に測定する手段のない現在の状況において、極めて有意義である。