1992年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第06号

振戦の機械的励振解析による運動制御情報の計測評価のシステム

研究責任者

渡邊 瞭

所属:東京大学 医学部 医用電子研究施設 助教授

共同研究者

池田 研二

所属:東京大学 医学部  助手

共同研究者

後藤 恵一

所属:東京大学医学部附属病院 医員

概要

1.まえがき
振戦には生理的(正常)振戦と病的振戦があるが,病的振戦は勿論のこと,生理的振戦であっても疲労時などに振幅が増大し,円滑な日常動作を妨げる。振戦データは,筋運動生理あるいは病態生理に関する情報を豊富に含むことが予想されるにも拘らず,その発生機序に諸説あり,いずれとも確定していないため,医学の場での応用に耐えるだけの定量的解析はまだ行われていない。振戦の発生機序のモデルとしては,反射由来のフィードバック発振説と,中枢発振説がある1)。このうちフィードバック発振説は,Lippold2)をはじめとするいくつかの実験的検討に基づいて,現在,主流を占めている。しかし,1つの反射ループだけを考えたモデルでは,個人差,負荷条件,筋疲労,神経障害などの諸要因による振戦振幅と周波数の多様な変動を説明することはできない。
筆者らは,先に生理的振戦について,脊髄反射と上位中枢反射の2つの反射ループを考慮した2反射ループモデルを提案した3)。この理論により,振戦に関する諸現象は,主として力学系パラメータの変化と,2つの反射ループのゲイン比の変化として統一的に説明できることをシミュレーションによって示した。このモデルでは,手の持続振動条件下で,角変位と筋収縮力の間の位相角の周波数特性に基づいて議論を進めており,次の段階として,これを実験的に裏付けることが必要である。しかし,そのために離散的にパワースペクトルのピークを持つ自励振動のデータを用いたのでは,データ数が内部パラメータを推定するのに不十分である。
本研究においては,手首の機械的励振(加振)を行った時の手の強制振動特性を,対象とする周波数全域にわたって測定し,スペクトル解析を行うことにより十分な数のデータを得て,モデルの妥当性を確認する。またその時得られる加速度と筋電図に関する位相情報は,振幅特性に比べてより見通しのよい特性を示し,再現性もよく,反射のゲインや遅れ時間などの運動制御に関するパラメータの精密な推定に適していることを示す。
2.モデル
2反射ループモデル3)に基づく強制振動のモデルを図1および(1),(2)式に示す。
(1)式において,左辺の第1項から第3項までは力学系を表わし,(2)式は反射系を表わす。筋肉のモデルは厳密には直列および並列弾性要素を含むが,並列弾性要素だけで近似することができる。実際,手の減衰振動についての実験結果から,手の力学系はほぼ2次系と見なせることが報告されている4)。反射系は脊髄反射と上位中枢反射が並列に存在するシステムを仮定している。
図1および(1),(2)式において,記号を次のように定義する伏文字の変数はラプラス変換を示す。)
特性周波数は,(2)式の位相の周波数特性のグラフにおける固定点を表わしている。荷重負荷,抵抗負荷,または弾性負荷のある場合の力学定数は教の式で表わされる。
ここで,添字0は生体の定数,添字1は外部負荷の値,尼はそれぞれのモーメントの腕の長さ,RとKはそれぞれ筋肉の抵抗係数とばね定数を表わす。Kは普通の測定範囲内ではほぼ一定と見なしてよいが4),Rは筋力に比例するとされている5)。
手首と手の加速度の比,および整流平滑筋電図と手の加速度の比は次の式で表わされる。
ここで,ACCは加速度,Demod.EMGは整流平滑筋電図,cは定数である。
3.実験方法
加振器により手首を加振して,手の強制振動応答特性を測定する。計測システムのブロック図を図2に示す。前腕および手は回内位で,前腕のみ台で支持する。加振器の振動子に固定したアダプタを手首の骨格部に装着する。一般に四肢の加振実験においては,加振器が骨格に密に結合することが必要なので,図3に示すような手首アダプタを試作して用いている。これはアクリル板製で,2つの突起が尺骨および擁骨の茎状突起に密に接触するように手の寸法に合せて調節する。加振器はバイブロペット(国際機械振動研究所PET-01)で,実用的な測定周波数範囲は2~60Hzである。
半導体加速度センサ(豊田工機ATS-14)を手背と手首に(それぞれ中手指節関節および手関節から2cm近位測に)装着し,筋電図は僥側手根伸筋から表面電極(ベックマン小型電極)を用いて導出する。測定は右手を用い,手は軽く握るか荷重を把持して水平に保持する。加振振幅は,手の加振応答のピーク周波数に近い12Hzにおいて振動感覚閾値の少し上の小振幅を選び,各周波数とも手首の加速度をほぼこの振幅に設定する。小振幅加振のため,システムはほぼ線形系として動作すると考えられるので,信号処理結果は正規化した形で取扱い,手首加振振幅のバラツキの影響を除いている。加振周波数は約5Hzから約20Hzまで変化させ,1つの周波数について約70秒間加振する。各周波数の測定順序はランダム化し,筋疲労によるデータの偏りを減している。
信号は,平均加算用のトリガ信号(約8秒毎)とともに,アナログ式データレコーダ(ソニーFRC-1402)に記録し,アナライジングレコーダ(横河電機3655,FFTモジュール付)で分析する。筋電図は電子回路で整流後入力するので,整流平滑電図を解析することになる。FFT分析の周波数レンジは50Hz,サンプリング点数は512点,周波数分解能は0.25Hzである。分析項目はパワースペクトル,およびクロススペクトルとその位相角である。8回の平均加算を行う。
4.実験結果
手の加速度および整流平滑筋電図の振幅特性を図4に示すが,内部パラメータの状態を反映して複雑な特性が見られた。これに対して,手首と手の加速度,および整流平滑筋電図と手の加速度のそれぞれのクロススペクトルの位相は,モデルとの関連で見通しのよい特性を示し,試行毎の変動も少なかった。モデルのパラメータは,文献3の値を基本にして適当な値を選びシミュレーションを行った結果,実験結果に類似する位相特性を得た。これらの結果を図5,図6に示す。図5は主に力学系の,図6は主に反射系のパラメータを反映した特性を示しており,当てはめ計算によりパラメータ推定が可能と考えられる。
5.むすび
以上,生理的振戦の2反射ループモデルについて,手の加振応答分析により実験的に裏付けるとともに,反射のゲインや遅れ時間などの運動制御情報の理論的推定の可能性を示した。
今後,加振応答データに基づいて,システムの力学系および反射系のパラメータを高精度で推定する方法論について検討を進める予定である。本研究は,運動制御機構の解明ばかりでなく,筋疲労の定量的評価などの人間工学的応用,神経内科的診断などに有効な手段を提供することが期待できる。