2005年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第19号

拍動心臓での記録が可能な光学的心筋活動電位マッピングシステムの開発

研究責任者

稲垣 正司

所属:国立循環器病センター研究所 循環動態機能部 機能評価研究室 室長

共同研究者

杉町 勝

所属:国立循環器病センター研究所 循環動態機能部  部長

共同研究者

日高 一郎

所属:国立循環器病センター研究所 循環動態機能部 研究員

共同研究者

渡辺 浩志

所属:東京大学大学院 新領域創成科学研究科 講師

概要

1. はじめに
心室細動などの致死性不整脈による心臓性突然死は、米国で年間40万人、我が国においても年間5万人と推測され、その克服は国家的な急務と位置づけられている。心臓性突然死の80~90%は心室細動などの致死性不整脈が原因であることから、致死性不整脈に対しては精力的な研究が行われている。しかしながら、致死性不整脈を起こしやすい集団(ハイリスク群)を同定する方法すら確立されていないのが現状である。また、大規模臨床試験の結果、これまでに開発された抗不整脈薬の多くは突然死の予防に無効であるのみならず、場合によっては致死性不整脈を誘発することが明らかになった。
動物実験による心臓電気活動の高解像度マッピングやコンピュータ・シミュレーションによる不整脈モデルの研究により、代表的な致死性不整脈である心室細動の本態は、電気的興奮媒質である心臓(心筋組織)に生じた渦巻き様の興奮波が形・大きさ・場所を変えて離散と集合を繰り返すリエントリ現象であることが明らかとなってきた。このような機能的リエントリの発生と維持には、媒質である心臓の電気生理学的性質の空間的分布状況が極めて重要であり、単一心筋細胞の電気的性質などの局所的な情報からはその機序を十分に解明することはできない。したがって、致死性不整脈の機序を解明し有効な予測法・治療法を開発するために、病態に近い条件で心臓の電気生理学的性質の空間的分布を詳細に計測する技術を開発し、心臓の電気生理学的性質の空間的分布と致死性不整脈発生との関係を定量的に解析する技術を開発することが必要とされている。
近年、光学的活動電位記録法を用いた心臓電気活動の詳細なマッピング実験によって、心室細動や心室頻拍の理解に新たな展開がもたらされてきている1)。しかしながら、光学的活動電位記録法は観測対象の動きにより大きなアーチファクト(モーション・アーチファクト)が生じるため、これまでの研究では薬剤やガラス面への圧迫によって心臓の動きを止め、非生理的な状態で観測が行われてきた1)。このような状態での観測は非生理的であるばかりでなく、心臓の電気現象と機械現象の関連については全く評価することができない。また、心筋の収縮を抑制する薬剤による活動電位の修飾も記録上の問題となっている1-4)。本研究では、これまでの光学的心筋活動電位記録法の限界を克服するため、拍動下の心臓においても詳細な心筋活動電位のマッピングが可能な光学的心筋活動電位マッピングシステムの開発を行った。 実験的に心臓の電気生理学的性質の詳細なマッピングが得られても、それらの結果と致死性不整脈発生との関係や臨床心電図との関係を解析するのは容易ではない。本研究では、活動電位分布と体表面心電図や致死性不整脈発生との関係を理論的に解析するために、胸郭を含む高精度心臓シミュレータを開発した。
2. 光学的心筋活動電位マッピングシステム
2.1 モーション・アーチファクトの除去方法
細胞膜電位と光学的変化との結びつきはイカ巨大神経線維で活動電位にともなう光散乱、複屈折、蛍光変化が観察されたことに端を発する。現在までに、膜電位変化に応じて吸光度あるいは蛍光が変化する多くの色素が探索されてきた。これらの色素は膜電位変化に対する応答時間の長短により、fast-response dyeとslow-response dyeに分類される。心筋の活動電位変化は極めて早いため、活動電位のモニタにはfast-response dyeが用いられる1)。本研究では、膜電位感受性色素としてfast-response dyeの一種類であるdi-4-ANEPPSを用い、活動電位をその蛍光シグナルとして記録した。拍動する心臓から発せられる蛍光シグナルを高速カメラで記録し、活動電位の空間的変化を得るためには、観測面内での心臓の動きによるアーチファクトと観測面に対して前後方向の動きによるアーチファクトを除去する必要がある。本研究では、観測面内での心臓の動きをマーカーの追跡とアフィン変換により補正し、膜電位の変化に応じて輝度が逆相に変化する2つの波長の蛍光比を計測して心臓の前後方向の動きによるアーチファクトを除去することによって、拍動下の心臓においても詳細な心筋活動電位のマッピングが可能な光学的心筋活動電位マッピングシステムを開発した。心臓の観測面内の上下左右方向の動きによるアーチファクトを除去するために、心表面に複数のマーカーを設置し、相互相関法を用いて記録画像におけるマーカーの動きを追跡した(モーション・トラッキング)(図1)。
心表面に配置したマーカーから3点を選択し、現在のフレームにおける3点の座標と参照画像(初期画像)における3点の座標からアフィン行列(A)を作成し、マーカーの作る三角形内部の点(X)の移動を行列Aによってモデル化した(図2、A)。現在のフレームの各点の座標を行列Aの逆行列を用いて参照画像における座標に変換することによって、仮想的に静止した連続画像を作成し、心臓の観測面内の上下左右方向の動きによるアーチファクトを除去した(図2、B)。
一方,di-4-ANEPPSは、記録する蛍光波長により細胞膜の電位変化に伴う光量の変化量が異なり、特に、640nm以上の波長の蛍光光量(Ired)は細胞膜電位の上昇(脱分極)とともに減少するのに対し、600nm以下の波長の蛍光光量(Igreen)は脱分極とともに増加することが知られている(図3)。下記に示すように、膜電位変化に伴って逆相に変化する2つの波長の蛍光量の比を計測することにより、前後方向の動きによる蛍光光量の変化によるアーチファクトを除去した5・6)。
1:fluorescence intensity
H:heart fluorescence
AF:residual background signals
MA:time-dependent function(motion)
Vm:transmembrane potential
R:ratio
本研究では、光学フィルターを様々に変更し、600nm以下の帯域と640nm以上の帯域それぞれについて、心筋活動電位を形成する膜電位レベルに対して最も良好なS/N比の得られる波長帯域を検索した。その結果、Iredとして680nm付近の蛍光光量を、Igreenとして540nm付近の蛍光光量を計測した(図3)。
2.2 2波長同時記録高速カメラシステム
励起用光源は青色発光ダイオードを用いて作成した。記録する蛍光と波長のオーバーラップが生じないように中心波長480nmのバンドパス・フィルタを使用した(図3,4)o観測対象からの蛍光は580nmのダイクロイック・ミラーで分岐させた後、中心波長540nmのバンドパス・フィルタと中心波長660nmのバンドパス・フィルタを通過させ、イメージ・インテンシファイアで増幅した後にCMOSセンサに入力した。センサは空間分解能256×256ピクセル、最大フレームレート2KHzのCMOSセンサを使用した。10ビットに量子化された画像は、8ビットのデータとしてカメラ内のメモリに記録され、パーソナル・コンピュータによって読み出しを行う。光学的活動電位記録と同時に、心電図およびガラス電極法による膜電位などのデータを8Ch同時に記録できるものとした(図4)。
記録された画像データは、オフラインで画像処理を行った。心表面に設置されたマーカーからドローネ三角網を作成し、分割された各三角形領域に対しアフィン変換を用いた動きの補正を行い、蛍光比の計算によりモーション・アーチファクトを除去した。その後、時間および空間フィルタによりノイズを除去した(図5)。
2.3 システムの評価
ウサギのランゲンドルフ潅流心を用いて記録システムの評価を行った。ウサギ摘出心臓をdi-4-ANEppsを加えたTyrode液で10分間潅流した後、心筋収縮を抑制せずに、微小ガラス電極法による活動電位記録と同時に、フレームレート5001secで光学的活動電位記録を行った。
モーション・トラッキングのために、直径0.5mmのジルコニア製ビーズを心表面に散布し(5-7個)、マーカーとした。心尖部よりペーシング周期を変えて(200msec~2000msec)ペーシングを行った。ガラス微小電極による記録部位を変えて、同時記録を繰り返した。ガラス微小電極法による記録とガラス電極周囲の光学的活動電位記録波形とを比較し、記録システムの検証を行った。モーション・アーチファクトの除去により、拍動心においても心臓の広い範囲で光学的活動電位計測が可能であった(図6)。
アフィン変換による動きの補正と蛍光比計算によってモーション・アーチファクトは良好に除去され、光学的活動電位記録波形は微小ガラス電極法による活動電位記録波形とよく一致した。アフィン変換による動きの補正のみでは活動電位第4相に大きなモーション・アーチファクトが残った(図7)。
微小ガラス電極法によって記録された活動電位波形から計測した50%再分極までの活動電位持続時間(APD50)と、微小ガラス電極の周囲で記録された光学的活動電位波形から計測したAPD5⑪は非常によく一致した(図8)。
2.4 考察
心筋の電気生理学的性質の空間的分布は、疾病によって変化するのみならず、自律神経活動や電解質・ホルモンなど多くの因子の影響を受ける。また、一般にmechano-electrical feedbackといわれる機序を介して、心筋にかかる機械的負荷は心筋の電気生理学的特性に影響を及ぼすことも知られている。特に、致死性不整脈を発生する患者では基礎心疾患として虚血性心疾患(心筋梗塞)や心不全を持つものが多く、これらの病態では心筋に対する機械的負荷が心臓の局所で上昇していることから、機械的負荷が心臓の電気生理学的特性に及ぼす影響は重要と考えられる。光学的活動電位計測法によって活動電位マッピングの空間分解能は飛躍的に向上したが、これまでの方法では心筋の収縮を抑制した状態で記録しなければならず、機械的負荷が病態に及ぼす影響を解析することはできなかった。本年度の研究で開発したシステムによって、拍動心での光学的活動電位マッピングが初めて可能になった。今後、本法を用いてより実際の病態に近い状態で致死性不整脈の発生につながる活動電位の空間分布を解析し、ペーシングや薬剤によって異常な空間分布を補正することによって致死性不整脈の発生を予防したり致死性不整脈を停止させる手法を開発する。
3. 高精度心臓シミュレータ
3.1 シミュレータの概要
心筋細胞の電気生理モデルとしてLuo-Rudyモデル7)を採用し、パラメータを人間の活動電位持続時間に合うよう調整した。細胞の電気的接続としては、細胞間のギャップ結合に加えて細胞外間質液を通じての伝播までを考慮したbi-domainモデル8)を用い、有限要素法により心筋を離散化した。これにより、ペーシングや除細動などによる外部からの刺激電流を表すことが可能となった。心臓は成人男性のCT画像を基にボクセル有限要素でモデル化した(図9)。
体表面心電図の再現や除細動のシミュレーションには、心臓のみならず心臓と接するトルソ、血液領域の電気伝導解析が必要となる。このため組織、器官毎の異なる伝導率9)を有する有限要素モデルをVisible Humanの胸郭を基に作成した(図10)。
心臓は細かいメッシュでトルソは粗いメッシュで離散化するが、そのような複合メッシュを用いても除細動の数値計算は巨大な連立1次方程式を解く問題に帰着するため、解法には独自の並列化マルチグリッド(多重格子)法10)を採用した。また、この計算を実現するために、高速通信の可能なPCクラスタシステムを構成した。更に計算を効率化するため時空間的に無駄のない選択的な時間積分を行うなど、様々の工夫を行った。
3.2正常心拍および除細動現象のシミュレーション
シミュレータを用いて正常拍動時の興奮伝播を解析した。心室内壁に一様に興奮の伝播の極めて速い層(伝導率5.0(S/m))を設ける事によりプルキンエ繊維を模擬し、左心室内膜の一部に刺激を加えた。トルソ表面で得られる電位分布は体表面電位図マッピングで得られるデータを概ね再現し、シミュレートされた心電図は臨床心電図とよく一致した(図11)。
次に、心室細動および除細動のシミュレーションを行った。心室細動のシミュレーションでは、発生したspiral waveは時間経過とともに徐々に分裂、微細化し心室細動へと発展し、光学的活動電位マッピングで観察された現象を再現できた。更に、除細動のシミュレーションでは、高エネルギー通電により細動が停止する現象のみならず、高エネルギー通電により一度停止した細動が再び誘発される現象も再現できた。即ち、細胞外領域に点刺激が加わると、刺激点近傍に脱分極領域と過分極領域が同時に出現する仮想電極(Virtual electrode)と呼ばれる現象が現れ、これを基点とする新たな細動の誘発が再現できた。
3.3 考察
心臓のbi-domainモデルを用いたシミュレーションは極めて計算負荷が高いことが知られており、全心臓を対象としたシミュレーション研究はほとんど行われてこなかった。海外の有力施設のシミュレータにおいても、1秒の生体現象のシミュレーションに約5日間を要していた。本研究で開発したシミュレータでは、1秒のシミュレーションを約2時間で行うことが可能となった。これによって、全心臓のbi-domainシミュレーションを現実的な計算時間内に行うことが初めて可能となり、様々な条件設定のもとに網羅的なシミュレーション研究を行うことが可能となった。現在のモデルによっても、体表面心電図などは良好に再現可能であるが、細動現象における興奮波のダイナミクスなどを定量的に再現、解析できるかどうかについては今後の検討を要する。これらの定量的解析を行うためには、より詳細な心筋細胞電気生理モデルを用いたモデリングが必要となる可能性がある。
4. まとめ
2波長同時記録法によって、拍動心での記録が可能な光学的心筋活動電位マッピングシステムを開発した。微小ガラス電極法による記録と比較することによってシステムの評価を行い、十分な精度を持つことを確認した。CTとMRI画像をもとに、左右両心室・心房に各組織、器官からなる胸郭を接続した有限要素モデルを構成し、マルチグリッド法、選択型時間積分などを適用する事により、高精度かっ高速な心臓シミュレータを開発した。今後、光学的活動電位マッピングで得られた空間的電位データとシミュレーション結果との比較検討により、体表面心電図からの致死性不整脈の予測法や新たな治療法の開発を行う。