1997年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第11号

心電図の長期的無意識計測を行うための入力機構および信号処理システムの開発

研究責任者

太田 茂

所属:川崎医療福祉大学 医療技術部 医療情報学科 教授

共同研究者

石島 正之

所属:東京女子医大 医用工学研究施設 助教授

共同研究者

田中 昌昭

所属:川崎医療福祉大学 医療情報学科 講師

共同研究者

格和 勝利

所属:川崎医療福祉大学 医療情報学科 助手

概要

1.はじめに
近年,在宅のまま意識しないで行える検査の可能性を探る動きが活発になってきている。一つには長期間にわたって継続的に検査を行うことによって疾病を早期発見するといった予防医学的な観点から,また一つには煩わしさからつい怠りがちになる定期検診等の代替検査として,その実用化が期待されている1・2)。これらの試みに共通して見られる特徴は,家庭内にある調度や器具を利用して被測定者の日常生活を乱すことなく検査を行う点にある。具体的には,戸川らによる浴槽内での心電図計測3・4),山越によるトイレにおける血圧測定,体重・排泄量計測,バリストカーディオグラム(BCG)を用いた心機能計測5),筆者らの一人による導電性の布帛電極を用いた就寝中の心電図・呼吸数の計測などがある6・7)。
我々は,こういった生体計測技術を応用して,在宅のまま高齢者の生体信号を長期間にわたって収集し,それを通信回線を利用して医療専門家のもとへ伝送し,高齢者の健康状態の指標として利用するシステムの開発を行っている。その背景には,我が国の急速な少子化と長寿化によってもたらされた超高齢化社会の出現があり,現在も,そしてこれから増加するであろう独り暮らしの高齢者,あるいは家族全員が高齢者といった高齢者世帯に安心して日常生活をおくることができる社会基盤を提供する必要があると考えている。我々は,本研究をそういったニーズに対する福祉工学サイドからの一提言であると位置づけている。
2.就寝中の心電図計測
前節で述べた研究の目的から,我々は日常の生活を乱すことなく,意識しないで行える生体信号の計測を何よりも重視している。一方で,高齢者の健康状態を推定する上で有益な情報を得なければならない。このような目的に添う生体信号として我々は心電図に着目した。心電図は循環器系のみならず,全身の状態に関する様々な情報を提供してくれる従って心拍数の長期間変動から自律神経系の活動を推定しようという試みが行われている8)。また,心拍変動と疾病の関係について明らかにしようという研究も多く行われている9・10・11)。
通常,心電図の長期計測はホルタ心電計によって行われる。しかしながら,ホルタ心電計では24時間,長くても48時間の計測が限界であり,その上,計測に当たっては特殊な電極を必要とする。そのため日常生活を乱さないという我々の趣旨には相容れない。これに対して,著者の一人によって開発された夜間就寝中における無侵襲・無意識的な心電図の計測方法6)は導電性の布帛電極をシーツに縫い込み,寝たままの姿勢で心電図を計測するものである。我々はこの計測方法を応用し,夜間,高齢者の就寝中に一定時間間隔で間欠的に心電図を計測し,翌朝,その計測した心電図データを通信回線を経由して監視センターへ伝送する12,13,14)。
3.計測方法
計測に用いる布帛電極は,図1に示すような表面を銀メッキしたナイロン繊維を織り込んだ布で,それを図2(a)に示すように,一方はシーツの脚部に縫いつけ,他方は枕カバーとしてベッド上に配置する。また,図2(b)に示すように,布帛電極を縫いつけたシーツの下には絶縁を目的として普通のシーツをはさみ,さらにその下にはベッドとほぼ等寸大の布帛電極を敷いて誘導ノイズを遮蔽するために接地する。心電図は枕カバーを一極,脚部を+極としてリード線を接続して検出する。この方法によって,標準第II誘導類似の心電図が得られる。
4.システム構成
図3に本システムの構成図を示す。システムは高齢者宅に設置した心電図計測装置,宅内装置と管理センターに設置した中央監視装置から構成される。心電図計測装置は前節で述べた布帛電極から検出した微小心電信号を0.5Hzのハイパスフィルタ,100Hzのローパスフィルタを通して60dB増幅後,500Hzのサンプリング周波数および14bitの分解能でAD変換を行い宅内装置へと送信する。このとき60Hzのハムフィルタによってハムノイズを除去している。宅内装置は予め設定された時刻になると心電図計測装置を駆動し,一定時間の計測と休止を高齢者の就寝中にわたって交互に繰り返す(図4)。そして,高齢者の起床時間に合わせて設定した時刻になると計測を終了し,夜間計測した心電図データを中央監視装置からのポーリングに応じて監視センターへと伝送する。
中央監視装置は被験者ごとに設定した時刻に宅内装置に対してポーリングをかけ,計測した心電図データを集信する。集信されたデータはノイズ除去,区分点認識などの各種処理を施した後に健康状態の指標を抽出する。
5.計測結果
開発したシステムによって心電図を計測した。被験者は82歳の男性で,午後8時から翌朝の午前4時までの8時間のあいだ,2分間の計測と8分間の休止を交互に繰り返し,1晩で96分間の計測を毎晩行っている。
図4に計測した心電図波形を示す。図4(a)は比較的計測状態が良好な波形であるが,それでもノイズがかなりのっている。これに対して図4(b)に示す波形は心電図がほとんどノイズに埋もれ,心電図波形の特徴的な変化が認められない。一晩の計測データの中では図4(a)に示すような比較的良質のデータが得られることはむしろ希で,ほとんどの場合が図4(b)に示すようにノイズに埋もれていた。これは,家電製品をはじめとする各種の雑音源が溢れている家庭内において,布帛電極と被験者の接触部分を被験者の体重による圧力にのみ頼っているため,接触インピーダンスが非常に高くなっていることによる誘導雑音と考えられる。また高齢者の皮膚表面は乾燥した上に角質化し,これが接触インピーダンスをさらに高めているものと考えられる。
ノイズを除去するために図4の各心電図波形に対してバターワースフィルタを通したものを図5に示す。バターワースフィルタは次数が12,遮断周波数が40Hzのものを使用した。この結果,ハムノイズはきれいに除去され,多少歪んではいるもののR波,T波は十分認識し得る波形が得られた。
6.健康状態の指標
こうしてノイズを除去した心電図波形に対して区分点認識処理を行い,R-R間隔を求め,それから平均心拍数を計算して,その時間変化をプロットしたのが図6である。
図の各点は,2分間の計測時間にわたる平均心拍数を示している。就寝直後は高かった心拍数が時間の経過とともに次第に減少していき,深夜近くになると一定の値に落ち着き,以後その値で推移するというパターンを示している。図中の▲印はこのパターンから外れた点である。図中の矢印で示した時刻におけるR-R間隔をその出現順にプロットすると,パターン上にある場合は図7(a)に示すようにほぼ一定の値を示し,一方,パターンから外れた場合は図7(b)に示すように,計測したR-R間隔の数も少なく,また値もかなりバラついている。これは,寝返りなどによって波形が乱れ,区分点認識ができなかったためと考えられる。
パターンから外れたイレギュラーな点を計測エラーとみなして除去し,一週間分の心拍数の変動の様子をプロットしたのが図8である。日によって多少のバラつきはあるにせよ,図7とほぼ同様な変動パターンを示している。図8の中で特に対照的な変動パターンを2つピックアップしてプロットしたのが図9である。
図9の(a)は平均的な変動パターンで,(b)は深夜まで心拍数が高いまま維持され,その後急激に降下し,以後平均的なパターンと同様な推移を示している。これは明らかに通常の日とは異なる変動パターンであり,健康状態の何らかの指標となり得るものだと考えている。
7.おわりに
以上のように,我々は就寝中に無意識的に心電図を計測するシステムを開発し,それを用いて実際に高齢者を被験者として心電図の長期計測を行ってきた。計測された心電図データにはノイズが多く含まれるものの,ノイズ除去フィルタによってR波などの区分点を認識することができ,それによって得られた心拍変動の時間変化に注目することによって高齢者の健康状態を推定する可能性を示唆した。
しかしながら,当初の目的である健康状態を判定するためには,適切な指標を見つける必要がある。例えば,一つの目安として長期間計測した心電図から被験者の通常の心拍数の変動パターンを統計的に算出し,それからのずれを指標にすることも考えられる。この指標は大まかではあるが,前節で述べた心拍数の変動バターンを反映している。ただ,ここで問題となるのは,本計測方法の性格上,心電図の品質は寝返りや姿勢に大きく左右されるということである。すなわち図6に示すような変動曲線がいつでも正確に得られるという保証はない。計測不能な時間領域があるという前提で,何らかの意味のある指標を得なければならないというところに難しさがある。これらについては未だ研究途上であり,今後の課題として残されている。
最後にこの実験を通じて得られた心室性期外収縮の検出例を紹介する。図10は同じ被験者に対して計測された心室性期外収縮の心電図波形である。この被験者については,心室性期外収縮は深夜から明け方にかけて徐脈になると多発し(統計的には午前4時頃にピークが現れた),多いときで1分間の計測時間中に34個も計測された。その多くは3連発以上で,10連発以上にも及ぶものもあったが速やかにサイナスリズムに戻っている。これはLown分類によれば重症に属するものであるので,ただちに専門医による診断を仰ぎ,ホルター心電計による精査を行った。結論として,この期外収縮は被験者が高齢であることや,一過性であり,自覚症状もないことから経過を見守ることにした。この例は,このシステムが不整脈を検出でき,疾病の早期発見に役立つことを示している。