2007年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第21号

心筋細胞内の細胞骨格の力学特性の評価法の開発

研究責任者

杉浦 清了

所属:東京大学大学院 新領域創成科学研究科 環境学専攻 教授

共同研究者

久田 俊明

所属:東京大学大学院 新領域創成科学研究科 教授

共同研究者

山下 尋史

所属:東京大学医学部附属病院 循環器内科 講師

概要

1. はじめに
細胞骨格は細胞の形態を支えるのみでなく細胞膜に存在する接着分子に結合し細胞外からの信号伝達に大きな役割を担っていると考えられている。特に心筋細胞においては細胞外からの負荷(機械的刺激)が心肥大の形成を通じて心不全の原因となることが指摘され大きな健康問題となっており、このメカニズム解明は心不全の予防、治療に役立つものと期待されている。ただしこれまでに示された事実は臓器レベルもしくは心筋組織レベルで伸展などの負荷を加えた際のタンパクまたは遺伝子発現レベルの変化を蛍光抗体法などで示しているに過ぎず、どのような応力が細胞骨格中のどの分子に歪みを生じそれが結合する他の分子にどのように伝達されるかという疑問に直接解答を与えるものではない。一方心筋細胞には細胞内の収縮タンパクが発生した力を細胞外に伝えることにより初めて他の細胞と協調して臓器としてのポンプ機能を実現できるという特徴がある。従来筋細胞の力伝達は線維方向のみにおいて考慮されてきたが心筋細胞の複雑な走行から成り立つ心筋組織の構造においては細胞骨格を介した細胞側面を通じての力の伝達も機能的に重要である。事実遺伝性の拡張型心筋症の一部においてはサルコメアと細胞骨格をつなぐサルコグリカン、デスミンなどの突然変異が原因として同定され、細胞骨格を通じての力の伝達の障害や細胞側面から加わる力が収縮力低下の原因である可能性が示唆されている1)。従って細胞骨格の力学的特性を測定することは心臓病の原因解明に重要であると考えられつつある。しかるに従来の研究では組織(マクロ)レベルでの負荷が与えられたためi)細胞レベルでどのような負荷が加わっているか。ii)細胞骨格レベルでどのように負荷が伝達されているかという問題に解答できなかった。一方アクチンフィラメント、微小管をはじめとした分子レベルでの物性に関する研究は行われているがそれらが細胞内で構造を形成した場合の挙動までを検討したものは少ない。このような研究のギャップを埋めることも本研究の目的の一つである。このために既に開発しているμm, μN レベルの細胞の物性計測装置を改良し多面的な計測を可能とした。また細胞に伸展刺激を加えその応答についても検討した。
2. 細胞の物性測定系の開発
我々は細胞接着性のカーボンファイバーを用いた単一心筋細胞の張力-長さ測定系を開発し心筋症ハムスターを初めとした病態モデルの心筋細胞の収縮性・拡張能(細胞長軸方向の剛性)の検討を行ってきた2, 3) 4?6)。本法は簡便性と再現性に優れており国外でも使用されている7)。通常実験には一対のカーボンファイバーを用いそれぞれを心筋細胞の両端に付着する(図1A)。1本は太く(直径30μm)固いもので心筋の実験に使う範囲では曲がることはないため固定の目的で使用している。他方は細く(直径7μm)柔軟なものでその撓みを測定することにより長さ変化と張力を測定している。細いカーボンファイバーの変位はその顕微鏡像をphotodiode array(1024素子S3903, 浜松ホトニクス)に投影することによって検出している。さらに単一のファイバーで実効的なstiffness を変化させ様々な負荷様式を実現するため細いファイバーをピエゾ素子(P-841.40, Physik Instrumente, Germany)に結合しファイバーの軸に平行に動かせるようにしている。これを利用して細胞の長さを制御することによって細胞に任意の負荷を加えることも可能となっている。本研究では細胞に引っ張りを加えることも行った。本法ではこれに加え2種類の計測を行えるように改良した。
1) 細胞側面からの押し込み試験:ファイバー先端側面にマイクロスフィア(直径5μm)を接着しガラスチャンバーの側面に固定した細胞の側面に向かって押し込みを行う(図1B)。この際マイクロスフィアと細胞膜面との接触面積は計測できないため。下記のように実効的な押し込み剛性(Keff)を定義した。
2) 剪断剛性の計測:先端にラミニンをコートした微小なガラスプレート(厚さ 5μm)を接着した。これを同様にラミニンコートしたカバーグラス上に固定した心筋細胞の上面に押し当てることによって細胞を上下から固定し上面のガラスプレートをピエゾ素子によって平行移動させることにより剪断変形を加えた(図1C,D)。
いずれの場合も加えられ力はカーボンファイバーの撓みから算出した。
3. 実験
(1)微小管細胞骨格と細胞の剛性の関係
7週令のラットから酵素灌流法によって心室筋細胞を単離した。細胞内の微小管(tubulin)の重合の程度を変化させるためにcolchicine(COL)またはpaclitaxel(PAC)を細胞浮遊液に加えインキュベートした。重合の程度は固定した細胞を蛍光抗体で染色後共焦点顕微鏡で観察しその蛍光強度から評価した。これらの細胞に対し上記の測定を行い比較した。さらに病態生理の視点からの意義明らかにするために心筋症ハムスター(TO-2株)についても健常群(Syian Golden 株)をコントロールとして比較検討を行った。
(2)細胞の伸展と膜電位の関係およびアクチン細胞骨格の関与
7週令のラットから得た単一心筋細胞に電位感受性色素 (di‐8‐butyl‐aminonaphthyl ‐ ethylene ‐ pyridinium ‐ proply ‐sulfonate; di8‐ANEPPS)による染色を行い、膜電位変化を記録した。色素は488nmで励起し発生する蛍光の560nmと620nmのピークの光量を別々に光電管で記録した。この色素は膜電位の変化により2つの発光ピークの光量が変化するので光量の比R560/620を記録すれば対象の位置変化による影響を除いて膜電位の変化を記録することができる。細胞には両端にカーボンファイバーを付着して伸展を加え、それに対する膜電位の変化を記録した。伸展の程度はサルコメア長を画像処理に(FFT)よって記録し(SarcLen IonOptix)評価した(図2)。
4. 結果
(1)微小管と細胞の物性の関係
図3 に薬剤による微小管の重合度の変化を示す。PAC により微小管の密度が増加しCOL により減少していることが明らかである。
図4 に細胞長軸方向の引っ張り剛性と細胞内の微小管の重合の程度との関係を示す。薬理学的操作による微小管の変化は引っ張り剛性には全く影響しなかった。ただしこれは静的な引っ張りに対する結果であり動的な引っ張りを加えたところ歪み速度依存性の成分(粘性項)は重合の程度を反映していた。これらの結果はこれまでに報告されたものとほぼ一致している8)。押し込み剛性は微小管重合の程度と関係しているような傾向が見られたが統計的有意差は得られなかった(図5)。次に剪断剛性の結果を示す(図6)。短軸方向の剛性は微小管の重合度に全く影響されなかったが長軸方向の剛性は微小管の重合度と相関した。心筋症ハムスターでは微小管の量が増加しておりやはり長軸方向の剪断剛性のみが増加していたがCOL 処理によって微小管量が減少すると剪断剛性もコントロールのレベルにまで低下した(図7)。
(2)細胞の伸展と膜電位の関係およびアクチン細胞骨格の関与
心筋細胞に伸展を加えたところ膜電位は伸展の程度に応じて変化した。また大きな伸展(15から20%)刺激を加えると細胞の脱分極が認められることもあった(図8)。こうした反応は伸展感受性イオンチャンネルの阻害剤であるガドリニウムで消失した。また反応は伸展速度に依存しておりさらにCytochalasin D処理によってほぼ消失した。これらの結果は膜に加えられた伸展刺激はおそらくアクチン(+微小管)細胞骨格を通じて伸展感受性イオンチャンネルに伝わり陽イオンの細胞内流入の結果膜電位を変化させていると考えられる。別の検討により関わっている陽イオンはNaおよびCaイオンであろうと考えられた。
5. まとめ
本研究ではアクチン・微小管細胞骨格に注目し心筋細胞膜に加えられた機械的刺激がどのように骨格に伝えられるかを検討した。このために新たな心筋細胞の物性測定系を開発し実験を行ったが、この結果細胞内の微小管の重合の程度は細胞長軸方向の剪断剛性にのみ影響することが示された。心筋細胞の剛性については長軸方向の測定のみが行われ他の押し込みや剪断に関する報告はほとんどみられない。しかし生体内では心筋細胞は心臓の壁の中で短軸方向の圧縮や両軸方向の剪断を受けていることは多くの測定やシミュレーションによって明らかである。近年MRIのtargetting によってヒトにおいても収縮弛緩の間における心室壁の変形を測定することが可能となっているが、このような研究によれば拡張期における血液の流入には収縮によって生じた心室の捻れの解放が機能的に大きな役割を果たしているとされる9)。病的心における微小管細胞骨格の変化はこのような現象に関与している可能性があると思われる。一方微小管は細胞成分の中では非常に固いことが知られている10)ためその増生が引っ張り剛性などに影響しないことは一見矛盾するように思われた。この問題について我々は細胞骨格までも再現したシミュレーションモデルを作成し微小管が圧縮のみを支えるような構造をアクチンと共に形成すれば観察された事実をすべて説明できることも示している11)。
伸展刺激の細胞内への情報伝達については膜電位の変化を検討した。ほ乳類心室筋の伸展感受性イオンチャンネルは未だ同定されていないが、今回我々は膜に加えられた伸展の程度に応じた電位の変化をもたらすこと、伸展歪みの速度に依存することを明らかにした。反応がアクチンを脱重合させるCytochalasin D 処理によって消失することから膜に存在する接着斑からアクチン細胞骨格を経由して伸展刺激が伝達していることが示唆される。歪み速度依存性は少なくとも一部はアクチン骨格の粘性によるものと考えている。
今後も細胞内外の力学的刺激の伝達をさらに詳細に調べていく予定である。