1998年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第12号

微小電極法による遊離細胞膜表面電位の測定

研究責任者

野崎 修

所属:近畿大学 医学部 臨床病理学講座 講師

共同研究者

津田 孝雄

所属:名古屋工業大学 工学部 応用化学科 助教授

概要

はじめに
これまでは,一般に細胞の分析を行う際には,細胞全体を試料としマクロな観点からの分析を行うことが多い。すなわち得られた値は数千~数万の細胞の平均値が得られる。しかしながら,細胞にはそれぞれ個性があり,個々の細胞を分析して得られた結果は,必ずしもマクロな分析で得られた結果と一致するとはいえない。我々は個々の細胞の分析結果を統計的処理を行うことにより,マクロ的な分析では得られない情報を得ることを試みている。
生きた細胞では,細胞内代謝状態や細胞外物質の影響により,その膜電位に変化が現れる。近年,生きたままの細胞の代謝状態・生理活性を無侵襲的に測定して,病的状態にある細胞の病態把握および診断をしたいという要望Pが,強まっている。特に,細胞膜表面電位の測定に関心が寄せられている。しかし,これまでに開発された細胞表面電位測定法には,それぞれ問題点がある。すなわち,
(1)蛍光生体染色法では9バックグラウンドノイズが高いため,そのシグナル/バックグラウンド比(S/N)が,小さくなり,高感度測定が困難となる。また,事前に細胞の生体蛍光染色操作が必要である。
(2)Counter flow electrophoresisでは測定後細胞が死んでしまう。個々の細胞に強い電場がかかるためである。
(3)従来の微小電極法では,細胞に電極を刺入するために測定後細胞が死んでしまうので,膜電位度で選別した細胞を再使用できない,などである。
我々は本研究において,毛細管内電気浸透流2)と細胞電気泳動法をもとに,患者の個々の生きた細胞の表面電位無侵襲計測を可能にする方法を考案した。対象とする細胞としてヒト赤血球を選び,赤血球の膜電位の測定を電気移動度の計測の面から行った。すなわち,個々の細胞の毛細管(capillary fused-silica tube;内径50-100μm)内の微小空間・低電圧の中での移動を,顕微鏡下で観察し,CCDカメラで撮影・計測した。本法は,細胞染色は必要とせず,溶液の電気浸透流と細胞の表面膜電位に応じて移動する細胞のみかけの移動速度から細胞を無侵襲測定し,選別しようとするものである。さらに,この技術を正常者と糖尿病患者の赤血球表面電位の測定,赤血球クロマトグラフィーの開発,および全血を用いた血液型判定に応用した。
材料および方法
材料:
被検血液は,健康なボランティアの肘静脈から採血し,EDTA-2K添加血液ボトルに採取したもの。および患者(近畿大学医学部附属病院中央検査室でグリコヘモグロビン測定の必要のあった人)の肘静脈採血血液でフッ化ナトリウム添加採血管に採取したもの。いずれも採血後1-2日以内のものを用いた。
方法:
1)細胞膜表面電位の測定:
A)原理一細胞のみかけの移動速度:
毛細管の中の遊離細胞のみかけの移動速度は,その細胞が担っている表面電荷と電気浸透流の速度に応じて変化する。そこで,電気浸透流の速度を一定に保つと,細胞の見かけの移動速度は,細胞表面電位度に応じて変化する。毛細管の一定距離の,一定電場域を通過した細胞の移動速度は,顕微鏡下でCCDカメラに記録された移動時間から測定する(Fig.1)。
B)測定システム:
顕微鏡のステージにサンプルビン(細胞試料を含む)一毛細管一溶媒ビンの連結を設置した。二つのビンおよび毛細管を電解液で満たした。表面研磨毛細管を顕微鏡の視野に入れた。顕微鏡のヘッドにCCDカメラを設置した。そのCCDカメラには,ビデオテープレコーダおよび画像処理用コンピュータを接続した(Fig.2)。
C)毛細管中の細胞移動の観察・計測:
表面研磨した毛細管内面に顕微鏡のピントを合わせた。2つの炭素電極間の電位差により,その毛細管内を細胞が長軸方向に移動しているのを,顕微鏡下で観察した。毛細管内部に見える細胞移動像を,CCDカメラで撮影した。その像をビデオテープに記録し,被検細胞のみかけの移動速度を測定した。
D)データ処理:
同一個体中の同種遊離細胞の膜電位を次々に多数測定した後,膜電位の分布を調べた。その結果を,正常な細胞および個体における膜電位測定結果と比較して,被検細胞および糖尿病患者個体における病態情報を得た。
2)グリコヘモグロビン(HbAlc)測定:
グリコヘモグロビンAlcを高速液体クロマトグラフィー(京都第一科学,正常域:5.4-7.0%)で測定した。
3)赤血球のクロマトグラフィー:
分離には,内径50μm,全長25.2cm(有効長14.5cm)の溶融石英キャピラリー管を用いた。この石英管の内壁には血球の吸着を防ぐため,牛血清アルブミンのダイナミックコーティングを行った。すなわち,1%アルブミン水溶液をキャピラリー管中に満たし,そのまま10分間放置した。N2ガスにてキャピラリー内の溶液を押し出し,ガスクロマトグラフのオーブン中でN2ガスを通しながら30℃から130℃まで,4℃/minで昇温しキャピラリー管内壁を乾燥させた。
検出は吸光度法を用い,ヘモグロビンの特異的な吸収帯である430nmを検出波長とすることにより,赤血球を選択的に検出した。溶離液としては1%アルブミンを含む生理食塩水を用いた。試料には全血を生理食塩水で50倍に希釈し用いた。
4)全血血液型判定:
原理:キャピラリー管中の全1血に電圧を印加すると,血液成分中の血球成分はその負電荷により陽極へ泳動し,また血液液体成分は電気浸透流により陰極へと泳動する。この現象を利用すると,赤血球と血漿成分とを電圧印加を行うだけで分離することができる。
全血試料を陰極側に,抗体試料を陽極側電解槽にセットし,電圧を印加した。今回の実験では抗体として血液型抗Aおよび抗B抗体を,血液型反応として血球凝集反応を用いた(Fig.3)。
結果
1)赤血球シングルセルの電気移動度分布:
HbAlcの正常域~高値を示す一人の患者の末梢血検体(120検体)中の赤血球移動速度の分布を測定し,HbAlc値との比較を行った。その結果,HbAlcが高値な患者では血球表面電位が低下してくる傾向が認められた。例えば,HbAlcが5.1%(正常域)の患者では,移動度の5-8の血球の分布があったが,HbAlcが8.8%(高値)の患者では移動度が6以上の分布は消失し,移動度1.0前後の分布が出現した。HbAlcがさらに高値の11.1%の患者では,移動度4.0以上の分布は消失し,1.0以下の分布が出現した(Fig.4-6)。
同一人の個々の赤血球移動速度の平均値の分布(n=120人)とHbAlcの分布との相関を検討した。HbAlc値が高値になるにつれて,平均の移動速度は低下する傾向にあった(Fig.7)。
2)赤血球のクロマトグラフィー:
試料を高低差法(高低差10mm,注入時間3sec)によりキャピラリーの陰極側末端へ注入し,3kV(119V/cm)を印加したところ,赤血球は陽極へと泳動し個々のレベルで分離された。得られたエレクトロフェログラムをFig8に示した。赤血球が最も多く出現している32minにおける移動度を算出すると,4.38×10-4cm2secIVlが得られた。また赤血球は22minから41minの間に出現していることから,その移動度は424×104~4.67×10'cm"sec-IV-1の範囲にあることがわかった(Fig.8)。
3)全血試料を用いた新たな迅速血液型検査:
用いた血液試料はnLオーダーであり,極めて少ない。
キャピラリー管中央部を顕微鏡でモニターし,赤血球に対し血液型A,B抗体を作用させたところ,従来法での血液型の結果に一致した凝集が得られた。1血液型判定に要した時間は1件体当たり2-3分であった。
考察
本研究において,新しい細胞表面電位測定のmicro analysis methodを確立した。赤血球は細胞膜表面のシアル酸の解離によって負電荷を帯びている。従って電場下においては陽極方向へ電気泳動を行う。その泳動速度は一一様ではなく,各赤血球の表面状態に従い異なっている。その原因としては,各赤血球の加齢が異なること,病態との関連などがあげられる。我々は,キャピラリー電気泳動法を用い赤血球を個々の細胞レベルで分離し,その泳動時間より個々の赤血球の電気移動度を算出した。細胞を群として取り扱うのではなく,一個一個を微小空間で確実に取り扱えるようにするのが,本研究の進歩の方向である。一個一個の細胞のデータから個々の正常・異常の性格を見いだすとともに,集団の群として性格を捉えることも行った。
糖尿病患者の赤血球膜表面電位からの糖尿病状態の評価:
糖尿病患者の赤血球膜表面電位とそのグリコヘモグロビン値との比較から,新しい糖尿病状態の判定法を提示した。赤血球の表面電位にばらつきがあり,糖尿病患者ではその分布が正常者のものと異なっていることを見いだした。また,HbAlc値が高値(糖尿病コントロールが不良)の症例では,赤血球表面電位の低下が見られた。これにより赤血球膜電位測定が糖尿病性血管障害の合併症の発症時期,発症確率の予期指標となる可能性があると考える。
赤血球のクロマトグラフィー:
赤血球は陰極側から陽極側へと向かい,電気浸透流に逆らって泳動した。膜電位の量に着目した細胞のchromatographyが可能になり,従来からのflow cytometryとは別の細胞分離選別技術を開発できた。この方法は,細胞染色を必要としない。
全血血液型判定:
臨床での血腋型判定は,緊急に必要とされることが多いので,迅速(数分)でしかも個人差のない判定結果が必要である。本法の特徴は,数nLの微量で全血のままでの試料の使用が可能となった点である。これは,毛細管の中で,」血球(表面電荷が負電荷のため,陽極に引かれる)と血漿成分(電気浸透流により陰極側に流される)が自動的に分離される原理を応用したためである。血液型判定結果はビデオテープに記録されているので,後からの判定結果のチェックが容易である。
まとめ
個々の赤血球膜電位を毛細管内で細胞電気泳動と電気浸透流を利用して測定する方法を開発した。個々の赤血球膜電位のデータの分布から個人の赤血球膜電位の像を組み立てた。個人の赤血球膜電位は均一ではなく,分布に幅があった。またその分布幅は疾患(糖尿病)の程度に応じた変化が見られた。キャピラリー管の長さを調節することにより,赤血球のクロマトグラフィーが可能となった。全血試料のままの血液型判定(表試験)が可能となった。その被検血液量は数nLと極めて微量であった。