2008年[ 技術開発研究助成 (奨励研究) ] 成果報告 : 年報第22号

広帯域超音波RF信号を用いた動脈壁ひずみ・弾性率分布の高精度計測

研究責任者

長谷川 英之

所属:東北大学大学院 工学研究科 電子工学専攻 講師

共同研究者

金井 浩

所属:東北大学大学院 工学研究科 電子制御工学講座 教授

概要

1.はじめに
動脈壁の弾性特性は動脈硬化症により大きく変化するため、弾性率など、その機械的特性の非侵襲的計測は動脈硬化症の診断に有用である1)、2)。心拍による血圧変化に伴う動脈壁の微小な厚み変化(ひずみ)を計測し、動脈壁の弾性特性を評価するため、我々は超音波位相差トラッキング法を開発した3)~7)。それにより、頸動脈壁の弾性率分布が非侵襲的に計測可能となり、弾性率分布から動脈壁の組織性状を診断できる可能性を示した8)~10)。
位相差トラッキング法によりひずみ分布を算出する際には、動脈壁内変位の動脈径方向の分布を計測し、径方向の異なる2 点の変位の差からそれら2 点間(これら2 点を層と呼ぶ)の厚み変化(ひずみ)を算出している5)~7)。この2 点のセットを、径方向にシフトさせながら同様の処理を繰り返すことにより、ひずみの径方向分布が得られる。この場合2 点の間隔は使用する超音波パルスのパルス長程度、シフトする間隔はパルス長の数分の1 である。
動脈壁の厚み変化は、数十ミクロンと微小であり、このように微小な厚み変化を、受信超音波の位相を用いて推定するため、推定結果は受信超音波のSN 比の影響を受ける。動脈壁内には、反射超音波の振幅が小さい部位が存在することもあり、径方向2 点のみのデータから厚み変化を算出する場合、その2 点のどちらかにおいてSN 比が低ければ厚み変化を正確に算出できない。
そこで、ある径方向位置の厚み変化を算出する際に、径方向複数点のデータが考慮されるよう厚み変化推定法を改良する。上述したように、従来法において2 点間の距離 (層の厚さ) が、シフト間隔よりも大きいため、ある径方向位置において複数の層が重なる。本研究では、これら重なった層に含まれる全ての受信超音波信号を用いて厚み変化を算出する手法を開発した。
2.原理
2.1 動脈壁の変位・ひずみ推定法
超音波B モード断層像もしくはM モード像を参照し、第1 フレームにおいて2 点x1(1)、x’1(1)の初期位置を手動で設定する(x’1(1)-x1(1)=MLΔx;ML: 2 点間(層)に含まれるサンプル点(受信超音波信号)の数、Δx: サンプル点の間隔)。これらの点の第n フレームにおける位置x1(n)、x'1(n)は、位相差トラッキング法(従来法)により決定される3)。
トランスジューサーからの距離 (径方向位置)d1(n)、d’1(n)に存在する2 つの反射体間の距離変化(厚み変化)は、以下のように推定できる。第n フレームにおける2 つの反射体からの反射波の位相θ1(n)、θ’1(n)は、距離d1(n),d’1(n)に依存する。したがって、それら位相の差θh(n)=θ’1(n)-θ1(n)は、2つの反射体間の距離h(n)=d’1(n)-d1(n)に依存する。
このことから、第n フレームと第n+1 フレーム間における2 つの反射体間の距離変化速度 (厚み変化速度) vh(n)は次式で得られる。
Bモード断層像もしくはMモード像を参照して設定した2 点x1(1)、x’1(1) が、d1(1)とd’1(1)にある反射体からの反射波のパルス幅内にある場合、位相差θh(n) は、x1(1)、x’1(1) における反射波の直交検波信号 (複素信号) z(n; x1(n))、z(n; x’1(n))を用いて(3)式のように表される。
ここで、∠は複素数の位相を表す。本研究では、βに関する複素相互相関関数γh(n; x) を(4)式により算出する。
ここで、ML は複素相関関数を算出するために使用するサンプル点の数であり、使用した超音波パルスの-20 dB 幅をもとに決定した。
複素相関関数の位相∠γh(n; x)は、2 点d1(1)、d’1(1)間の距離に対応する位相Δθh(n)=θh(n+1)-θh(n)となる。複素相関関数の超音波ビーム方向(径方向)の空間分布を算出するため、(4)式の複素相関関数γh,m(n; x)を、径方向の他の2 点xm(1)、x’m(1)の組み合せについても算出する。この際、層の厚さx’m(1)-xm(1)=MLΔx は一定である。
ここで、MT は動脈壁の厚さをもとに手動で設定される層の数である。
以上の処理において、層の厚さMLΔx は標本点の間隔Δx よりも大きいため、ある径方向位置xにおいて複数の層が重なる。そこで、これら重なった層の複素相関関数を平均することで、空間的にコンパウンドされた複素相関関数 を(6)式により算出する。
ここで、MO(x)は径方向位置x において重なっている層の数である。最終的に算出される厚み変化には、受信超音波の強度に関する情報は含まれないため、厚み変化をコンパウンドしても振幅が小さい信号(=SN 比が低い信号)をもとに算出した厚み変化の寄与は低下しないが、反射波の振幅情報を含む相関関数をコンパウンドすることで、SN 比が低い信号の影響を低減できる。
コンパウンドされた厚み変化速度 は、(2)式に基づき次式により算出される。
さらに、コンパウンドされた厚み変化Δh (n; x)は次式により得られる。
径方向位置xm(1)における弾性率Ehθ,m は、推定された厚み変化から次式により得られる8)。
ここで、rm とh0 はそれぞれ、第1 フレームにおけるxm(1)での曲率半径と動脈壁全体の厚さである。また、Δp と| |max m Δh はそれぞれ、内圧変化とxm(1)における厚み変化量 の最大値である。
2.2 実験システム
図1 は実験システムの模式図である。動脈内の圧力変化は拍動流ポンプにより発生させた。ポンプの汚染を防ぐため、血管内の生理食塩水は、ポンプ内を流れる液体とゴムの膜により分離されており、圧力のみが動脈内に伝搬するようになっている。内圧変化は圧力センサを内蔵したカテーテルにより計測される。
超音波計測においては、超音波診断装置(Toshiba, SSH-140A)の7.5 MHz のリニア型プローブを使用した。受信波の直交検波信号は10 MHzでサンプリングされる。フレームレートは200 Hzである。
3.in vitro 実験結果
閉塞性動脈硬化症患者の手術の際に摘出された腸骨動脈8 例、大腿動脈10 例を用いてin vitro実験を行い、動脈壁を構成する組織要素ごとに弾性率分布を検討した。
図2(a)は動脈のB モード断層像の一例である。血管後壁外側からの強い反射波は、計測断面を同定するために血管外側に設置した針である。血管後壁に関して、内腔に印加した圧力変化に伴う壁内の厚み変化分布を計測した結果を図2(b)と2(c)に示す。従来法による推定結果を示す図2(b)では、厚み変化分布の分散が非常に大きいのに対し、提案法による推定結果を示す図2(c)では、血管内圧の上昇により血管径が拡張し、壁の厚さが薄くなるという変化が明瞭に描出されており、分散も小さい。
図3(a)は、図3(c)に示した厚み変化の最大値と内圧変化の最大値から(9)式に基づき算出した弾性率分布である。超音波計測後に作製した同じ断面の病理組織像(図3(b))を参照し、この例では線維組織(平滑筋と膠原線維の混合組織)を同定した(図3(a)と3(b)の線で囲まれた領域)。図3(a)の弾性率断層像において対応する領域の弾性率分布を抽出した結果を図3(c)に示す。本例の線維組織の弾性率が0.2~1 MPa 程度に分布していることが分かる。このような処理を、他の17 例の動脈についても適用し、脂質、血栓、線維組織、石灰化組織の弾性率分布を得た。
図4 は、従来法により得られた(a) 脂質、(b) 血栓、(c) 線維組織、(d) 石灰化組織の弾性率分布である。各組織の弾性率の平均と標準偏差はそれぞれ、脂質67±37 kPa、血栓105±76 kPa、線維組織989±1359 kPa、石灰化組織1292±839 kPa であった。脂質と血栓に比べ、線維組織と石灰化組織は弾性率が大きい(硬い)ことが分かる。しかし、脂質と血栓、線維組織と石灰化組織の間には弾性率分布の違いはほとんど見られなかった。
図5 は、提案法により得られた(a) 脂質、(b) 血栓、(c) 線維組織、(d) 石灰化組織の弾性率分布である。各組織の弾性率の平均と標準偏差はそれぞれ、脂質89±47 kPa、血栓131±56 kPa、線維組織1022±1040 kPa、石灰化組織2267±1228 kPa であった。図4 に示した従来法による計測結果に比べ、提案法を用いることにより厚み変化の計測精度が向上し、脂質と血栓、線維組織と石灰化組織の間の弾性率の差異が拡大している、つまり、弾性率計測による組織弁別能が向上していることが分かる。
4.まとめ
近年、社会的な問題となっている心筋梗塞・脳梗塞などの循環器疾患は、動脈硬化病変 (プラーク) が直接内腔を閉塞するのではなく、プラークの破綻により形成された血栓が破綻部位の内腔もしくは末梢の血管を閉塞することにより発生するということが明らかになってきている。したがって、従来のようなプラークの形状に関する診断ではなく、プラークの機械的特性を評価し、その易破裂性を診断することが重要である。動脈壁の局所弾性特性を評価し、動脈硬化症を高精度に診断するためには、動脈壁局所の微小なひずみ(厚み変化)を高精度に計測する必要がある。本研究では、動脈壁からの反射超音波の位相を用いて微小なひずみを計測する手法の開発を行った。開発した手法の評価を行うために、摘出血管を用いたin vitro 実験において、提案手法により計測された弾性率分布と、計測部位の組織性状との対応を検討した。その結果、提案法により描出された動脈壁の弾性率分布は、組織性状を反映していることが示された。これらの結果から、提案法を用いて動脈壁の弾性率分布を計測することにより壁の組織性状を非侵襲的に診断できる可能性が示された。