2016年[ 科学教育振興助成 ] 成果報告

定時制高等学校における抗体の有用性と応用面を理解するための教材開発

実施担当者

根岩 直希

所属:大阪府立桜塚高等学校 定時制の課程 教諭

概要

1 はじめに
 文部科学省による平成23年度の調査では、高等学校定時制の課程に在籍する生徒の約40%が「勉強が嫌いである」と回答しており、学習意欲の低さが大きな間題となっている。
 しかし、高等学校定時制の課程は、若い頃に学ぶ機会がなかった高齢の生徒や、人間関係によるトラブルまたは健康上の理由によって小中学校に登校できず、その結果、十分に学ぶことができなかった生徒等にとっての「学び直し」の場としても機能している。大阪府立桜塚高校定時制の課程においてもそのような状況があるため、生徒間の学力差や意識の差が非常に大きくなっており、教員には授業内容や指導方法のエ夫がより一層求められている。本計画においては、高等学校定時制の課程に在籍する生徒の興味関心や理解を高めるための教材と授業の開発を日ざし、免疫分野における抗体の活用に着目した。
 私達の身の回りには様々な細菌やウイルスが存在しており、それらが体内に侵入すると病気を引き起こす恐れがある。免疫とはそのような病原菌から体を守るための仕組みであり、そこには白血球や抗体などの様々な細胞や物質が関わっている。免疫のしくみについては『生物基礎』の「生物の体内環境」の単元において扱われており、自らの健康と直接関わる分野であるため、生徒も興味を持ちやすいと考えられる。免疫の分野では自然免疫と獲得免疫のそれぞれの仕組みについて解説されており、その中でも獲得免疫においては、主として働く抗体について、その性質や機能、生産の過程、血清療法への応用等が記載されている。また、この分野における実験実習としては昆虫やブタの血球を用いた白血球による食作用の観察が記載されていることが多い。このように抗体の基本的な性質については記載があるが、医薬品や実験ツールとしての応用面や高等学校において実施可能な抗体を用いた実験については触れられていない。
 抗体はモノクローナル抗体の発見やキメラ化、ヒト化などの様々な技術革新を経て、がん等の疾病に対して有効な医薬品になることが明らかになり、抗体医薬品として注目を集めている。現在、世界では50近い抗体医薬品が承認されており、今後もさらに研究が進むことでより多様な疾患に対して有効な治療薬となることが期待されている。また、抗体はその性質から大学等の研究機関では実験のツールとして用いられており、免疫染色やウェスタンブロッティング、免疫沈降等がその代表的な実験の例である。
 このような抗体の医薬品としての応用面を学ぶとともに、抗体を用いた実験を体験することは、抗体に対する理解を高めるとともに生物学や研究への輿味関心を高めるのではないかと考えられる。
 抗体を用いた高等学校での授業実践の報告としては、本橋晃による市販の抗体を用いたオクタロニー法による抗原抗体反応の観察等があるが叉免疫分野における抗体を用いた実験は、現状としては未だ少ない。その理由の一つとして、実験に用いる蛍光顕微鏡等の機材が非常に裔価であること等が挙げられる。本計画では、抗体を用いた実験手法の一つである免疫染色を授業の中で取り上げ、比較的安価な実験器具を用いることで免疫染色を疑似的に体験し、より多くの生徒が抗体の性質を理解するとともに、抗体の実験ツールや医薬品としての応用面についても興味を持つことをめざして授業実践を行った。


2 方法
2-1 材料
 免疫染色を行う試料としてはイトマキヒトデ(Pactiria pectinifera)の幼生であるビピンナリア幼生を用い、抗体はビピンナリア幼生の胚を抗原として作製したモノクローナル抗体を1次抗体として用いた。これらの試料は大阪教育大学の出野卓也教授より譲渡して頂いたものを使用した。
2次抗体にはAlexa Fluor 488蛍光標識抗体を用いた。また、実験器具として、マイクロピペッターや蛍光励起用LED落射照明装謹(株式会社美舘イメージング)を用いた。

2-2 授業実践
 平成29年2月に、大阪府立桜塚高等学校定時制の課程の「生物基礎」受講者を対象として、「生物の体内環境」免疫分野のまとめの授業として実践を行った。授業では抗体の性質と医薬品や実験ツールとしての応用面について確認し、免疫染色の原理を理解した上で、実験操作と観察を行った(図1)。
 実験ではまずはじめに顕微鏡でビピンナリア幼生の観察を行い、通常の生物顕微鏡での観察像を確認した。
 その後、マイクロピペッターの操作方法を確認した後、試料と1次抗体を反応させ、その後に試料と2次抗体の反応を行った(図2)。
反応後、蛍光励起用LED落射照明装置を光源として試料をデジタル顕微鏡で観察し、観察結果を電子黒板で共有した(図3)。
 本実験は免疫染色の疑似体験であるため、実験操作は免疫染色の実際の操作に近づけたが、授業時間内で操作を終えるために試料と抗体の反応時間は短時間とした。
また、本実験の観察結果とともに蛍光顕微鏡によって観察し、撮影した写真も電子黒板により共有した。
 授業の最後に質間紙調査を行い、生徒の理解や興味関心にどのような効果があったのかを検証した。質間紙調査では「①抗体の性質についてよく理解できた」、「②抗体が医薬品など様々なところで活用されていることを理解できた」、「③抗体や医薬品などについて興味がわいた」、「④これからも生物学や医薬品について学びたいと思った」の4項日の質問に対して「あてはまる」、「だいたいあてはまる」、「あまりあてはまらない」、「あてはまらない」の4件法で回答を求めた。また、これらの質間に加えて自由記述により授業の感想を求めた。


3 まとめ
 質間紙調査の結果を図4に示す。「①抗体の性質をよく理解できた」という質間に対して70%以上の生徒が肯定的な回答を示しており、本実験を通して、生徒の抗体の性質に対する理解が高まったことがわかった。抗体には特定の抗原にのみ結合するという性質があるが、免疫染色を疑似的に体験し、ビピンナリア幼生の一部だけが染色された写真を観察することで、抗体がもつ特異性が視覚化されたためであると考えられる。また、「②抗体が医薬品など様々なところで活用されていることを理解できた」と「③抗体や医薬品などについて興味がわいた」という2つの質間に対しては、過半数の生徒が肯定的な回答を示していることから、生徒の抗体の医薬品等への応用面に対する理解や興味関心も高まっていることがわかった。
 自由記述の中に「もとから医薬品とかに興味があったのでとても楽しかったです。どうなるかワクワクして実験できました」、「あんな風にして実験をして医薬品など作る事がわかりました」「もっと医学が進歩したらいいなと感じました」「薬ってすばらしい」など、医薬品としての応用に関する感想が非常に多かったことも、この結果を裏づけている。以上のことから、抗体の性質だけでなく、抗体医薬品という医薬品としての応用面についても伝え、体験させることが、より教育効果を高める可能性があると考察する。
 このように、理科の授業においては、生徒が科学と日常のつながりを感じることができるように教材と授業を工夫することが重要であると考える。「④これからも生物学や医薬品について学びたいと思った」という質問に対して、過半数を超える生徒が肯定的な回答を示していることから、本計画の目的であった高等学校定時制の課程に在籍する生徒の学習意欲を高めるという目標を達成することができたと考えている。
 本実践を通して『生物基礎』の「生物の体内環境」免疫分野における免疫染色の疑似的な体験を実施したが、これにより生徒の理解や興味関心が高まる可能性が示唆された。今後も本計画を進める上で用意した実験機器を活用し、生徒の理解や興味関心が高まる実験や授業を開発することをめざしていきたい。

(注:図/PDFに記載)