2014年[ 科学教育振興助成 ] 成果報告

好適環境水による魚の遺伝学的・生理学的変化を調査する。

実施担当者

遠藤 直哉

所属:福島県立福島高等学校 教諭

概要

1.はじめに
校舎倒壊から 4 年が経ち、今年度の夏にやっと新校舎が完成した。しかし、福島県は今回の震災によって地震・津波被害だけではなく放射能汚染による被害も受けてしまい、特に一次産業は壊滅的な状況にあり、水産業に関しては海洋汚染もさることながら風評被害も相まって海洋漁業、内水面漁業ともに復興の兆しが見えていない。
福島高校では震災の翌年に、高校生の力で福島の復興を進めるという事業、「福島復興プロジェクト」が始まった。希望生徒 50 名でスタートしたこの事業において、被災地見学や被災住民、被災企業の方からの聞き取り調査を進めながら、本校生メンバーは複数の復興企画を作成した。その中の一つに土湯魅力創造プロジェクトがある。内容は、震災によって観光客が激減し廃業する旅館も多数現れてしまった地元土湯温泉を、地熱という次世代エネルギー源を活用して、今までにない価値を創造して復興させようというものである。
1つは地熱を利用した南国フルーツの栽培で、二つ目が地熱を利用した魚の養殖である。南国フルーツの栽培は、温泉街の協力を得て地熱を用いたビニールハウスをすでに建設しミラクルフルーツの栽培を始めている。養殖に関しては、岡山理科大学の山本先生が開発した好適環境水を利用した研究を、岡山理科大学・福島高校・東北大学の共同研究という形で今年度スタートすることができた。その研究に際し、魚の飼育環境の整備に貴財団の助成金を活用させていただいた。その研究内容について報告する。なお、この研究は、平成 26 年度日本魚類学会 高校生ポスター発表部門で最優秀研究賞を受賞した。


2.研究の要旨
本研究によって、細胞内ストレス因子であるヒートショックプロテイン(Hsp70)の遺伝子発現量が好適環境水飼育下では減少していることが確認された。また、鰓の組織観察では、好適環境水で生育するほど二次鰓弁(水から酸素を取り込む部分で、肺で言えば肺胞のようなもの)が細くなる傾向が見られた。さらに、それを裏付ける酸素消費量も大幅に減少しており、これらのことから好適環境水には硬骨魚類の浸透圧ストレスを減少させ、それに合わせて呼吸器官にも形態的な変化を生じさせる可能性があることがわかった。特に、酸素消費量が大幅に減少しているという結果は、魚がより効率的な代謝を行っているということを示している。元々変温動物で哺乳類に比べて圧倒的に増肉係数(魚体 1kg 増加させるのに必要な餌の量)が低い魚類において、養殖におけるこの好適環境水の使用は今後の食糧危機などにも対応する新しい技術として非常に有望なものであることがわかった。


3.研究の動機
好適環境水は塩分濃度が海水の約 4 分の 1 程度に調整されていて、好適環境水下で飼育したトラフグやヒラメでは人工海水で飼育した場合より成長が早くなることが分かっている。
海水で生きるトラフグやヒラメなどの硬骨魚類は、浸透圧の差から水分の吸収と塩類の排出とを常に行っており、逆に淡水魚では体内に浸透する水の排出と体内から流出する塩類の吸収とを行っている。そのため、この調節には多くのエネルギーを使っており、それは浸透圧ストレスとなっているはずである。好適環境水で飼育された魚の成長が早くなるのは、この浸透圧調整に使用されるエネルギーが必要なくなる分、成長に回されるためではないかと考えられている。しかし、生理的観点からの研究はまだ行われていなかった。そこで、私たちは好適環境水飼育下での魚の生理学的な変化を研究し、魚の体内で何が起きているのかを明らかにしたいと考え、研究を開始した。


4.実験概要及び使用個体
今回私たちは次の1~3までの実験を行った。
(1)酸素消費量の比較
(2)鰓の塩類細胞の観察
(3)Hsp70 遺伝子発現量の比較
実験個体として、2013年秋に高知県の養殖場で生まれたマダイの稚魚を用いた。まずは人工海水で飼育し、実験を行うときに好適環境水に移して変化を見た。


5.実験詳細と結果
(1)酸素消費量の比較
学校で人工海水と好適環境水の二種類を用いてマダイを飼育していた。そのとき、好適環境水で飼育しているマダイは人工海水で飼育しているマダイに比べて口の開閉の回数が少なくなり開閉の上下の動きも小さくなっていることに気づいた。そこで、新たにマダイを数匹、人工海水から好適環境水に移し注意深く観察したところ、個体によっては1日目で開閉頻度に変化が現れることが分かった。マダイは常に口を開閉しているが、その理由は口の開閉と鰓蓋の開閉を組み合わせることで鰓に常に新しい海水を通し、酸素を得るためである。この事実を踏まえ、私達はマダイが好適環境水に移されたことで浸透圧調整のためのエネルギーが必要なくなり、マダイのエネルギー要求量が人工海水飼育時に比べて少なくなるのではないかと考えた。そこで、好適環境水飼育下では酸素消費量が減少しているのではないかとの仮説を立て、次の実験を行った。

仮説
浸透圧調節を行う必要がないならば、エネルギー消費量も少ないはず。そうであれば、酸素消費量も少ない。

実験
人工海水で飼育したマダイ4匹を用い、溶存酸素量の変化をみた。その後、好適環境水に移し3 日後に同様の測定を行った。密閉した容器の中にマダイと、人工海水または好適環境水を極力空気が入らないようにいれ、溶存酸素量を測定した。溶存酸素量が 7.7mg/L から測定を開始し、溶存酸素量が 6.0mg/L になるまで測定を行った。そのデータから単位時間あたりの酸素消費量を求めた。

結果
溶存酸素量の減少度は、好適環境水群で明らかに少なくなった。好適環境水で飼育したマダイは、人工海水群に比べ酸素消費量が約 35%減少していた。

(注:図/PDFに記載)

(2)鰓の塩類細胞の観察
私達が生理学的調査をするにあたって、人工海水から好適環境水へマダイを移動したときに形態が変化すると予想できる器官が無いか調べてみたところ鰓の塩類細胞に変化が起きている可能性に気づいた。塩類細胞は主に硬骨魚類における体内の塩類の調整に重要な役割を果たす細胞である。この細胞は、淡水魚では周りの水から塩類を吸収するように働き、海水魚では体内から塩類を排出するように働いているが、これまでウナギなどの海水でも淡水でも飼育が可能な魚類を用いて行われた実験で、海水から淡水へ移動したときに、塩類細胞の大きさが小さくなることが確認されていた。そこで、塩類濃度が海水の約 4 分の 1 である好適環境水にマダイを移したときには、塩類細胞が小さくなるような変化が見られるのではないかと考え、次の実験を行った。

仮説
浸透圧調節を行う必要がないならば、体内の塩類濃度を調節する塩類細胞は小さくなる。

実験
人工海水で飼育したマダイ3匹と好適環境水で飼育したマダイ(2週間と5週間それぞれ2匹ずつ)の鰓の組織を用い、次のことを行った。
①マダイを解剖し、それぞれ鰓を摘出する。
②ブアン固定液に約 12 時間つける。
③70%アルコール-80%アルコール-90%アルコール-95%アルコール-100%アルコール-無水アルコール-キシレン×2 の順にそれぞれ 30 分ずつ組織を浸す。
④パラフィンに 1 時間入れ、その後バラフィン包埋にする。
⑤パラフィンの不要な部分を削りミクロトームを用いて 4μm の厚さにスライスする。
⑥アルブミンを少量伸ばしたプレパラートに純水を少量注ぎ、その上に⑤で作成したパラフィンの薄層をのせる。
⑦その後ヘマトキシリン・エオジンを用いて染色し、双眼実体顕微鏡で観察した。

結果
(注:図/PDFに記載)

今回の染色方法では塩類細胞とほかの細胞を明確に区別することはできなかったため、塩類細胞の変化を観察することはできなかった。しかし、二次鰓弁の太さに違いがあるように見え、実際に太さを計測し、平均をとりグラフ化したところ、次のグラフが得られた。

(注:図/PDFに記載)

(3)Hsp70 遺伝子発現量の比較
私達は研究を始めた当初、好適環境水飼育下で変化する事柄にについていくつか予想を立てていた。実験(2)で観察した塩類細胞は塩分を能動的に輸送するときに Na+/K+-ATPase を用いている。そこで、発現する Na+/K+-ATPase の量は塩分の輸送が活発であれば増加し、逆に塩分の輸送の必要性が少なくなれば発現量は減少すると考えた。海水下に比べて塩分調節の必要が少ない好適環境水下で飼育したマダイでは Na+/K+-ATPase の発現量が減少するのではないかと仮説を立て、発現量の比較を行うことにした。東北大学農学研究科遺伝学教室の中嶋先生に相談したところ、リアルタイム PCR 法を用いるのが簡便で確かなデータが得られるということで、この方法での準備を開始した。ところが、マダイのNa+/K+-ATPase の遺伝子配列は遺伝子バンクに登録されていないことが分かり、この遺伝子でのリアルタイム PCR 法は行うことができなかった。そこで、浸透圧変化に関わりそうなストレスタンパク質であるヒートショックプロテインHsp70 遺伝子の発現量を比較することにした。Hsp70 は分子シャペロンの1つで、熱などのあらゆるストレスを受けたときに発現量が増加する。そこで、Hsp70 遺伝子の発現量を調べることで、好適環境水下でのマダイへの浸透圧ストレスの変化を見ようと考えた。

仮説
浸透圧ストレスが減少することで Hsp70 遺伝子の発現量も減少している。

実験方法
人工海水で飼育したマダイ3匹と好適環境水で飼育したマダイ(1週間と4週間それぞれ2匹ずつ)から RNA を抽出し、cDNA を作成して、リアルタイム PCR 法を用い Hsp70 の発現量を比較する。どの細胞でも発現量が一定であるとされるβアクチン遺伝子の発現量を基準とし、Hsp70 遺伝子の発現量を人工海水飼育群と好適環境水飼育群で比較した。

結果
好適環境水に移してから、一週間、一ヶ月と経つにつれ、Hsp70 の発現量が減少していた。

(注:図/PDFに記載)

このグラフは人工海水群の Hsp70 遺伝子発現量を1とした時の相対値である。

6.考察
(1)酸素消費量は好適環境水飼育下で予想以上に減少していた。仮説どおりエネルギー消費量が少なくなっていると考えられる。岡山理科大学の研究では、それにもかかわらず好適環境水飼育下では成長が早く、1ヶ月で体重が海水飼育下に比べて 10%も増えることが分かっている。そのことも踏まえると、好適環境水飼育下ではエネルギー消費が非常に効率的に行われていると考えられる。このことからも、好適環境水は養殖に用いる水として、とても優れていると言える。

(2)今回の染色法では塩類細胞を識別できず、その大きさを比較できなかった。塩類細胞の抗体染色を行っている研究機関があることが分かったので、今後は抗体染色で塩類細胞の変化を検証したい。しかし、二次鰓弁の太さは好適環境水飼育下で細くなっていることが分かった。酸素取り込み量が少なくなることから細くなるのではないかという新たな仮説も立つので、それを検証すべく、今後は太さが変化する原因や意義を検討したい。

(3)好適環境水飼育下では、Hsp70 の発現量が時間とともに減少することから、「好適環境水飼育下では魚のストレスが減少している」と考えられる。Hsp70 はストレスホルモンであるコルチゾールと関わっており、細胞分裂にも影響を与えることが分かっている。このことと成長が早いこととの関連を、細胞増殖因子である IGF や細胞分裂活性化タンパク質である MAP キナーゼなどを調べることで明らかにしていきたい。また、今回の研究において、魚類の遺伝学的な研究が進んでいないことがわかった。そこで、今後は私たちがNa+/K+-ATPase などの遺伝子構造解析(DNA シーケンス)を行って、魚類における遺伝子の基礎研究を進めてきたいと考えている。


7.課題研究まとめ
好適環境水飼育下ではエネルギー消費量が大きく減少し、鰓の二次鰓弁の形態は、好適環境水飼育下に移されると時間とともに細くなっていく。また好適環境水飼育下では魚の受けるストレスが減少している。今後の展望としては、酸素消費量の実験において仮説どおりの結果が得られたことから Na+/K+-ATPase 活性や成長にかかわるホルモン分泌量の研究を行いたい。しかし、現時点ではマダイの Na+/K+-ATPase や IGF、MAP キナーゼ等の遺伝子配列は登録されていないため、近縁種の配列からプライマーを設定して実験を行いたい。また、それぞれの実験において個体数を増やした追従実験や、他の魚種でも同様の調査を行い、詳細なデータを取る予定である。
最終的には、基礎データを揃えた上で地熱を利用した新しい養殖事業を福島県に導入したいと考えている。地元温泉街の新しい魅力として、福島の復興の礎になればと考えている。(生徒研究)