2017年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報30号補刷

多数の単一細胞の力学刺激応答の計測・観察に使用可能な分散型細胞刺激マトリックスデバイスの開発

研究責任者

南 和幸

所属:山口大学大学院 理工学研究科 システム設計工学系専攻 教授

概要

1. はじめに
細胞は周囲の変形や力学的刺激を、接着斑を通して感知し、それに対応して様々な応答をしていると考えられている。周囲の環境に対する細胞応答の解明は、純粋に生物学的な細胞機能の理解という視点からだけではなく、医学的には再生医療における細胞から組織・臓器を再構築するための手法の開発、工学的には生体を真似たバイオミメティックな機械の実現などの視点からも切望されている課題である。これまで変形可能なフィルム上で細胞を培養して引張変形を与えたり、さらに変形が容易なシリコーンゴム製の微小柱の2次元配列上で細胞を培養し、微小柱の傾きから接着斑に発生する細胞の牽引力を測定するなどの試みが行われているが、リアルタイムで細胞内の変化を捉えるには実験手法が不十分であり、実験手法ならびに実験装置の高機能化が望まれている。
筆者らは、細胞を培養し、引張変形を与えて細胞刺激を行う細胞伸展マイクロデバイスを開発している。これは、培養ディッシュの底に細胞培養用のシリコーン製マイクロチャンバーを 6 個配列したものであり、細胞に伸展刺激を与えた際の細胞内 Ca2+の変化を捉えることに成功している。しかし、アクチンフィラメントの形成状態を観察する研究においては、遺伝子導入法による蛍光標識を行っているため、遺伝子が発現している細胞が面積の小さいマイクロチャンバー上に存在する確率が低いという問題がある。そこで、本研究ではディッシュ上に培養した多数の細胞に対して、それぞれ伸展刺激を与えた際の細胞応答を顕微鏡観察により計測することを可能にするため、ディッシュ底面上に伸展可能なマイクロチャンバーと伸展機構をマトリックス状に配置した細胞伸展マイクロデバイスの開発を試みた。新たな構造を設計し、製作プロセスを開発して試作を行い、 試作したデバイスで培養細胞の観察を行って試作デバイスの機能の確認を行った。

2.マイクロチャンバーアレイを備えた細胞伸展マイクロデバイス
2.1 デバイスの概要
図1に本研究で製作するデバイスの概略図を示し、図2に細胞伸展マイクロチャンバーアレイの断面図を示す。図1に示すように、カバーガラス上に134 個の細胞培養用マイクロチャンバーがマトリックス状に並んでおり、そのカバーガラスが細胞培養用ディッシュ底面に貼り付けられている。細胞を培養するチャンバー部は、シリコーン製であるため伸縮性を持っている。そのため、可動部を動かすことによりチャンバーを引っ張ることでチャンバー部に接着した細胞に伸展刺激を与えることができる。図2に示すように、チャンバー部を引っ張る際に使用する構造体は、マイクロチャンバーが接続されると共にカバーガラスに固定された固定部と、マイクロチャンバーにのみ接続された可動部からなり、透明な厚膜レジスト SU-8 で製作される。チャンバーは透明であるため、ディッシュの底面から倒立型光学顕微鏡によりチャンバー上の伸展刺激を受けた細胞をリアルタイムで観察することが出来る。

2.2 作動方法
図3に、細胞に伸展刺激を与える際の細胞伸展 マイクロデバイスの作動方法を示す。(a)が伸展前 のマイクロチャンバーである。伸展させる時には、(b)のように SU-8 構造体の可動部にプローブを接触させ、プローブにより可動部を横方向にスライドさせて、片方のマイクロチャンバーを伸展させる。

2.3 デバイスの製作
これまでの細胞伸展マイクロデバイスのシリコーン製マイクロチャンバーの製作には、シリコーンの鋳型を用いたモールディング技術を用いていた。間隔の離れた 6 個程度のマイクロチャンバーであれば、このモールディング技術で製作可能であるが、134 個を密に配列したマイクロチャンバーの製作は不可能で有り、新たな製作プロセスの開発が不可欠であった。そこで通常の微細加工で用いられるフォトリソグラフィ技術を応用することを試みた。図4にマイクロチャンバーの製作も含んだ細胞伸展マイクロデバイス全体の製作プロセスを示す。本デバイスは、シリコーンエラストマー(KE-106、信越化学工業(株))と厚膜フォトレジスト(SU-8 3050、日本化薬(株))を用いて製作する。詳細を以下に述べる。まず、洗浄したカバーガラスに犠牲層となる厚さ 2000Å の Ge をスパッタで成膜し、フォトリソグラフィでパターニングする(図4(1))。次に膜厚 10μm のポジレジスト OFPR-800(東京応化工業(株))をスピンコートにより塗布し、チャンバー部を露光する(図4(2))。続いて、チャンバー部以外の OFPR については、チャンバー部の外側に幅 50μm の壁が残るパターンのマスクを用いると共に、露光時間を短くして底面を未露光部として残しておく(図4(3))。これは、チャンバー部のシリコーンとチャンバー外に塗布された不必要なシリコーンとのつながりを切断し、不必要なシリコーンを OFPR と共にリフトオフによって除去するためである。次に、OFPR を現像・リンスし、スピンドライする。これにより OFPR の鋳型が出来上がる(図4 (4))。シリコーンを OFPR の鋳型の上にスピンコートによって塗布し、硬化させる(図4(5))。シリコーンの設計膜厚は 5μm である。その後、OFPR を除去するとともに、不要なシリコーンをリフトオフで除去する(図4(6))。プローブを当てる厚膜フォトレジスト SU-8 構造体は、まず膜厚 50μm の SU-8 をスピンコートで塗布し、構造体の土台部となる部分を露光する(図4(7))。続けて膜厚50μm の SU-8 を前回塗布した SU-8 上にスピンコ ートで塗布し、プローブを押し当てる構造体とな る部分を露光する(図4(8))。その後、SU-8 を現像・リンスする(図4(9))。次に、底面に直径 14mm の丸穴があいた直径 35mm のポリスチレン製培養ディッシュに、チャンバーアレイを製作したカバ ーガラスをシリコーン KE-441-T(信越シリコーン、信越化学工業(株))を用いて、水漏れが無いよう に接着する。最後に Ge 犠牲層のエッチングを行い、シリコーン製マイクロチャンバーと可動部のSU-8 構造体を浮かせることで細胞伸展マイクロデバイスが完成する(図4(10))。なお、シリコー ン製マイクロチャンバーの厚さ制御のため、スピンコート条件とシリコーン原液の粘度を下げる ためのキシレン混合比を検討した。シリコーン膜の硬化後の厚さと不要なシリコーンを除去する ための段切れ易さを評価した結果、シリコーンと キシレンの混合は重量比 1:1、スピンコート条件 は回転数 600 rpm×時間 10 sec+回転数 3500 rpm×時間 40 sec を用いることにした。

(注:図/PDFに記載)

3.マイクロチャンバー製作結果
図5にマイクロチャンバー製作後のマイクロチャンバーの光学顕微鏡写真を示す。ポジレジスト OFPR のリフトオフにより、不要なシリコーン膜が除去され、Ge 膜状に短冊状のマイクロチャンバーが形成されていることが分かる。
マイクロチャンバーの加工精度は、細胞に伸展刺激を与えたり、光学顕微鏡で観察する際に影響するため、製作後のチャンバーの立体形状・寸法の評価が必要である。シリコーンは非常に柔らかいため、非接触で形状を測定できなければならない。そこで、レーザ顕微鏡(LEXT OLS4000 、OLYMPUS)を使用してチャンバーの断面プロファイルを測定した。なお、レーザ光の反射率を高くするため、製作後のチャンバーに Al を 500Å 堆積させてから測定した。図6にマイクロチャンバー上におけるレーザ顕微鏡用いた断面プロファイル測定箇所を示す。各測定箇所における断面プロファイルの測定結果を図7に示す。図7より、縦横のどちら方向にも OFPR の鋳型の壁付近ではシリコーンの膜厚が厚くなっていることがわ かった。これは、硬化前のシリコーン原液が、表 面張力によって OFPR の壁に引き寄せられて壁 を這い上がったことが原因と考えられる。今後はこの形状が実際の細胞観察に及ぼす影響を明ら かにすると共に、表面張力の影響を抑制したプロ セスの開発を進める予定である。
マイクロチャンバー製作の均一性を評価するため、製作したデバイス全体に分布するマイクロチャンバー部の膜厚を測定した。図8に測定位置を示す。134 個のチャンバーから 13 個を選択し、図6に示す A-A’断面の平坦になっている最小膜厚の値を断面プロファイルより求めた、その結果を表 1 に示す。表 1 より、膜厚のバラツキが大きいことが分かる。今回測定した 13 個のチャンバー中、目標膜厚 5μm から±1μm 以内に入る物が 5 個であり、全体の 40%であった。バラツキ発生の原因として、シリコーンをスピンコートによってOFPR の鋳型に塗布するため、鋳型内にシリコーンが多く残る箇所と残らない個所が存在してしまい、基板上に配置したチャンバー部の膜厚分布に差が生じたと考えられるが、中心部と外周部の違いなどの傾向は見られなかった。スピンコート時の気泡の巻き込みが疑われたため、脱泡などのプロセスを追加して製作を試みたが、明確な改善は得られなかった。設計値の膜厚 5μm から外れたマイクロチャンバーでも実際の細胞観察には支障は出ない可能性があるが、信頼性の高い製作プロセスの確立はやはり必要であり、さらなるプロセス条件の検討が今後の課題である。

4.マイクロデバイスの試作と駆動実験
前章で目標膜厚に近いマイクロチャンバーが製作できたため、SU-8 を用いて可動部、固定部をチャンバー部に製作し、ディッシュに貼り付けて細胞伸展マイクロデバイスを完成させた。マイクロチャンバーの伸展動作の確認を行うため、ディッシュ内に純水を入れた状態で倒立型位相差顕微鏡(CKX-41、OLYMPUS)によって観察しながら駆動実験を行った。チャンバーの可動部の駆動には、プローブ(針)を可動部に位置決めした後、微動させる必要がある。このため、ピエゾ素子を用いる微動装置を備えた XYZ ステージを使用した。XYZ ステージの調整によりプローブの先端を細胞伸展マイクロデバイスの可動部に接 触させた後、ピエゾ素子に電圧を印加することで プローブを横方向へ動かした。観察写真を図9に示す。図9の(a)に伸展前の観察写真を示し、(b) にプローブによってマイクロチャンバーを伸展 させた後の観察写真を示す。図9の観察写真より、可動部をプローブにより動かすことで、チャンバ ー部が約 80 μm(ひずみ 10%)伸展することを確認した。
次に実際に細胞培養を行い、細胞のマイクロチャンバーへの接着性や細胞観察像の鮮明さなどの検証を行った。使用した細胞は、MC3T3-E1(マウス頭蓋冠由来骨芽細胞様細胞)である。細胞をα-MEM 液体培地に FBS(ウシ胎児血清)を 10%濃度で添加したものと共に細胞伸展マイクロデバイス上に播種した後、95% Air?5% CO2 濃度、湿度100%、温度37℃に保ったCO2 インキュベーターにて培養を行った。また、細胞内のCa2+の変化を観察するための二波長測光を行うため、蛍光指示薬としてFluo 8H (AAT Bioquest 社製)とCalcein Red-Orange (Molecular Probes 社製)を使用した。蛍光観察にはA1R レーザ共焦点蛍光顕微鏡システム(ニコン製)を使用し、細胞に励起光(488nm および561nm レーザによる二波長励起)を照射し、Fluo 8H 観察用に525nm(中心±25nm の幅)、Calcein Red-Orange 観察用に595nm(中心の±25nmの幅)の透過波長を持つフィルターを用いて細胞観察を行った。図10 に細胞伸展実験を行った際の蛍光観察写真を示す。図10(a)の伸展前の写真より、細胞が仮足を伸ばしてマイクロチャンバーに接着している様子が分かる。図10(b)は伸展後の観察写真であり、細胞にはチャンバーの伸展によって約15%のひずみを与えた。図10(b)より細胞の形状が変形し、蛍光輝度値が変化していることが確認された。細胞の蛍光輝度値が変化したことから、伸展刺激により細胞の形状が変化することにより、細胞内のCa2+濃度が変化していると考えられる。よって、本研究で製作したデバイスを使用することで、細胞に伸展刺激を与えると同時に、細胞内のCa2+濃度の変化を観察できることが確認できた。

5.まとめ
伸展により刺激を与えられた単一細胞の応答の観察・計測実験を効率よく行うため、134 個のシリコーン製マイクロチャンバーがマトリックス状に並んだ細胞伸展マイクロデバイスの開発を試みた。これにより以下の結果を得た。
(1) マトリックス状に並んだシリコーン製マイクロチャンバーアレイの製作のために、OFPR の鋳型の利用とリフトオフプロセスを組み合わせることにより、チャンバー内外のシリコーンのつながりを切断し、チャンバー部のみにシリコーンを残すプロセスを開発した。これにより再現性良くマイクロチャンバーを製作できた。
(2) 厚さ5μm±1μm を持つチャンバー部の製作においては、シリコーンとキシレンを重量比1:1で混合したものをスピンコート(600rpm×10
sec+3500 rpm×40 sec)することにより歩留まり約40%で製作できた。
(3) 製作したデバイスを用いて動作確認を行った。可動部をプローブによって動かすことにより、マイクロチャンバーを伸展できることを確認した。
(4) 蛍光指示薬を用いた細胞観察実験では、約15%ひずみに対する細胞の変形と細胞内のCa2+濃度の変化を観察できることを確認した。
一方で、マイクロチャンバーの膜厚のバラツキ、および膜厚の不均一性の問題があることが分かった。いずれも製作プロセスに起因する問題である。今回の細胞観察実験では明確な不具合は観察されなかったが、観察像の焦点ずれや観察像の鮮明度の相違などの問題を生じる可能性が考えられる。今後も製作プロセスの再現性向上の検討を進め、寸法精度の高いデバイスの実現を目指す予定である。