1989年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第03号

基礎体温自動計測システムの開発

研究責任者

戸川 達男

所属:東京医科歯科大学  教授

共同研究者

辻 隆之

所属:東京医科歯科大学  助教授

共同研究者

豊島 健

所属:東京医科歯科大学  助手

共同研究者

田村 俊世

所属:東京医科歯科大学  助手

共同研究者

斉藤 浩一

所属:東京医科歯科大学  教務職員

概要

1.まえがき
体温の計測は,通常の体温計を用いて舌下あるいは腋窩で検温を行う以外に簡便な方法がなく,とくに婦人の基礎体温の計測に応用できるような,簡便で正確な計測技術が望まれている。そこで,われわれは1980年頃より基礎体温を就寝中に自動計測する方法について検討を行い,熱流補償法を利用した深部体温計によって基礎体温の正確な計測が可能であることを示した(1)。しかし,熱流補償法による装置は加温機構が必要なため消費電力が大きく,小型化が困難であったため,実用化するにいたらなかった。
そこで,加温機構を用いないで正確な体温計測のできる方法が必要であると考え,基礎的研究を行ってきた(2)。
本研究は,新たな機構の体温センサについて,理論解析,モデル実験,および被検者による実験の3段階について実施し,その結果から,本法の評価を行った。
2.方法
本法は,図1に示すように,直径6cm,厚さ10mmの断熱材に温度センサをとりつけたプローブを体表に装着し,プローブの中心部の温度を指標とし,プローブ周辺および上部の温度情報を用いて,補正を行うものである。
2.1.理論解析
図1の構造の断熱材のプローブを体表においたときのプローブ内の各センサ部の平衡温度を,有限要素法を用いて解析した。体表に近い組織は,一定深さ以上は体温と等しい一様な温度で,その深さ以内は熱源がない伝熱層とみなし,熱伝導率が1血管拡張により,0.5×10-3-4×10-3ca1/cm・s・degの範囲で,またその厚さは1-10mm変化するものとした。プローブの材質の熱伝導率は3x10ca1/cm・s・degと仮定した。また外気温度は25℃とし,体表およびプローブ表面からの放熱は,垂直壁における自然対流熱交換の条件を仮定した。
プローブ内の3点の温度から組織深部の温度を推定する近似式として2次式を仮定し,その係数は,有限要素法により上記条件において算出された値から,最小自乗法により決定した。
2.2.モデル実験
断熱材として,エンソライトおよびウェットスーツの素材を用いて図1の形状のプローブを作成した,ここで,エンソライトは塩化ビニル系の独立気泡フォーム素材であり,熱伝導率は約8.6x10-Scal/cm・s・degである。温度センサにはサーミスタを用い,ガリウムスタンダードを用いて校正して使用した。図2に示すように,37℃に保った恒温水槽上に金属容器を置き,その上に,伝熱層として厚さ1-IOmmの合成ゴム板あるいはガラス板を置き,その上にプローブを置いて,安定した状態においてプローブ各点の温度を記録した。ガラス板の熱伝導率の実測値は1,9x10-3cal/cm・s・degであり,合成ゴムの熱伝導率はおよそ0.5x10-3ca1/cm・s・degである。外気温度は27℃一定とした。
伝熱層の厚さおよび材質を変えたときの各温度計測値から,2次多項式の近似式を仮定して,最小自乗法により係数を決定し,深部温度の推定値と水槽温度を比較した。
2.3.被検者による評価
モデル実験に使用したものと同様のプローブおよび深部体温計プローブ(テルモ社PD-1)を,10名の被検者腹部に装着し,27℃の恒温室内において,臥位で毛布1枚を覆った状態で計測を行った。
3.結果
3.1.理論解析
理論解析の結果を図3に示す。この結果から,伝熱層の厚さが10mm以内では,伝熱層の熱伝導率が8倍に変化しても,深部温度の推定値の誤差はほぼ0.1℃以内であり,血流による生理的変化として考えられる約4倍の見かけの熱伝導率の変化の範囲では,誤差は0.05℃であることが示された。
3.2.モデル実験
図4a,bに,プローブ断熱材としてエンソライトおよびウェットスーツ素材を使用した場合の,モデル実験の結果を示す。プローブ素材として,エン・ソライトおよびウェットスーツ素材はほぼ同様の傾向を示し,伝熱層が
ガラスの場合,誤差はほぼ0.2℃以内であったが,合成ゴムの場合は誤差が大きくなる傾向を示した。それぞれの誤差の標準偏差は,0.27℃および0.28℃であった。
3.3.被検者による評価
図5a,bに,プローブ断熱材としてエンソライトおよびウェットスーツ素材を使用した場合の深部温の推定値と,深部体温計による計測値の比較を示す。エンソライトのプローブでは,2例をのぞきほぼ誤差0.2℃以内であったが,ウェットスーツ素材のプローブでは,若干誤差が大きいことが認められた。それぞれの誤差の標準偏差は,0.21℃および0.31℃であった。
4.考察
本研究の目的は,婦人の基礎体温の計測に使用でき,消費電力の少ない体温プローブを開発することであり,計測誤差として0.05℃程度が目標であった。理論解析の結果からは,熱流補償のような方法を用いなくともこの程度の精度が実現できることが示された。
しかし,モデル実験および被検者による実験においては,プローブの大きさ,構造および素材の熱伝導率が理論解析の条件とほぼ同じものを使用したにもかかわらず,計測誤差が予想した値より大きく,目標の精度が達成できないことがわかった。
その原因として,モデル実験においても体表に装着した場合においても,プローブと対象表面との熱的接触が不安定であること,生体において伝熱層を熱的に一様な媒質とみなせないこと,非定常な状態においてはプローブ内の各センサ周辺の熱的条件の違いによる追従特性の差のため,各点の温度情報が深部温度の推定に有効に作用しなくなることなどが考えられる。
これらの誤差要因を完全に除くことは困難であるが,プローブの大きさの拡大,プローブの構造の改良,装着法の工夫,装着部位の選択,各センサ出力が安定していることを確認して計測するような計測アルゴリズムの採用などにより改善の余地があると考えられる。
また今回のモデル実験および被検者による評価における計測条件に比べ,就寝時の条件は,寝具で覆われているため熱的に安定であり,生理的にも末梢循環が良く体温変動も少なく,また計測に十分長い時間がかけられるなど有利な条件が多いので,この実験結果よりは高い精度が期待される。
以上のように,熱流補償を用いずに体表から体内深部の温度を推定する方法について検討した結果,理論的には誤差0.05℃以内の計測精度が得られることが示されたにもかかわらず,モデル実験および被検者による実験においては,0.2℃程度の精度しか得られないことがわかり,当初の目標の精度が容易に達成できないことが明かとなった。したがってこのままの方法では,満足な性能の基礎体温計測システムを実現することが困難であることがわかった。
しかし,これらの結果は,今回の理論解析および実験的研究によって初めて明かにされたことであり,今後精密な体温計測法を開発していく上では,重要な知見であると考えられる。
5.成果のまとめ
本研究成果は以下の通りである。
1)理論解析により,3個の温度センサをもつ直径6cm,厚さ10mmの断熱材プローブにより,体表より深部組織温度を推定した場合,体表伝熱層の厚さ1-IOmmに対して,伝熱層の熱伝導率が4倍に変化しても,誤差0.05℃以内で計測が可能であることを示した。
2)モデル実験により,理論解析とほぼ同様の条件において,計測精度を評価した結果,正常な皮膚に近い熱伝導率の伝熱層に対しては誤差は0.2℃以内であったが,熱伝導率を1/4にすると,誤差の標準偏差がおよそ0.28℃となった。
3)被検者による評価において,プローブを腹部に装着し,深部体温計による体温計測値と比較した結果,断熱材にエンソライトおよびウェットスーツ素材を使用したプローブについて,誤差の標準偏差はそれぞれ0.21℃および0.31℃であった。
4)実験結果から,実際の計測条件においては理論解析から予想された精度が得られないことがわかったが,その原因の考察などから,精度の改善の余地のあることが示された。
以上の成果は,実用的な基礎体温計測システムにはまだ不十分であるが,体表から組織深部の温度を推定する方法に関して重要な知見を得たものであり,今後体温計測技術を開発する上で,本研究はきわめて有益であったと考えられる。