2013年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第27号

培養神経回路に嗅覚受容体たんぱく質を遺伝子発現させた匂いセンサー

研究責任者

高橋 宏知

所属:東京大学 先端科学技術研究センター 生命・知能システム分野 講師

共同研究者

櫻井 健志

所属:東京大学 先端科学技術研究センター 特任助教

概要

1.はじめに
味や匂いは、食品の品質管理や評価において、最重要項目であるにもかかわらず、現在でも、主に官能評価、すなわち、ヒトの感覚による評価が普及している。官能評価の問題点として、評価者の体調に依存すること、臭覚疲労、再現性などが挙げられ、客観的な分析をできる匂いセンサーが求められている。また、高感度な匂いセンサーは、生活環境・工場環境のモニタリングや防災のためにも大きな需要がある。さらに、口臭や体臭から、健康状態や病気を診断する試みも研究されている。代表的な匂いセンサーとして、金属酸化半導体、導電性高分子、水晶振動子などはすでに実用化されている。しかし、これらの性能は、表1のように、生体の嗅覚系には遠く及ばない。金属酸化半導体は、感度こそ優れるものの、センサー部の感材料の選択肢が少ない。導電性高分子と水晶振動子は、それぞれ、センサー部の官能基と有機高分子膜の設計次第で、多様なセンサーを実現できるが、匂いへの感度で劣る。また、これらのセンサーは、分子の吸着を利用しているため、応答特性もリアルタイムとは言えない。匂いセンサーにおいて、感度、多様性、リアルタイム性を両立するために、実際の生体材料を利用することが魅力的なブレークスルーとして考えられている。
これらの生体材料を用いた匂いセンサーは、従来の匂いセンサーと比べ、感度・応答時間で優れているが、センサー寿命が数時間~数日程度と非常に短いことに欠点を有する。この主な原因は、生体材料である細胞や組織の寿命が短いことにある。
2.神経細胞の分散培養系に嗅覚受容体を発現させた匂いセンサーの提案
本研究では、生体材料を利用した長寿命のセンサーを実現するために、図1のように、昆虫の嗅覚受容体をラットの培養神経細胞へ発現させることを提案する1)。昆虫の嗅覚受容体を用いる利点は、第一に、容易に機能発現を実現できる可能性が高いことにある(図1(i))。これは、昆虫の嗅覚受容体がイオンチャネルと一体型であるという最近の知見による2)・3)。一方、哺乳類の嗅覚受容体はGタンパク質結合型で、匂い物質の受容部とイオンチャネル部が分離している。そのため、イオンチャネルを開くためには、複雑な細胞内カスケードを経なくてはならない4)。第二に、多様な嗅覚受容体がスクリーニングされており、それらを機能的に利用できる(図1(ii))。なお、本研究は昆虫の嗅覚受容体として、カイコガBombyx moriのフェロモン受容体に注目した。同受容体の機能は、アフリカツメガエル卵母細胞で詳細に調べられている。カイコガのフェロモン受容体はBmOR1とBmOR3の2種類で、それぞれ、フェロモン物質ボンピコール(BOL)とボンビカールに対して高い選択性を示す。なお、これらの受容体は、共受容体のBmorOrcoと複合体を形成し、非選択的陽イオンチャネルとして働く。提案したセンサーでは、嗅覚受容体を導入する培養細胞として、神経細胞の初代分散培養系を用いる。その利点として、第一に、神経細胞は、嗅覚受容体が発生した微弱なイオン電流から、容易に計測できる活動電位へと、匂い信号を増幅するアンプとして利用できる(図1(iii))。ここでのアンプとは、従来測定することが困難であった微弱なイオン電流を、容易に計測できる活動電位への変換装置という意味で用いている。第二の利点として、神経細胞の初代分散培養系、すなわち、培養神経回路は、匂い物質やその刺激強度に応じて、多様な神経活動パターンを生成できる。したがって、培養神経回路は、刺激の識別機として利用できる可能性がある(図1(iv))。第三の利点として、神経細胞の寿命は通常の細胞より1~2年と長いため5)、センサーの寿命を長期化できる可能性がある(図1(v))。神経細胞の多くは、一個体の一生を通して置き換わらないため、個体と同程度の寿命を有する。一方、通常の細胞は、一個体の一生を通して何度も置き換わるため、数日から数週間と比較的短い寿命しかもたない。これまでにも、神経系の細胞の分散培養系をアンプとして利用したバイオセンサーはいくつか提案されている。しかし、嗅覚受容体を遺伝子工学的に発現させ、通常では反応しない物質に対して、反応特性を持たせた試みはない。表1に、既存のセンサーと対比して、提案センサーの可能性をまとめた。原理的には、提案センサーは、既存センサーの性能を大きく上回る可能性を秘めている。
3.実験方法
本研究では、各種実験により、昆虫の嗅覚受容体をラットの培養神経細胞へ発現させた匂いバイオセンサーの実現可能性を示す。具体的には、まず初めに、嗅覚受容体が細胞膜上で発現していることを確認するために、共焦点顕微鏡(Zeiss、LSM510)による蛍光観察を行った。次に、免疫化学染色を用いた蛍光観察によってトランスフェクション効率を見積もった。さらに、RT-PCR反応によりm-RNAレベルでの嗅覚受容体の発現を確認した。最後に、Ca2+イメージングにより、発現した嗅覚受容体が機能的であるかを調べた。さらに、このCa2+応答が、活動電位として計測できるかを確認した。
3.1トランスフェクション
トランスフェクションにはリポフェクション法を試みた。プラスミドDNAとlipofecta mine2000 (Invitrogen(株))をそれぞれ低血清培地Opti-MEM (Invitrogen(株))に溶解し、室温で5分インキュベートした。その後、それらを混合し、さらに15分インキュベートした。培養7日目の神経細胞から6割の培地を取り除き、そこへDNAとLipofectamine2000の混合液を滴下し、撹拝した。DNAベクター、pEF-EGFP-BmOR1とpEF-DsRED-BmorOrcoは同時にトランスフェクションした

3.2DNAベクター作成
終始コドンを除いたEGFPは、制限酵素EcoRIとNotIを含む特異的プライマーを用いてPCRにより増幅した。増幅した部位はEcoRIとNotIで切り取り、pEF-EGFPの制限酵素切断部位へ導入した。続いて、BmOR1とBmorOrcoをそれぞれの遺伝子配列を含むpBluescript SKから制限酵素NotIとXbaIを含む遺伝子特異的フ゜ライマーを用いてPCRによって増幅し、pEF-EGFPの制限酵素切断部位へ導入することで、N末端にEGFPタンパク質を融合させたBmOR1とBmorOrco、pEF・EGFP-BmOR1とpEF-EGFP-BmorOrcoをそれぞれ作成した。
終始コドンを除いたDsREDは、制限酵素EcoRIとNotIを含む特異的プライマーを用いてpCMVDsRed-ExpressVector(Takara,632416)をPCRにより増幅した。増幅した部位はEcoRIとNotlで切り取り、pEF-EGFPの制限酵素切断部位へ導入した。続いて、BmorOrcoをPCRによって増幅し、pEF-DsREDの制限酵素切断部位へ導入することで、N末端にDsREDタンパク質を融合させたpEF-DsRED-BmorOrcoを作成した。pEF-BmOR1とpEF-BmorOrcoを作出するために、BmOR1とBmorOrcoのコード領域を制限酵素KpnIとXbaIを含む遺伝子特異的プライマーを用いてPCRにより増幅した。増幅した断片は制限酵素KpnIとXbaIで処理し、pEF-EGFPの制限酵素切断部位へ導入した。
3.3カルシウムイメージング
培養10日目に、BmOR1とBmorOrcoを共発現している細胞がフェロモン物質に対し機能的であるかどうか、確認するため、Ca2+イメージングを行った。Ca2+感受性色素として、EGFPとの蛍光波長の重複が少ないX-Rhodl AM(Invitrogen(株)、X14120)を用いた。神経細胞を37℃で1時間、4pMのX-Rhod-1 AMを含む平衡塩溶液(NaCl130mM、グルコース5.5mM、KC15.4mM,CaC121.8mM,HEPES20mM,pH7.4)中でインキュベートした。1時間後、培地をX-Rhod1を含まない平衡塩溶液(BBS)へと交換し、さらに37℃で30分インキュベートした。
Ca2+感受性色素の蛍光は、正立顕微鏡(Olympus、BX51WI)に取り付けた10倍レンズ(Olympus、UPlanF1)と冷却CCDカメラ(Hamamatu Phtonics、C9100-02)で計測した。計測視野は400×400?mで、同視野を500×500pixelで計測した。また、蛍光画像は2×2pixel毎に平均し、14bitcolorで測定した。各フレームの露光時間は1秒間とし、90秒間測定した。カルシウム感受性色素の蛍光強度変化は、HiPic8.1.0(Hamamatu Phtonics)とPythonで作成したコードを用いて解析した。フェロモン刺激には、実験直前に、1MのDMSOに溶解したフェロモン溶液をBSSで希釈し適切な濃度に調整した。フェロモン物質は、マイクロピペットの先端から30秒間投与した。
3.4細胞外電位計測
細胞外電位計測には、先端径1?mのガラス電極にBSS溶液を先端に満たし、電極ホルダーに取り付けた。電極ホルダーはアンプ(Cygnus(株)、ER-1)へ接続し、Hipass100Hz、gain200、Lowpass3kHzに設定した。計測実験では、直径35mm型スミロンセルタイトPL(住友べ一クライト(株))へ3×104の細胞を播種し、播種後20日(20DIV;20 days in vitro)のウェルを用いた。
4.実験結果
図2(a)(i)と(ii)はpEF-EGFP-BmOR1とpEP-DsRED-BmorOrcoを共導入した神経細胞の蛍光画像を示した。重ね合わせた画像図2(a)(iii)はEGFPの蛍光パターンと、DsREDの蛍光パターンがほとんど一致していることを示し、BmOR1とBmorOrcoが高確率で共発現していることを示唆する。さらに、共焦点顕微鏡を用いて、トランスフェクションした細胞の蛍光を観察したところ(図2(b))、BmOR1とBmorOrcoの共発現が明確に確認できた。また、これらの受容体は細胞膜上へ移行していることが観察され、機能的にも発現していると考えられる。
図2(c)に各DNAコンストラクトの導入効率を示す。EGFP-BmOR1+BmorOrcoでは8%、BmOR1+EGFP-BmorOrcoでは12%程度の導入効率になった。
図2(d)と(e)は、EGFP、BmOR1とBmorOrcoの特異的フ゜ライマーによるRT-PCR反応を示す。EGFP、BmOR1とBmorOrcoのバンドはトランスフェクションした細胞には確認され(図2(d))、トランスフェクションしていない細胞には確認されなかった(図2(e))。したがって、EGFP、BmOR1とBmorOrcoの各遺伝子は、トランスフェクションした細胞でのみ選択的に発現していることを示す。
図3(a)に、Ca2+イメージングを行った分散培養系の実験試料の例を示す。同図には、位相差顕微鏡画像とEGFPの蛍光画像を重ね合わせてある。EGFP蛍光陽性な細胞(細胞#1)に対して、マイクロピペットで局所的に100?MのBOLを投与したところ、図3(b)に示すように、Ca2+応答が誘発された。また、図3(c)(i)のように、複数回のBOLの投与に対して、細胞#1は、高い再現性で50%以上のCa2+応答を示した。一方で、図3(c)(ii)のように、通常のBssを投与した場合、細胞#1はCa2+応答を示さなかった。また、図3(c)(iii)のように、50一?Mのグルタミン酸を投与すると、Ca2+応答が得られた。これらの結果は、細胞#1のCa2+応答は機械刺激による誘発反応ではなく、BOLによって誘発されたことを示す。図3(d)では、図3(b)のEGFP蛍光陽性な細胞(#1)に加え、EGFP蛍光陰性な細胞(#2~#10)からも、Ca2+応答の経時的な変化を調べた。その結果、EGFP蛍光陰性な細胞からも、複数回のBOLの投与に対して、同期的なカルシウム応答を得た。この結果から、嗅覚受容体が導入された神経細胞(#1)の活動が、シナプス結合を介して、受容体が導入されていない神経細胞へ伝播したと推測できる。
この結果が、シナプス結合を介した神経活動の伝播に起因していることを示すために、シナプス伝達阻害剤(50?MAPV、10?MCNQX、100?MBMI)の存在下と非存在下で、EGFP蛍光陽性細胞に対して匂い物質を投与したときに得られる神経応答を比較した。図4(a)に試料の一例を示す。図4(a)(i)の蛍光像から、試料中のEGFP陽性細胞を同定し、この細胞に匂い物質を局所投与したときに、図4(a)(ii)中のEGFP陰性細胞のCa2+応答に注目した。その結果、図4(b)(i)に示すように、シナプスプロッカー非存在下では、EGFP蛍光陽性細胞(細胞#1)とEGFP蛍光陰性細胞(細胞#2)の両方が、BOLに対して、高い再現性で同期したCa2+応答を示した。一方、シナプスプロッカー存在下では、図4(b)(ii)に示すように、EGFP蛍光陰性細胞(細胞#2)のCa2+応答は消失し、EGFP蛍光陽性細胞(細胞#1)のみが明確なCa2+応答を示した。なお、他の試料でも同様の実験結果が得られた(n=3)。これらの結果は、直接、嗅覚受容体を発現していない細胞のカルシウム応答が、シナプス結合を介して、嗅覚受容体を導入した細胞により誘起されていることを示す。
これまでの実験でCa2+応答として計測してきた神経活動パターンが、細胞外計測法で取得できるかを検証するために、培養神経細胞の自発発火とカルシウム応答の関係を調べた。4つの実験試料から任意に合計8個の神経細胞を選び出し、図5(a)と図5(b)に、それぞれ示すように、自発発火のCa2+応答と活動電位のラスタープロットを取得した。なお、この実験では、Ca2+応答と活動電位は同時に計測しているが、細胞ごとの計測は逐次的に行い同時ではない。図5(c)に、これらの8個の神経細胞から得たCa2+応答の最大蛍光強度変化(最大△FIF)と全スパイク数との関係を図示した。同図では、少なくとも△FIF>0.2のときに、Ca2+応答と発火数は明確な正の相関関係を示している。したがって、これまでの実験で調べてきたCa2+応答と同等の情報は、細胞外電位計測により取得できると考える。
5.おわりに
本研究では、昆虫の嗅覚受容体をラットの神経細胞へ発現させた匂いバイオセンサーを提案し、その実現性を検証した。本研究では、初めに共焦点顕微鏡によって、嗅覚受容体が細胞膜へ移行していることを示した。第二に、免疫化学染色を用いた蛍光観察によってトランスフェクション効率を8%程度と見積もった。第三に、RT-PCR反応によりm-RNAレベルでの嗅覚受容体の発現を確認した。最後に、Ca2+イメージングにより、発現した嗅覚受容体が機能的であることを示した。さらに、Ca2+イメージングと活動電位の関係を、神経細胞の自発発火から調べることで、嗅覚受容体を導入した細胞が活動電位を生成している可能性が高いことを示した。
これらの実験結果は、
・昆虫の嗅覚受容体がラットの培養神経細胞に発現し、かつ、機能していること
・嗅覚受容体で捉えた匂い信号が、活動電位を発生させ、さらにシナプス結合を介して、培養神経回路の神経活動パターンを変化させること、
・将来的には、その神経活動パターンを無侵襲な細胞外電位計測法により神経細胞群の発火パターンとして読み出せること
を示しており、したがって、提案したセンサーの実現は可能であると考える。