2015年[ 科学教育振興助成 ] 成果報告

地域の伝統発酵食品「鮒寿司」を科学する

実施担当者

小林 泰彦

所属:滋賀県立高島高等学校 教諭

概要

1.はじめに
 本校は、琵琶湖の北西部の湖沼と山野に囲まれた豊かな自然環境のもとに立地している。これまで地域の自然資源を授業に取り上げ、生徒の自然科学に対する興味・関心を高めるよう授業の展開を工夫してきた。今後も地域に根ざした学校として、地域の自然資源・文化資源を活用した学習活動を展開していきたいと考えている。また、新高等学校学習指導要領では、自然科学の新しい研究の成果も含めて理科の学習内容の充実が図られている。生物の生命現象と物質に関しては、発酵について扱うこととなっている。
 そこで、本校が立地する滋賀県湖西地域において、伝統的に作られてきた「鮒寿司」を生物の教材として取り上げることとした。鮒寿司は、琵琶湖の固有亜種であるニゴロブナ(Carassius auratus grandoculis)を飯(いい)で漬け、乳酸菌の乳酸発酵により長期保存を可能にした食品である。琵琶湖で獲れるニゴロブナと近江米を使用し、乳酸発酵に適した気候のこの地域で作られる鮒寿司は、まさに地域伝統食品である。しかし、鮒寿司については科学的な研究があまり進んでいない。地域の高校が専門機関や地域と連携し、実習を通して探究活動を行うこととした。


2.目的
 身近な食品の科学やそれを生業とする地域の人、その分野を研究する専門家に接することにより、自然科学に対する興味や関心、知的好奇心や探究心を喚起し、自然科学を学ぶ楽しさを実感するなかで、科学的思考力や判断力、創造的に生きていく力を身につけさせることを目的とした。


3.方法
 生物では、呼吸によって有機物が分解され、エネルギーが取り出される仕組みを学習する。呼吸の一つである発酵には、微生物の種類と反応生成物の種類によって多様な過程が存在する。このうち、乳酸発酵について、地域に伝わる発酵食品「鮒寿司」を具体例として、1年間をかけて学習を深化させた。具体的には、①「生物の授業で発酵について学ぶ」こと、②「専門機関や地域と連携して鮒寿司について学ぶ」こと、③「自分たちで鮒寿司を漬ける」こと、④「鮒寿司と乳酸菌を科学する」ことを計画した。


4.結果
①生物の授業で発酵について学ぶ
 実習を実施するにあたり、授業の進行順序を変更し、「エネルギーと代謝」、「光合成と呼吸」、「生態系とその保全」について先行して学習した。乳酸菌を含む生物は、有機物の異化により放出されるエネルギーを利用してATPを合成する呼吸の仕組みを備えている。私たちヒトは呼吸と解糖によりATPを合成する。乳酸菌は乳酸発酵によりATPを合成する。呼吸や解糖、乳酸発酵、アルコール発酵の各過程の反応やそれらの共通点・相違点などについて学習した。加えて、アルコール飲料や乳製品、大豆発酵食品など微生物の発酵を利用した食品についても学習した。生徒は、「実習の前に発酵の学習をしっかりしていたので、理解が深まった」と記述していた。

②専門機関や地域と連携して鮒寿司について学ぶ
 7月14日、海津漁業協同組合所属の漁師中村清作氏および滋賀県農政水産部水産課副主幹三枝仁氏を講師に、ニゴロブナの生態と琵琶湖の生態系および漁業に関する授業を実施した。中村氏からは、鮒寿司の原料となるニゴロブナの生態と外来魚との関係、実際に漁網を見ながらニゴロブナやアユの漁法について講義いただいた。三枝氏からは、ニゴロブナの棲息する琵琶湖の環境や生態系と湖魚漁獲量の変遷、ニゴロブナの資源管理と棲息環境の保全について講義いただいた。
 7月28日には、鮒寿司製造元魚治代表取締役左嵜謙祐氏を講師に、鮒寿司の地域での食文化と伝統的な鮒寿司の加工方法について学んだ。伝統的な加工方法は、気温の高い夏の土用の時期に、桶に水を張り嫌気状態にすることにより、乳酸菌が他の微生物を圧倒して増殖することなどを学んだ。

③自分たちで鮒寿司を漬ける
 以前は一般家庭で鮒寿司を漬け、家庭料理として自家消費されてきた。しかしながら、一時期ニゴロブナの漁獲量が大きく減少し価格が高騰したことや製造に手間がかかることなどから、一般家庭ではほとんど作られなくなってきた。そこで、地域伝統の食文化を身近なものとして感じるために、自分たちで鮒寿司を漬ける実習を行った。完成後は鮒寿司を味わい、地域の食文化に触れるとともに、乳酸菌のはたらきを実感させようとした。
 7月28日および8月4日に塩切りブナの飯漬け実習を行った。7月28日は、鮒寿司製造元魚治代表取締役左嵜謙祐氏、滋賀県農政水産部水産課副主幹三枝仁氏を講師に招いた。あらかじめ内臓を取り出し塩漬け(塩切り)されたニゴロブナ(5kg)を形態観察しながらたわしを用いて水洗いし、乾燥させた。日本酒を手水にして炊飯した近江米(6升)をニゴロブナの腹や鰓蓋内に詰め、30Lの漬物桶に飯とニゴロブナを交互に重ね、漬けこんだ。桶に水を張る代わりに、ビニール袋で酸素を遮断し、ビニール紐で編んだ平縄を桶の縁に置き、落とし蓋の上に段階的に合計36kgの重石を載せ、小型物置に保管した。8月4日は、科学的な計測用の桶に雄のニゴロブナを7月28日と同様に漬けこんだ。
 およそ6カ月後の2月8日に左嵜氏と三枝氏を講師に招き、鮒寿司桶の鏡開きおよび試食の実習を行った。十分に発酵・熟成しており、飯はペースト状に、骨も柔らかくなっていた。
 「臭いというイメージしかなかったが、自分たちで作った鮒寿司はおいしく、後世に継承したい」、「米とニゴロブナが常温で半年後においしく食べられることから乳酸菌のはたらきの偉大さを実感した。」との生徒の記述がみられた。

④鮒寿司と乳酸菌を科学する
 地球上には多様な乳酸菌が存在する。その乳酸菌の基本的なはたらきについて実験・観察を通じて理解を深めた。また、鮒寿司は、それぞれの家庭で試行錯誤しながら伝えられてきたため、原料の割合や加工方法、その味は家庭によりさまざまである。このため、鮒寿司に関しては科学的な研究があまり進んでいない。③「自分たちで鮒寿司を漬ける」の発酵中の桶を使って、種々の項目について科学的な計測を行った。桶内外の温度や水素イオン指数(pH)を発酵期間を通じて24時間記録した。しかしながら不運なことに、予期しない停電により、計測データが正常記録されず、期間全体を通じたデータを得ることができなかった。一部のデータから、桶内の温度の日較差は、桶外の気温のそれと比較して小さいことがわかった。冬季は桶外の最低気温は氷点下2.8℃になったが、桶内の最低温度は0.0℃であった。最終のpHは4.12であった。発酵初期のデータが欠損しており、生徒に十分な考察をさせることができなかったことから、次年度以降に再度、発酵期間全体を通じて温度およびpHの計測、記録を行いたい。ペースト状の飯の部分をすりつぶし、光学顕微鏡で鮒寿司の乳酸菌の観察を行った。


5.まとめ
 このような教育活動で身近にある自然現象やそれを研究する専門家に接することにより、自然科学に対する興味や関心、知的好奇心や探究心を喚起することができたと振り返っている。自然科学を学ぶ楽しさを実感するなかで、科学的思考力や創造的に生きていく力が身に付くことを期待している。鮒寿司は、地域の伝統食品でありながら、今回初めて食べたという生徒も少なくなかった。鮒寿司を科学的なアプローチで探究すること以前に、地域の食文化に触れる絶好の機会となった。地域の自然を学習活動に取り上げることにより、自分たちの生活する地域を知り、地域社会や自然環境、そこで育まれてきた文化を大切にしようとする意識が醸成されてきたように感じられた。