2015年[ 技術開発研究助成 (奨励研究) ] 成果報告 : 年報第29号

在宅予防を目的とした非侵襲小型質量センサによる抗原抗体反応マーカ検査システム

研究責任者

柳谷 隆彦

所属:早稲田大学 理工学術院 先進理工学部 電気・情報生命工学科 准教授

概要

1.はじめに
 現在日本では医療費の増大に伴い、健康管理予防を在宅で行える医療システムが望まれている。医療コストと患者の負担を軽減するには、病気が発症する前に病変を捉える新しい予防医療システムが必要と考えられる。
 予防医療システムは患者もしくは健常者が日常的に自己管理できるものでなければならず、体重計のような在宅モニタリングが望ましい。病院で普及しているような高度な検査装置は大型で使用者の負担が大きく、家庭用に普及するには困難が伴う。また、病変マーカの検査方法は非侵襲または微侵襲でなければならず、同様の侵襲的検査に比べて性能が要求される。
 ここでは小型の検査用センサを目標とした、抗原抗体反応(抗体と抗原の選択的な結合)質量検出センサの試作例について紹介する。具体的には、弾性振動する共振子上で抗原抗体反応が生じた際の抗原質量付加を共振子の固有振動数(共振周波数)の変化として捉える微小センサである。

2.センサの原理
2.1 質量付加による弾性体の固有振動数変化
 図1のような、ガラスコップに水を入れたグラスハープと呼ばれる楽器が、最近話題となっている。高く澄んだ音がするため、人気を呼んでいるようである。コップを指でこすると音が鳴り、入れる水の量を増やすほど低い音が鳴る。水の量を変えたコップをいくつか用意すれば音階をつくることができる。これは水の質量付加によって、コップの固有振動数(共振周波数)が変化していると考えることができる。ちなみに高校物理の教科書で見かける気柱の共鳴では、試験管に水を入れていくと共鳴する音が高くなる。これは上の説明と逆になるが、この場合は試験管の液面から管口までの円柱状の空気(気柱)の共鳴である。液面が上がるほど気柱は短くなり、気柱の共振周波数が上がっているためであり、コップ自体の共振で鳴っているグラスハープと原理が異なる。
 グラスハープをみてみると、もし音の高さ(共振周波数)をなんらかの方法で検出できれば、逆に考えると水の量を同定することができる。つまり水の量センサとなっていることがわかる。本節のセンサではこの原理により微小な質量付加を検出するものである。次にこの水の量センサを高感度化することを考える。図2に示すように小さなコップと大きなコップを比べると、同じ水の量の変化に対して、共振周波数の変化が大きくなることがわかる。つまりこの原理のセンサを高感度化するには、究極的にはナノオーダのコップを作製すればよいということになる。ある共振周波数で振動している吊り橋に鳥が止まると、共振周波数には十分検出できる減少が生じるが、蚊が止まった程度では検出が難しい。しかし吊り橋でなく、割り箸程度ものが共振しているところに蚊が止まるのであれば、十分検出できるであろう。センサ感度は振動部分自体の質量と被検出物の質量の比で決定される。
 次に、どのようにして共振周波数を測定するかだが、最も簡単な方法は振動部分を圧電材料にしてしまうことである。圧電材料とは、応力を印加するとそれに応じて電荷を発生させる圧電効果を持つ材料である。これにより弾性的な振動を電気的な振動に変換することができ、容易に周波数を計測できるようになる。水晶発振子やセラミック振動子に代表される圧電共振子は、きわめて安定な周波数発振が得られることから、時計や通信器などの周波数制御素子として幅広く利用されている。共振子の電極に交流の電気信号が入力されると電気信号は圧電効果により弾性波に変換される。弾性波が圧電体内で定在波を発生し、再び電気信号に変換されることにより電気的な共振素子として働く。
 たとえば水晶共振子に分子が付着させると、分子の質量負荷により共振周波数の低下が生じる.この低下量を重さに換算することで付着質量を絶対計測することができる。この質量センサはQCM(水晶共振子微小天秤)と呼ばれ,1ナノグラムオーダの分子間相互作用の定量や膜厚モニタリングに広く用いられている。QCMの感度は、上述のとおり共振子の質量に対する付着分子の質量の比で決定されることから、共振子自体の質量が減れば感度が上がる。単位面積あたりの付着量が一定とすると、共振子自体の重さを減らすには厚さを減らすしかなく、最終的には薄膜化すれば最も感度が良くなる。

2.2 薄膜共振子型質量計測センサ
 そこで近年,図3(a)に示すような薄膜共振子型の縦波モード高感度気体センサ(微小天秤)が提案されている1,2)。これはSi基板上に薄膜化が可能なZnOやAlN等の圧電体薄膜を形成後,MEMS加工技術により,裏側からSi基板をエッチングすることで圧電体部分を薄膜化している。
 しかし,提案された薄膜共振子型高感度気体センサは,縦波モードで共振するため液体中では動作できず,使用が気体中に限られるという問題点があった。そもそも質量センサの用途には,液体中の分子間相互作用の検出やバイオセンシングをターゲットにしたものが多く、従来のQCMでは液体中でも動作可能な横波モード(厚みすべりモード)が使われてきた.つまり、液体中の動作には横波モードが必須であり、高感度化には薄膜化が要求される.両方の要求を満たす横波モードの薄膜共振子が実現すれば、高感度な分子間相互作用計測用センサ基板として有望である。そこで図3(b)に示すような、結晶のc軸が平行配向したZnO圧電薄膜を用いた横波モード薄膜共振子が作製し、高感度な抗原抗体反応センサの実現を試みた。
 従来報告されている薄膜共振子は、図3(a)のように結晶c軸が基板面に垂直に揃った六方晶系の多結晶薄膜(以下c軸配向膜)で構成されている1,2)。このc軸配向膜は縦波(厚み縦モード)を励振する。これに対して,c軸が基板面に平行に揃った膜(以下、平行配向膜)は横波(厚みすべりモード)を励振する。しかし、ZnO薄膜は(0001)面に原子の最密面を持つために、c軸が基板面に垂直になるように成長する性質がある。この性質からc軸配向以外のZnO薄膜の形成は難しいとされ3)、これまで平行配向膜の形成に関する報告はなかった。

3.センサの作製方法
3.1 平行配向ZnO薄膜の作製方法
 横波モード薄膜共振子の作製には平行配向膜の形成が鍵となる.イオンチャネリング現象の考え3)に基づき,RFマグネトロンスパッタリング装置を用いた平行配向ZnO膜の形成が試みた4-8).ZnOやAlNなどの六方晶系ウルツ鉱型構造では,比較的[11-20]方向の原子の密度が薄く,チャネリング方向となる.イオンビームを照射しながら多結晶膜を成長させた場合,ビームに対して原子が密に詰まった面((0001)面)を向いた結晶粒は,イオンの衝突による損傷を受けて成長を阻害されるが,原子が詰まっていない面ではイオンが衝突しにくく,損傷を受けにくいこと(チャネリング現象)が知られている.この現象を利用して,最密な(0001)面結晶粒の成長を抑制することにより,チャネリング方向と一致する(11-20)面配向のZnO膜(平行配向膜)の形成が実現できる4,7)。

3.2 平行配向ZnO薄膜の大面積成膜
 一般的に、多結晶ZnO膜の大面積成膜にはRFマグネトロンスパッタ法が適していると考えられる。しかし、よく普及している円形カソードを有したスパッタ装置では、マグネトロン磁界が集中している領域(エロージョン領域)でしか平行配向膜が形成されない問題点がある。これは前節で述べたような平行配向を引き起こす負イオンビームがエロージョン領域でしか発生しないためである6)。さらに、円形カソードではドーナッツ状のエロージョン領域を反映して、結晶c軸がウェハ面内で放射状に配向するという実用上の困難も伴う4,5).これまでイオンビーム蒸着よる実験ではc軸がイオンの照射方向に沿って配向することがわかっている7)。この課題を解決するために、図4に示すような直線エロージョンを有する矩形カソードによるスパッタ法を検討した5)。
 図5に極点X線回折法により測定したc軸の面内方向、面外方向の配向のウエハ内分布を示す。矢印の太さと長さはそれぞれ面内方向および面外方向の配向のばらつきの大きさを示している(細くて長いほど両者の配向性が良い)。直線エロ―ジョンを採用することにより、4インチウエハの大部分においてc軸が平行でかつ一方向配向したZnO膜が形成されていることがわかる。このウエハから500個以上の横波モード薄膜共振子センサデバイスを生産することができる(図6参照)。

3.3 横波モード薄膜共振子センサの試作
 抗原抗体反応検出センサの試作例について紹介する。図7(a)に示すようなサブマイクロメートルの多層構造(上部電極:Au/Cr、面積0.66×0.66 mm2、圧電膜ZnO(2.6 μm),下部電極:Cr/Au/Cr、補強層:SiO2/Si/SiO2(約410 μm))を持つ横波モード薄膜共振子を使用している。センサの寸法は、縦3.0 mm、横6.0 mm、高さ0.4mm である。センサ表面写真も図7(b)に示した。共振子では、多層構造の厚さと構造内で立つ定在波の半波長の整数倍が一致する周波数において共振する。そのため、多数の高次モードの共振が発生する。通常は、一番音波振幅が大きく検出が容易な基本モード共振を用いて計測が行われる。

4.抗原抗体反応センサの特性
4.1 抗原抗体反応の検出システム
 次に抗原抗体反応検出実験の手順について説明する。まず圧電薄膜上の金電極に抗体を固定化する。金電極表面上に自己組織化膜(self-assemble monolayers: SAM)を形成し、SAMとの結合により抗体を固定化する。薄膜表面上に抗原溶液を送液すると、まず液の粘性抵抗による薄膜の共振周波数変化が生じる。その後、抗体抗原反応を起こし、抗原の質量付加によるさらなる共振周波数変化が生じる。抗原濃度に応じて結合する抗原量が異なることから、共振周波数変化量を計測すれば抗原濃度を定量できると考えられる。
 動脈硬化のバイオマーカであるアポリポタンパク質(Apolipoprotein A-II: Apo(A-II))を使用して実験を行った例を示す。Apo(A-II)の体内における濃度の基準範囲は、男性で25.9~35.7 mg/dL、女性で24.6~35.7 mg/dL である。目標検出濃度を体内基準範囲の10~100倍希釈の1 μg /mL に設定され、0.001~10 μg/mL の範囲で計測が行われた。
 計測システムは、薄膜共振子を実装したセンサ部、センサ部に被測定対象を送液するフローシステム、共振周波数の変化を読み取る計測器、それら全体の動作を制御し、表示するデータ処理・表示部から構成される。図8に計測システム全体の模式図を示す。
 図7(b)に示すように、共振子の上部電極にPDMS(ポリジメチルシクロキサン)流路を取り付け、これに液体を送液する。これはフローセルシステムと呼ばれ、よくみられるセンサ表面に滴下するやり方に比べて、表面張力などの環境変動の影響を受けにくく、共振周波数の測定精度が向上する。一般にこのような方法では十分な液量が必要だが、本システムのPDMS流路は幅0.5 mm、0.1 mm であり、微量の液体でも計測可能である。フローシステムはシリンジポンプ、インジェクタバルブ、センサ部から構成される。センサ部に送液する液体とその速度をインジェクタバルブ、シリンジポンプで制御する。Labviewを用いてセンサ部に接続したネットワークアナライザにより薄膜共振子の反射係数S11を自動計測し、一定の時間間隔で共振周波数を読み取り、リアルタイム表示される。

4.2 抗原抗体反応の検出
 Apo(A-II)の濃度が78 ng/mL抗原溶液を送液した際の、基本モード共振周波数変化の計測結果(センサグラム)とセンサ表面状態の模式図を図9に示す。同図を用いて、周波数変化量の計測プロセスについて概説する。
 図9(a)に示すように、抗体のみをセンサ表面に固定化した場合の共振周波数を基準とする。抗原溶液を送液すると、図9(b)のように抗原と抗体の選択的な結合による質量付加により、共振周波数が低下する。その後、図9(c)のように再度Buffer溶液を送液することにより、センサ流路から抗原溶液が排出される。このとき抗原抗体の結合は切れず共振周波数は変化しない。またその後図9(d)のようにGlycine-HCl溶液を送液すれば、抗原抗体結合が解離し、センサを再生させることができる。この例では再生液を二回送液している。送液時、Glycine-HCl溶液の粘性により、共振周波数が急激に減少する。最後に、再びBuffer溶液を送液することで、共振周波数は基準値に戻る。状態(a)と状態(c)の周波数差Δfを抗原の吸着による変化量として見積もることができる。
 図10に抗原濃度を0.001~10 μg/mL の範囲における抗原濃度と共振周波数の変化量の関係を示す。抗原濃度が高くなるにつれて、共振周波数が低下していることがわかる。この結果から、あらかじめ抗原濃度-Δf曲線を取得しておけば、抗原濃度を評価できることを示している。1g/mL 以上の高濃度範囲では、濃度に対するΔfの変化が、低濃度範囲に比べて小さくなっていることがわかる。これは抗原量がセンサ表面に吸着できる許容量に達したためが考えられる。複数回の実験を行い、このセンサの検出限界を評価したところおおよそ0.01 μg/mL であり、目標検出濃度の1 μg /mL を大幅に下回っていることがわかっている。

5.まとめ
 横波モード圧電薄膜共振子の用いた抗原抗体反応MEMSセンサの開発例について紹介した。このセンサで得られる0.01 μg/mL(=10 ng/mL)の検出感度は、25メートルプールに小さじ一杯の病変マーカタンパク質を検出できることに相当する。よく普及している蛍光分析法と比べると、このセンサ方式では標識抗体が必要なく,タンパク質の結合・解離をリアルタイムモニタリングできる点が有利である。近年には、ガンや生活習慣病の病理学研究が精力的に行われ、疾患に関連するタンパク質などのバイオマーカが次々と発見されている。予防医学の観点からは、これらの病変マーカの中で特に重要な因子の変動を日常的に観測できることだけでも、有益と考えられる。