1995年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第09号

圧電性材料を用いたキャピラリー電気泳動(CZE)の高感度検出法の開発とDNAシーケンサへの応用

研究責任者

澤田 嗣郎

所属:東京大学 工学部 工業化学科 教授

共同研究者

北森 武彦

所属:東京大学 工学部 応用化学科 助教授

共同研究者

原田 明

所属:東京大学 工学部 応用化学科 助手

概要

はじめに
キャピラリー電気泳動法(CZE)はサブーアトモル(10-18mol)に及ぶ超微量化学種を高速かつ高効率に成分分離できる次世代の分析法として期待され,特にゲルを充墳したキャピラリーゲル電気泳動法では高速のDNAシーケンサとしての応用が期待されている。しかし,分離された超微量物質を高感度かつ汎用的に検出する方法がない。我々はレーザー光をキャピラリーに照射すると,内部の化学物質による光から熱への変換効果(光熱変換効果)からキャピラリ一が弦の振動と同様の振動をはじめることを見いだし,この効果(CVL)を用いたCZEの超高感度検出に成功した。本助成研究では,圧電素子を用いる検出法など新たなアイディアに基づいて,CVLを効率よく高感度かつ安定して検出する種々の方式を検討し,最適検出条件などを導いた。また,光熱変換系とCVL振動系の時定数を一致させて共振状態にし,通常高周波の非定在波しか励振しないナノ秒短パルスレーザー光でも安定した定在波CVLを誘起する方法を開発した。これによりエキシマレーザーなどパルス発振の紫外線レーザーを利用できるようになり,紫外域に強い吸収を持つことの多い生体関連物質に適用できるようになった。この装置を用いて,アミノ酸などを高性能に分離検出し,通常の検出法によるCZEより少なくとも2桁は感度に優れることを実証した。さらに,通常のゲルとは異なり,架橋しない流動ゲルを用いることで強いレーザー光に対しても損傷の少ない条件を設定することができ,DNA断片の分離検出にも成功し,高性能DNAシーケンサへの展開に道が開けた。以下に詳細を報告する。
分析法や解析法が研究開発の律速となる場合が多い。例えば,ヒトゲノム計画(30億の配列からなるヒトの遺伝子情報を解読し予防医療などに貢献しようとする計画)のように,数10年に及ぼうとする長期間の計画では,分析速度を一桁向上させると単純には数年に短縮される計算となり,その意義は大きい。また,生体機能や先端材料の機能の解明を例にとるまでもなく,近年の超微量分析に求められている重要な技術要素の一つに,特定の超微小試料に含まれる超微量成分の働きを解析し得る分析手段の開発があげられる。例えば細胞一つの分析や特定個体の遺伝子解析など,微小試料を多数集めてその中に含まれる超微量成分を測定して求めた平均値では意味がなく,また,培養やスケールアップが時間的にも技術的にも厄介な場合が相当する。
こうした状況の中で,ナノリットルレベル以下の超微小量試料に含まれる超微量成分の分離法としてキャピラリーゾーン電気泳動法(CZE)が開発され様々な分野から注目を集めている1)。しかし,分離された超微量成分をキャピラリー内でそのまま高感度且つ汎用的に検出する方法はなく,現状では分子に蛍光ラベル化などの化学修飾を施したり,量は少なくても濃度としては濃い状態のまま,単に分離性能に着眼したクロマトグラフィーとしての研究がされているに過ぎない。もし,測定法の問題が解決できれば,単一細胞や微小組織にキャピラリーを挿入してそのまま分析したり,光源や検出器まで集積しセンサーに代わる分析チップなど革新的な技術や新たな分析概念に発展することも期待できる。また,超高性能DNAシーケンサなど高度な要求を満たし得る次世代の機器分析法の要素技術としても位置づけられよう。
このような背景から,高感度で汎用的な検出手段を開発することがCZEの技術課題の中でも特に重要な要素であることが理解できる。我々は,キャピラリーにレーザーを照射すると弦の振動と同様な力学的振動(レーザー誘起キャピラリー振動:CVL)が起こることを示し,超微量物質を超高感度分析できることを実証した2)。そこで,これをCZEの検出器として応用することを着想した3)。基礎実験からレーザー蛍光法に匹敵する感度を有し,吸光法と同等の汎用性が期待できることを示した4)。しかし,現段階では検出条件は十分とは言えず,安定性の向上や励起光が短パルスである場合の検出などを研究課題として念頭においている。特に,多くの生体試料が紫外線領域に光吸収帯を持つことと,紫外線レーザーの多くが短パルス発振であることを考慮すると,後者の研究課題はきわめて重要である。そこで,本課題では以下について研究した。
1)圧電素子によるCVL振動の直接検出などを含め,高感度で安定したCVL検出法の開発。2)ナノ秒短パルス光による定在波CVLの励起。
3)DNAなど生体試料の分離と検出。
原理と装置構成
Fig.1にczE/cvLの装置構成を示す。内径数10μm,外径100μm程度のガラス管キャピラリーに緩衝液を満たして,キャピラリーの一端からnl程度の液体試料を導入する。次に,キャピラリーの両端を緩衝液に浸し,高電圧を印加する。導入した試料バンドは電気浸透流で対極に向かって移動する。さらに,キャピラリー中には電界が生じているため,試料バンドに含まれる成分は電気泳動をはじめ,各成分は電気浸透流で移動しながら電気泳動分離される。したがって,キャピラリー上の一点でモニターしながら待っていると,やがて分離された成分が次々に通過し,液体クロマトグラフィーと同様な分離曲線(電気泳動図)を得ることができる。この成分分離法がキャピラリー電気泳動法(CZE)と呼ばれる方法である。
Fig.1のように,2点で固定したキャピラリーにレーザー光を照射する。キャピラリー内の物質が光を吸収すると無輻射緩和過程でその光エネルギーは熱エネルギーに変換されわずかながら局所的に温度が上昇する。この過程を光熱変換効果と言い,蛍光などの輻射緩和過程と異なりほとんど全ての物質に共通した性質である。発生した熱はキャピラリーの熱膨張を促し,さらに熱膨張はキャピラリーの張力変動を誘起する。レーザー光の照射を周期的にすると,キャピラリーの張力変動は周期的となる。周期的な張力変動は弦の振動の基本的な強制振動項であるため,キャピラリーはレーザー光の断続周期に一致した周波数で弦と同様な振動をはじめる。これがレーザー誘起キャピラリー振動効果(CVL)で,我々が見いだした光熱変換効果である2)。CVLの振幅は発生した熱量,すなわち吸光量に比例するので,キャピラリー内の物質を定量することができる。他の光熱変換効果と同様,吸収した光の量に信号が比例するので,レーザーを用いることで吸光度に対する感度は非常に高くなり,検出限界の吸光度は10-6Abs.と通常の吸光検出法より100倍以上高感度であった3)。したがって,レーザー照射点をCZEで分離された化学種が通過すれば,化学種の吸光度に応じてCVLの振幅が時々刻々と変化するので,分離成分を高感度にモニターすることができる。基礎実験ではFig.2に示すようにフェムトモル(10-15mol)レベルのアミノ酸などを分離検出できた4)。
CVL振動の圧電素子による検出法の検討
CVLは弦楽器の弦の振動と同様な力学的振動である。したがって,この振動を直接電気信号に変換する検出法が最も効率のよい検出手段と考えられる。そこで,圧電素子を用いる検出法を考案した5)。Fig.3に検出部の構成を示す。検出原理は以下の通りである。CVL法では2点で支持したキャピラリーを振動させるので,その支点の一つを圧電素子とする。振動は原理的に張力の周期振動でもあるため,CVLにより圧電素子に掛かる力も同じ周期で変動する。したがって圧電効果からCVL振動に同期した交流電気信号が出力される。この交流信号の振幅をロックインアンプで検出する。
実験では圧電素子にチタン酸バリウム系の圧電セラミクスを用いた。リボフラビン(ビタミンB2)の注射剤を試料として分離検出実験した結果をFig.4に示す5)。リボフラビンに対応するピークが得られ,また,このピーク高さがリボフラビンの量に比例したことから,圧電素子によるCVLの直接検出を確かめることができた。検出感度は一般に使われている吸光光度法より3桁以上優れ,検出限界の吸光度は10-7Abs.に達した。この値はプローブ光を用いてきたCVLに比較しても約1桁高感度であった。プローブ光を用いないので,光軸合わせなど煩雑で熟練を要する光学調整も大幅に低減された。電気泳動の分離電圧は30kV程度に及ぶため,圧電素子に対する電気的な影響が懸念されるが,泳動電流は高々μVのオーダーでかつ直流電流であるため,交流信号であるCVL由来の圧電信号に対しては大きな外乱とはならなかった。しかし,問題点としては,強いイオン性の試料バンドが圧電素子を通過すると,圧電素子の焦電性によりゴーストピークが出現する場合があることがわかった。ミセルキャピラリー電気泳動法(あるいはミセル動電クロマトグラフィー法)のように中性化学種を扱う場合は問題無いと思われるが,イオン性の化学種が主体である通常のCZEには適さないことがあり,今後の技術課題として検討を進める。
CVL振動の光学的検出法の検討
そこで,電気的に孤立させることができる光学的な検出法を検討した。CVLを見いだした初期の研究では,通常の光熱変換分光法との類似性からキャピラリー直上をプローブ光を通過させて,このプローブ光の偏向効果でCVL振動を検出していた2)。しかし,この方法では前述のようにキャピラリーとプローブ光の位置関係で信号強度が大きく変わり,光学調整の難しさから安定した検出は難しかった。そこで,これに代わるCVLの光学的検出法として以下の方式を考案した6)。プローブレーザー光をキャピラリー内に通過させると,Fig.1に示すようにプローブ光の干渉パターンが生じる。このバターンはキャピラリーの振動と共に空間的に振動するので,この空間的変位を光位置検出器で検出すればCVL振動を検出することができる。この方法は感度や雑音,光学位置調整のしやすさなどの点から現時点では最も優れた特性を示した。
しかし,この方式でもCVLの優れた性能は検出条件・測定条件がある一定の条件下でのみ発揮され,多くの場合,極端に高いバックグラウンドに信号が埋もれてしまい,試料液体の吸光度に対して定量性のある信号が得られなくなる。そこで,キャピラリーで発生する種々の光熱変換現象を実験的に解析した結果,以下に述べるような安定した検出条件を見いだした6)。熱の発生と伝導及び伝達は,Fig.5に示すようにガラス部分でも起こり,温度上昇による屈折率分布の変化でプローブ光の進路はゆがむため,(b)や(c)の条件ではこれが大きなバックグラウンドとなることが明らかとなった。(a)のように熱拡散領域の外側にプローブ光を通すとこのような影響を避けることができ,定量性のあるCVLを検出できることがわかった。この条件は強制振動の共振条件を考慮することから実験的に見いだすことができた。すなわち,プローブ光の位置をキャピラリーに沿って変えていき,位相信号がπ/2変化する場所が熱拡散領域の境界である。これを目安にプローブ光を設定すればよいことを明らかにした。
ナノ秒短パルス光による定在波CVLの励起
生体関連物質の多くは紫外域に強い吸収を持つため,広範な生体関連物質への応用にはエキシマレーザーなど原理的にパルス発振の紫外線レーザーによるCVLの誘起が望ましい。しかし,キャピラリーの長さや張力など力学的条件で決まる固有振動周波数は高々1kHzの領域で時定数は1ms程度であるのに対して,紫外線レーザーの多くははるかに短いナノ秒以下のパルス幅である。系の固有振動の時定数より励振パルス幅が極端に短い場合,発生する波動はパルスとなり,たとえパルスの繰り返しを共振周波数に一致させても定在波を励起することは物理的に不可能であることはよく知られている。ポリフッ化ビニリデンのような圧電薄膜を用いれば応答性が高いので高周波振動をとらえることもできるが,焦電性も強いので先に述べたゴーストピークの影響も大きくなる。また,一般に微量分析では,定在波の振幅を用いる方がより正確で安定に測定でき,パルス波の波高は適さない。そこで,ナノ秒短パルス光で定在波CVL信号を誘起することを検討した7)。
まず,励起光のパルス幅がナノ秒程度であっても,CVLの強制振動項である張力変化はキャピラリーから熱が系外に散逸するまでの時間であることに着目した。キャピラリーからの放熱時間を励振の時定数とすれば,この時定数にCVL振動の時定数を一致させれば定在波CVLを得ることができるはずである。熱拡散率よりキャピラリーから空気への熱伝達時間を評価するとおおよそ1msであり,ナノ秒パルス励起光に対してFig.6のような放熱となることが予想された。キャピラリーの張力変化はこの放熱に依存するから,放熱パターンの第1フーリエ成分がCVLの主たる強制振動項となり,正弦振動の定在波CVLが励振されることになる。そこで、キャピラリーの共振周期,励起パルス列の繰り返し周期を熱伝達時間の逆数に合わせれば9ナノ秒パルス光でも定在波CVLが得られるはずである。実験の結果7)をFig.6に併記した。励起レーザー光は波長248nm,パルス幅60nsのKrFエキシマレーザーとした。キャピラリーの振動部分の長さを4cmとし,張力を微調整して共振周波数を約1kHzに調整した。励起レーザーパルスの繰り返しを共振周波数に一致させると,予想通りFig.6に示すような安定した定在波CVLを得ることができた。これまで開発してきたCVLと同様,この定在波CVLの振幅も試料量に比例した。感度も通常の吸光検出器に比較して約2桁高感度であり,パルス紫外レーザー励起のCVLもCZEの検出器として十分優れた性能を期待できることがわかった。
生体関連物質およびDNAシーケンスへの応用
以上のようにして開発したCZE/CVLシステムを実際の生体試料の分析に応用し性能を評価した。まず,アミノ酸の分析例をFig.7に示す8)。アミノ酸には誘導体化など化学操作は何も加えていないありのままの分子である。2種のアミノ酸をフェムトモルレベルで分離検出できており,市販の吸光検出器より約2桁高感度であった。この他にも,免疫蛋白の検出などにも成功した。
キャピラリーにゲルを充填することは我々以外のグループでも試みていたが,我々は敢えてゲルの架橋剤を用いず,流動ゲルのまま充填した。これにより,電気浸透によりゲルが常に移動し,紫外線パルスレーザーの照射にも損傷をなくすることができた。しかもゲルによる分子ふるい効果は保たれており,Fig.8に示すように1分子ずつ重合長の異なるポリアデニル酸を精度よく分離検出することもできた9)。この結果は,さらに,Fig.9に示すDNA断片の分離検出にも応用することができた9}。詳細は割愛するが,この例では早いピークから順に,シトシンで終端した塩基配列を短い順番に並べていることに相当し,高性能DNAシーケンス(解読)法としての可能性を示すものである。
以上のように,本助成研究で開発した装置は国際的にも高水準な結果を示し,当初計画した成果は十分達成し得たと評価する。今後,DNAシーケンスや免疫測定など,より実用に即した高度利用に対しても道が開けたと考える。