2006年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第20号

周波数コム発生による光コヒーレンス・トモグラフィの研究

研究責任者

黒川 隆志

所属:東京農工大学 工学部 電気電子工学科 教授

共同研究者

田中 洋介

所属:東京農工大学大学院 システム情報学部門 講師

共同研究者

塩田 達俊

所属:東京農工大学大学院 ナノ未来科学研究拠点 助手

概要

1. はじめに
生体の表皮下の断層写真を得る方法として、光コヒーレンス・トモグラフィー(OCT)の技術が研究されている。この技術は生体表皮から光を入射し、組織内部の反射光を検出して表皮下の断層イメージングを行う方法である。すでに網膜疾患の診断など眼科の分野で実用化されており、また皮膚ガンの診断等OCT技術の適用が期待される医療分野は少なくない。ところが、現状のOCT技術には次のような問題点がある。
まず、観察できる深さが浅くデータ取得に長時間を要すこと。現状のOCT技術では、光源に発光ダイオードやスーパールミネッセントダイオード等、スペクトル幅の広い低コヒーレンス光源を用いている。しかし、これらの光源は強度が弱く光の利用効率も悪いため、微弱な出力しかえられない。そのため表皮より1 ~ 2 mmの深さまでしか観測できない。また、一点ずつ集光ビームを走査しながらデータを取得するため、一枚の断層像を得るために長時間10秒~数分を要する。
これに対して本研究のOCTは光周波数コムを光源とする新しい方法である。コヒーレンスの高いレーザーを用いるため次の様な特色がある。
1)生体内の透過率が高い波長域のレーザー光を用いるため光の利用効率が高い。したがって、従来よりもさらに深部まで観測可能となる。また、イメージセンサの導入が可能となり、観測時間の大幅な短縮ができる。つまり動的な対象も観察できる。
2)従来のOCTが必要とする参照ミラーと物体走査の2ヵ所の可動部が不要。再現性や耐震性に優れた小型な装置化が可能となる。
本研究では、広帯域なOCT光源として2台の位相変調器を直列接続した構成により、周波数間隔可変の光周波数コムを生成してマイケルソン干渉計に入射し、透明薄板試料を用いた計測を実施してOCT技術応用への原理確認を行った。

2.光周波数コムを用いたOCT計測の原理1)
 マイケルソン光干渉計と低コヒーレンス光源を用いた距離計測システムの様な白色光干渉計では図1(a)の様に機械的な可動部を設けて時間遅れτを与え相関を測定する。一方の分岐には試料が置かれ、他方には可動ミラーが置かれている。低コヒーレンス光源を用いると干渉計の光学長が等しいときに干渉出力を検出することが出来る。つまり、参照ミラーを動かすことで光路差ΔLを算出することが出来る。
一方、本方式では図2(b)の様に、光周波数コムを光源としてそのコム間隔を掃引して測定する。つまり、機械的な可動部を持たず信号発生器からの出力周波数Ωを制御するのみであるため、完全に電気的な制御のみで距離情報を得ることを可能にする。
ウィーナー・キンチンの定理により、光干渉計の出力として得られる自己相関関数のフーリエ変換は、光源のパワースペクトルを与える。ここで、光源に光周波数コムを用いる場合を考えよう。周波数軸上の広い帯域で等間隔にピークが並ぶ光周波数コムのパワースペクトルは
と表わされる。さらに式(1)の逆フーリエ変換が干渉出力R(?)を与え、
の様に表すことが出来る。つまり図2(a)の様に、周波数間隔Ωでα本並んだ光周波数コムを図1(b)の干渉計を通して光検出すると図2(b)の様に、遅延時間1/αΩ間隔のピークが現れる。ここで図2(b)の水平軸を表すτとは、光が干渉計の光学長差を進むのに要す時間を意味し、光速との積が距離差を与える。
さらに、周波数間隔Ωを範囲Ω1からΩ2まで掃引したとき、Ωの値でピークが検出されたとすると、
で距離差ΔLが求められる。このとき、ダイナミックレンジは
で与えられる。また、分解能は
で表わされる。ここで、Nは干渉の次数、αΩは光周波数コムの帯域を示す。式(3)より光源の光周波数コムスペクトルの帯域が広いほど分解能が向上することが分かる。

3. 光周波数コム発生1), 2) ~二段直列接続した位相変調器によるコム発生法~
前述の通り、光周波数コム(広い帯域にピークが等間隔に並ぶ様子から、光周波数コムと呼ばれる)の周波数帯域が広いほど分解能が向上する。つまり、スペクトルの包絡線の幅が広い程よいわけである。帯域の広い光周波数コムを得る為には、ピークの間隔を広げるか本数を増やす必要がある。例えばスペクトル上に100本のピークを持つ光周波数コムでもピーク間隔が1 MHzでは、帯域は100 MHzにとどまる。しかし、10 GHzのピーク間隔の光周波数コムでは1 THzの帯域を得ることが出来る。本研究では、10 GHzの周波数間隔で広帯域な光周波数コムを得るためのシステムとして、筆者が考案した二段の位相変調器を直列に接続して広帯域な光周波数コムを発生させる方法を紹介する。
周波数がω0のCW光を位相変調すると、周波数軸上に変調周波数Ω間隔で等間隔に並ぶスペクトルが観測される。図3に光周波数コムを生成するための変調器の構成を示す。二段の位相変調器を直列に接続した構成である。前段の位相変調器は周波数ΩのRF信号で駆動され、後段は周波数2ΩのRF信号により二逓倍駆動される。
で表わされるCWレーザー光を1段目の位相変調器に入力すると、
の出力が得られる。ここで、Jmはm次のベッセル関数を、φは変調度を表わす。実験的には図3(a)の様に出力スペクトルが得られ、変調器を駆動するRF信号の周波数間隔Ωで並ぶ複数のピークを示す。
さらに、変調周波数が2Ωで駆動される後段の変調器を透過すると
で表わされる出力が得られる。その様子は図3(b)の様になる。初段の位相変調器直後のスペクトル(a)より広帯域化していることが分かる。このシステムにより10 GHz間隔で帯域が410 GHzの光周波数コムが得られた。なお、位相変調器はそれぞれ、18 dBm、27dBmの電力で駆動した。

4.ファラデー回転鏡による偏光揺らぎの補償3)
 レーザー光源を用いたファイバ光学干渉計では、偏光揺らぎが生じるため干渉計の出力が不安定となる。そこで、筆者らはファラデー回転を利用した素子を導入して、この偏光揺らぎを補償することを試みた。シングルモード(SM)光ファイバは機械的な圧力や温度による密度揺らぎなどに起因してファイバコア内に屈折率の異方性を生じる。そこで、偏光したレーザー光源とファイバ干渉計を用いて光干渉計測を行う場合、このSMファイバの時間的に変動する複屈折性のために干渉出力が不安定になる。ファラデー回転鏡(FRR: Faraday Rotator Reflector)は、光ファイバ中の複屈折性を補償して、偏光をもとの状態に戻すことが出来る。
FRRの構成を図4に示す。SMファイバ透過後FRRにより反射され再びSMファイバを逆方向に進む。ファラデー回転子は非相反性を示すので、透過する偏向光に45?の位相変化を与える様にファラデー回転子を設計すると反射光の偏光は入射光の偏光と直交する。FRRで反射されて逆向きに伝播する光の偏光がファイバのどの地点でも入射光の偏光ベクトルと直交するので、SMファイバ中で受ける偏光揺らぎを補償することができる。図5に実際に作製したFRRの外観を示す。このFRRを用い、実験的にFRRによる光ファイバ中の偏光揺らぎの補償能力を調べた。図6が実験系である。干渉計の一方はFRRで終端され、他方は反射を防ぐためにAPC研磨のファイバで終端されている。さらに、FRRの直前には偏光状態を積極的に乱すために偏波コントローラを設置した。出力側には偏光解析器としてPBSにより二つの偏波状態を計測できるようにした。LDからの直線偏光の光を干渉計に入射し、偏波コントローラにより偏光を乱したときのFRRによる補償効果を観測した結果が図7である。図7(a)はFRRをミラーに置き換えた場合であり、偏波コントローラにより出力光の偏光が乱されている様子が分かる。一方、FRRで終端した場合は、図7(b)の様に出力光の偏光状態は、偏波コントローラの状態に依存せず入射光の偏光状態と同じ直線偏光になる様に保たれている様子が分かる。これにより、光ファイバ中での偏光揺らぎはFRRにより補償されることが確認できた。
 さらに、FRRは光ファイバの偏向揺らぎを補償することのみを目的に設計されたものであるが、試料表面の段差計測に応用できるファラデー回転透過鏡(FRT: Faraday Rotator Transmitter)を開発した。図8に構成を示す。これは超焦点設計された透過光学系を備えており、光ファイバによる偏光揺らぎを抑え且つ試料表面を照射することを可能にする。また、図9は実際に作製したFRTの外観である。このFRTを、光周波数コムを用いた干渉計測へ応用した実験と結果を次項以降に述べる。

5.実験系
 実験系を図10に示す。光周波数コムの発生系、光干渉計、および制御系により構成した。システムの取り扱いの簡単化を図るために、光学系は試料部分を除いて、全て光ファイバにより構築した。波長1550 nmを発振するレーザー光を直列に接続した位相変調器に導いた。2台の位相変調器は1台のRF信号発生器により駆動し、一方には入力直前に逓倍器を設置した。10 GHz間隔で帯域410 GHzの光周波数コムとして出射した光を光干渉計に導いた。光干渉計の参照側はFRRにより終端した。また、信号側のファイバはFRTにより終端され、試料に照射できるようにした。試料は、幅2 mmの基準面に高さ1 mmと0.5 mmの段差を有すゲージブロックを設置して段差を与えたものである。反射光は再びFRTを透過後ファイバに結合され、参照側のFRRによる反射光と合波された後に光干渉計の出力として受光器により検出した。コンピュータによりコム間隔周波数の掃引と干渉出力の記録の制御を行った。

6.実験結果
 光周波数コム光源を用いて行った典型的な段差計測の結果を図11に示す。図10の信号発生器の駆動周波数?mを変化させて干渉の出力強度を測定した結果である。12 GHzを中心に前後1 GHzの範囲を掃引した。ピークの頂点が試料表面の位置を表す。図10の試料表面の位置を変えて同様の測定を行い、それぞれ得られたピークから中心の位置をプロットすると図12の様になる。横軸が精密位置決め器で試料をずらした距離を表し、縦軸が測定した表面の位置を表している。与えた段差0.5 mmと1 mmが精度よく計測できていることが分かる。
次に、トモグラフィ計測としての原理確認を行う為に、透明薄板を利用して多数の反射面が同時に存在する場合の計測を試みた。厚さ1.1 mmで屈折率1.5の薄板を試料として用いた。これを試料として光周波数コム光源により計測した結果が図13の様に得られた。2本観測されたピークはそれぞれ透明薄板の表面と裏面での反射光によるものである。つまり、このピーク間隔が透明薄板の厚さを表し、1.6 mmと求まった。ただし光学長であるので屈折率1.5を考慮して、厚さは約1.1 mmとなりほぼ正確な値が得られた。ピークの頂点を求める信号処理により約9 ?mの精度で求められた。

7.まとめ
 光周波数コム光源を用いたOCT光計測技術への応用の基礎検討を行った。表面段差計測と透明薄板の厚さ計測を行った。光周波数コム発生器を駆動する変調周波数を掃引することで機械的な可動部を無くし安定な計測を行えることを示した。表面段差計測より2次元の形状を計測できることを示した。また、透明薄板を用いた厚さ計測により1mmの段差を9μmの精度で測定できることを示した。今後の課題として、周波数コム光源の広帯域化、イメージセンサの導入による計測時間の短縮化を行い、OCTとしての性能の確立を目指す。