2012年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第26号

反射型エシェロンを用いた生体光反応の時間・周波数実時間マッピング装置の開発

研究責任者

武田 淳

所属:横浜国立大学大学院 工学研究院 知的構造の創生部門 教授

共同研究者

片山 郁文

所属:横浜国立大学学際研究プロジェクトセンター 特任教員(助教)

概要

1.はじめに
極微量生体系試料の光反応初期過程や(微小な)機能性結晶の不可逆光誘起現象を捉えるためには、超短時間で時々刻々と変化する物質の構造や機能を実時間で可視化する新規分光技術の開発が望まれる。我々は、このような目的意識のもと、1 ショットベースで物質の過渡吸収変化を捉えることができる時間・周波数2 次元(2D)実時間イメージング分光法を考案した[1,2]。この分光手法を用いることにより、例えば、光合成において重要な役割を担うカロテノイド薄膜の超高速内部転換 [3]や極微量の光捕集性π共役ナノスターデンドリマーの高効率エネルギー伝達[4]の時間・周波数特性が実時間でマッピング可能になる。本研究では、我々のアイディアをもとに、いくつかのシングルショット時間・周波数2D 実時間イメージング分光法を開発した。とくに、階段状マイクロステップ構造をもつ反射型エシェロンを設計・製作し、これを時間遅延付与の光学素子として使用する新規の時間・周波数実時間マッピング分光装置を検討した。また、開発した新規マッピング分光技術を駆使していくつかの物性計測を行った。
2.シングルショット時間・周波数実時間イメージング分光法
図1 に我々が考案したシングルショット実時間イメージング分光法の概略を記す。(a)はサンプル上でポンプ光とプローブ光を傾けてプローブ光に空間的な時間遅延(Δt)をつける方法(第1世代イメージング分光技術)、(b)は階段状構造を持つエシェロン光学素子により予めプローブ光に空間的な時間遅延(Δt)をつける方法(第2 世代イメージング分光技術)を示している。(a)では、プローブ光として自己位相変調により発生した白色光を用いており、紫外?赤外の広帯域で物質の過渡吸収変化を測定できるようになっている。一方(b)においては(現時点では広帯域化はできていないが)、サンプル上でプローブ光をほぼ点に集光できるというメリットがある。このため、均一でない試料や微小な固体試料への適用が可能となる。何れの場合も、サンプル通過後の(遅延時間のついた)プローブ光のイメージを2 次元CCD 検出器付分光器に取り込むことにより、物質の過渡応答の時間・周波数特性を1 ショットベースで同時マッピングできる。
3.第1 世代イメージング分光技術による実験結果
まずは、図1(a)の方法による研究成果について述べる。ポンプ光・プローブ白色光の交差角をθ?20°、プローブ光のビーム径を?7mm とすることにより、1 フレーム当たり?5ps の時間範囲、?260nm の波長範囲を一度にマッピングできる[1,2]。光学系は1 ボックスに納める形でパッケージングを行った(図2)。
図3 にこの手法によって測定したβ カロテン薄膜の超高速内部転換の時間・周波数2D イメージング画像(下段)及びポンプ光照射に伴って光劣化するβ カロテン薄膜の写真(上段)を示す。イメージング計測の積算時間は1 フレーム当たりわずか20 ミリ秒(光パルス20 ショット積算)であり、12 枚程度のフレームをつなぎ合わせて全時間・周波数領域の画像を作成している。ポンプ光を?数百ショット照射するだけでカロテノイドのπ共役は切断され、瞬時に色抜けが生じる(上段写真の丸点線の内部)。しかしながら、我々の開発した時間イメージング分光手法は1 ショットベースであり、極めて短時間の積算で物質の過渡応答の時間・周波数2D イメージをマッピングできるので、このような場合においても、11Ag-状態への吸収のブリーチング(?400nm)、11Bu+状態からより高次の励起状態への過渡吸収(820?900nm)、11Bu+状態から21Ag-状態への超高速内部転換後(?0.2ps)に生じる21Ag-状態からより高次の励起状態への過渡吸収(520?620nm)が明確に観測される[3]。
次に、光捕集性デンドリマーについての結果を述べる。デンドリマーとは、光エネルギーを捕集するアンテナ分子とアンテナ分子から高効率でエネルギーを受け取るコア分子からなる高分子化合物であり、光合成を模した人工模擬物質あるいは次世代の光エネルギー変換物質として期待されている。本研究で用いたデンドリマーは図4に示すようにアンテナ分子としてペリフェリをコア分子としてフタロシアニンを用いたπ共役ナノスターデンドリマーであり、励起状態間の波動関数の重なりを介した高効率エネルギー移動が期待されている[5]。
本研究では、アンテナ分子の長さと個数の異なる4 種類のナノスターデンドリマー(SSSnPc-m;n,m=1,2、n はアンテナ分子の長さ、m は芳香環あたりのアンテナ分子の個数)を用いて、アンテナ分子を選択励起した際のコア分子の(1)過渡吸収強度(実時間イメージング計測)、(2)蛍光強度、(3)蛍光寿命の3 つの測定からエネルギー移動の効率を決定した。図5 に、一例として、ナノスターデンドリマー(SSS2Pc-1)の過渡吸収変化の時間・周波数2D イメージング画像を示す。また、4 種類のデンドリマーの各々のイメージング画像から切り出したコア分子の吸収変化量の時間発展を示す。
コア分子の吸収変化量から、アンテナ分子の個数が増え長さが長くなるとアンテナからコアへのエネルギー移動の効率が減少することがわかる。これは、個数や長さが増加するとアンテナ分子同士の立体障害により分子の平面性(π共役性)が損なわれ、アンテナ分子とコア分子の励起状態間の波動関数の重なりが減じることで理解できる。また、コア分子の蛍光強度と寿命からエネルギー伝達効率の絶対値を見積もると、SSS1Pc-1(0.63)>SSS1Pc-2(0.49)? SSS2Pc-1(0.48)>SSS2Pc-2(0.39)であることを見出した。一方、アンテナ分子の数を多くした方が光エネルギーを吸収しやすくなるので、エネルギー変換効率はSSS1Pc-1 < SSS1Pc-2? SSS2Pc-1 4.第2 世代イメージング分光技術による実験結果
次に、エシェロン光学素子を用いたシングルショット分光の研究成果を示す。エシェロン光学素子は、石英ガラスを精密研磨して加工した透過型エシェロンと金属を切削研磨して作製した反射型エシェロンがあるが、ここでは後者について述べる。反射型エシェロン光学素子はNi ブロック(10x10x10 mm3)をダイアモンドバイトにより精密加工・研磨したもので、高さ5μm 幅20μm のステップが500 段刻まれており、1 ステップあたり?37fs、全体で?17ps の時間を一度に計測することが可能である[7]。また、(日本の伝統的な精密金型技術を利用しているので)、反射型エシェロンのステップ構造は1μm 以上であれば比較的自在に精密加工・研磨が可能であり、将来、様々な時間・周波数特性に合わせた設計ができる点がメリットの一つでもある。
まずは第2 高調波発生を用いた自己相関法にこの反射型エシェロンを組み込み、再生増幅Ti:Sapphire レーザー(λ=800nm, <100fs)からの光パルスの時間・周波数イメージング計測(FROG計測;frequency-resolved optical gating [8])を行った。第2 高調波発生は、図1(b)のサンプル位置に厚さ1mm の非線形結晶(BBO)を置くことにより行った。図6(a)は、再生増幅レーザーのコンプレッサーを操作し、正負のチャープに伴うFROG イメージの変化を1 ショット計測したものである。図の上から負チャープ(NC)、近似的フーリエ限界パルス(TL)、正チャープ(PC)における実測したFROG イメージを示す。また、図6(b)は、FROG ソフトウェア(Femtosoft)により再現されたイメージを示す。測定したFROG イメージはFROG ソフトウェアのアルゴリズムにより良く再現されており、ここから群遅延分散(2 次の分散)や3 次の分散、光パルスのスペクトル形状や位相シフトを簡単に求めることができる(例えば、図6 における2 次及び3 次の分散はNC では-1.14x104 fs2、3.82x105 fs3、PC では1.63x104 fs2、3.39x105fs3 である)[9]。
次に、反射型エシェロンを用いた実際のサンプルの計測結果を示す。ここでは、強誘電体(LiNbO3)のフォノンポラリトン分散のイメージング計測について述べる。厚さ0.5mm のX-cut のLiNbO3結晶を用い、c 軸に45°の偏光で強いポンプ光を入射し誘導ラマン過程によりE モードフォノンを誘起した。またプローブ光はc 軸に平行(異常光線)および垂直(常光線)とし、カー配置にて光ヘテロダイン検出を行った。図7 にプローブ光が異常光線(左)、常光線(右)の場合のフォノンポラリトンの時間・周波数実時間2D イメージ画像(上段)とそのフーリエ変換(下段)を示す。時刻0 付近における強い電子応答の後に、明確にフォノンポラリトンによる振動構造が観測される(丸点線内)。振動成分のフーリエ変換を行うと、その振動数はプローブの中心波長(?795nm)を挟んで?3THz と?4THz であることがわかるが、プローブが異常光線か常光線かにより観測される振動数が中心波長に対して反転する。これは位相整合条件によるものであり、プローブ光が常光線の場合は、生成したフォノンポラリトン(?4THz)とプローブ光の差周波が長波長側に、生成したフォノンポラリトン(?3THz)とプローブ光の和周波が短波長側に観測されるためである。一方、プローブが異常光線の場合は、その逆が観測される[10]。
また、ここで重要なのは、ポンプ光のパルス幅(?100fs)で決まる帯域のフォノンが誘導ラマン過程で誘起されているので、図7 のマッピング画像は、ある波数範囲のフォノンポラリトン分散を一気にイメージングしているという点である。このため、例えば更に短い超短パルス光を用いたイメージング計測を行うことにより、より広範囲の波数領域、upper-branch のポラリトン分散などをシングルショットで決定できるものと期待される。
5.まとめと展望
超高速過渡現象を1 ショットベースで可視化する「時間・周波数2 次元実時間イメージング分光法」を開発した。この分光技術を用いて、カロテノイド薄膜の超高速内部転換や極微量のπ共役ナノスターデンドリマーの超高速エネルギー伝達の可視化に成功した。また、エシェロン光学素子を用いたシングルショットイメージング分光法により、超短光パルス自身のFROG 計測や強誘電体のフォノンポラリトン分散の他、一次元物質の絶縁体-金属転移[11]の実時間イメージング計測に成功した。これらの手法が、今後、生体系サンプルをはじめとした様々な(不可逆)光誘起現象の解明や制御に活用されることを期待したい。