2016年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第30号

単一細胞内情報伝達物質の濃度変化を計測する細胞内蛍光センサーの開発

研究責任者

坂口 怜子

所属:京都大学 物質-細胞統合システム拠点 特定拠点助教

共同研究者

森 泰生

所属:京都大学 工学研究科 教授

共同研究者

森井 孝

所属:京都大学 エネルギー科学研究科 教授

共同研究者

佐藤 慎一

所属:京都大学 物質-細胞統合システム拠点 特定拠点准教授

概要

1.まえがき

細胞は、外部からの刺激に応じて様々なシグナル伝達系を走らせ、その下流の細胞応答を制御している。シグナル伝達分子の中でも、イノシトールポリリン酸類(InsPn)は、細胞内 Ca2+濃度を制御しており、転写・翻訳等を司っている 1)~3)

(注:図1/PDFに記載)

受容体刺激を受けて、細胞内では前駆物質からイノシトール三リン酸(Ins(1,4,5)P3,または InsP3) が産出される。InsP3/Ca2+シグナルによる細胞内情報伝達は、広範囲な生物種において、種々の細胞・組織タイプに存在し、様々な生命現象に関与していることが報告されている(図1)。InsP3

更に細胞内で代謝されて、イノシトール四リン酸(InsP4)、イノシトール五リン酸(InsP5)、イノシトール六リン酸(InsP6)などの InsPn が産出される。個々の InsPn は、構造上のわずかな違いがあるだけで、各々が独立した機能・役割を持っていると考えられている。

高次にリン酸化された InsPn は、それぞれが細胞内 Ca2+動態の制御や、免疫細胞の発達に関与していることが報告、示唆されてはいるが、現況では生きた単一細胞内での InsPn 動態をリアルタイムにモニターするための手法が限られているため、細胞内での役割や産出・代謝経路は完全には明らかにされていない。現在、シグナル伝達分子の中でも InsP3、 InsP4 や一酸化窒素、Ca2+に対する蛍光センサーが発表、実用化されているが 4)~8)、さらに高度にリン酸化された InsPn を検出するためには、多数の細胞を集めて、そこから抽出して検出するしか定量的な解析方法が存在しない。この手法では、同一のサンプルから多種類の物質を一度に検出できる利点はあるが、細胞の破壊を伴い、時間的に連続した情報は得られない。また、検出される情報は多数の細胞の平均であり、必ずしも個々の細胞応答を反映しない。さらに、細胞内における核・ミトコンドリア・膜画分などへの局在分布を検出することは、不可能ではないが煩雑で、精度も低いという問題点がある。従って、これらの情報伝達分子群のそれぞれの挙動を、生きた細胞内でリアルタイムかつ高感度に計測できる技術は、生命現象を理解する上で必要であると考えられる。そこで本研究では、これらの物質の濃度挙動の経時変化を、単一細胞内で、細胞を破壊する事なく、蛍光法を用いて高感度に計測できる技術を開発するとともに、これらを用いて各々の細胞内情報伝達物質が持つ生理学的意義の解明を目指す。

 

2.これまでの研究

現在までに当研究室では、細胞内の InsP3、InsP44)~6), 9)を定量的に測定するセンサーを、二通りの手法を用いて開発している。一つ目の手法では、元々InsPn に親和性の高い天然のタンパク質である PH ドメインを出発物質として、その三次元結晶構造情報から、基質結合部位付近、なおかつ基質結合に影響のない残基を選ぶ。この残基を

(注:図2/PDFに記載)

遺伝子上でシステインに変異させ、配列中に存在する他の全てのシステインを大きさ・構造が似たセリンなどのアミノ酸に変異させる。こうして配列中にシステインを一つだけ含むタンパク質を大腸菌発現系で発現・精製し、唯一のシステインをチオール選択的に反応する蛍光分子で修飾し、蛍光性センサーに変換する(図2)8)。このようにして作製したセンサーは、試験管内の評価においてターゲット物質に対して充分な親和性・選択性を示し、哺乳細胞内におけるターゲット分子の濃度挙動をリアルタイムに観測することに成功している。

二つ目の手法では、GFP とその改良変異体を、InsP4 に特異的に結合する PH ドメインタンパク質と結合させることで構築している。PH ドメイン

(注:図3/PDFに記載)

の三次元結晶構造情報から、基質結合部位付近のループである 19, 20 位を選び、この間に GFP を遺伝子上で挿入した。また、GFP 自体も、より効率よく基質結合に伴う摂動を伝えるために、発色団近傍ループ部位(N145, Y144)を新たな N 末端、C 末端とする円順列変異をほどこした 7)。このセンサーは全長遺伝子をそのまま大腸菌に導入してタンパク質を発現、精製し、そのまま試験管内における評価に用いることができる。また、哺乳細胞におけるタンパク質発現のプロモーター配列を付加するだけで、細胞内発現が可能である。さらに、恒常的にセンサーを発現する株を作製することも視野に入れている。

こうして作製したセンサーは、試験管内の評価においてターゲット物質濃度に依存して蛍光強度の変化を示し、基質に対する充分な親和性および選択性を有した。従って、今後の細胞内における計測への応用が可能であることが確認できている。

 

3.本研究の成果

3-1本研究の目的

以上の知見を生かして本研究では、生きた単一細胞内、さらには細胞内の部位特異的に存在する様々な InsPn の産出・代謝を、充分な時間分解能・空間分解能で可視化でき、なおかつ細胞へのダメージが少ない蛍光性センサー群を作製することを試みた。さらに、これらを用いて細胞内の InsPn 挙動を観察することを目的とした。

具体的な手順としては、まず細胞内に存在する様々な InsPn のそれぞれについて適切な親和性と高い特異性を持った受容体を作製し、これらをもとに各々を検出するセンサーを構築して、標的分子の細胞内における挙動を可視化することを試みた。そして、最初の標的分子として、InsP4 の代謝産物であるIns(1,3,4)P3(リン酸基の位置が異な
る Ins(1,4,5)P3 の異性体)を選んだ。また、同時並行でこれまでに作製したInsPn センサーを用いて、細胞内における各シグナル分子の挙動の評価を行った。

 

3-2 Ins(1,3,4)P3 特異的な受容体の作製

Ins(1,3,4)P3 を標的とした蛍光性センサーの構築のために、ターゲットに対して高選択性と適切な親和性を持つ受容体の作製を行った。受容体の作製には、種々のInsPn の僅かな差異を見分けて認識するために、Split PH domain(図4)を用いた10)。まず、InsP3 に特異的に結合する天然のタンパク質であるPLCδ PH domain を2 つに分割したSplit PH domain の、各サブユニット中の基質結合部位周辺のアミノ酸をランダムに変異させたペプチドを、ファージディスプレイ法でファージに
提示させ、ライブラリー化する。この2 つのサブユニットライブラリーから、ターゲット基質に特異的に結合する配列をそれぞれ選び出し、2 量体を形成するコイルドコイル構造によって会合させることにより、目的の基質に対する結合場を構築する。

アミノ酸を7 残基ランダム化したライブラリーから、Ins(1,3,4)P3 に高特異的で、適切な親和性を持つ人工受容体を、ファージディスプレイ法で選び出す手法を取った。10 μM のIns(1,3,4)P3 に対して結合し、洗浄に耐える分子のみを集め、濃縮し、次ラウンドの結合ファージのプールとした。3 ラウンドの選択・洗浄の後、Ins(1,3,4)P3 に対する結合能を持つ分子種は、初期プールに比べ増加した。

(注:図4/PDFに記載)

今後、このアミノ酸配列をコードする遺伝子をPCR 法で増幅し、配列を決定する。天然のタンパク質を出発物質としているため、あらかじめ各InsPn とある程度の親和性が保証され、ライブラ
リー法を組み合わせることで、より特異性の高い受容体が得られる事が期待できる。次に、この受容体を蛍光発色団で修飾することによって、蛍光性センサーに変換する。その後、作製したセンサーの基本的な特性を試験管内で評価する。一般に、ある物質の計測技術には、標的物質に対する高い選択性と、広範囲の濃度域で感度よく測定できる適切な感度が求められる。蛍光分光器を用いて、作製したセンサーに標的物質を加えることで、濃度依存的な蛍光特性(強度、波形)の変化を評価する。また、似通った構造を持つ異性体との競合評価や、生体内の他の物質(塩、ATP などの小分子)の影響を評価する予定である。

 

3-3 GFP 融合型InsPn センサーの細胞内発現
並行して、GFP 融合型のInsPn センサーの、哺乳動物細胞内での発現条件検討を行った。このセンサーは、試験管内での評価では高選択的に感度良く標的 InsP4 を検出できることを報告しているが、実際の細胞内での発現・評価は行われていない。作製したセンサーをコードする遺伝子を、細胞発現用のプラスミドにクローニングすることで構築した。このプラスミドをHEK 細胞・HeLa 細胞などの細胞株に、数種類の市販遺伝子導入試薬を用いて導入条件を検討したところ、GFP の発光が細胞質内で均一に確認できる条件が確立できた(図5)。この細胞に、、InsP3 や InsP4 産出を促すことが知られているヒスタミン刺激を与えたところ、試験管内での挙動に対応する蛍光変化が観察されたことから、このセンサーが細胞内において InsP4 産出を検出することに成功したことが示唆された(論文投稿準備中)。

(注:図5/PDFに記載)

元々の PH ドメインは膜上に存在するリン脂質である PIP2, PIP3 などとも結合するが、本設計では、その基質結合部位付近に分子量 26 kDa の GFP を融合することで、立体障害から細胞膜上に存在する PIPn とは結合できず、細胞質内での均一な発現が可能になったと考えられる。GFP は様々な蛍光特性を持つ変異体が多数、報告されており、GFP 部分をこれらの変異体と付け替えることで、異なった励起、蛍光波長特性を持つバリエーションを作製できる。今後、これらのセンサーを用いて細胞内 InsP4 の観察を行う予定である。

細胞外からの導入型センサーは、多種類細胞のスクリーニングに便利だが、細胞導入後の長時間観察や細胞分裂後までの観察には適さない。一方で、GFP 融合型センサーを細胞内で発現させる手法は、遺伝子導入からセンサーの発現までに時間を要するが、発現後は長時間観察が可能である。双方の併用により、多検体スクリーニングや長期的な評価が可能となり、両者を用いて細胞内における InsPn の包括的な計測が可能となる。

 

3-4 二種類のセンサーを用いた計測手法の確立

細胞内において InsP3 と Ca2+については、時間的に密接な連動をしていることが知られており、実際にこの両者を単一細胞内で観察した例が報告されている 11)。そこで、当研究室で作製したInsP3 センサー、およびそれと異なった蛍光特性を持つ市販の Ca2+センサーを同一の細胞内に一度に導入し、ヒスタミンに対する応答を検出した。両者をそれぞれ異なった蛍光波長で励起し、選択的に挙動を検出した結果、両者の産出挙動の経時的な連動が確かめられた(図6)。また、当研究室で作製した InsP4 センサーを用いて、InsP4 とCa2+についても濃度挙動の連動を示唆する結果が観察できており、これは両者の直接の連関を示した初めての例である。

このように、蛍光特性の異なる複数のセンサーを併用する事により、細胞内の同一の場所において各 InsPn が互いにどのような影響を及ぼしているかを評価する手法が確立できた。観察に用いる

(注:図6/PDFに記載)

蛍光顕微鏡の性能にも依存するが、理論的には適切な蛍光発色団を選択することによって一度に6~7 種類の物質を、ミリ秒オーダーのタイムラグで観察できる。この手法は、複雑に関連する InsPn 誘導体と Ca2+の、生体応答における役割の解明に大変有用であると考えられる。

 

3-5 InsPn の生理学的意義の探索

次に、これらのセンサーを用いて、InsP4 の生理学的な意義の探索を試みた。InsP4 に関しては、細胞内への Ca2+流入を制御しているとする報告があるが、複数のグループから整合性の合わない結果が報告されており、議論の的となっている。そこでまず、InsP3 を InsP4 に変換する酵素(IP3K) の新規阻害剤を見出し、その InsP4 産出阻害能を、InsP4 センサーを用いて評価した。

阻害剤を処置した細胞では、ヒスタミン刺激に

(注:図7/PDFに記載)

伴う細胞内 InsP4 産出が抑制されることが、InsP4 センサーによって明らかになった(図7)。次にこの阻害剤を用いて、InsP4 が産出されない場合、細胞外からの Ca2+動態にどのような影響があるかの評価を行ったところ、阻害剤存在下では Ca2+ 流入が抑制されている傾向が観測できた。以上の結果から、InsP4 が細胞内への Ca2+流入を制御する役割を担っていることが示唆された(論文投稿準備中)。

 

まとめ

本研究では、多様な分子種の集合体であるライブラリーから、目的に合った分子を選び出し、さらにこれらを組み合わせることによって、任意の細胞内シグナル伝達分子を選択的に捕捉する技術の開発を試みた。今後、目的分子に対する選択圧の検討などを経てこの技術の基礎を確立する。さらに、生きた単一細胞内で外部からの刺激に応じて活性化するシグナル伝達経路内における、各InsPn の時間的・空間的濃度挙動のリアルタイム で定量的な解析が、この技術を用いた細胞内セン シングによって実現できることを示した。また、細胞内局在シグナルを付加する事によって、膜・ 核・小胞体など、部位特異的な観察も可能となる。本研究ではまた、「センサー遺伝子の細胞内発 現 」と「化学修飾センサーの細胞内導入」という、相 互に補完性のある 2 種類の異なったアプローチを 用いて、性質の異なる細胞種にも汎用的に使用で きることも特色としている。両者を使い分けるこ とによって、外から簡便にセンサーを導入した多 種類の細胞におけるスクリーニングを行う一方 で、センサーを発現させた細胞における経時変化 ・継代による変化を観察する、と相補的な使用を 想定している。また、異なる蛍光波長特性を持つCa2+センサーや InsPn センサーを単一細胞内で併 用する事により、各シグナル伝達分子の相互関与を可視化できることも実証できた。

このような計測技術は、ポストゲノム科学でのシグナル伝達系の研究において必須の手法になると考えられ、シグナル伝達系疾患の原因解明や治療技術への応用も期待できると考えている。