2008年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第22号

単一ミトコンドリアの密度・体積変化の光計測

研究責任者

太田 善浩

所属:東京農工大学大学院 共生科学技術研究部 生命科学機能部門 助教授

共同研究者

森川 大輔

所属:東京農工大学 工学府 生命工学専攻  大学院生

概要

1.はじめに
単一の細胞内小器官の体積変化を計測する技術は、細胞や微生物の機能を測定する技術として必要で、細胞内小器官を標的とする薬の開発などに利用できます。例えば、ミトコンドリアが膨らんで破け細胞死誘導因子が放出されることは、心筋梗塞や脳梗塞の時に起こる細胞死の原因だと考えられており、ミトコンドリアの膨張の検出は細胞障害を抑制する薬剤の評価によく用いられています(Zamzami et al., 2001)。また、がん細胞に選択的に取り込まれてミトコンドリアの膨張を引き起こす抗がん剤の開発も行われています。しかし、ミトコンドリア集団を対象とした測定法しか存在しなかったので大量の試料が必要になり、培養細胞から採取したミトコンドリアでは測定が難しいことや、個々のミトコンドリアの膨張過程が観察できないといった問題がありました。
ミトコンドリア以外の細胞内小器官や微生物でも、イオンや分子の出入りによって内部の浸透圧が変化しており、その結果体積が変動していると考えられます。浸透圧を変化させると細胞内小器官や微生物では挙動が変化しますので、それらの挙動の調節機構を理解するための手段として、個々で体積変化が測定できる技術は必要です。従来の集団を対象とした測定では変動が同期しない限り検出できないので、変化を見落としている可能性があります。
そこで私たちは、細胞から単離した単一のミトコンドリアを対象に、光学顕微鏡を用いて体積変化のライブ計測を可能にする技術の開発を行いました。
2.ミトコンドリア体積変化計測システムの光学系について
ミトコンドリアの大きさは、直径で約1μmになります。そのため、体積変化に伴う径の変化の大きさは光学顕微鏡の分解能を超えると考えられ、光学顕微鏡の画像の大きさから体積変化を検出することは、ほぼ不可能です。そこで、本研究では、体積変化に伴うミトコンドリア中心部における光の散乱の度合いの変化、形態変化に伴う屈折角の変化、及び、内部の密度変化に伴う屈折率の変化が複合的に重なり合ったものとして、ミトコンドリア部分の透過光強度の変化を検出することを計画しました。
計測にあたってはミトコンドリアをカバーガラスに吸着させ、個々のミトコンドリアにおける光の透過率変化を求めました(図1参照)。
3.撮像方法及び解析方法について
本計測では、ミトコンドリアのわずかな透過率の変化を計測します。そのため、計測中のカバーガラスのたわみや、温度変化による顕微鏡本体のゆがみがもたらすミトコンドリアと対物レンズの距離の変化に、計測結果が大きな影響を受けると考えられます。また、ミトコンドリアの大きさによる焦点位置の差や、体積変化に伴う焦点位置のずれにより、結果が影響を受ける可能性もあります。そこで本研究では、1 つの試料に対して光軸方向に0.2μmずつ対物レンズの位置をずらした20 枚の画像を撮像し、それぞれのミトコンドリアに対して、最適な対物レンズの位置を求めることとしました(図2A,B 参照)。
次に、対物レンズを光軸方向に移動させて計測したそれぞれの平面において、各々のミトコンドリアの透過率を求めます。ミトコンドリアは小さく、また、透過率が大きいので、ミトコンドリアの輪郭を正確に決め、その内部の透過率を計測することは不可能です。そこで、図3に示すように、1 個のミトコンドリアを含む領域内で小さな領域を動かし、もっとも透過率が小さくなる箇所における透過率の値を、その平面におけるミトコンドリアの透過率としました。
このようにして1 つのミトコンドリアに対して求めた各平面における透過率を比較し、最も値の低い数値を当該ミトコンドリアの透過率とすることとしました。
4.純水の添加によるミトコンドリアの体積膨張の計測結果
本計測システムを用いてミトコンドリアの体積増大が計測できるか確認するために、純水を添加してミトコンドリア周囲の浸透圧を低下させました。このときの個々のミトコンドリアの透過率変化(⊿T)を示したのが図4です。
純水を添加して周囲の浸透圧を低下させたときには、ミトコンドリアの透過率の上昇が確認できています。一方、等張液を添加した場合には、透過率の上昇が認められません。また、純水添加により低張になった場合でも、ミトコンドリアの膜電位は維持されていました。このことから、低張液の状態でもミトコンドリアの破裂による内容物の流出は生じておらず、膨張による透過率変化が計測できていると考えられます。
純水添加後に観察された透過率変化の頻度分布を、等張液を添加時の頻度分布と比較したものが、図5になります。
純水を添加したときには、多くのミトコンドリアが0.02 以上の透過率変化を示したのに対し、等張液を添加した際には0.02 以上の透過率の上昇を示したミトコンドリアは5%未満でした。そこで、0.02 を膨張したミトコンドリアが示す透過率変化の閾値としました。膨張前に高い透過率を示すミトコンドリアは、0.02 以上の透過率変化を示す可能性が小さくなると考えられます。そのため、膨張するミトコンドリアの割合を精度良く計測するために、透過率の変化を計測するミトコンドリアの膨張前の透過率の閾値を決定することとしました。図6に結果を示します。
純水添加に対し0.02 以上の透過率変化を示したミトコンドリアの多くが、最初の透過率が0.87以下であるのに対し、膨張が認められないミトコンドリアの95%以上が、最初の透過率が0,87以上でした。そのため、膨張を計測するミトコンドリアとして、最初の透過率が0.87 以下であるものを選び、純水によって膨張が認められるミトコンドリアを母集団とすることとしました。
5.Ca2+による膨張の誘導
高濃度のCa2+はミトコンドリアを膨張させ、細胞死を誘導することが知られています。そこで、本研究で開発した方法により、Ca2+によるミトコンドリア膨張が計測できるか調べました。結果を図7 に示します。
Ca2+添加時には、Ca2+を含まない等張液を添加したときと比べ、0,02 以上の透過率上昇を示したミトコンドリアの割合が明らかに増加しています。このことから、Ca2+によるミトコンドリアの膨張が、本方法により計測されていることが分かります。このことを確認するために、Ca2+による膨張の阻害剤であるシクロスポリンA の効果が観察できるかどうか、調べました。結果を図8に示します。
シクロスポリンA は、Ca2+添加時に0.02 以上の透過率上昇を示すミトコンドリアの割合を、有意に抑制していました。このことから、本方法によってミトコンドリアの膨張が計測できていることが確認されます。
6.まとめ
カバーガラスに吸着させた個々のミトコンドリアを対象に、わずかな体積の増加を検出する技術が開発できました。この技術は、ミトコンドリアによる細胞死誘導機構を研究する上で、非常に有力な手段となるだけではなく、多くの細胞内小器官や微生物の体積変化をリアルタイムで計測できる可能性を示すものと考えられます。