1993年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第07号

半導体レーザー分光分析法による生理活性物質の微量分析の研究

研究責任者

今坂 藤太郎

所属:九州大学 工学部 工業分析化学講座 助教授

概要

1.まえがき
レーザーを光源とする分析法は極めて高感度であるが,レーザーは一般に高価で使い難く,実用分析機器への応用はまだほとんどなされていない。申請者はこのような問題点を解決するため,安価で簡便に使える近赤外半導体レーザーを光源とする分光分析法を開発してきた。たとえば種々の中間代謝物質や酵素の分析,さらには酵素イムノアツセイを利用するインシュリンの分析等を通して本法の有用性を示してきた。しかしながらこの近赤外分光分析法は,利用できる色素の種類が少なく,また色素の安定性等にも問題を残していた。
そこで本研究では可視半導体レーザーを光源とする生理活性物質の超微量分析について検討した。この方式は標識に利用できる安定な化合物が豊富に存在するため,極めて有用かつ実用的である。本研究では,酵素反応を利用する中間代謝物質等の蛍光分析を行うとともに,キャピラリー電気泳動/蛍光分析装置を開発し,アミノ酸等の高感度,高選択的分析を行ったので,その研究成果について報告する。
2.研究成果
2.1酵素反応を利用する分析法
本研究では,分析法の特異性を高めるため酵素反応を利用する分析法について検討した。酵素反応の中でもとくに酸化還元酵素は生化学分析に幅広く利用されているが,通常添加した補酵素のニコチンアミドジヌクレオチド(NAD)が還元型に変化した際に生じる吸光度変化を利用して酵素反応を追跡する。この場合に酸化還元電位が低いメチレンブルー(青色)を共存させるとジアホラーゼ酵素により還元型のロイコメチレンブルー(無色)が生成する。メチレンブルーは670nm付近に吸収バンドをもちかつ蛍光性を有するので,蛍光強度変化を測定することにより酵素反応を追跡することができる。そこで可視半導体レーザー励起蛍光法により各種の生化学物質の分析を行った。まず基質として乳酸を用い,乳酸脱水素酵素の活性を測定した。その結果,ヒト血清に含まれる100-200U/m1程度の乳酸脱水素酵素が容易に検出できることがわかった。また基質としてエタノールを用い,アルコール脱水素酵素の活性を測定する方法についても検討した。本法の検出限界は0.1mU程度で,ヒト血清中の平均活性の1.8mU/mlより十分低く,実用的な目的にも利用できることがわかった。またアルコール脱水素酵素を一定量添加し,エタノールの分析を行ったところ,検出限界は10nmo1であった。通常のヒト血清中のアルコール濃度は約2μmol/ml,飲酒運転の判定に用いられる濃度は10μmol/mlであるので,本法は実用上十分な感度を有していることがわかった。
一方,平面型の蛍光色素はデオキシリボ核酸(DNA)の二重らせん鎖中に侵入し,相互作用により蛍光強度が変化することが知られている。そこでメチレンブルーを用いて蛍光強度変化からDNAを分析する方法について検討した。その結果,10-6M(塩基対換算)程度までのDNAを分析することが可能であった。
2.2キャピラリーゾーン電気泳動法
最近,電気泳動法が生化学物質の分析に広く用いられるようになっており,とくにキャピラリーを分離に用いる方法は効率が高く,ここ数年急速に研究が進んでいる。しかし内径数10μmのキャピラリー中を流れる試料を高感度かつ簡便に検出する方法はまだ十分確立されていない。そこで本研究では可視半導体レーザー励起蛍光法を用いる方法について検討した。
1)クロロフィルの直接検出
図1に示す実験装置を試作した。試料をキャピラリーの高電圧(正極)側からサイホンの原理により1nl程度注入する。その後両端を緩衝液につけ,これに挿入した白金電極に高電圧を印加することにより試料を泳動させる。接地電極近くでキャピラリーの保護コーティングを一部除去し,その部分に半導体レーザーを照射し,試料からの蛍光を顕微鏡の対物レンズで集光し,フィルターを通した後,光電子増倍管で検出する。670nm付近で蛍光性を有するクロロフィルを直接分析したところ,分離性能は極めて良好で数10万の理論段を有することがわかった。
2)アミノ酸の間接蛍光分析
一般の生化学物質は深赤色域(670nm付近)に吸収バンドをもたないので,クロロフィルのように直接検出することはできない。しかし間接法を用いれば,このような試料に対しても蛍光定量を行うことができる。すなわちキャピラリー中に色素を流しておき,試料分子がメチレンブルーを希釈することによって蛍光強度が減少する効果を利用して検出することができる。このためにはキャピラリーのガラス内壁に色素が吸着しないことが前提となる。そこで種々の色素について検討したところ,メチレンブルーは比較的吸着が少なく,さらにキャピラリー表面を不活性化処理することにより,問題とならない程度まで吸着の影響を低減できることがわかった。図2は,本法によりアミノ酸を分析した結果である。グリシンとプロリンが良好に分離・検出されている。本法の検出限界は約1pmol(pmol=10-12mol)であった。
3)アミノ酸の蛍光標識試薬の開発とこれを用いるアミノ酸の分析
間接蛍光法ではべ一スラインからの僅かな蛍光減少量を測定するので,感度に限界がある。したがって高感度分析を実現するには,目的とする分子を蛍光色素により標識して検出する必要がある。しかしながら深赤色域では適当な蛍光標識試薬が開発されておらず,本研究の目的に利用できる試薬はなかった。そこで図3に示す反応によりメチレンブルー骨格を有する蛍光標識試薬を合成した。これを用いてアミノ酸を分析した結果を図4に示す。アルギニンとグリシンが分離・検出されている。なお,試料注入後6分程度に現れる大きなピークは未反応の色素及び分解生成物である。本法の検出限界は10pmol程度であった。
4)半導体レーザーの第二高周波(SHG)を光源とするアミノ酸の分析
670nmの深赤色域ではアミノ酸やタンパク質を標識とする蛍光色素がほとんど開発されておらず,まず蛍光標識試薬についての研究から始める必要がある。これに対して紫外あるいは青の波長域では,すでに多くの優れた蛍光標識色素が開発されており,この波長域で発振する半導体レーザーがあれば,直ちに実用分析への応用が可能である。最近,近赤外半導体レーザーと第二高調波発生素子を結合した青色レーザー(415nm)が市販されるようになっている。そこでこれを励起光源とする分析法について検討した。
図5は,図中に示す構造の色素を用いてアミノ酸を分析した結果である。この色素は437nmに吸収極大を有するので,415nmに発振波長をもつ半導体レーザー/第二高調波発生モジュール(松下電気製)を用いて効率よく励起できる。アルギニン,プロリン,セリン,グリシンを6分以内に分離・検出することが可能である。検出限界は約100amol(amo1=10-18mol)であった。
5)アミノ酸の超微量分析
前節で報告した半導体レーザーの第二高調波を光源とする方法は,第二高調波への変換効率が必ずしも十分でなく,出力が50μW程度に制限される。このためこれ以上感度を向上させることは困難である。また可視域は分析に際して妨害となる不純物が多く,この点でも問題がある。さらに上記のレーザーシステムは高価であり(半導体レーザー本体の100倍程度),実用的な観点からも改善の余地がある。このため3)節の方式を再検討することにした。すなわちこの方式で超微量分析が行えなかったのは,①合成した蛍光標識試薬の反応効率が低く,また純品を試薬として使用していない②試料検出に際し,キャピラリー表面での励起光の散乱により,微弱な蛍光を効率よく検出できない,などが原因であった。そこで本研究では同仁化学研究所と共同で新規蛍光標識試薬を開発するとともに,散乱光を効率よく除去できるシースフロー型蛍光検出器を試作し,アミノ酸の超微量分析を試みた。
図6は,本研究の目的に合成した蛍光標識試薬の化学構造と蛍光スペクトルである。吸収極大が663nm(モル吸光係数8x1伊)にあり,発振波長660nmの半導体レーザーを用いて効率よく励起することができる。図7は,本研究において開発したシースフロー型キャピラリー電気泳動蛍光検出器である。キャピラリーから溶出した試料は,シース液に取り囲まれながら,内径700μm角の四角セル中を流れる。半導体レーザー光を対物レンズで試料に集光し,蛍光を直角方向に配置したもう一つの対物レンズで集光する。蛍光イメージのみをピンホールに集光して取り出し,ガラス端面での散乱光を除去する。図8は,開発した分析法を用いてアミノ酸を分析した結果である。アミノ酸の検出限界はグリシンの場合800zmol(zmol=10-2'mol)であった。このように本法によれば,比較的簡単な装置を用いて,超微量分析が実現できる。今後研究を進めることにより,単一試料分子の検出も可能になると期待している。
3 .まとめ
本研究では,光源に近赤外."J視半導体レーザーを用いる高感度でしかも実用的な分析装置を開発した。このように高性能でしかも選択性に優れた新しい分析法は,現在医学・生物学の分野で要求されている生理活性物質の超微量分析に新展開をもたらすと考えている。たとえば現在DNAのシーケンス(構造)を解析するヒトゲノムプロジエクトが推進されている。しかしながらこれを完遂するためには,一塩基対決定に必要なコストを1円以下に抑えなければならない。本研究のキャピラリー電気泳動/半導体レーザー励起蛍光法は,高感度高分離性能に加えて安価・簡便であり,このような国際的プロジエクトに大きなインパクトを与えると期待している。