1997年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第11号

動揺病発症における半規管、耳石器、および頸部体性感覚の関与に関する研究

研究責任者

井須 尚紀

所属:鳥取大学 工学部 知能情報工学科 助教授

共同研究者

内野 善生

所属:東京医科大学 生理学講座 教授

共同研究者

柳原 正明

所属:航空宇宙技術研究所 制御部 研究室長

共同研究者

佐藤 茂樹

所属:聖マリアンナ医科大学 耳鼻咽喉科 医員

概要

1.はじめに
動揺病を実験的に誘起する手段としてコリオリ刺激がよく用いられている。通常,等速水平回転中に頭部を前後あるいは左右に振ることによって与えられる。この刺激は非常に効果的に動揺病を発症させるものであり,動揺病誘起の主要因がコリオリ刺激中に含まれていると考えられる。最近の我々の研究成果1・2)は,コリオリ刺激によって発症する動揺病の原因は回転中の回転(クロスカップルド回転)によって作用するジャイロスコピック角加速度にあり,動揺病の強度はジャイロスコピック角加速度に比例することを明らかにした。これは半規管に作用する刺激が動揺病の誘起原因であることを示している。一方,1973~1974年にスカイラブで実施された実験3)は,コリオリ刺激による動揺病の発症は無重力環境下ではほとんど見られず,コリオリ刺激には重力の作用が重要であり耳石器あるいは頸部体性感覚が動揺病発症に関与することを示した。両結果を合わせると,半規管由来の回転感覚と耳石器・頸部体性感覚由来の傾斜感覚との相互作用が動揺病を誘起することが考えられる。
本研究では,自己受容器が動揺病の発症にどのように関与するかを明らかにするため,生理心理学実験を行った。自己受容器に作用する刺激を変化させて動揺病を誘起し,動揺病強度との定量的関係を調べた。動揺病強度の客観的指標を得るために,呼吸・代謝系の生体信号を計測し,動揺病発症時のエネルギー代謝の変化を明らかにした。また,実験動物を用いて神経生理学実験を行い,前庭一頸筋系の神経機構を調べた。
2.自己受容器刺激による動揺病の発症
回転環境において頭部を回転すると,半規管にジャイロスコピック角加速度が作用し,動揺病を誘起する。単発のコリオリ刺激で誘起される不快感の大きさは,コリオリ加速度の大きさに依存せずジャイロスコピック角加速度の大きさに比例する1・2)。本研究では,実際の動揺病発生状況に近い刺激として正弦波状のジャイロスコピック角加速度を被験者に与え,ジャイロスコピック角加速度の大きさや周期と持続的不快感の大きさとの関係を調べた。
方法
健康で内耳に異常のない20~22歳の男子4名と女子1名,計5名の被験者を用いて実験を行った。被験者の視覚・聴覚情報を遮断して2分間の周期的コリオリ刺激(図1)を与え,これによって発生する持続性不快感の強度を絶対判断法により被験者に推定させた。
絶対判断法による評価の基準(基準値10)を定めるために,標準刺激(等速水平回転の角速度:144deg/s,垂直振子様運動の振幅:6deg,および周波数:0.2Hz)を被験者に負荷して4回のトレーニングを行った。その後,等速水平回転の角速度(36~180deg/s),垂直振子様運動の振幅(3~15deg),および周波数(0.1~0.4Hz)を変化させた21種のコリオリ刺激をランダムな順序で負荷し,発生する持続性不快感の強度を15s毎に推定させた。なお,トレーニングおよび実験試行は各1日以上の間隔をあけて行った。
結果
2分間のコリオリ刺激によって発生する持続性不快感は,刺激時間に概ね比例して増大した。不快感の強度は,等速水平回転の角速度および垂直振子様運動の振幅に比例し,周波数には依存しなかった。等速水平回転の角速度と垂直振子様運動の振幅の積に対して不快感強度をプロットした結果を図2に示す。両者に高い相関(r=0.96)が得られ,周期的コリオリ刺激により発生する持続性不快感の強度は,水平回転の角速度と垂直振子様運動の振幅の積に比例することが示された。
考察
等速水平回転(角速度ψ)中の垂直振子様運動(振幅θ,周波数f)によって発生するジャイロスコピック角加速度β(t)は
で与えられ,このジャイロスコピック角加速度によって半規管内で発生する内リンパの回転運動の角速度φは
となる。半規管からの感覚入力は角速度φに比例するので,回転感覚の大きさは水平回転の角速度ψと垂直振子様運動の振幅θの積に比例し,周波数fに依存しないことになる。本実験の結果から,ジャイロスコピック角加速度が動揺病発症の原因であり,これによって発生する回転感覚の大きさに比例した強度の不快感が誘起されるものと考えられる。
3.動揺病発症時におけるエネルギー代謝の低下
動揺病強度の客観的指標を得ることを目的に,呼吸量および呼吸気のCO2濃度・02濃度を測定し,動揺病発生時の呼吸機能およびエネルギー代謝の変化を検討した。
方法
健康で内耳に異常のない20~22歳の男女各5名を被験者とした。被験者の視覚・聴覚情報を遮断し,最長30分間のコリオリ刺激(等速水平回転の角速度:30~90deg/s,垂直振子様運動の振幅:5~20deg,および周波数:0.1~0.4Hz)を被験者に負荷して動揺病を発生させた。
各被験者につき2回のトレーニングを行った後,11回の実験試行を行った。被験者の呼吸気CO2濃度・02濃度および呼吸流量を測定し,分時呼吸量[1/min],1回換気量[1],CO2排出量[1/min],02消費量[1/min],呼吸商(CO2排出量/02消費量),呼吸周期[s]を求めた。また,エネ
ルギー代謝量は02消費量に4.82kcal/102(酸素消費時の平均の熱当量)を掛けることで算出した。
結果
30分間のコリオリ刺激によって,動揺病不快感は概ね直線的に増大した。呼気02濃度は上昇したが分時呼吸量には変化が見られず,02消費量が減少しエネルギー代謝量が低下する結果が得られた。全被験者の全試行で得られたエネルギー代謝量の変化を30秒毎の平均値と標準偏差によって図3に示す。30分間のコリオリ刺激によって,エネルギー代謝量は1.16±0.28から0.98±0.23kcal/minまで減少した(p<0.001)。CO2排出量も0.29±0.07から0.23±0.061/minまで減少した(p<0.001)。呼吸商・1回換気量・呼吸周期については変化が見られなかった。
考察
動揺病発生時に呼吸量は変化せず,エネルギー代謝が低下することが明らかになった。弱いコリオリ刺激では動揺病の症状もわずかであるため,全試行のデータをまとめて解析した本結果は,動揺病発生時のエネルギー代謝の変化量を過少に推定していると思われる。エネルギー代謝量とCO2排出量は動揺病不快感と同様に,刺激付加時間に対して概ね直線的に変化しており,このことはエネルギー代謝量あるいはCO2排出量は動揺病の定量的評価の指標になり得る可能性を示唆している。
4.前庭一頸筋系の神経機
構前庭器および頸筋の自己受容器からの感覚入力に関与する神経機構について,実験動物を用いて以下の2つの研究を行った。
4.1.上部頸髄ニューロンにおける前庭神経核刺激の効果
前庭系の感覚器官である半規管と耳石器から前庭一次神経によって前庭神経核などに信号が伝えられ,そこでニューロンを代えて二次ニューロンが頸筋運動ニューロンに軸索を投射する。前庭神経核は上核,内側核,外側核,下核の4主核とその他の小さなセルグループに分けられるが,半規管や耳石器から入力を受け頸筋運動ニューロンへ軸索投射する前庭二次ニューロン群は下核吻側部より吻側の前庭神経核(すなわち,上核,外側核,内側核吻側部,下核吻側部)に存在し,前庭神経核の尾側部には見られない4-6)。一方,最近の組織学的研究7・8)によって,頸髄灰白質の背側部に軸束投射するニューロン群が前庭神経核尾側部に見つかった。脊髄灰白質背側部(後角)は主に知覚性のニューロンの存在する部位であり,脊髄内の介在ニューロンや求心性のニューロンが分布している。本研究では,前庭神経核尾側部から頸髄後角ニューロンに投射するニューロンネットワークを中心に,それらの性質を調べた。
方法
実験には非動化した除脳ネコを用いた。前(の)庭神経核とその周辺および内側縦束に6本のタングステン電極を刺入し,175μA以下の1-3パルスの電気刺激を与えた。頸髄第2-3節の灰白質にガラス微小管電極を刺入して自発放電を有するニューロンから活(の)動電位を細胞外記録し,脳.幹刺激をトリガとしてスバイク発火のヒストグラムを求めて刺激効果を調べた。刺激部位および神経活動の記録部位をマークし,組織学的に同定した。
結果
同側頸髄灰白質から84個の脊髄介在ニューロンの活動を記録した。前庭神経核刺激が脊髄介在ニューロンに与える効果を図4に示す。灰白質第2-4層のニューロンには前庭神経核刺激によって興奮あるいは抑制を受けるものは見られなかった(0/10)。第5-6層では少数のニューロン(7/25)が前庭神経核刺激の影響を受け,第7-8層のニューロンは過半数(26/49)が影響を受けた。刺激部位は刺激強度から判断して刺激電流が周辺組織に漏出した可能性を否定できない場合を含めると,刺激によって影響をうけたニューロンの数は第5-8層で増加する。前庭神経核刺激の影響は大部分が興奮性であり,少数が抑制性であった。極稀に興奮に続いて抑制を受けるニューロンが見られた。第7-8層のニューロンに比べて,第5-6層の後角ニューロンは前庭神経核刺激の影響を受ける割合が低かった。また,第5-6層の後角ニューロンでは前庭神経核の尾側部から影響を受ける比率が吻側部から影響を受ける比率に比べて高く,第7-8層のニューロンではその逆であった。また,対側頸髄灰白質ニューロンについても前庭神経核刺激の効果を記録し,同側頸髄のニューロンと同様の結果を得た。
考察
脊髄第7-8層から記録された介在ニューロンは,同側あるいは対側の運動ニューロンに投射するプレモーターニューロンや頸髄中心核ニューロンであると考えられる。これらのニューロンは主に前庭神経核吻側部に存在するLVSTおよびMVSTニューロンを介して半規管や耳石器からの入力を受けるものと思われる。一方,第5-6層の後角ニューロンは頸筋の自己受容器から入力を受けていると考えられ,主として前庭神経核尾側部に存在する前庭脊髄ニューロンを介して前庭器入力による変調作用を受けているものと思われる。
4.2.頸髄中心核ニューロンの頸・前庭刺激に対する反応
頸髄中心核ニューロンは頸および前庭から入力を受け,対側小脳および前庭神経核に軸束投射することが知られている9-11)。本研究では,自然刺激を用いて頸筋および前庭器から頸髄中心核ニューロンへの入力を調べた。
方法
除脳・非動化ネコを用いて実験を行った。対側索状体付近の電気刺激によって頸髄中心核ニューロンを同定し,頸部および全身の正弦波垂直回転に対するニューロンの反応を記録した。まず,最大の反応を示す頸部回転の回転平面の方向を調べ,その平面での回転に対するニューロンの応答の動特性を0.005~1Hzの範囲で求めた。次に,同様の手順で全身の回転に対する反応を調べ,前庭刺激に対するニューロンの応答の動特性を求めた。
結果
26個の頸髄中心核ニューロンの活動を記録した。頸部の回転に対する頸髄中心核ニューロンの動特性および刺激の振幅の大きさに対する非線形性は,頸筋の筋紡錘一次終末および前庭神経外側核ニューロンの性質と一致した。一方,約2/3の頸髄中心核ニューロンが前庭刺激に応答した。これらは主に対側半規管から入力を受けており,耳石器入力は観察されなかった。いずれのニューロンにおいても,図5に示すように頸部入力と前庭入力は概ね逆方向を向き拮抗的であったが,実験に用いた周波数範囲では前庭入力に比べて頸部入力に対する反応の方が高い利得が得られた。
考察
頸部回転に対する反応の類似性から,頸髄中心核ニューロンが頸筋の筋紡錘一次終末から前庭神経外側核ニューロンへの入力を中継していると考えられる。また,頸髄中心核ニューロンに対して頸部入力と前庭入力は拮抗的に働くが,その相互作用の定量的関係については,実験条件や刺激のパラメータに依存して変化するものと思われる。