2007年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第21号

動体視力トレーニング法の確立を目指した頭部-眼球運動計測システムの開発

研究責任者

和田 佳郎

所属:奈良県立医科大学 生理学第一講座  講師

共同研究者

平山 幸人

所属:中部大学大学 工学研究科 大学院生

概要

1. はじめに
近年、車や列車、飛行機などの乗物、映画やコンピュータなどの動画技術が急速に発達し、日常生活に人類がこれまで経験したことのない“動き”が溢れている。このような自己や外界の多彩な動きの中で、運動物体を正確に認識し、適切に判断、行動するためには、優れた動体視力(dynamic visual acuity, DVA)の能力が求められる。しかし、これまでの動体視力研究は、頭部静止条件という限られた内容の実験がほとんどであった1)、2)。そこで今回、頭部運動中の動体視力の生理学的特性を明らかにするため、頭部-眼球運動計測システムを開発し実験をおこなった。
2. 研究の背景
動体視力とは運動物体の形を識別する能力である。それに対して、通常の視力を静体視力(static visual acuity, SVA)と呼ぶ。動体視力の決定要素としては、静止視力、周辺視力とともに眼球運動が重要である3)。すなわち、物体が動くことによって網膜上の像が滑ると視力は急激に低下するが、眼球運動により像を常に網膜中心窩で結ぶことができれば視力は良好に保たれる4)。そのためにはたらくのが滑動性追跡性眼球運動(smooth pursuit eye movement, SP)である。しかし、SP の最高速度は30~60 deg/s と比較的低速で、それ以上の速度では衝動性眼球運動(saccadic eye movement, saccade)に切り替り、saccade の視覚抑制効果により視力は大きく低下する。このように、SP やsaccade だけでは高速運動物体に対する動体視力に限界がある。
上記は頭部が静止している条件下での話である。頭部を動かすとSP、saccade に加えて前庭動眼反射(vestibulo-ocular reflex, VOR)という眼球運動が誘発される。VOR は最高速度350 deg/sという高速眼球運動で、その機能的意義は頭部運動中の静止物体に対する視覚安定化であると考えられている。したがって、頭部を運動物体と同じ方向に動かすと、VOR は頭部運動すなわち運動物体とは反対方向に誘発されるため、動体視力にとっては不利な眼球運動となる。しかし、実際に高速運動物体を追う際には頭部を運動物体と同じ方向に動かす場面が多い。そこでわれわれは「頭部-眼球協調運動により動体視力が向上する」と考え、この仮説の検証を目指している。そのためには、精度の高い頭部-眼球運動計測システムが必要となる。
3. 頭部-眼球運動計測システムの開発
3.1 開発のコンセプト
三次元空間における頭部運動は、3軸の回転(前後軸、左右軸、上下軸)と3方向の直線運動(前後、左右、上下)の成分に分けられる。今回はその中でも日常生活で最も頻度が多いと思われる上下軸を中心とした回転運動に注目し、水平回転運動が可能な頭部固定装置を作製した。頭部運動中の眼球運動の計測に関しては、現状では信頼性、安定性、簡便性のすべて満たす測定方法はない。今回は定量的解析の必要性からこれまで用いてきたDC-EOG 法に替わり、より精度の高いゴーグル型強膜反射法を採用した。
3.2 頭部-眼球運動計測システム
頭部-眼球運動計測システムの概要を図1に示す。運動物体の形、速度、方向、タイミングなどを制御する視覚刺激プログラムは共同研究者の平山と共にC++、OpenGL を用いて作成した。モニターには動画に適した22 インチCRT ディスプレイ(refresh rate 150 Hz)を採用した。頭部は水平回転運動可能な頭部固定装置(図2)にて固定し、頭部運動は装置上に設置した回転角度センサーであるポテンショメータ、回転角速度センサーであるジャイロ(Silicon Sensing Systems)にて計測した。眼球運動の計測にはゴーグル型強膜反射法(Orbit)を用いた。以上の頭部-眼球運動計測データは視覚刺激信号と共にデータ収集・解析装置(PowerLab, sampling rate 1 kHz)にて記録した。また、被験者は見えた数字を口答で回答し、験者が回答スイッチにて入力した。収集したデータはオフラインにて、Excel 、SigmaPlot および独自の解析プログラムを用いてMatLab 上で解析した。
4. 動体視力トレーニング実験方法
動体視力トレーニング法の確立と、今回開発した頭部-眼球運動計測システムを検証する目的で、以下の実験をおこなった。
4.1 対象
健常成人6 名(男性)を対象とし、ハードトレーニング群3 名(mz、oz、sg)とマイルドトレーニング群3 名(hg、hr、my)に分けて以下の実験をおこなった。
4.2 実験方法
実験の模式図を図3に示す。被験者はモニターから56 cm の距離に座り、頭部を水平回転可能な頭部固定装置に固定した。運動物体としては、視角0.6 度の数字(1~9)をモニター上の左9 度から右9 度の範囲で右方向に等速運動(90 deg/s)させた。運動物体の提示距離は18 度、提示時間は200 ms となる。数字はランダムな順序で6 度毎に3 種類提示した。予告信号として、運動物体提示4 秒前にビープ音を鳴らし、2 秒と1 秒前に左9 度の位置にspot を点灯した。頭部運動は左9度の位置から右方向に回転するよう指示し、その大きさやタイミングは運動物体がよく見えるよう被験者の自由に任せた。
動体視力の指標は数字の正答数とした。例えば4、9、5 と提示して被験者が4、5、3 と回答した場合、4 と5 が正解となり正答数は2 とカウントし、20 トライアルの正答数の合計(60 点満点)を動体視力スコアとした。同時に、頭部および眼球運動を今回開発した頭部-眼球運動計測システムにて計測し、定量的に解析した。
4.3 動体視力トレーニングのスケジュール
図4に示すようなスケジュールにしたがって2週間の動体視力トレーニングを実施した。ハードトレーニング群は土日を除く毎日100 回のトライアルを実施し、2 日に1 回、動体視力および頭部-眼球運動を測定する実験をおこなった。マイルドトレーニング群は2 日に1回の実験のみとした。実験でのトライアル数は練習5 回と本番20 回の計25 回であることから、合計のトライアル数はハードトレーニング群で1200 回、マイルドトレーニング群で200 回となる。
5. 結果
トレーニングによる動体視力スコアの経時的変化を図5に示す。上段は各被験者、下段はそれぞれの群の平均と標準偏差をあらわす。個人差はあるものの、動体視力スコアの平均値はハードトレーニング群、マイルドトレーニング群ともにトレーニング3 日目に大きく上昇し、それ以降はゆるやかに上昇する傾向が認められ、両群の間に差は認められなかった。しかし、頭部-眼球運動の経時的変化には両群の間で大きな差がみられた。図6にハードトレーニング群の被験者oz の測定例を示す。左段はトレーニング前、右段はトレーニング後の測定例で、上段は位置波形、中段は速度波形、下段は加速度波形である。いずれも太線が眼球運動、点線が頭部運動、細線がgaze(=眼球運動+頭部運動)、矢印線が運動物体、三角印が頭部運動速度のピークを示し、縦軸の上が頭部-眼球運動の右方向である。トレーニング後、被験者oz の頭部運動速度は速くかつ始動のタイミングは早くなった。それに伴って眼球運動パターンも大きく変化し、運動物体提示とほぼ同時に眼球運動は左方向から右方向に反転した。したがって、運動物体提示時には頭部も眼球も右方向へ運動するためgaze も右方向へ運動することとなり、90 deg/s という高速運動物体をうまく追随できている。実際、被験者oz の動体視力スコアは6 人中最高点であった。
マイルドトレーニング群の被験者hg の測定例を図7に示す。トレーニング後、頭部運動速度は被験者oz とは逆に低速となった。そのため、左方向のVOR は抑えられ右方向のSP が駆動することによって運動物体提示時にgaze は右方向へ運動するようになった。
このように、被験者oz は頭部運動を大きくする積極的な戦略、被験者hg は頭部運動を小さくする消極的な戦略をとった。6 人全員の結果(図8)をみても、トレーニングが進むとともにハードトレーニング群では頭部運動速度は速く、マイルドトレーニング群ではそれとは反対に頭部運動速度が遅くなる傾向を示し、両群の頭部運動速度は最終的に2 倍以上の差となった。
6. 考察
今回、あらたに構築した頭部-眼球運動計測システムを用いて動体視力トレーニング実験をおこない、頭部-眼球運動に関する興味深い生理学的特性を見出した。
まず、頭部-眼球運動計測システムの検証結果について述べる。頭部の水平回転角速度を計測したジャイロセンサーは感度がよく、時間分解能にも優れているため非常に精度の高いデータが得られた。さらに、回転角度センサーであるポテンショメータの併用により、頭部回転角度の測定精度も高まった。眼球運動の計測には、DC-EOG 法、ビデオ式眼球運動測定法、角膜・強膜反射法、ダブルプルキンエイメージ法、サーチコイル法など多くの測定方法が挙げられる。頭部運動中の眼球運動の測定方法にはそれぞれ一長一短があり、今回は簡便かつ精度の高いゴーグル型強膜反射法を採用した。センサーはゴーグル内に内蔵してあるため、被験者の顔の形によっては調節にやや手間取る場合もあったが、DC-EOG に比べてデータの精度は高く、定量的な解析が可能となった。その他、水平回転可能な頭部固定装置、視覚刺激プログラム、データ解析プログラム、動体視力評価方法などに関しても、実験を通じてその有効性を確認することができた。
今回の実験で得られた最も興味深い知見は、図6に示すようにトレーニングを繰り返すことによって頭部運動が大きくなり、同時に頭部運動と同じ方向の眼球運動が誘発された現象であった。実験前の予想では、すべての被験者は図7のように頭部運動を小さくすることによってVOR を抑制する戦略をとるものと考えていた。しかし、それはトライアル数の限られたマイルドトレーニング群のみで、頭部運動を被験者の自由に任せて合計1200 回という多くトライアルを重ねたハードトレーニング群では正反対の戦略をとったのである。頭部運動が大きくなるとVOR により頭部運動とは反対方向の眼球運動が誘発され、運動物体を追うためには不利になるはずである。事実、頭部運動の前半は大きな左方向の眼球運動である。ところが頭部運動速度がピークを過ぎた頃から眼球運動は反転して右方向となった。この解釈として、①VOR 抑制力が強くなった、②頭部加速度と反対方向にVOR が駆動された、という2種類の説明が可能である。通説では頭部速度信号がVORを駆動するとみなされており、②のような頭部加速度信号がVOR を駆動するという考え方は知られていない。しかし近年、前庭神経核ニューロンの反応が加速度波形に応じるという実験結果が報告されており、今後②の可能性について検証を進めていく予定である。
7. まとめ
あらたに頭部-眼球運動計測システムを開発し、2 週間にわたる動体視力トレーニング実験を通じてその性能を検証した。さらにその実験結果より、頭部加速度信号によりVOR が駆動する可能性が示された。今後、頭部-眼球運動計測システムを用いてさらに研究を進め、その成果を活かした科学的動体視力トレーニング法の確立を目指していく予定である。