2011年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第25号

分子インプリント高分子を用いた血糖値監視用グルコースセンサ

研究責任者

吉見 靖男

所属:芝浦工業大学 応用化学科 准教授

共同研究者

氷見 直之

所属:川崎医科大学 生理学2教室

概要

1.はじめに
世界の糖尿病患者は2003年には1.94億人にも達し、2025年には3.33億人にも達する見込みである。我が国においても740万人(予備軍も含めると1620万人)に達し、莫大な医療費が負担されている。糖尿病患者の血糖値を常時モニタリングし、適量のインシュリンを自動投与することで血糖値を自動管理する人工膵臓の開発にかかる期待は大きい。この開発の最大の課題は、採血を行わずに血糖値をモニタリングする方法の確立である。最も有望とされてきたのが、グルコース酸化酵素を電極表面に固定して作られたグルコースセンサを皮下組織に埋め込む方法である。この方法は長年の開発にもかかわらず、現在も実用に至っていない。人体の皮下に埋め込むデバイスは例外なく滅菌操作が不可欠である。グルコース酸化酵素は、酵素の中では格別に安定性の高いものだが、滅菌操作には耐えられない。したがって酵素型グルコースセンサをヒトの皮下に埋め込むことは、臨床上無理がある。この問題が、半世紀近くにわたって未解決である
申請者は、酵素より耐久性に優れる合成高分子を代わりに用いたグルコースセンサを開発すれば、この問題が解決すると考えた。基質特異性を持った合成高分子には、分子インプリント高分子がある。基質としたい分子(鋳型)を、それと可逆的に結合するモノマー(機能性モノマー)と反応させて複合体を形成し、これを架橋性モノマーと共重合させ、鋳型を除去すれば、鋳型と特異結合する高分子が合成できる。このような合成法を分子インプリント法と呼び、合成された高分子を分子インプリント高分子(MIP)と呼ぶ。機能性モノマーにビニルフェニルボロン酸を用いれば、グルコースを鋳型としたMIPを合成できる。このMIPは、オートクレープやγ線による滅菌操作では機能を失うことはない。したがって酵素に変わる体内埋め込み型センサ用の分子認識素子として期待できる。しかし、このMIPは酵素のような触媒活性を持たないため、センサ用素子として用いるには、特異結合に応じた電気信号を発生できる、新しい反応系を設計しなければならない。
申請者は、グルコースを鋳型とするMIPをグラフトした電極は、グルコースの存在下で、フェリシアン化ナトリウムの酸化電流を著しく変化させることを見いだした1)。また、その電流変化の大きさとグルコース濃度の間には、明らかな相関があった。これはMIPがグルコースと特異反応することによって表面開孔率が変化し、フェリシアン化物イオンの透過速度が変化したことに起因するものであることは分かっている。
しかし、体内留置型センサには、試薬の供給を必要としないこと(リエージェントレス)や、生体適合性を高めることが求められる。いずれも適切な表面修飾が必要であるが、今までの方法1)では、機能を損なわせずにMIP層の表面を修飾することは難しい。
本研究では、リビングラジカル重合によるMIPのグラフトを試みた。リビングラジカル重合法には、光イニファタ法や、原子移動法(ATRP)など様々な種類があるが、今回は触媒の酸化還元反応のサイクルを利用した、Activators ReGenerated by Electron Transfer-Atom Transfer Radical Polymerization (ARGETATRP)法を採用した。Matyjaszewskiらが開発したARGETATRP重合法2)では、銅錯体の触媒が高分子または開始剤末端のハロゲン原子を引き抜いて、そこにラジカルを形成する。このとき銅錯体触媒が酸化される。そして末端のラジカルがモノマーを攻撃して、連鎖的にモノマーが付加し、高分子が生長する。しかし酸化された触媒が、還元剤で還元されると、ハロゲン原子が高分子末端に戻る。ここで高分子の生長が停止し、銅錯体にハロゲンを引き抜く能力が戻る。このように還元剤と開始剤による銅錯体の酸化還元サイクルに伴って、高分子の生長とその停止が繰り返される。換言すれば末端にハロゲン原子が残っている限り、停止した生長反応はいつでも再開できる。そのため2種類の異なるモノマーのブロック共重合が可能である。この性質を利用すれば、表面に生体適合性のある高分子鎖や、リエージェントレスセンシング機能をもたらす高分子鎖を修飾することは可能である。
また通常のラジカル重合は酸素によって阻害されるが、このARGET-ATRPは過剰の還元剤によってこの阻害を妨げる。したがって、脱酸素処理が不要で、大量生産の際にも製造コストを低くできる利点がある。
そこで、本研究では図3のようにシランカップリング剤で末端にハロゲン原子を持つ官能基をITO電極表面に導入し、このハロゲン原子を開始剤としたARGET-ATRP反応でITO表面にMIPをグラフトして固定する方法を開発し、そのグルコースセンサとしての性能を評価した。
2.実験方法
2.1リガンドの合成
銅イオンに対するリガンドとしてTris[(2-pyridyl)methyl]amine(TPMA)を、Britoveskらの手法3)を参考に合成した(図4)。
2一アミノメチルピリジンとトリアセトキシ水素化ホウ素ナトリウムをジクロロメタンに溶解させた溶液を撹拝しながら、2一ピリジンカルバルデヒドをパスツールピペットで滴下した。滴下後、容器を密閉し、18h撹拝して反応させた。その後、飽和炭酸水素ナトリウム水溶液を加え、15min撹拝した。そして、溶液を分液ロートに移し、水相(上相)と有機相(下相)を分離した。水相を酢酸エチルで洗浄して反応物を抽出した。また、有機相にも酢酸エチルを加えてよく振り混ぜた。酢酸エチルを含んだ両液を混合し、無水硫酸マグネシウムを薬サジ2杯程度加えて脱水した。その後、濾紙で濾過し、エバボレーターで溶媒を留去した。その後、真空ポンプを用いて真空乾燥を行った。沸点近くの温度まで温めた石油工一テルを数回に分けながら、残留固化物を溶解させ、濾紙(No.1)を使用して濾過した。その後、エバボレーターで溶媒を留去した。析出した固体をヘキサンに溶解し、1晩放置して再結晶させた。再結晶後、容器内の上澄み液を取り除き、真空ポンプを用いて真空デシケーター内で乾燥させた。
2.2鋳型/複合体の合成
鋳型としてのグルコース(Glc)と機能性モノマーとしての4一ビニルフェニルボロン酸(VPBA)を脱水ピリジンに溶解させた。この溶液を温度55℃、圧力55 mmHgの条件下、共沸蒸留で生成される水を除去しながら、エステル反応により結合させた。共沸蒸留中、溶液の残量が1/6になったら脱水ピリジンを注ぎ足し、元の体積に戻した。3h後、ピリジンを全て留去し、得られた固体を一晩真空乾燥した。乾燥固体をジクロロメタンに溶解し、さらにこの溶液にヘキサンを静かに加えた。アルミホイルで全体を覆い、冷蔵庫内で48h以上放置し再結晶を行った。その後、デカンテーションにより溶媒を取り除き、一晩真空乾燥することによりGlc/VPBA複合体を合成した。
2.3 ITO表面への開始剤の導入
ITOにアミノ基を導入するため、3一アミノプロピルトリメトキシシランのトルエン溶液に浸し、80℃の水浴で4h加熱した。終了後、ITO電極を取り出し、メタノールで5min×3回と蒸留水で5min×3回の超音波洗浄を行い、窒素で乾燥させた。1一エチルー3-(3一ジメチルアミノプロピル)カルポジイミドと2一プロモイソ酪酸をDMFに溶解し、アミノ基を導入したITO電極を並べ、遮光・撹拝しながら24h反応させた。その後、ITO電極を取り出し、メタノール中(5min×3回)および蒸留水中(5min×3回)で超音波洗浄し、窒素ガスを吹き付けて乾燥した。
2.4グラフト重合
300mL三角フラスコに、Glc/VPBA複合体を0.8mmol、架橋剤としてメチレンビスアクリルアミド(MBAA)を8mmol、触媒として塩化銅(II)0.06mmolおよびそれに対するリガンド0.06mmolを、10mLのジメチルホルムアミドに溶解させた。その後、開始剤を固定したITO電極を3枚並べ、中央には撹拝子を置いた。そして、還元剤の2一エチルヘキサン酸スズ(H)0.2mL(058mmol)をDMF3mLに溶解させた溶液を加えた後、シリコーン栓で三角フラスコを密閉し、70℃で24h熱重合を行った。重合操作終了後、ITO電極から触媒を除去するために、ジクロロメタンを溶媒にソクッスレー抽出した。その後、鋳型を除去するために、0.OlMHCI水溶液にITO電極をlh浸漬させ、電極の導電面にシリコーン樹脂を塗布して絶縁し、電極両端の有効領域をlcm×lcmに制限した。(この電極をGlucose Imprinted Polymer(GIP)固定電極とした。)Glc/VPBA複合体中に含まれるVPBAと等量のVPBAを仕込んで重合したものをNon Imprinted Polymer(NIP)として比較対象とした。修飾した電極表面の元素組成を、X線光電子分光法(X-ray photoelectron spectroscopy, XPS)で分析した。
2.5サイクリックボルタメトリーによるⅢP固定電極のグルコースセンシング能の評価
図4のようにポテンシオスタット(PS-08、東方技研、東京)に作用極、対極、参照極を接続し、測定溶液をアルゴンガスで5minバブリングした後、スキャン速度200mV/s、走査電位一〇.6~+1.2Vで作用極に対して電位を走査し、電位一電流曲線(サイクリックボルタモグラム)を記録した。作用極には、各種MIP-ITO、対極には未修飾ITO、参照極にはAg/AgCl電極を使用した。さらに、支持電解質に0.lM硝酸カリウム、マーカー物質に5mMフェロシアン化カリウム、溶媒には蒸留水を用いた。フェロシアン化物イオンの酸化電流にゲスト分子に5mMのGlcまたは比較対象のフルクトースが与える影響を評価した。
3.結果および考察
3.1XPSによるMIPグラフト電極のキャラクタリゼーション
XPSにより未修飾ITOおよびGIP、NIP固定電極の表面を元素分析したところ、インジウム、スズ、炭素、酸素が検出された。GIP、NIPの固定電極表面からはホウ素が検出された。触媒に含まれる銅は検出されなかった。各表面のインジウム、スズ、炭素、ホウ素の表面含有率(mol%)を表1に示す。
グラフト重合処理によってインジウムの含有率が減少していることから、ITO表面を高分子で被覆できたことは判明した。しかし、インジウムは充分な強度を以て検出されていたので、グラフト層の厚みは、XPSの検出限界深さ(10nm)よりは小さいことが解った。またグラフト処理によって、ボロン酸基が有効に導入できたことも、この結果で示された。
しかし意外なことに、グラフト処理後によって、スズの含有率が著しく増大していた。このスズはITOに由来するものではなく、還元剤のヘキサン酸スズに由来するものだと考えられる。ソックスレー抽出時間を2倍に延長しても、スズは除去できなかった。
3.2電極へのグラフト重合のリビング性
グラフト重合反応時間ごとの、フェロシアン化物イオンのピーク酸化電流密度を図5に示す。GIP固定電極の場合は、重合反応時間の増大に伴って酸化電流密度が減少していった。NIP固定電極の場合はその傾向が見られなかった。GIPの場合は、リビング重合の反応時間が増大することによって、MIPの重合密度が増大し、フェロシアン化物イオンのITO電極への拡散速度が低下し、電流が小さくなったと考えられる。NIPの場合は、架橋度の低さから酸素や還元剤が速く移動できるため、グラフト重合速度が速かったものと思われる。しかし、NIPはボロン酸基がフリーであるため、触媒となる銅錯体イオンとの相互作用が強く4)、リビング重合能が失われたと考えられる。MIPの場合はリビング重合できるということは、反応時間でグラフト重合量を制御でき、さらにはMIP層の表面に別の種類の高分子鎖を導入することが可能になることを示している。
3.3 グルコースセンシング能の評価
グルコースまたはフルクトースよる各電極での酸化還元電流の変化を図6に示す。未修飾ITOにおいては、糖による電流変化は見られず、NIP固定電極ではフルクトースに対して電流値を増大させた。フェニルボロン酸基のフルクトースに対する結合定数は、グルコースに対するそれの30倍である5)。したがって、NIPがフルクトースと結合することによって、その空隙の構造が変化し、電流値が変化したと考えられる。
これに対しGIP固定電極固定電極の場合は、フルクトースの存在下で、NIPと同様の電流増大が示された。しかしグルコースに対しては、より顕著な電流値減少を見せた。この結果は、グルコースを鋳型とすることにより、グルコースに特異的なMIP層内に結合サイトが形成され、そこに鋳型が浸入することにより、開孔率が大きく変化しうることを示している。換言すれば、ARGET-ATRP法で作られた分子インプリント高分子により、グルコースの選択的なセンシングが可能である事が解った。
3.4 MIP層の安定性
空気中で保管したGIP固定電極におけるフェロシアン化物のサイクリックボルタグラムの変化を図7に示す。グラフト重合から時間が経つにつれて酸化電流および還元電流が上昇した。29日経過後のサイクリックボルタグラムにおいては、未修飾ITO電極におけるフェロシアン化物のサイクボルタグラムとほぼ同じになった。この結果は、グラフトしたGIPの層が、大気中に保存の過程において電極から脱落した可能性を示唆している。
GIP固定電極を様々な環境下で保管し、フェロシアン化カリウムのサイクリックボルタメトリーを行った。その結果のピーク酸化還元電流の経時変化を図8に示す。大気中および二酸化炭素雰囲気下では著しく電流が上昇し、アルゴン、酸素雰囲気下では上昇が抑えられた。また水酸化ナトリウムとともにGIPを大気中で保管した場合は、電流の上昇が抑えられた。この結果は、大気中の二酸化炭素がGIPの脱落を促している可能性を示唆するものである。
しかし本研究で作製されたGIPは、シランカップリング剤を介した強固な共有結合でITO表面に固定されているはずであり、二酸化炭素の作用だけで脱落するとは考えにくい。実際、前報1)で作られたGIP電極は少なくとも2年間は、大きな電流値変化見せなかった。残留しているスズが何らかの作用で脱落を促している可能性は高い。現在、脱落のメカニズムを検討している段階である。
4.結論
ARGET-ATRP重合法によって、グルコースを鋳型とする分子インプリント高分子(MIP)を電極表面に固定することは可能である。この高分子の固定密度は、反応時間に依存することから、反応時間によるMIP固定量の制御や、ブロック共重合によるMIP層の表面修飾に期待が持てる。このMIPを固定した電極はグルコースに対する高い選択性を持つ。しかし、二酸化炭素の存在下でMIP層が脱落する。体液中から二酸化炭素を除去できないため、このMIP固定電極を当初目的としていた体内留置型グルコースセンサに利用することはできない。作製後の保存を短くすれば、検体検査に使用することは可能かも知れない。