2006年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第20号

光駆動マイクロ流体制御素子の開発とバイオチップ応用

研究責任者

丸尾 昭二

所属:横浜国立大学大学院 工学研究院 システムの創生部門 助教授

概要

1.はじめに
近年、ゲノム研究の進展に伴い、蛋白質やDNAを高速分析する各種バイオチップ(DNAチップやプロテインチップなど)が開発・実用化されている1)。これら既存のバイオチップの多くでは、試料を輸送・分離する手段として電気泳動が主として用いられている。しかし、ポストゲノム研究では、蛋白質と細胞の相互作用の解明など、より高度な分析が必要であるため、電気泳動だけでは不十分であり、さまざまな試薬や試料を微量かつ高精度に輸送する流体制御手法および素子が不可欠である。また、バイオチップは、バイオハザードの観点から、ディスポーザブル・タイプが望ましい。これらの課題を満たすには、高精度なマイクロポンプやバルブを内蔵したディスポーザブル・バイオチップを開発する必要がある。
本研究では、光トラッピング(光の放射圧によって微小物体を捕まえ、操作する技術)によって駆動するマイクロポンプやバルブを開発する。これらの流体制御素子は、2光子マイクロ光造形法2)によって作製される。2光子マイクロ光造形法は、光硬化性樹脂を用いて任意の3次元構造を形成できるので、ポリマー製3次元流体回路内部に、光駆動マイクロポンプなどを内蔵した高機能なディスポーザブル・バイオチップ(図1)を実現できる。さらに、レーザー光を走査するによって複数のポンプを独立駆動できるため、多種類の試薬の取り扱いが容易である。この新原理バイオチップは、ポストゲノム研究だけでなく、単一細胞分析など次世代バイオ・ナノテクノロジーに幅広く応用できる。

2.2 光子マイクロ光造形法
2光子マイクロ光造形法では、光硬化性樹脂を用いて、立体構造を形成する。通常、光硬化性樹脂は紫外光で硬化させるが、2光子吸収という非線形光学現象を利用することで、紫外光の半分のエネルギーをもつ近赤外光でも樹脂を硬化させることができる。ただし、一般に2光子吸収の吸収断面積は10-50cm4s 程度と非常に小さい。そこで、フェムト秒パルス光を用いて瞬間的に光強度を高め、開口数の高いレンズで空間的にも高密度に光を閉じ込めて、2光子吸収を誘起する。このとき、2光子吸収の発生確率は、光強度の2乗に比例するため、光強度の高い焦点近傍の樹脂のみを、選択的に硬化させることができる。その結果、光の回折限界を超えたサブミクロンの加工線幅を得ることができる。
さらに、2光子マイクロ光造形法を用いれば、樹脂中でレーザー光を3次元的に走査させるだけで、シャフトに拘束されたマイクロギアなどの可動部品を一体成形できる3,4)。これは、マイクロ領域では慣性力よりも粘性力が支配的となるため、樹脂中で硬化したマイクロ構造体が樹脂の粘性によって安定に浮遊するためである。ただし、樹脂は硬化する際に収縮を伴うため、収縮による造形物の歪みを最小にするように、レーザー光の走査軌跡を最適化させる必要がある。図2に、本研究で用いた2光子マイクロ光造形装置の概略図を示す。本装置では、光源にチタンサファイアレーザー(波長:750nm、パルス幅:200fs、繰返し周波数:76MHz)を用いている。レーザー光は、ND フィルター、シャッターを経て、ビームエキスパンダーでビーム径を広げた後、ガルバノミラーを通り、対物レンズ(開口数:1.35)によって樹脂中に集光される。

3.光駆動マイクロポンプの設計・試作
3.1 開発コンセプト
マイクロ空間における流体の流れは、慣性力よりも粘性力が支配的となるため、流体を輸送するには、容積形ポンプが望ましい。このため、1980年代頃から活発に開発されてきたマイクロポンプでは、薄膜で蓋をされたチャンバーを外部からアクチュエータで圧縮することで液体を送り出す容積形ポンプが主流であった5)。しかし、近年実用化が期待されているバイオチップはディスポーザブルタイプが主流であるため、高価なアクチュエータを内蔵させたポンプはコスト面で不向きである。そこで、空気圧駆動など安価で使い捨てに適した方式のマイクロポンプが研究されている6,7)。しかし、空気圧によってシリコーン薄膜を変形させて容積変化を起こす方式のポンプは比較的大きく、マイクロ・ナノスケールの分析用途には不十分である。また、複数のポンプやバルブを集積化させと装置が大がかりとなってしまうので、微小なマイクロチップに多数の素子を集積化させることが困難である。この他、ポンプチャンバー部にシリコーン樹脂などの弾性材料を用いる必要があり、ガラス製バイオチップに適用しづらいなどの課題もある。
一方、本研究では、ポリマーやガラス製流路の内部に微小なローターを内蔵させて、そのローターをレーザー光によって遠隔駆動させることで液体を輸送する光駆動マイクロポンプの開発を目指した。レーザー光で駆動させるので、バイオチップ内部にアクチュエータを内蔵させる必要がなく、低コストな能動型バイオチップを実現できる。また、ローターは、2光子マイクロ光造形法を用いて流路内部に一体成形されるため、流路に蓋をする必要がなく、気密性の高いマイクロポンプを容易に作製できる。また、ローターのサイズは10 ミクロン以下であり、従来の空気圧駆動形ポンプと比較すると、一桁以上微小なマイクロポンプを形成できる。したがって、複数のマイクロポンプを集積化させて、より複雑な化学合成分析プロセスを自動化させるバイオチップを構築することも可能である。

3.2 光駆動マイクロポンプの駆動原理
図3(a)に、光駆動マイクロポンプの原理図を示す。このポンプには、2つのローブ型ローターがマイクロ流路に内蔵されている。このポンプを動作させる際には、2つのローターに1本のレーザー光を交互に照射させて、ローターをかみ合い駆動させる。レーザー光は、ローター表面で反射および屈折し、光の運動量変化が生じる。この運動量変化の反作用として光の放射圧が発生し、ローターがレーザー光の焦点に引き寄せられる。したがって、レーザー光を円軌道に沿って走査させると、ローターはレーザー光の軌道に追従して回転する。また今回は、より簡単な駆動システムでポンプ動作を実現させるために、高速シャッターなどを使用せず、レーザー光のオン・オフコントロールなしで2つのローターに連続的にレーザー光を照射させる方式を採用した。このとき、2つの円軌道が重なる位置で光トラッピングが不安定にならないように、円軌道を描くレーザー焦点の位相を90度ずらした。このことによって、ローターをかみ合わせた状態で滑らかに回転駆動させることができる。ただし、ローター間をレーザー光が移動する回数が多すぎると、目標とする2つの円軌道よりもローター間の光強度分布が大きくなり、うまく駆動させることができない。この課題は、レーザー走査速度や軌道間を移動させる間隔などを最適化させることで解消できる。
図3(b)は、ローターの回転によって液体が輸送される工程を示している。2つのローターの回転方向は反対であるため、ローターに挟み込まれた流体が押し出され、流れが発生する。このような容積型ポンプは、マイクロ空間で液体を輸送する手段として適しており、ローターの歯数を増やせば、脈動の少ない流体輸送も可能となる。

4.光駆動マイクロポンプの試作と駆動検証
実際に、図2に示した造形装置を用いて、ローブ型ローターを試作した。まず、ローターの中心軸間の距離を変えながら、ローターのかみ合い状態を検証した。図4は、異なる中心間距離でローターを造形し、未硬化樹脂中に浮遊している様子を示している。この結果から、ローターの中心間距離が7μmではローター同士が重なってしまっていることがわかる。一方、間隔が8μmではローター同士のクリアランスが広いことがわかる。これらの結果から、かみ合い駆動に適したローターの中心間距離は7.5μmであることがわかった。
次に、実際にマイクロ流路内部にローターを造形し、マイクロポンプを試作した。図5に、流路とローターを一体成形する行程を示す。まず、流路側面を造形し、その後シャフトとローターを造形する。最後に、流路の上面部を造形して密閉された流路を形成する。この作製プロセスでは、ローターは支持構造なしで樹脂中で浮遊した状態で造形されるが、樹脂の粘性で安定に保持されているため、歪むことなく造形が可能である。
図6は、試作したマイクロポンプの光学顕微鏡写真である。ローターの長軸方向の長さは10μmに設計されており、注入部の流路径は、幅5μm、高さ7μmである。この結果から、流路とローターのクリアランスは約2μmで流路側面に接着することなく、精度良くローターが内蔵されていることがわかる。
実際に、試作したポンプをレーザー光によって遠隔駆動させる実験を行った。駆動に用いた光学系は、図2に示した造形装置と同様のシステムを用いた。ただし、チタンサファイアレーザーを連続発振モードで使用した。実験では、レーザーパワーを800mW に固定し、1本のレーザー光を2つの円軌道上を交互に高速走査させて、2つのローターを同時に回転させた。その結果、流路内部でトレーサー微粒子を0.6μm/秒の速度で移動させることに成功した(図6)。よって、ローターの回転による体積変化によって、ピコリットル毎分以下の超微小流量を実現できていると考えられる。

5.光制御バルブとマニピュレータの試作
マイクロ流体制御素子の応用例として、マイクロ切換バルブおよびマイクロピンセットをY分岐マイクロ流路に内蔵させた光制御バイオチップの試作も行った。図7に、試作したバイオチップをレーザー光で制御している様子を示す。このバイオチップは、Y分岐部にマイクロ切換バルブが配置されており、右側から送られてきた対象物を選別し、目的のサンプルのみ上側流路に導き、ピンセットで捕捉・分析するシステムの例である。作製したマイクロ流路は、高さ20μm、幅13μm である。図7(a)はピンセット、切換バルブ、いずれも閉じた状態であり、図7(b)はいずれも開の状態の写真である。このような狭い流体回路内でもピンセットと切換バルブを同時に駆動させることに成功した。

6.まとめ
2光子マイクロ光造形法を用いて、ローブ型マイクロポンプを設計・試作した。時間分割型の単一レーザー走査手法によって、2つのローターをかみ合い駆動させ、実際に流体を輸送することに成功した。このポンプでは、トレーサー微粒子の移動速度からピコリットル毎分以下の超微量液体輸送が実現できていると考えられる。また、光制御マイクロ切換バルブとマイクロピンセットを内蔵させた光制御バイオマニピュレーション・チップを試作し、バルブとピンセットの協調制御に成功した。このバイオチップは、マイクロ流路などの密閉微小空間で細胞や細菌を操作する新しいデバイスに応用できる。今後は、光駆動マイクロポンプ・バルブや各種マニピュレーションツールを融合させて、より高度なバイオ操作や化学合成分析を可能とする光制御マイクロ化学分析システムへと発展させてゆきたい。