1995年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第09号

光学的多点計測による大脳皮質聴覚領の神経活動の画像化

研究責任者

谷口 郁雄

所属:東京医科歯科大学 難治疾患研究所 情報医学部門 教授

共同研究者

堀川 順生

所属:東京医科歯科大学 難治疾患研究所 聴覚情報 助教授

共同研究者

細川 浩

所属:東京医科歯科大学 難治疾患研究所 聴覚情報 助手

共同研究者

那須 昌啓

所属:東京医科歯科大学 難治疾患研究所 聴覚情報 技官

概要

1.まえがき
生きた状態で哺乳動物の脳をフォトダイオードを利用して光学的に計測した最初の報告は,1985年のOrbachら1)によるラット大脳皮質視覚領からの記録である。その後,BlasdelとSalama(1986)2)はCCDカメラを利用して,サルの視覚領でニューロン群が形成する,ある種の機能単位であるモジュールの画像化に成功した。かれらの結果は,それまで信じられていた,ノーベル生理学賞の授賞者でもあるHubelとWieselのモデル3)と違っていたために,世界中の脳の研究者に大きなインパクトを与えた。
聴覚系の場合は情報処理という点で,視覚系と違い,時系列の情報を高速に処理しなければならないため,その計測装置も高速であることが要求される。それに伴う技術的な難しさが,これまで,生きた脳の聴覚系で光学的計測が成功しなかった理由と思われる。
聴覚領における音情報の処理機構は,これまでの多くの研究にも拘らずよくわかっていない。唯一明らかなことは,同じ特徴周波数をもつ皮質ニューロンは帯状に分布するという周波数局在の機構である。これはすべての哺乳動物に存在し,人間にも共通する。このほかの機能的構造については,周波数局在の軸に直交する軸上にあると推測されているにすぎない4)。そのような二次元空間的な機能的構造をしらべるには,リアルタイムでの光学的二次元計測法が適している。
われわれは光センサーとして12×12チャンネルのフォトダイオード・アレイを利用し,電圧感受性蛍光色素で脳を染色して,神経活動に伴って変化する脳皮質からの蛍光の強度を計測した。この方法を使って,音の物理的パラメータ(周波数,強さ,時間)が聴覚領に時空問パターンとして表示される様子を可視画像化することに成功した5)6)7)。また,動物の音声に対する聴覚皮質活動についても検討した。
2. 皮質聴覚領の機能的構造
この研究には主にモルモットを用いた。大脳の機能的構造の一つである周波数局在はこれまでに調べられたすべての哺乳動物に見つけられており,基本的な構造は同じである。モルモットの聴覚領には周波数局在のある三つのサブエリア(A,DC,S)が存在することは既に微小電極法で明らかにされている。図1は微小電極を用いて,モルモットの聴覚領の二つのサブエリア(A,DC)における周波数局在をマッピングした例でる。ニューロンにとって最も感度のよい周波数が腹側から背側にかけて帯状に分布していることがわかる。またA野とDC野の周波数局在は近似的に鏡面対称となっている。この皮質における周波数局在という機構は抹消の内耳に存在する周波数軸が投影されたもので,周波数情報を処理するための基礎的構造と考えられている。しかし,それぞれの等周波数帯に属するニューロンがある周波数に対して時空間的にどのような応答パターンを示すかという問題についてはこれまでの研究では明らかにされていない。一個のニューロンの応答を一本の微小電極で記録する古典的な方法では,その隣のニューロンがどのような応答をしているのかはわからない。しかし光学的二次元計測法を用いれば神経活動を時空間パターンとして観測することができる。
3.方法
1)光学的脳活動計測装置の構成
われわれが用いた光学的脳活動計測装置(ハイランド)の概略を図2に示す。原理的には落射型蛍光顕微鏡である。神経活動に伴う光信号はS/Nが10-4のオーダーで非常に微弱であるため,対物レンズは特製の大きな開口数(NA;0.42)のものを使用している。ハロゲンランプ(lamp)からくる光は励起フィルター(EX,510-560nm),ダイクロイック・ミラー(DM,580nm),対物レンズ(obj)を通過し,580nm以下の波長の光で蛍光色素(Molecular Probe, RH795)を励起する。脳からの蛍光は再び対物レンズ,ダイクロイック・ミラーを通過し,さらに吸収フィルター(BA,620nm)を通り12×12チャンネルのフォトダイオードアレイ(PD)に到達する。フォトダイオードで検知された蛍光信号は1/Vコンバーターで電圧に変換し,1Hz-10kHzのバンドパスフィルター,増幅器を経てA/D変換器(鳴海電子,16bit,lusまたは4μs)に送られる。そのデータはパーソナルコンピューターで144チャンネル当たり約0.14msまたは0.58ms毎に処理される。
2)動物標本の作成
動物(モルモット)はネンブタール(30mg/kg)で麻酔し,外耳道に音刺激用の中空のイヤバーを挿入し,頭部固定装置を使って動物を固定する。側頭骨に小孔を開け脳硬膜および蜘蛛膜を除去して聴覚領を露出する。聴覚領は電位感受性色素,RH795で90分間染色した後,光学的脳活動計測装置で音に対する応答を調べる。強い光で照射するため電位感受性色素は退色しやすく,ほぼ15分置きに追加染色した。
3)音刺激と信号の記録
音刺激には純音,FM音および種固有の音声を用いた。これらの刺激音は記録側とは反対側の耳へ,イヤバーにセットしたイヤフォンから与えた。
心拍と呼吸のために動く脳表面から雑音を除去するため,記録を心拍に同期させ,さらに人工呼吸器を約5秒間停止して計測を行った。音刺激を与えた時の記録から,刺激を与えなかった時の記録を差し引くことで脳表面の動きをキャンセルした。
4.結果
1)周波数局在
周波数が8,12,16kHzの純音(持続50ms,立ち上がり,立ち下がり10ms)に対する12×12チャンネルの光応答を図3a,b,cに示した。図下はa,b,cをそれぞれ基にして作成したトポロジカルな神経活動のマップである。周波数が8kHzの場合,二つの活動のスポットがA野とDC野にそれぞれ分かれて現れている。周波数が高くなるに従って,二つのスポットは接近し,16kHzでは両者は融合したように見える。このような結果は,図1に示した電気生理学的な方法によって得られた周波数局在のマップのA野とDC野の間の周波数軸が鏡面対称になっている事実と一致する。
しかし,この周波数局在は古典的な手法によって得られたマップから想像されるような,静的なものではなく,時間に依存して,そのパターンが変化することが明らかとなった。図4に周波数局在が時間とともダイナミックに変化する様子を示す。音刺激(この場合,周波数16kHz)を与えると,興奮性のスポットが先ずA野の腹側部に現れ,二つの異なる方向へ伝搬する。一つは等周波数帯に沿った背側方向への伝搬で,もう一つはその途中でDC野の方に向かう伝搬である。
2)音の強さの表示
音の強さは周波数と同様に聴覚にとっては生物学的に重要なパラメータである。しかし,周波数局在がいろいろな動物で見つかり報告されている一方で,音の強さを処理する皮質の機能的構造については,ほとんどわかっていない。1952年にTunturi8)は聴覚皮質の誘発電位による解析から,イヌの聴覚皮質には音の強さは周波数軸に直交する方向に表示されることを見いだした。しかしその表示は同側刺激のときだけであった。一般に聴覚末梢から皮質への神経投射は反対側への投射の方が優位であるため,Tunturiの周波数局在の結果は現在も認められているが,彼の音の強さを処理する機能的構造についてはこれまで無視されてきた。Suga9}はコウモリの聴覚皮質には音の周波数が同心円状に表示され,強さが放射状に表示される部位をみつけた。サルやネコの聴覚皮質のニューロンのなかには,音の強さに対して選択的に応じるものもみつかっているが,これらのニューロンがどのような機能単位を形成しているかということについては未だにわかっていない。
われわれは音の強さが周波数軸に直交する方向に表示されることを,光学的な方法で画像化することに成功した。この結果はTunturiの結果と似ているが,対側刺激でも認められる点で異なる。
図5にわれわれの結果を示す。50-90dBSPLの音に対する最大の活動を示した時点での時空間パターンである。明らかに強い音は腹側に,弱い音は背側に表示されている。つまり,等強度帯では等周波数帯に対して直交することを示す。弱い音の場合,応答はA野とDC野の二つに分離したパターンとして観察される。しかし音が強くなると,A野とDC野の応答は融合してしまう。抹消のニューロンの場合,強い音に対しては同調特性がシャープでなくなり,多くの,いろいろなニューロンが応じることは電気生理学的に証明されている。われわれの結果は,末梢系と同様に,皮質のレベルにおいても応答の空間的な広さ,つまり応じるニューロンの数は音の強さに依存することを示している。
3)FM音に対する応答の時空間パターン
いろいろな動物の聴覚皮質で,FM音を処理するための特殊なニューロンがみつかっている。特にコウモリのFMニューロンの場合は,聴覚領の特定の領域に分布している。FM音がそのような特殊ニューロンによって処理されるという理論に対して,むろん単純な性質のニューロンがアンサンブルで処理するという考え方もある。後者の場合,皮質ニューロンの組織原理を見いだすことが要求される。われわれはこのような目的で,FM音刺激に対する光応答の時空間パターンを観察した。
刺激としては,周波数スイープを上向きの4-16kHzと下向きの16-4kHzのFM音(持続50ms)を用いた。図6にその結果を示す。A野とDC野に現れた活動部位はいずれのスイープの場合でも背側方向に伝搬する。しかし,その傾きはスイープの方向に依存することが明らかである。上向きスイープの場合,活動のスポットの軌跡はA野とDC野の境界線に向かって,ハの字を描いて接近する。つまり神経活動は等周波数線の低い方から高い方へ横切って伝搬する。下向きのスイープの場合は,これと逆に,等周波数線の高い方から低い方へ横切って,逆ハの字を描いて伝搬する。
A野とDC野の両野にはFM音に選択的に応じるニューロンの集団は認められなかった。上の結果は,純音を処理する周波数局在機構のなかの単純なニューロンがそれぞれの特徴周波数に対応するFM成分に応じることによって,FM音を全体として処理することを示す。
4)動物の音声に対する応答の時空間パターン
交尾期にオスがメスを呼ぶ声の中の典型的な2種類の成分を刺激として用いた。それらの成分(vocal1とvocal2)の波形と,比較のための14kHzの純音のスペクトログラムを図7に示す。vocal1は数多くの倍音を含む上昇FM音である。voca12は低くて短い周波数一定の倍音を含む断続音である。これらの刺激に対する応答波形を図8に示した。応答波形は純音と声では大きく異なる。純音に対しては,音の始めに一過性に興奮し,その後に永い抑制が続く,比較的単純な応答波形となる。これに対して,声に対する応答は興奮と抑制が交互に続く複雑な応答となる。その波形はvocal1とvocal2に対しても異なり,聴覚領内の場所によっても差がある。図8dにそれぞれの応答の空間マップの時間的変化を示した。純音,voca11,vocal2に対する応答パターンは時空間的に異なることが明かである。現在,このような応答の空間的および時間的な差異が刺激の波形やスペクトルの時間的構造とどのように関係するかを調べている。
5.まとめ
光学的計測法によるモルモットの聴覚皮質応答の二次元的計測から,聴覚皮質の周波数局在は過渡的なものであり,時間に依存してダイナミックに変動することがわかった。純音に対する活動は,図9に模式的に示したように,時間の経過とともに等周波数線に沿って背側方向に伝搬する。FM音で刺激すると,図10に示したように,周波数軸に対して斜め方向に伝搬し,FMのスイープの方向を逆転すると活動部位の伝搬する方向も逆転する。また,音の強さは図9に示すように等周波数線に直交する軸上に表示される。
これらの結果から,聴覚領では音の周波数と強さの情報は場所に変換され,時間情報は活動の伝搬という形式で場所に変換されることがわかった。音声に対する応答は興奮と抑制が交互に現れる複雑な波形となる。その波形は純音に対する単純な波形とは異なり,声の成分によって,時間と聴覚領内の場所にも依存する。
音声に対する応答の複雑さは音声の波形やスペクトルパターンの時間的構造に関係する。