1993年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第07号

光による生体内の構造および機能情報計測法の開発

研究責任者

清水 孝一

所属:北海道大学 工学部 生体工学専攻 助手

共同研究者

山本 克之

所属:北海道大学 工学部  教授

共同研究者

三上 智久

所属:北海道東海大学  教授

概要

1.まえがき
光は,一般に生体を透過しないものと考えられてきた。しかし生体の吸光スペクトルを見ると,波長700~1,200nmの近赤外領域は,部分的に吸光度の低い「分光領域の窓」となっている。したがってこの波長域の光は,生体組織をよく透過する1-2)。この透過率の高さから,光による生体透視や光CTの可能性が指摘されてきた2-4)。しかし透過率が高いだけでは体内構造を可視化することはできない。光の場合,X線や磁気と異なり,生体組織における散乱という大きな問題が存在する。すなわち,吸光度の低い波長域を選ぶことにより透過光が得られるが,強い散乱のため光は拡散し生体内構造物は見えてこない。我々は,生体内の光散乱現象を調べ,拡散されて出てきた光から体内構造の情報を抽出することによって,光による生体透視,ひいては体内機能イメージングを実現することをめざして研究を行っている5-12)。本研究では,生体内の構造情報および機能情報を計測する方法の開発を行った。
2.研究内容
2.1生体透視の可能性
まず,比較的実験の容易なヒト手掌部を対象として,近赤外光による生体透視の可能性を調べた。また得られた画像を基に,種々の光源を用い,一連の基礎的検討を行った。
2.2空間的差分法
光散乱の問題を解決するためには,透過光のうち散乱成分を抑制して直進成分を抽出する必要がある。なおここで言う「直進成分」とは,散乱を一度も受けずに受光器に到達した光子だけではなく,散乱を受けながらも入射光の光軸に沿って伝搬してきた成分をさす。生体組織のように散乱や吸収の強い物質の場合,前者の割合はきわめて小さくなる。散乱光,すなわちランダムに方向を変えられた光を抑制するために,散乱光の空間的特徴を利用する。つまり,コリメート光を対象物体に照射し,その光軸上に置いた光検出器の受光角をできるだけ小さく制限する。散乱光はほとんど光軸からそれるため,検出器に到達する光のうち,直進成分の割合は相対的に増加する。こうして直進成分が得られれば,このビーム光を走査することにより透視像が得られる。この方法の有効性を実験によって確かめたところ,ある程度は散乱成分抑制の効果が認められるが,十分な信号光強度を得ることは難しいことがわかった5)。そこで,散乱角差分法と称する次のような方法を考えた。この方法の概略をFig.1に示す。光源からビーム光を試料に照射し,透過および散乱光を2個の光検出器で受光する。一方の光検出器(#1)にはビーム光に光軸を合わせたコリメーターが接続されており,直進成分と散乱成分の和を検出する。また他方の光検出器(#2)には,ビーム光と一定角度θを成すコリメーターが接続されており,散乱成分のみを検出する。したがって,検出器#1の出力から,θの重み付けをされた検出器#2の出力を差し引くことにより,散乱成分を抑制することが可能となる7)。
2.3時・空間的差分法
次に透過光の伝搬の時間的特徴をも合わせて利用する方法を考えた。つまり,直進光は他のどの経路を通った光よりも早く受光器に到達することを利用して,遅れて到着する散乱成分を時間的に除去するという方法である。このためには,光の伝搬時間に対応した早さで動作する受光システムが必要となる。我々はこのシステムを,ピコ秒パルスレーザーとストリ一クカメラを中心に構成した5)。この方法により,乳球懸濁液を用いた基礎実験では良好な結果が得られたが,やはり生体試料の場合には不十分であった。そこで,前節で述べた空間的方法と時間的方法を組み合わせることを考えた。この方法の概略をFig.2に示す。ビーム状のパルス光を試料に照射し,透過・散乱した光を光ファイバーを介して受光する。このファイバーは入力端が同心二層構造のファイバー束から成っており,その中心部分と周辺部分に入射した光はY字状に分岐され,二つの出力端からそれぞれ別々に出射される。このようなファイバーの中心軸に,入射ビーム光の光軸を正しく軸合わせして配置すると,中心部では透過光のうち直進成分と散乱成分の和が検出され,また周辺部分では散乱成分のみが検出される。したがって,それぞれを同時にストリークカメラに導き,得られた時間分解波形間の演算を行うことにより,散乱成分が打ち消されて直進成分が抽出される8)。
2.4CT基礎実験
光によるCT実現に向けて,前述の散乱抑制法の有効性を実証するため,モデル実験を行った。モデルとしては,アクリル製容器(入射光方向の内壁間隔50mm)に散乱体である乳球懸濁液を満たし,その中に断面がそれぞれ円形・三角形・四角形である3本の金属柱を立てた物を用いた。このモデルに光ビームを入射し,散乱光成分を抑制しつつ,直進に近い透過光成分を受光する。受光器を
入射ビームの光軸に合わせて対向させ,対象物体を走査する。得られた透過光量分布を一方向の投影データとし,多数方向の投影データを得る。得られた投影データ群にX線CTのアルゴリズムを適用することにより断層像を得る9)。
2.5体内機能情報のイメージング生体透視の大きな意義は,単に体内構造をとらえるだけではなく,体内の機能情報を画像化することにある。機能情報としては,血液量変化のような物理的変化に加え,組織の酸素化状態の変化のような化学的変化をとらえることもできる1°)。生体組織を透過した近赤外光は,吸収と散乱により減衰する。生体における近赤外光の吸収は,主としてヘモグロビンによるものと考えられる。ヘモグロビンの吸光スペクトルをFig.3に示す。動脈血のように酸素の多い血液は酸化ヘモグロビンの特性が支配的であり,静脈血のように酸素の少ない血液は還元ヘモグロビンの特性が支配的である。図からわかるように,酸素化の程度によって吸光度が大きく変化する波長と変化しない波長(等吸収点800nm付近)がある。従って,これら異なる波長の光を用いて得られた透過像の情報から,組織の酸素化状態の変化を二次元分布として求めることができる12)。
3.研究成果
3.1生体透視
生体透視の可能性を確かめる実験で得られた画像をFig.4に示す。これは,波長880nmの発光ダイオードを光源とし,手掌を透過してきた光をimage intensifierで撮影した動画像の一シーンである。装置や計測の詳細については,他ηを参照されたい。このような画像を用い種々の検討を行った結果,次のような知見が得られた5)。波長550nm(緑色)以下の光は生体組織での吸収が大きく,透過像を得るのは一般に困難である。波長が580nm(榿色)~630nm(赤色)では,
透過率が高まるとともに,ヘモグロビンの強い吸収により比較的コントラストの高い血管像が得られる。しかし,生体を透過する光の量は少なく,適用できる生体の部位は限定される。これに対し,波長700nm~1,200nmの近赤外領域では,光の透過量は増加するが,ヘモグロビンの吸収が減少し,血管像の鮮明さは低下する。また我々の実験システムでは,生体の可視深さは表面から3-8mm程度に制限されることがわかった。これは,生体組織による強い散乱のため,通常の撮影系では,深部の像情報が失われるためと考えられる。
3.2散乱光成分の空間的分離
2.2節で述べた空間的差分法の有効性を調べるため,次のような実験を行った。光源ととしてHe-Neレーザー(光出力2mW,ビーム径1mm)を用いた。またコリメーター1には対物レンズ(焦点距離10mm)とピンホール(30μmφ)の組合せ,コリメーター2にはビームエクスパンダー(×10)を用いた。受光器にはシリコンフォトダイオードを用いて,光強度を測定した。角度θの重み付けは,コリメーター2の前面に光学絞りを置き入射光量を調節することにより行った。散乱体試料には,脱脂粉乳による乳球懸濁液(209/1)を内壁間隔20mmの透明アクリル製容器に満たし,その中央部(内壁面からの距離10mm)にナイフエッジを配置したものを用いた。Fig.5に示すように,ナイフエッジをビームに対し垂直に移動させた時の透過光を測定し,ナイフエッジ像の空間分解能を求めることにより散乱成分抑制能の評価を行った。ナイフエッジ像の測定結果をFig.6に示す。横軸はナイフエッジの位置であり,ビーム中心とエッジ端の距離を表す。また縦軸は規格化した光強度である。図中Aは,コ
リメーターを取り除いた光検出器1からの出力であり,受光における空間的コリメーションを行わない場合の測定結果である。結果は散乱光の強い影響を受け,散乱のない水の場合Dに比べ,信号の平滑化が著しい。これに対しBは,光軸上にコリメーターを配置した検出器1の出力で,入射角を厳しく制限することによって,散乱成分がある程度抑制されることがわかる。さらに,差分原理を用いた本手法Cでは,Bに含まれていた散乱成分が抑制されて直進成分が相対的に強くなり,散乱のない水の場合Dにきわめて近いエッジ像が得られた7)。このように空間的に差分を行うことにより,光の散乱を抑制し透過像の空間分解能を向上できることがわかった。しかし試料として生体組織を用いた場合には,我々の光源強度の限界もあり,十分な信号光強度を得るには至らなかった。
3.3散乱光成分の時・空間的分離
2.3節で述べた時・空間的差分法の有効性を調べるため,次のような実験を行った。光源には,YAGレーザー(出力8mJ,半値幅約50ps,ビーム径1mm)を用いた。また散乱光をある程度制限するため,散乱体の試料とファイバー(入力端の中心部分の半径は1.1mm,周辺部分は半径1.5-1.9mmの同心円)を80mm離し,その中央にピンホール(1mmφ)を配置した。試料として,内壁間隔20mmのアクリル製容器に乳球懸濁液(脱脂粉乳159/1)を満たしたものと,ブタ赤身肉(10mm厚)を用いた。これらの試料中央部にナイフエッジを挿入し,エッジ近傍における透過像の空間分解能の測定を行った。Fig.7に,乳球懸濁液の場合の測定結果を示す。これはナイフエッジ端を中心にビーム位置を変化(奥行き軸)させた時の光パルス波形(縦横軸)の集合である。同図(a)はファイバー中心部分で検出した波形,(b)は周辺部分の波形との演算結果である。(b)の波形では(a)の波形に見られる散乱成分が大きく抑制され,図(a)左端に示す入射パルス波形に近づいていること,ナイフエッジ端周辺の空間分解能が大きく改善されていることが分かる。またブタ赤身肉の場合も,信号のS/Nは低下するが,ほぼ同様の散乱成分抑制能が得られた8)。
3.4光によるCTイメージング
Fig.8に実験システムの概略図を示す。光源(ヘリウム・ネオンレーザー,波長632.8nm)よりビーム光を試料に照射し,透過光を光検出器で受光する。なお透過光の検出には,散乱成分抑制法の効果を調べるため,3種類の受光方式を用いた。すなわち,(a)光検出器の前に入射光を位置的に制限するピンホールを装着した場合,(b)レンズとピンホールの組み合わせより成るコリメーターにより位置に加え受光角も制限した場合,(c)2個のコリメーター付き光検出器を用いてそれらの差を利用した場合である。
測定の結果得られた断層像をFig.9に示す。図中(a),(b),(c)は,それぞれ上記の受光方式に対応する。比較のため,乳球懸濁液の代わりに水を満たし(b)の方法で測定した場合の結果を(d)に示す。(a)の場合,散乱光の影響を強く受け,(d)の場合に比べ画像分解能は著しく劣化している。これに対し,(b)では散乱成分がある程度抑制され,3本の金属柱の位置は確認できる。しかし形の判定は難しい。(c)ではさらに散乱光の影響が少なくなり,金属柱の断面形状が判別できる。(d)との比較から,(c)では散乱成分抑制法が有効に作用していることがわかる9)。
3.5体内機能情報の計測
まず体内の局所的血液量変化を,体外から計測することを試みた。血圧測定用のカブを用い,上腕部を不完全に圧迫することにより,手掌のうっ血状態を作り出した。カブによる拘束を行う前後の透過像をFig.10(a)(b)に示す。これは,高圧ナトリウムランプを光源として,手の平側から照射し,手の甲側に透過してきた光を光学フィルタ(800nmバンドパス)を介して撮影したものである。Fig.10(c)は,同図(a)(b)に示す位置の輝度分布である。Fig.10(a)(b)を比較すると,血管の拡張の様子が明らかに観察される。特に同図(c)に矢印で示すように,拡張前には見えていなかったか不鮮明であった血管が,明瞭に現れて来る。また,組織内毛細血管の血液量の増加により,組織透過光量が減少しているのもわかる1°。次に,体内機能の化学的変化をとらえることを試みた。被験者の上腕部を血圧測定に使うカブできつく締めると,前腕から手掌にかけて血流が止まり,時間とともに末梢血中の酸素が失われていく。その状態でカブを開放すると,末梢血の還元ヘモグロビンが急速に酸化される。この変化を手掌透過像で観察することができる。波長750nmの光の場合,Fig.3の特性のとおり,吸光度は減少,すなわち透過像は急に明るくなる。逆に波長820nmの光の場合,透過像は急に暗くなる14)。この変化をFig.11に示す。これは,挿入図に示すサンプリング領域の輝度分布である。Fig.3の特性から予想されるように,波長の違いにより,透過光量変化の方向が反転することがわかる12)。
4.まとめ
生体の光透視および体内機能イメージングの実現をめざし,基礎的研究を行った。結果は,以下のようにまとめることができる。
(1)近赤外光を用いることにより,生体の光透視が可能なことを示した。また得られた像には,血管像や1血液に関する情報がよく現れることを見いだした。
(2)受光器を二個用い差分をとることにより,透過光中の散乱光成分を抑制する新たな手法を開発した。
(3)上記の方法に時間的な方法を組み合わせることにより,散乱光成分の抑制能が,大きく向上することを見いだした。
(4)体内の血液量変化や,体内組織の酸素化状態の変化を透視像としてとらえ計測する手法を開発した。
これらの結果より,光による生体透視が不可能なものではないことが明らかになった。しかし実用までの道は未だ遠く,今後多くの研究努力が積み重ねられなければならないと考える。もし光による透視や光CTが実現されれば,X線や放射性物質にまつわる被曝安全性の問題が解決される。また,現在有用性が評価されながらも問題点の残されているMRIやPETに対し,比較的手軽で良質な断層像撮影が可能となる。さらに,光を用いることにより,これまで積み上げられてきた分光生化学の豊富な知識体系を基に,体内組織の酸素化状態や糖代謝などの空間分布を非侵襲的に可視化できる。これらを総合して考えると,光による生体透視の実現は,医学や医療の進歩に大きく貢献する可能性を秘めているものであり,今後この分野における研究のさらなる深化発展が期待される。