2012年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第26号

伸縮性を有するシリコーン・ナノポーラス膜の創製と生体デバイスへの応用

研究責任者

上原 宏樹

所属:群馬大学大学院 工学研究科 応用化学・生物化学専攻 准教授

共同研究者

山延 健

所属:群馬大学大学院 工学研究科 応用化学・生物化学専攻 教授

概要

1.はじめに
糖尿病は、現代における主要疾病の1 つであり、2000 年には世界中で実に1 億7100 万人がこの病を患っているとのデータが公表されている。この値は2030 年までに2倍以上になると世界保健機構(WHO)は警告している 。WHO によれば、現在、我々は破滅的規模の糖尿病蔓延の危機に潜在的に直面しており、その影響は、むしろ発展途上国で深刻である。
糖尿病患者の数(特に2型・糖尿病)は、世界中で急激に増加している。これは、主に老年層で顕著であり、運動不足や肥満につながる食習慣にその原因がある。今日では、早期に発見されて治療が行なわれれば、糖尿病は死に至る病ではない。糖尿病によって起こる合併症の治療技術や予防技術も進んで、患者の寿命も延びてきており、増え続ける糖尿病患者に多大な貢献をもたらしている。しかしながら、糖尿病自体の治療法は未だ見出されておらず、合併症を防ぐ最良の方法は血中のグルコース濃度(血糖値)を常にモニターし、その結果を踏まえてインシュリンを注射するしかない状況にある。また、21 世紀初頭に至るまで、注射なしで(すなわち無痛で)血糖値を検知する方法は未だ開発されてはいない。したがって、これに代わるモニター技術、すなわち、糖尿病患者が自分の指に針を刺して血液検査をしなくて済むようにする技術の開発研究がこの30 年間続けられてきた。今日では、増え続ける糖尿病患者の数に応じて、このような技術開発の社会的要請は益々大きくなっている。
これに対して、長期間の使用が可能な「体内埋め込み型」のグルコースセンサーは、上記のような患者の負担を最小限化しうる電子計測技術でと言える。この方法は、患者の血糖値を絶え間なく監視できるようにすることで、糖尿病患者の生活の質(QOL)を向上させられると期待されている。さらに、この計測システムなら、低血糖症あるいは高血糖症になる前に患者本人にアラームなどで知らせることができるので、特に就寝中における容態急変の対処法として有効である。最終的には、血糖値の変化に対応してリアルタイムでインシュリンを投与する「フィードバック型の糖尿病管理システム」へ発展させられると期待される。したがって、平均で毎日4 回の指先への針刺しによる採血が必要な従来の血糖値計測法と比較して、この体内埋め込み型センサーによる持続的な血糖値モニタリングは、糖尿病治療および一般患者の健康管理においても大きなブレーク・スルーとなると予想される。
しかしながら、現在まで、長期間使用可能な体内埋め込み型のグルコースセンサーの商業化に成功した例はない。このため、ほとんどの糖尿病患者は今でも、インシュリン注射するタイミングを知るために1 日の2~6 回の血糖値測定が欠かせないが、この状況は30 年前と何ら変わっていない。
最近、2~7 日間の使用が可能でFDA 認可の持続的グルコース・モニタリング装置(CGM)が幾つか市販されている。例えば、Medtronic 社のGuardian Real-TimerZ [1]、Abbott 社のFreeStyle Navigator [2]、Dexcom 社のDexcom Seven [3]が挙げられる。しかしながら、これらはあくまで生体に対して「低侵襲性」でしかないので、長期間のモニタリングには適していない。感染症のリスクを考慮すると、長期間使用可能なセンサーとするには、生体に埋め込んでしまうしかない。また、これらはすべて指刺し採血を想定したシステムであり、実用化されたとしても依然として患者のQOL 向上にあたっては理想的であるとは言えない。
一方、我々とスイス連邦工科大ローザンヌ校(EPFL)の研究チームは、体内埋め込み型グルコースセンサーへの搭載を目指してブロック共重合体から細孔サイズの異なるナノポーラス膜を調製し、その力学強度や生体適合性を評価する国際共同研究を行っている[4]。具体的には、ポリエチレン/ポリスチレン・ジブロック共重合体を溶液キャストにて製膜し、エッチング条件を制御することで、細孔径が5~40nm のナノポーラス膜を調製した。これらのグルコース透過性およびアルブミン透過性を評価したところ、すべての膜でグルコースを透過していたのに対し、細孔サイズが10nm 以下の膜ではアルブミン透過を完全にシャットアウトしていた(図1(a))。これに対して、一般的なナノポーラス膜として知られているアルミナ膜ではアルブミンのリークが確認され(図1(b))、高分子ナノポーラス膜の優位性を実証することができた。また、このポリエチレン製ポーラス膜はアルミナ膜に比べて非常にフレキシブルであり、体内埋め込み型グルコースセンサーのようなMEMS 加工が必須の計測システムに適していた。
しかしながら、このナノポーラス膜の基材であるポリエチレンは耐薬品性に優れ、長期間、生体内で作動可能であるものの、生体適合性に優れるとは言えない。一方、シリコーンは、耐薬品性に優れる上に人工臓器等の生体デバイスに実装されている実績がある。また、非常にフレキシブルであり、ポリエチレン・ナノポーラス膜同様にMEMS 加工に優れると考えられる。
そこで、本研究では、生体適合性に優れたシリコーン材料で多孔膜を創製し、その優れた伸縮性を利用して特定の生体分子のサイズ透過性を制御可能なシステムを開発することを目的とする。
具体的には、シリコーンに対して非相溶な溶媒を混合させた相分離エマルジョンを調製し、これを昇温することでシリコーン架橋と溶媒揮発を競争的に進行させ、膜厚方向に連通した細孔チャネルの形成を行なった。
2.実験
2.1 試料
本研究では、伸縮性に優れたシリコーンを基材とする必要がある。そこで、伸度を確保するために両末端にビニル基を有する鎖状のポリジメチルシロキサン(DMS)、また、収縮性を確保するために分岐状のまず、ポーラスシリコーン基材を調製するために、分岐末端にビニル基を有するポリ(ビニルメチルシロキサン‐ジメチルシロキサン)共重合体(VDV)、さらに、架橋剤成分として、メチルハイドロジェンシロキサン(HMS)を組み合わせた。これに、細孔形成のための蒸留水および架橋反応触媒である白金錯体を用いた。
これら基材シリコーンおよび白金触媒には、Gelest 社製のものを用いた。用いたシリコーン原料の分子量ならびに粘度を表1 に示した。
2.2 多孔膜成形
一番粘度の低いHMS 0.135gと蒸留水 0.135gをまず室温で徒手により15 分間撹拌して混合し、次に中程度の粘度を有するVDV 0.26gを加え、さらに15 分間撹拌した。 最後に一番粘度の高いDMS 0.61 を加えて2 分撹拌し、全体をエマルジョン化したところに白金触媒を加えて2 分間撹拌し、その後、離型用のポリイミドフィルム状にキャストし、これをホットプレス上のプレス板に乗せて所定の温度(50℃、80℃および120℃)に加熱し、5 分間保持して熱架橋を進行させた。このうち、50℃および80℃で架橋させた試料では、その後、水を揮発させるために温度を120℃に上げて2 分間保持して、室温に冷却して多孔膜を得た。なお、最終的な蒸留水の重量含有率は12%である。
また、比較として、上記と同じ手順で蒸留水を加えずに50℃、80℃、120℃で架橋させた無孔膜(50℃、80℃の熱架橋条件では、その後、120℃に昇温)も調製した。
2.3 TG-DTA 測定
Rigaku 製TG8120 熱重量(TG-DTA)を用いて、架橋温度及び熱分解成分の同定を行った。基準物質にアルミナを用いて、酸素雰囲気下、昇温速度5℃/min において室温~400℃の温度範囲で測定を行った。
試料としては、2-2 の手順でDMS 0.61g、VDV 0.26g、HMS 0.135gおよび白金触媒を混合したもの(蒸留水なし)をそのまま用いた。
2.4 力学物性測定
2-2で得た多孔膜及び同条件で水を含まないで作製した無孔膜を長さ50mm、幅5mmに切り出し、ORIENTEC社製テンシロン万能試験機RTC-1325Aを用いて力学物性測定を行った。引張り条件は、室温にて、掴み間隔30mm、引張速度20mm/minで行った。
2.5 イメージングNMR
2-2で調整したシリコーン混合物を、キャストせずにφ12mmの試験管に直接詰め、オイルバス中で120℃で5分間加熱架橋させた塊状試料を用いた。これを室温にて、Bruker社製 AVANCEⅢ により、磁場勾配3000G/mの条件下でイメージング測定を行った。
3.結果と考察
3.1 TG-DTA 昇温曲線
まず、今回用いたシリコーンの架橋温度を調べるために、TG-DTA 測定を行った。シリコーン架橋反応は発熱反応であるので、DTA 曲線の変化から架橋温度を見積もることができる。また、TG曲線からは、架橋物の耐熱温度を知ることができる。図2 は、DMS、VDV、HMS を混合した試料を昇温した際の熱量(DTA)と重量(TG)の変化を示したグラフである。DTA 曲線では50~60℃の間で発熱ピークが観測された。このことより、DMS、VDV、HMS および白金触媒を混合して昇温することにより50~60℃付近で架橋反応が起こることが確認された。
一方、TG の結果を見ると300℃以上では重量減少が始まっているのが窺える。よって、形成された架橋構造は300℃以降で熱分解することが確認された。
以上のことより、フィルムの架橋温度を50℃、80℃、120℃に設定して今後の測定に使用するフィルムを作製した。
3.2 熱架橋後フィルムの力学物性
多孔化がシリコーン強度に与える影響を調べるために、異なる温度(50℃、80℃、120℃)で熱架橋させた多孔膜(蒸留水を混合)の引張り試験を行った(図3)。比較として、同条件で蒸留水を混合せずに調製した無孔膜の力学物性評価も行った(図4)。
まず、無孔膜の結果(図4)を見ると、50℃、80℃架橋体では両者共に破断強度0.07MPa、破断伸び200~250%程度を示している。これに対して120℃架橋体では、同程度の破断伸びを有しているものの、破断強度は50℃および80℃架橋体の約半分程度となっている。
次に多孔膜の結果(図3)を見ると、50℃および80℃で架橋させた多孔膜は、無孔膜(図4)に比べて破断強度は若干減少しているが破断伸びは同程度であり、全体として大きな違いは認められない。これに対して、120℃で架橋体では多孔化により破断伸びがかなり減少していることが分かる。
以上より、120℃で架橋と多孔化を競争的に進行させた多孔膜は特異な構造を有していると考えられる。
3.3 イメージングNMR
120℃で架橋させた多孔膜では破断伸びが無孔膜に比べて顕著に低くなる理由として、細孔の分布状態が関係していると考えられる。これを明らかにするためには、膜内部の多孔構造を観察する必要がある。そこで、膜内部の構造を電子顕微鏡観察するために、通常の無機材料で用いる研魔法あるいはヘキ開法では電子顕微鏡観察用の試料切片を調製しりょうとしたが、本研究で対象としたシリコーン等のエラストマー材料の場合、試料が極めて柔らかいため、電子顕微鏡観察可能な試料切片を調製することは難しかった。
そこで、イメージングNMR 測定によって多孔構造を観測することを試みた。NMR イメージングは一般にはMRI と呼ばれ、生体などの内部の情報を画像にする方法であり、病理組織の同定など医療用途で広く用いられている。
ここで、原子核中の原子核スピンに静磁場を作用させることにより核スピンの持つ磁化は磁場をかけた向きに僅かに揃う。これにより全体として磁場をかけた向きに巨視的磁化が出来る。この核磁化を、特定の周波数のラジオ波を照射することにより、静磁場方向から傾けると、核磁化は静磁場方向を軸として歳差運動を行う。その運動の周波数はラーモア周波数といわれ、各原子核固有の周波数であり、かけた磁場の強さに比例する。そのパルスの照射をやめると徐々に元の状態に戻るが、このパルスをやめてから定常状態に戻る(緩和現象)でそれぞれの組織によって戻る早さが異なる。核磁気共鳴画像法では各組織の戻り方の違いをパルスシーケンスのパラメータを工夫することによって画像化する。この方法がMRIと呼ばれる測定法の原理である。
しかしこのままではどこがどのような核磁気信号を発しているのかという位置情報に欠ける。そこで静磁場とは別に、距離に比例した強度を持つ勾配磁場をかける。勾配磁場によって原子核の位相や周波数が変化する。実際に観測するのは個々の信号の合成されたものであるから、得られた信号を解析する際に二次元ないし三次元のフーリエ変換を行うことで個々の信号に分解し、画像を描き出すことができる。これが今回用いた磁場勾配NMR イメージングの特徴である。
図5 はφ12mm の試験管内で架橋させた、一つの試料を異なるxy 平面でスライスしz 軸方面から観察した画像である。これをみると、スライスする位置によって孔の大きさが違っていることが分かる。また、50℃および80℃で架橋ささせた多孔膜についてもこのNMR イメージング測定を行ったとところ、架橋温度が下がるにつれて孔の大きさは小さくなっていた。このことより、120℃では孔径が大きいために破断伸びが小さくなったものと推測される。
4.まとめ
TG-DTA の結果より、DMS/VDV/HMS/Pt触媒の混合系では、50℃以上で架橋反応が進行することが明らかになった。また、引張り試験結果より、120℃で架橋と多孔化を競争的に進行させた試料では特異な構造が成形されることが示唆された。そこで、NMR イメージングにより膜内部における細孔構造を解析したところ、孔径は高温で架橋させたものほど大きくなることがわかった。
今後、撹拌方法の変更及び反応条件の改善により孔のサイズをより微細化できるものと考えられる。将来的には、溶媒相にグルコースと特異的に反応する生体分子を分散させておけば、溶媒揮発に伴ってこれらの機能性分子はチャネル内壁に取り残されるので、チャネル形成と内壁修飾を同時に達成することができると期待される。
このナノポーラス修飾膜にグルコースを吸着させた際の膜電位差をセンシングし、これを駆動系に伝えて変形を印加するMEMS を開発する。これにより、細孔を一時的に拡張させてより大きな分子を透過させるシステムを構築することが可能である。このシステムを応用すれば、血糖値に応じてインシュリンを放出可能な理想的な生体デバイスが実現すると期待される。
体内埋め込み型グルコースセンサーは糖尿病患者のQOL を向上させられると期待されているだけでなく、低血糖症あるいは高血糖症になる前に患者本人にアラームなどで知らせることができるので、特に就寝中における容態急変の対処法として有効である。平均で毎日4 回の指先への針刺しによる採血が必要な従来の血糖値計測法と比較して、この体内埋め込み型センサーによる持続的な血糖値モニタリングは、糖尿病治療および一般患者の健康管理においても大きなブレーク・スルーとなると予想される。
将来的には、血糖値の変化に対応してリアルタイムでインシュリンが投与可能な「フィードバック型の糖尿病管理システム」が求められているが、現状のアルミナ・ナノポーラス膜等では、体内に埋め込む際の生体適合性のハードルさえ越えられていない。本研究で開発されるシリコーン・ナノポーラス膜は伸縮性でかつ各種の人工臓器の基材に用いられていることからもわかるように生体適合性に優れていることから、グルコースのセンシングとともにインシュリン放出の機能を併せ持つ生体デバイスへと発展させられる可能性を秘めている。世界中で蔓延する糖尿病とこの疾患の治療のための莫大な保健医療費用が重大な関心事となっており、このようなフィードバック型の糖尿病管理システムの実用化は大きな社会的インパクトをもたらすと予想される。