1991年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第05号

中枢神経損傷による運動筋麻痺患者の機能再建のための計測・制御に関する研究

研究責任者

星宮 望

所属:東北大学 工学部 通信工学科 教授

共同研究者

半田 康延

所属:東北大学 医学部  教授

共同研究者

二見 亮弘

所属:東北大学 工学部 助手

共同研究者

半田 勉

所属:東北大学 医学部  助手

概要

1.はじめに
交通事故や腫瘍などにより脊髄に損傷を被ると,重篤な場合には,一命をとりとめたとしても四肢麻痺となり,24時間の全面的な介助を必要とする。しかも,従来は治療の手段が全くなく,医療という観点からは取り残されていた。このような立場に置かれていた患者に対して,変性していない末梢神経・筋系を外部より適切に刺激する「機能的電気刺激(Functional Electrical Stimulation, FES)」という医用電子・生体工学的手法を新たに導入することによって,ヒトの麻痺した上肢の運動機能をある程度回復させうることが,最近の我々の研究で明らかになってきた1)。
しかし,この手法により四肢麻痺患者が自由に行動できるようにするためには,解決すべきいくつかの問題点が存在する。
まず,対象となる生体の特性が一定でないという点が上げられる。すなわち,患者毎に疾患の程度にばらつきがあり,更に個々の神経・筋系によってその特性(非線形性・閾値を含む)が異なっている。従って,試行錯誤的に刺激パターンを作成する手法では,刺激システムの高機能化に限界がある。この点を克服するための多チャネル刺激パターンの新しい合理的作成方法として,健常被験者の運動中の多チャネル筋活動電位を測定し,これを標準刺激パターンとして利用する方式を我々が提唱している2)。本研究では,このような手法による多チャネルFESシステムについて改良を進めると共に,下肢と体幹の制御についても試み,運動機能再建のためのFESシステムの高度化を図る。
また,中枢神経損傷による運動筋の麻痺にも種々のレベルがあり,それぞれの疾患に適切に対応する計測・制御技術が未だ確立されていない。すなわち,制約された身体的条件下で患者が随意的に運動するための制御信号の取得方法が問題点として残されている。そこで本研究では主として,使いやすくまた信頼性のある生体信号検出方法について検討を行った。
2.研究結果
2.1.多チャネル筋電図の計測と分析
四肢及び体幹の筋には1関節筋,2関節筋をはじめ種々の筋が存在し,それらの多くが協同的あるいは拮抗的に作用している。その典型的な例として,手指・手関節・肘・肩の系がある。これらがいかにうまく関連し合って運動機能を発現しているかを,多チャネル筋電図(EMG)の計測とその分析によって定量的に解明し,電気刺激パターン作成に反映させ,実際の四肢麻痺患者の運動機能再建の高度化を図る。
(1)上肢機能
把持動作について,健常者の動作時の筋電図を測定した。図1は,各筋の筋活動電位を整流積分した結果である。ここで注目すべきことは,把持動作において,主働筋のみならず協同筋,拮抗筋が協調的に活動していることである。これにより,手指の各関節の安定性を保ちつつ,その動作位置および力を的確に制御していると考えられる。
この筋電積分値に基づいて標準刺激パターンを求め,患者の各筋の刺激閾値と刺激最大電圧を設定することで把持動作の刺激パターンを作成した。刺激データの例を図2に示す。縦軸は刺激電圧データを示し,横軸はデータが格納されているアドレスを示す。従って,刺激装置が各アドレスのデータを随時読み出すことにより,筋に対する連続的な刺激出力が得られる。
このようなFESシステムを四肢麻痺患者の麻痺上肢に適用した。その結果,飲物の入った缶を把持してストローで飲む,あるいは整容する,といった日常動作が可能となった3)。
(2)下肢機能
対麻痺患者の起立及び歩行動作の機能再建を目的として,表1に示す筋に対し,健常者の筋電図を誘導した。その筋電積分波形に基づいて,図3のような刺激パターンを作成した。
このパターンを用いて,下肢麻痺患者に対して起立・歩行動作の再建を試みた。その結果,車椅子からの起立動作が再建され,更に,FES装置の装着された歩行器を用いることで,患者自身の操作により歩行することも可能となった4)。
(3)体幹機能
中枢神経損傷による麻痺患者はベッドで寝たきりの状態となるため,褥瘡(床ずれ)の発生が大きな問題となっている。そこで我々は,FESの手法を応用して体位変換を行うことを提案し,体幹の運動に関与する筋群の筋電図解析を行った5)。
体位変換動作は下肢と体幹の筋のみの活動で実現されるが,負担をより小さくするためには上肢も適切に用いることが重要と考えられる。そこで,下肢・体幹のみで体位変換を行った場合と,上肢も用いた場合について健常者から筋電図を測定した。対象とした筋を表2に,整流積分後の波形を図4(a)(b)に示す。下肢・体幹のみを用いた体位変換に比べて,上肢をも使う場合では大殿筋や脊柱起立筋の活動が小さいことが分かる。これは,腰を充分浮かす,あるいは股関節を伸展させるといった動作の筋活動をさほど要しないでも,上体の捻りを加えることによって容易に体位変換が実現できることを意味していると考えられる。従って,上肢を適切に刺激することにより,効率のよい体位変換が実現できるものと思われる6)。
2.2.随意的制御のための計測方法
患者の随意的制御命令の一つのアプローチとして,ヒトの体内の運動機能の残存している部分の神経・筋系の活動電位を直接的に検出することが考えられる。そこで長期的にS/N(信号対雑音比)のよい生体信号を検出するための測定系を開発することか望まれる。この実現のためには,「柔軟で低雑音の電位検出用電極」,そして体外の電子機器と体内の神経・筋系を接続するためのインタフェーシングデバイスである「皮膚貫通端子」の開発が重要である。
(1)電極の雑音特性
現在,我々がFESで臨床的に用いている刺激電極は,ステンレススチールSUS316Lを素材として25μmφ×19本構成(外形125μm)の多重撚線電極である7)。これを図5に示す。そしてこの電極と,従来経皮電極用材として用いてきたステンレススチールロープ(SUS316)との強度比較を図6に示す。このように,我々の開発した電極は機械的強度が大きく,柔軟性に富むなどの特徴を持つことが分かる。また,生体親和性がよく,生体内に長期的に埋め込んでも安全であることが示されている。
本研究では,生体信号導出を目的として,この電極の雑音特性について検討を行った。また,前述の構造の他にSUS316Lを用いて数種の極細線の撚線電極を試作した。これらを表3に示す。
これらの電極を生理食塩水に浸して約一昼夜置き,安定した状態で雑音を測定した。電極を専用の低雑音前置増幅回路に接続して,発生する雑音を増幅した後,FFTアナライザで分析した。参照電極にはステンレス板(4×4cm2)を用いた。なお,ここで扱う信号は筋や神経の活動電位であるため,帯域10~10kHzで測定を行った8)。
試料Aの雑音特性を図7に示す。雑音の大きさは数nV/Hzであり,非常に小さいことが分かる。また,電極のインピーダンス特性を図8に示す。図中のRnは,雑音電圧から求めた等価雑音抵抗である。電極系マ熱平衡状態にあるときに観測される雑音は,電極インピーダンスの実数部の出す熱雑音と,その他の過剰雑音とが考えられる。図に示したように,RとRnはよく一致し,雑音は熱雑音で占められており,過剰雑音のほとんどない良好な電極であることが確認された。なお,1kHz以上では,溶液抵抗による雑音が大勢を占めている。同様に試料B,C,Dの結果を図9,10,11に示す。
(2)皮膚貫通端子の特性
皮膚貫通端子は,その構成材料である結晶化ガラスにより,CaO・P205-SiO2(CPS)系,MgO-Al203-SiO2(MAS)系,CaO-P205-SiOZ-A1203(CPSA)系に分けられる。CPS材について細胞接着試験及び家兎皮膚への装置試験を行ったところ,細胞毒性や感染を示す所見は得られず,皮膚貫通端子は皮膚組織に固着した9)。
皮膚貫通端子の構成材料である結晶化ガラスは導電性を有しており,活動電位測定時の参照電極として用いることも可能であると思われる。そこで電気的な性質について検討を行った8)。まず試料の直流(分極)特性の測定結果を図12に示す。いずれの試料でも分極特性は,分極性の金属電極(Pt,W,ステンレススチールなど)と類似している。次に,交流特牲の測定結果を図13に示す。図中の理論値は,電極のステップ応答から定めた等価回路による値であり,これらは実測値とほぼ一致している。
最後に,電極のインピーダンスと直流抵抗の温度依存性の測定結果をそれぞれ図14,15に示す。いずれも小さな変動であり,これらは温度依存性が少なく安定した電極材であることが分かった。
3.むすび
脊髄損傷による麻痺患者に対する運動機能再建を目的として,FESの標準刺激パターンとなる多チャネル筋電図に関して計測と分析を行い,また患者による随意的制御のための生体信号の安定な計測法について検討を行った。
上肢や下肢の機能について,筋電図の解析を行い,それに基づいて適切な刺激パタマンを作成することにより,従来達成されなかった運動機能の再建が可能となった。また,体幹機能については,FESで体位変換を行うための基礎的な知見が得られた。
生体信号の導出方法の検討としては,従来,刺激印加に用いられてきた電極の特性を計測した。その結果,神経・筋活動電位測定にも兼用可能であることが分かった、また,皮膚貫通端子の特性を測定し,良好な特性が得られた。
これらの成果を応用することにより,FESシステムの一層の高機能化が実現され,四肢麻痺患者の日常生活の充実が図られると思われる。