1989年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第03号

レーザー顕微蛍光分光測定法による単一細胞内カルシウム濃度測定法の開発

研究責任者

矢崎 義雄

所属:東京大学 医学部 第三内科 講師

共同研究者

杉山 卓郎

所属:東京大学 医学部 第三内科  医員

概要

1.まえがき
細胞内のカルシウムイオンは,情報伝達のセカンドメッセンジャーとして,分泌・収縮などの細胞機能において重要な役割を担っていることが最近明らかにされてきた。この分野の研究には,細胞内カルシウムイオン濃度([Ca++]i)の測定が不可欠であることは言うまでもないが,カルシウムイオン[Ca++]iは細胞内外で,約10000倍の濃度差があるため,生理的条件下の細胞で[Ca++]iを正確かつ容易に測定する方法はこれまでなかった。今回の研究で我々は,新たにレーザー光線を用いた[Ca++]i測定法を開発し成果をあげた(1,2)。
ll.研究内容
A.現在までの細胞内カルシウムイオン濃度の測定法
[Ca+++]iの測定には大別して3つの方法がある。以下にその長所及び短所を概説する。
(1)発光タンパク(エクオリン)法
エクオリンは発光クラゲより得られる分子量約2万のタンパク質である。エクオリンはCa++存在下でATPを分解してそのエネルギーで発光する。エクオリンを細胞内に入れておけば,[Ca++]iに応じた発光強度が得られる。本法の長所は,外部からの励起光なしで発光するため,完全暗黒中での発光を測定すればよく,比較的容易に発光を測れること,エクオリンのCa++キレート作用がほとんどなく[Ca++]iに影響を与えないことなどがある。一方,短所としては,マイクロインジェクション以外には,細胞膜を損傷せずに,エクオリンを細胞内に入れる方法がなく,マイクロインジェクション法は,後述の(2)と同様にその応用範囲には制限がある。
(2)微小電極法
Ca++選択性の微小電極を細胞に刺入して,外液との間の電位差より[Ca++]iを算出する方法である。本法の長所は,単一細胞での測定ができること,細胞膜の障害が少ないことであるが,短所としては,微小電極の刺入が技術的に困難であり,血球や平滑筋のような小細胞への応用が難しいこと,多数細胞の測定には時間と手間がかること,刺入部分から細胞内へ外液中のCa++が流入することが考えられることなどがある。細胞外のCa++は細胞内に比べ約10000倍の高濃度であるため極く少量の流入があっても[Ca++]iに与える影響は大きいと思われる。
(3)蛍光色素法
1) Quin 2
1980年にTsienら(3)が合成したQuin2をはじめとする蛍光色素は,脂溶性のエステル型(Quin2-AM)にして細胞培養液中に入れておくと,容易に細胞内に入って水溶性の非エステル型(Quin2-FreeAcid)に変化して細胞内に蓄積するという特徴があり,ほとんどの細胞に使えるため広く用いられている。Quin2法の最大の長所は,細胞膜を障害せず容易に色素を細胞内にいれることができる点であり,小細胞への応用が容易であるが,短所としては,蛍光強度が弱く十分なシグナルを得るためには,かなり高濃度のQuin2を細胞内に入れねばならず,Quin2のKd値の低さも相まって,細胞内のCa++をかなりキレートしてしまうこと,蛍光効率が悪いため大光源を必要とすること,単一細胞では蛍光強度が弱く測定が殆ど不可能であることなどが指摘されていた。[Ca++]iは,次式で計算される。
ここで,Fは蛍光強度であり,Ca++が0のときのFをFCa++がMaximumのときのFをFsとする。B'この式においてF,Fθ,Fsは同一の検体で測定しなければならず[Ca++]i絶対値を得るためにFθ,Fsを測定するためには,細胞を破壊して既知の[Ca++]i濃度での蛍光を測定する必要のあることや,励起光による色素の裾色により[Ca++コi値に誤差がでることなども問題であった。
2)Fura‐2,Indo‐1
1985年に新たに開発されたFura‐2,Indo-1(4)はQuin2の長所はそのままに,短所を改良し,さらに次に述べるようにQuin2にない新たな特徴を備えた色素である。すなわちFura-2,Indo-1両色素はQuin2に比べ蛍光強度は約30倍と強いため細胞内に取り込ませる色素濃度を低くでき,しかもKd値が高くCa++のキレート作用がQuin2より弱いので(表1),[Ca++]iへの影響が弱い。さらに表1および図1に示すようにFura-2は励起光の波長により蛍光強度のCa++依存性が変化するので,最も適当な異なる2波長の励起光を用いて交互に励起すれば,次式により[Ca++]iの絶対値を得ることができる。
ここで励起波長λ1で得られた蛍光強度をF1,励起波長λ2で得られた蛍光強度をF2として
R=F1/F2
Ca++が0のときのRをRθ,Ca++がMaximumのときのRをRs,Ca++が0のときのF2をF2θ,Ca++がMaximumのときのF2をF2sであらわす。
これらのパラメーターのうちF2eF2s,Rθ,Rsはあらかじめ標準溶液を用いて求めておけるので,実際の測定ではRを測定すれば直ちに[Ca++]iが求められる。また励起光による色素の裾色があってもRにはほとんど影響せず,従って色素の槌色は[Ca++]i測定値には影響しない。
Indo-1はFura-2と異なり,励起波長ではなく蛍光波長が[Ca++]iに応じて変化するので,上の式を最も適当な異なる2波長の蛍光波長をλ1,λ2としてあてはめれば,励起光がひとつの波長でも[Ca++]i絶対値が得られる利点がある。Quin2はこのような波長のシフトがなく[Ca++]iに応じて蛍光強度が変化するだけなので,[Ca++〕i絶対値を得るには,一連の測定の最後に,細胞を破壊して既知のCa++濃度での測定値を得なければならず蛍光強度の弱さもあって単一細胞で[Ca++]i絶対値を測定することはできなかった。Fura‐2やIndo-1は前述のようなCa++濃度依存性波長シフトがあり,かつ蛍光強度が強いので単一細胞で[Ca++]iの絶対値の測定が可能となった。
B.今回の研究方法
レーザー光線を用いた新しい測定法の開発
我々は血管平滑筋細胞や心筋細胞などのマイクロインジェクションが難しい小さな細胞で[Ca++]iを.できる限り細胞を損傷しない生理的な条件下での測定法の開発を試み,種々の[Ca++]i測定法のうち蛍光色素法,特にIndo‐1に着目した。そしてlndo-1は励起光がひとつの波長でよいため,励起光としてレーザー光線の応用も可能となった。すなわちレーザー光線は単一波長で位相がそろっているために,比較的容易に小さなスポットに集光することができ,低出力のレーザーでも十分強い蛍光が得られ,従来の高圧水銀ランフやハロゲンランプを用いた場合と異なり,光源からの熱の影響を受けずに励起できる特徴がある。我々の装置のシステムを図2に模式的に示した。本システムの特徴は,①励起光源にレーザーを用いていること,②得られた蛍光のスペクトラムのうち最も適当な2波長を2本のフォトマルで同時に測定すること,の2点が上である。
光線にレーザーを用いたことにより,試料細胞一上に直径1μm程度のスポットに光束を絞り,細胞内局所の[Ca++]iが測定でき,しかも励起光による熱の影響を除外できる。このことは従来広く用いられていたQuin2法が培養細胞をトリプシンなどで処理し浮遊状態にしたうえで,106~108個の細胞の平均値を測定していたのに比例すると,より生理的かつ正確な測定といえるであろう。(トリプシン処理は培養細胞の細胞膜を障害するため,細胞外からCa++が流入すると考えられ,細胞本来の生理的な状態とは異なると考えられる。)
また2本のフォトマルで2波長同時に測定することにより,色素の腿色の影響がなく,かつ[Ca++]i絶対値を即時的に得ることができる。このことは従来のQuin2法が,色素の腿色により蛍光量が弱くなり,測定された[Ca++]iに誤差がでるため連続測定が困難であった点や,一連の測定の終了後に細胞をdigitoninなどで処理・溶解し,既知のCa++濃度での蛍光を測定してからでないと[Ca++]i絶対値が得られなかったなどの欠点を克服したといえる。
本システムによって得られた標準曲線を図3に示す。この図からわかるように,生理的[Ca++]iの範囲である50~1000nMの範囲で,標準曲線のカーブは急峻であり,この範囲における測定誤差は約10%であった。前出の表に示したようにQuin2はKd値が低いため約500nM以一上では蛍光がsaturateしてしまい[Ca++]iの測定は困難であったが,本システムではKd値が250nMと高いIndo-1を用いたため高い[Ca++]iの測定もできかつ細胞内でのCa"キレート作用も小さくすることが可能となった。
以上述べてきたように我々が新たに開発したレーザー蛍光顕微鏡分光測定法にはエクオリン法,微小電極法や従来の蛍光色素法にない数々の利点があるが,これをまとめて示すと,
①蛍光波長の解析により,単一細胞で[Ca++]iの絶対値が測定できる。
②励起光によるIndo-1の裾色が[Ca++]i測定値に影響しない。
③励起光による細胞障害が少なく生理的な条件下での測定ができる。
④レーザー光線を用いているために光線の収束性に優れ細胞内局所の[Ca++]iの測定が可能となった。
⑤高時間分解能の測定ができる。
⑥細胞内のCa++濃度分布のマッピングが可能である。
となる。
Ⅲ.研究成果
血管平滑筋細胞内カルシウムイオンと高血圧
従来より高血圧と[Ca++]iの間の関係が論じられて研究されてきた。高血圧は多くの原因が複雑に関係する多因子的な病態であるが,血管の緊張,収縮性もその原因の一つと考えられている。一般に平滑筋細胞においては,[Ca++]iが高まると,細胞の収縮緊張度も高まると考えられており,多くの研究者が[Ca++]iと高血圧の関係を検討してきた。しかしながら,[Ca++]iを測定する試料としては,血管平滑筋を対象にせず,血小板細胞を用いて検討しているのがほとんどであった。これは,平滑筋内の[Ca++]iを,細胞を障害しない条件下で測定する方法がこれまでなかったために,筋細胞類似の収縮タンパクを有し生体内で浮遊状態で存在する血小板を,平滑筋のモデルとして代用したものである。これらの研究により,ヒトの本態性高血圧患者や,その動物モデルであるSHR(自然発症高血圧ラット)においては,正常血圧コントロールに比べて血小板内[Ca++]iが高値であることが示された。しかし,血小板のデータがそのまま血管平滑筋細胞に適用されるかについては,議論の多かった点であった。
我々は今回新たに開発したレーザー蛍光顕微鏡分光測定法ではじめて生理的条件で,血管平滑筋内[Ca++]iを測定し次のような結果を得た。
SHRにおいて生後4週令ではその血圧は正常血圧コントロールであるWKY(Wistar Kyoto Rats)と同じレベルであるが,8週令以降はWKYに比べて有意に高値を示す。SHR及びWKYの大動脈中膜由来の初代培養平滑筋内の[Ca++]iを比較すると,WKYでは4,8,12週令でそれぞれ144±8,135±8,146±7nMと一定であったが,SHRおいては,8,12週令でのみWKYに比べ有意に高値であった。このことは4週令においてはSHRでもWEYと血圧に差がなく,8,12週令でSHRが高血圧を発症したことと合わせると興味深いことである。
SHRにおける血管平滑筋内[Ca++]iの高値が高血圧の影響をうけた二次的な変化によるものか明らかにする目的で,生後4週令のWKYの一側腎を摘除し他側腎動脈に狭窄をつくり,1腎1クリップのGoldblatt型高血圧ラットを作成,8週令まで飼育し同様に血管平滑筋内[Ca++]iを測定した。ところがSHRと異なり血圧は十分に上昇しているのにもかかわらず,[Ca++]iは132±3nMであり,同週令のWKYと有意差はなかった。このことにより我々はSHRにおける血管平滑筋細胞の[Ca++]iの上昇は,高血圧による二次性のものではなく,遺伝的に規定された病態であることを示した。
Ⅳ.まとめ
以上[Ca++]i測定法を概説し,我々の開発したレーザー顕微蛍光分光法の特徴と利点,およびその成果の一部を紹介した。冒頭で述べたように,細胞内カルシウムイオンはセカンドメッセンジャーとして注目され,研究の進歩は著しいものがある。今後は[Ca++]iと他の細胞活動の指標を同時に測定することが細胞内でのCa++の役割を解明する上で重要であると考えられる。細胞活動の指標としては細胞内pH,膜電位,細胞の働き,分泌顕粒のような細胞内小器官の働きなどが考えられる。これらの指標と[Ca++]iの同時測定は今後の大きな課題であるが,我々の開発した装置をベースにすればその実現性は高いものと思われる。