1997年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第11号

レーザー・トラッピングされたプローブを用いたニアフィールド光学顕微鏡による生体細胞内のナノメトリック観察に関する研究

研究責任者

河田 聡

所属:大阪大学 工学部 応用物理学科 教授

共同研究者

高松 哲郎

所属:京都府立医科大学 教授

共同研究者

井上 康志

所属:大阪大学大学院 工学研究科 応用物理学専攻 日本学術振興会 特別研究員

共同研究者

杉浦 忠男

所属:アトムテクノロジー研究体 研究員

概要

1.まえがき
レーザー光の放射圧を用いて微小な粒子を駆動させる研究は,Ashkinによる単一のフォーカスビームによるトラッピングの提案と成果報告によって,はじめて実用的なものとなり1),その結果,現在では多くの関連研究が行われている。しかし,応用の点から考えると,レーザー光によるトラップカは非常に小さいので(ピコニュートンのオーダー),あまり過度の期待をすることはできない。そこで,細胞や微小器官などを操作する細胞工学,生物工学などへの応用が,特に注目されているほか2・3),マイクロマシン技術における非電気的駆動力としての検討が,よく議論されている4)。
一方,我々はこれまで,ニアフィールド顕微鏡(NSOM)のプローブの距離制御に,STMの原理を利用することを試みてきた6・7)。このNSOMでは,プローブとして,先端径が50nmの金属針を用いる。試料の表面に金属薄膜をコートし,金属針と試料表面との間に流れるトンネル電流を一定にして,プローブと試料との間の距離を制御する。図1(a),(b)に,試作したシステムを用いて観察した,ラットの心筋細胞のNSOM像およびSTM像を示す7)。この結果からわかるように,STMによる凹凸像とは異なった光学像が得られていることが確認できる。
しかしながら,この方法には,試料を金属コートしなければならないという問題があった。このため,生体細胞内のナノメトリックな光学情報を検出するのは困難である。
そこで,本研究では,このような問題を解決するために,レーザー・トラッピングされたプローブを利用することを検討した。NSOMのプローブは非常に細く,また試料を破壊しないためにその力はできる限り小さいことが望ましく,レーザー・トラッピングかうまく利用できる。さらに,レーザー・トラッピングは,液中での走査を前提としていることから,生体試料の生きたままの観察にも適した方法といえる。
2.研究内容および成果
2.1プローブのレーザー・トラップ走査
レーザートラップ技術の原理を簡単に述べると,まず,波数ベクトルkを持つフォトン(運動量.hk/2π)が境界面で反射あるいは屈折すると,フォトンの運動方向,すなわち運動量が変化する。このとき,運動量は保存されるため,境界面には変化分の力積による放射圧が発生する。この放射圧は光の強度に比例することから,レーザー光のようなGaussian beam内に周囲よりも高い屈折率を持つ球形粒子がある場合には,粒子は電場の勾配により光軸方向に引き寄せられる(図2(a))。また,光軸上では集光スポット付近で最も安定して粒子を3次元的にトラップすることができる(図2(b))。
図3に,本研究で提案したプローブのレーザー・トラップ走査法を示す。トラップ用レーザーの集光スポットがプローブの中心からやや下方にくるように調整することで,プローブを試料表面上にわずかに押しつけて走査した(2次元レーザー・トラップ)。この方法では,プローブが試料の構造に沿って2次元的に走査されるため,プローブと試料表面間の距離が常に0に保たれる。すなわち,すなわち,STMやシェアフォース顕微鏡(SFM)と併用する必要はなく,プローブからの散乱光はそのまま試料の光学的特性をあらわす。このとき,試料の照明は,プローブに放射圧を与えない程度のパワーで,トラッピング用のレーザー波長とは異なる光で行った。
2.2 実験装置と結果
図4に,試作した顕微鏡システムを示す。生体試料や有機材料は,近赤外域に吸収をもたないことから,トラッピング用のレーザーにはNd : YLFレーザー(λ=1.047μm,2W)を用いた。トラッピング用のレーザー光は対物レンズ(N.A.=0.85,40X)により試料表面上に集光し,プローブをトラップした。プローブには直径1μmのポリスチレン微小球(n=1.59)を用いた。試料の照明には,マルチライン発振のAr+レーザー(3W)を用いた。試料の照明は全反射光学系による暗視野照明を行い,試料の低周波数成分により生じる散乱光(伝播光成分)を除去した。試料は三角プリズム(BK7,n=1.513,面精度λ/4)上にマッチングオイルを用いて,光学的に密着した。このとき,試料表面上には,エバネッセント場が生成され,このエバネッセント場中にプローブが挿入されることで,エバネッセント場が散乱され,伝播光に変換される。この伝播光を,対物レンズ,ピンホール(直径20μm)を通して,光電子増倍管によって検出した。プローブとピンホールは対物レンズに対し共役の位置にあることから,プローブ以外の試料からの散乱光は除去される。ピエゾ素子駆動の2軸ステージにより試料台を走査しながら,プローブからの散乱光を検出した。光電子増倍管からの電気信号をA/D変換し,パーソナルコンピューターに取り込んだ後に,画像の再構成を行った。
試料として,まず,表面に凹凸のない屈折率分布を観察することを試みた。実験に用いた試料の作製方法を簡単に述べる。まず,PMMA(Polymethyl methacrylate :n=1.49)1.6gをブタノン50mlに溶かし,この溶液内に直径100nmのポリスチレン球(あるいは,蛍光ビーズ)を分散する。さらに,スピンコーターを用いて,微小ポリスチレン球を含んだPMMA溶液をスライドグラス(BK7,n=1.51)上にコーティングする(500rpmで5秒間回転させた後,2500rpmで60秒間回転させた)。このときPMMAの濃度は膜厚が100nmになるように調整した。図5に試料の模式図を示す。作製した試料は,フラットな形状で,屈折率変化のみを有する(あるいは蛍光体がある)。微小ポリスチレン球(あるいは蛍光ビーズ)を含んだPMMA薄膜上にカバーガラスおよびエポキシ樹脂でシールドし,その中にプローブとなる直径1μmのポリスチレン球を含んだ水で満たし,試作システムで試料を観測した。
図6に微小ポリスチレン球(直径100nm)が,PMMA薄膜中に孤立して存在する試料を観測した結果を示す。走査範囲は3.2μm×3.2μm,走査ピッチは50nm×50nmである。試料のポリスチレン球の微小構造により生じたエバネッセント場が,プローブにより散乱され,その散乱光が明るい像として観測されることがわかる。画像下部中央にポリスチレン微小球像がみられる。ポリスチレン球像の半値全幅は300nmであった。
図7に,微小ポリスチレン球をPMMA薄膜中に密に分散した試料から得られた画像を示す。走査範囲は1.6μm×1.6μm,走査ピッチは25nm×25nmである。この画像から,微小ポリスチレン球が凝集して存在し,特に中央上部付近で凝集が顕著であることがわかる。画像右下に示す矢印は,離れて存在する2つの微小ポリスチレン球間の距離を示している。この距離は100nmで,試作したNSOMの2点分解能を示している。
次に,蛍光試料の観察を試みた。図8に,微小蛍光ビーズ(直径100nm)をPMMA薄膜中に包埋した試料を観測した結果を示す。走査範囲は3.2μm×3.2μm,走査ピッチは50nm×50nmである。画像の下部左に2つの蛍光ビーズが距離500nm離れて存在していることがわかる。NSOMにおける蛍光試料は,プローブと試料間の相互作用により生じた散乱場により励起される。散乱場はプローブのナノメトリックな走査により変化することから ,励起される蛍光もナノメトリックに変化する。したがって,蛍光像は回析限界を超えたナノメートル・オーダーの分解能で観察することができる。ただし,この試料では回折限界より離れたところに蛍光試料が存在しているため,超解像計測の確認は行えてはいない。
さらに,レーザー・トラップされたプローブは,pN・オーダーの極めて小さな力で試料の上を走査するため,プローブは試料との間に働く原子間力(特にshear force)の影響を受ける。これを積極的に利用すれば,通常のAFMと比べて,極めてバネ定数の小さなプローブを実現できる。我々は,実際に,試料を走査したときに生じるプローブのずれを検出することで,試料の摩擦力を測定した。その結果,試料とプローブの間に生じている摩擦力が,走査方向に15pN,走査方向と垂直な向きに10pNであることを確認した8)。
3.まとめ
レーザー・トラッピングした微小球をプローブに用いる,新しいニアフィールド顕微鏡を提案し,試作システムにより基礎実験を行った。提案した方法では,レーザー・トラップしたプローブを試料表面上に接触させて走査するため,プローブと試料間の距離を常に一定に保つことができる。また,プローブが走査機構から独立しているため,熱的影響等によるプローブの変動を受けないという特長を有している。試作システムでは,直径1μmのポリスチレン球をプローブとし,近赤外レーザーでトラッピングを行った。このシステムを用いて,凹凸を持たず屈折率分布のみを有する試料の観察を行った。この結果,100nmの2点分解を得た。さらに,蛍光試料の観察から,サブミクロン分光にも応用できることを示した。本研究の結果,レーザートラップ走査によるNSOMが,生体細胞内のナノメトリックな構造の観察に適用することが可能であることを確認した。