1992年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第06号

レーザースペックル法による眼底血流画像化装置の開発

研究責任者

藤居 仁

所属:九州工業大学 情報工学部 電子情報工学教室 教授

共同研究者

新家 真

所属:東京大学 医学部  講師

概要

1.まえがき
レーザーを紙や皮膚のような散乱粒子の集団に照射すると,反射散乱光が観察面で干渉しあい,スペックルパターンと呼ばれるランダムな斑点模様を形成する。この模様は,組織内で散乱粒子の一部(血球など)が様々な方向に移動しているため,刻々形を変えていき,その変化の早さは血流速度に比例する。観測視野内に血流の早い所があれば,その領域から発生するスペックルの時間変化も早くなる。このような観点から,我々は生体組織から生じたスペックルパターンを結像面に置いたイメージセンサーで検出し,この信号をコンピューター処理することにより,各画素における変化率のマップを求め,血流の二次元マップとしてカラー画像表示する装置を開発してきた1-3。本研究ではこの測定法を眼科領域に適用し,眼底血流画像化システムの開発研究を行った。
2.内容及び成果
1)システムの試作
眼底血流測定の場合最も障害となるのは,固視微動と呼ばれる不随意な眼球振動で,これが現実にはかなりの頻度で起こる。血流測定中に固視微動が起こると,その間は血流によるスペックル信号が被測定面全体の移動による雑音成分によって掻き消され,解析不能となる。したがってレーザー照射と信号取り込み時間を最小限にし,眼球振動の影響が最小限になるように構成しなければならない。我々は画素数を100×100に制限する代わりに高速走査が可能な,特別仕様のエリアセンサー(BASIS型,Canon)を用い,測定時間を大幅に縮めることにより,この問題をほぼ解決した。
Fig.1は測定原理を表わしており,半導体レーザーを眼底カメラの照明系を通して,眼底に1mm×3mm程度のスポットを作り,その像を対物レンズを通してエリアセンサー上に結像する。センサー上には眼底において散乱した光が干渉し合い,前述したスペックルが生じ,この模様が血流により刻々形を変えていく。したがってエリアセンサーからの出力は走査の度に変化し,各画素における変化率が対応する観測点の血流を反映することになる。一般に走査間隔が長くなるにつれ,その間に蓄積された光量の変化率は減少する。言い換えれば,信号の変化が早いほど,走査間隔を短縮しない限り,バターンの変化を捉えにくくなる。血流による散乱光の変動は,数キロヘルツにも達するため,かなり早い画像走査を必要とする。今回用いた特別仕様のエリアセンサーは,毎秒580コマの高速走査が可能で,この画面をコンピューターのメモリーに多数連続して書き込み,スペックルの変動率を各画素について積算して,眼底血流マップとして表示した。
Fig.2は眼底カメラを改造して,測定システムの光学系を組み込んだ状態を表わしている。ハロゲンランプからの眼底照明光路に,ダイクロイックミラーDM1を挿入し,半導体レーザービーム(波長:830nm)をDM1,リングミラーMaを介して眼底まで導光する。眼底で散乱したレーザー光はリングミラーの中心部を通り,ダイクロイックミラーDMZで反射してエリアセンサー上に結像し,スペックルを形成する。
実際の測定では,まず固視標を動かして眼底カメラの観察系の定点に,測定したい場所を固定する。測定ボタンを押して半導体レーザーを眼底に照射し,エリアセンサーからの信号を高速A/D変換して,マイクロコンヒューターのメモリーに記録する。今回はメモリー容量の制限から,100画面分の画像を連続的に記録し,これを後から読み出して,連続した二画面の差を各画素ごとに積算した値(以下Average Difference, AD値と呼ぶ)を用いて血流マップを表示している。メモリーへの書き込みに0.2秒,データ解析と表示に6秒程かかっているが,今後コンピューターの性能向上により,かなり短縮できると思われる。
Fig.3はある被験者の眼底写真で,図に示すように数か所の測定部位を選び,血流画像化を試みた。Fig.4はその測定結果の例で,Fig.3の領域bにおける血流マ・プを表わしている(原画はカラー)。内側血管と他の部分が明瞭に区別でき,かつ血流分布が場所により一様でないことが読み取れる。
2)定量性の検討
我々の方法で用いているAD値が,実際の血流速度とどのような比例関係があるかについては,生体側に考慮すべき要素が多数あるため,解析が容易ではない。一方,眼底や粘膜血流によるスペックル信号のスペクトル分布が,移動スリガラスによる光散乱信号のそれに類似しているので4,スリガラスを移動させながら,その速度変化に対する本測定システムの応答を実験的に求めた。その際検出面のスペックルサイズによって,AD値がどのような影響を受けるかを調べ,血流変化に対する応答を左右する要因として検討を加えた。
Fig.5のように,眼底の位置にスリガラスG(両面マツト仕上げ)を置き,これを定速度で移動させながら前説と同様の測定を行って,スリガラスの移動速度とAD値の対応を求めた。一方結像系の絞りを変えた場合に,エリアセンサー上のスペックルサイズが変わり,これがセンサーの各受光素子の面積よりも小さくなれば,信号が平滑化されて検出特性が変わることが予想される。今回は二種類の絞り値を選び,この特性を確認している。
Fig.6は測定結果の例であり,速度変化に対するスペックル信号の変化率,すなわち血流表示に用いているAD値の変化の様子を示している。全体的に見て,ある範囲においてAD値は散乱体の移動速度の増加に対して,ほぼ直線的に増加し,ある値に達した後,逆に減少し始めることが分かる。各実験値は絞り径がそれぞれ,(a):6mm(●印),(b):4mm(○印)の場合で,この時のスペックル径はそれぞれ18μm,26μmである。センサーの受光素子面は19μm四方なので,(a)で1個,(b)で0.7個のスペックルが素子上で平均化されていることになる。この図から,絞り径を小さくした方がダイナミックレンジを大きく取れることが分かる。一方,絞り径を小さくすれば光量が減り,ノイズが増えて測定誤差が大きくなる。また眼底を照明するレーザーのエネルギー密度には,安全基準による上限がある。これらを考慮に入れながら,最適な絞り径を今後選定していくことになろう。生体における実際の1血行動態と移動スリガラスとでは,モデルとして余りにも隔たりがあるが,ある範囲においては移動速度の変化に対して,AD値がほぼ直線的な変化を示すことが認められ,血流の増減の推定にある程度の裏付けが得られた。
3.まとめ
本実験で明らかになったことをまとめ,以下の結論を得た。
1)高速走査型のイメージセンサーと半導体レーザーを眼底カメラに組み込み,血流画像化装置を開発して,眼底血流分布をカラー画像により表示することが可能になった。
2)移動スリガラスを用いて,本画像化装置の定量性についての検討を行った。測定値(AD値)は,散乱体の移動速度が一定値に達するまでは,速度の増加に比例し,ほぼ直線的に増加してあるピーク値に達し,速度が更に増加すると,逆に緩やかに減少し始める。
3)このピーク値はスベックルの平均粒子径が小さくなるにつれて減少する。
今回のシステムでは,レーザーは赤外光を用いたため,目に対する刺激がほとんどなかったが,眼底に対する広いスポット照射の場合の安全基準が定められていないため,今後議論を呼ぶものと思われる。瞳を通過する平行ビームによる眼底でのエネルギー密度の許容量から見ると,今回の光量は干分低く設定されている。現在の測定系では,測定面積が眼底上で0.6mm四方と非常に狭いので,今後広い面積についての測定が可能になるよう,光学系の改良を進める計画である。