2015年[ 中谷賞 ] : 年報第29号

モータタンパク質運動を利用した疾患センサの製作

研究責任者

横川 隆司

所属:京都大学大学院 工学研究科 准教授

共同研究者

藤田 博之

所属:東京大学生産技術研究所 教授

共同研究者

Stanislav L. Karsten

所属:NeuroInDx, Inc. Chief Scientific Officer

概要

1.はじめに
 タオオパシーは、微小管結合タンパクの一種であるタウが異常な凝集を示すことを特徴とする脳神経系の進行性疾患である(図1)。例えば、アルツハイマー病は、変性したタウ(過剰にリン酸化したタウ)が病的に蓄積することが主要な特異的病変の一つとして認められる典型的なタオオパシーである。アルツハイマー病などの認知症患者の治療費は増加の一途をたどっており、1999年から2005年の間に診断された患者数では6倍、医療費は3倍に増加したとの報告がある。したがって、今後さらに高齢化が急速に進む日本ではこの対策が欠かせない。しかしアルツハイマー病の診断は、認知的な障害が現れるまで困難であり、有効な治療法がなく病態の進行を遅らせることが精一杯の現状では、早期の診断手法の開発が焦眉の課題である。本研究は、タウの変性に関して即時、高感度、低価格の検出手法を提供することを目指すもので、アルツハイマー病や関連のタオオバシーの早期診断と、疑わしい患者のスクリーニングや治療の有効性をモニターする手法として大きな可能性を持っている。
 タウタンパク質をオンチップで検出しようという試みは、表面プラズモンを用いた方法やイムノアッセイによる方法などが提案されている1)。しかし、その多くはタウの存在のみを検出するものであり、リン酸化状態や凝集状態まで評価できるものは無い。タウオパシーは、異常タンパク質の割合が少ないうちに診断が下せれば、リン酸化酵素阻害剤を利用して通常のタウとしての機能を回復させることで、早期治療が可能である。このため、本研究で解決すべき課題は、総タウ量に対して異常なタウの割合が少ない状態において、高感度にかつ早期にタウ機能の異常を検出する技術を開発することである。
 これまでに、上記のようなオンチップ検出に加え、1分子レベルでキネシンの運動特性に対するタウの影響が報告されている2)。しかし、このような1分子での現象を汎用的なオンチップ検出に利用するためには、シングルモータからマルチモータへの展開という着想、および分子系とデバイスの統合という方法論が必要である。しかし、研究の現況としては、従来の生化学的な検出方法を用いる医療現場と、1分子レベルでの機能解析を進める生物物理学研究が融合せず、得られた知見が「タウのセンシング」という課題解決に結びついていない。
 上記のような現況から、本研究では、1分子で確認されているタウによる運動阻害の現象をマルチモータの系において検出可能な技術を確立し、タウの状態による阻害の差異を統計的に評価・検証するという着想で研究を展開する。また、申請者の専門であるMEMS/NEMS技術を用いてタンパク質のアッセイ場をオンチップで製作し、センサとして統合することを目指す。このようなアプローチは、微小管上を動く複数のキネシンをセンシング分子として利用し、その速度や運動距離等の運動特性に及ぼすタウの影響を定量的に評価する点に斬新性を有する。また、細胞内物質輸送系をチップ内で再構築してセンサとして用いる手法は、よりin vivoに近い環境でタウを評価するという点で従来研究に対する優位性がある。

2.これまでの成果
 申請者らのグループでは、キネシン-微小管系モータタンパク質を用いた工学応用の研究を推進してきた。モータタンパク質の研究は、1分子生物物理学の研究者が主導的に研究を推進してきたが、その運動機能を利用してナノ輸送を実現するという工学的アプローチに立脚して独自の研究を展開してきた。In vitroで重合した微小管をナノ輸送に利用する場合、その極性を制御して配置することが難しい。そこで、申請者らはMEMS/NEMS技術を併用することで、微小管フィラメントの極性配向、配置技術を確立し3)、それを用いたマイクロ・ナノ構造の一方向輸送を実現した4)。輸送対象は、従来のマイクロビーズだけでなく、シリコン構造5)、油滴6)、Q-dot7)などの輸送が可能であることを示した。さらに、近年ではQ-dotを用いた分子反応をモータタンパク質の運動により引き起こすことに成功している。また、流体デバイス内でのナノ輸送中に物体にかかる流体力の導出をおこない分子系の設計指針を示した8)。このように、モータタンパク質をin vitroで再構築して利用する分子システム創製について、十分な知見を有する。この知見を元に、本研究テーマでは、タウタンパク質のオンチップ検出という目標に向かって以下の課題を推進した。

3.本研究における成果
3.1 ビーズアッセイ系を用いたタウ検出
 タウの存在によるキネシン運動の阻害について、我々の用いてきたマルチモータ系で同様の阻害が起こるかを確認した。デバイス(図2)では、微小管をマイクロチャネル内のガラス表面に固定しキネシンビーズの搬送を可視化する「ビーズアッセイ系」を用いて、ビーズの運動速度の測定を行った9)。
 微小流体デバイスは、チャネル構造をソフトリソグラフィにより製作し、酸素プラズマ(50 sccm、20 Pa、75 W、5 sec) を照射した後、ガラス基板に接合した。タンパク質アッセイは、インレットに接続したシリンジから送液することによっておこなった。まず、運動能を持たないよう遺伝子操作したキネシン(50 μg/ml)を導入しチャネル表面に非特異的に固定した。続いて、蛍光ラベルした微小管を導入してキネシン上に固定した(図3a,b)。微小管はチャネル全体に固定されるが、メインチャネルと直交するサブチャネルが4本設置されており、それぞれに異なる濃度のタウを導入することで微小管の修飾を個別におこなうことができる(図3c)。最終的に、チャネル全体にキネシンコートしたビーズを導入し、その運動速度を測定した。このアッセイにおいて、ビーズ溶液などをサブチャネルから導入した場合、サブチャネルに設置したバイパスチャネルの機能により、チャネル交差部で溶液が混合されないよう工夫した。これは、一度のオンチップアッセイにおいて、濃度や状態の異なる複数のタウを同時に評価するためである。
 2N4Rタウを用いた場合の濃度依存的な速度変化を図4に示す。タウを微小管に結合させない場合(no tau)に比べ、濃度が高くなるほどビーズの運動速度が低下することがわかった。従来の研究においては、微小管上のタウの存在はモータの運動速度を変化させるという結果10)と、運動速度には影響を与えないという結果11)が報告されている。前者は複数のモータを用いた分子系で、後者は1分子のモータを用いた分子系でよく報告されており、我々の実験系においてはビーズに複数のキネシンを付加しているため前者の説を支持する結果になったと考えている。
 さらに、提案した分子系においてタウの異なるアイソフォームや変異体を検出することを検討した。この際、微小流体デバイス内には、図5に示すように微小管をブリッジする構造を設置した。我々は、この構造を用いることで、キネシンビーズが運動する際にガラス基板に接することでその運動が阻害されることを避けられることを報告している12)。その結果、6種類のアイソフォームと4種類の変異体において、いずれも速度差が優位に異なることがわかった13)。これまでに、ビーズアッセイ系において複数のアイソフォームや変異体が運動速度に及ぼす影響を統一的に評価した例はなく、重要な知見と言える。

3.2 グライディングアッセイ系を用いたタウ検出
 ビーズアッセイ系を用いた検出では、個々のビーズ運動をトラッキングして評価する必要があり、汎用的なオンチップ検出には向かない。そこで、ガラス上にキネシンを固定し微小管運動を観察する「グライディングアッセイ系」を用いて、並行して研究を推進した。
 このアッセイ系におけるタウの影響について基本的な知見を得るため、まずガラス表面にキネシンを固定し、タウを修飾した微小管の密度と付着率(Landing rate)を計測した14)。タウを修飾した微小管の密度の経時変化を図6に示す。キネシンコート基板上への微小管の結合乖離が平衡状態に達するまでは濃度が上昇することがわかる。ここで重要なことは、タウを検出するためには必ずしも濃度が平行に達した後である必要はなく、アッセイ開始後5分程度でコントロール、変異タウ(V337M)、タウ(2N4R)の間で、優位な密度差が得られると言うことである。この知見から、以下の実験ではアッセイ開始後5分における密度と付着率を測定した。
 アッセイの結果、6種類のアイソフォームいずれにおいても速度低下が見られ、かつそれらの微小管結合ドメインの数(3Rまたは4R)によって分類することが可能となった(図7)。これは、グライディングアッセイ系においては、微小管-キネシン間の相互作用がProjection domainの長さよりもMTBRの数に影響される、すなわち微小管へのタウの結合量によることを意味している。
 また、変異タウについては、その変異の位置によって2グループに分類することが可能となった。MTBRから離れたR406WおよびV248Lは微小管への結合に影響を及ぼしにくいため、微小管へ結合することでキネシンコート基板上との相互作用に影響を与え密度が低下した。一方、G272V,P301L, V337M はMTBRあるいはその近傍に変異を持つため微小管への結合量が低下したと考えられる。その結果、密度低下はあまり見られなかった。以上をまとめると、アイソフォームと変異体いずれに着目した場合も、本アッセイ系ではMTBRの影響の差異を簡便なアッセイによって検出することに成功した。
 上記の知見を元に、オンチップ検出をおこなうための微小流体デバイスの開発をおこなった。微小管の付着率と運動速度を反映して、チップの検出部に微小管が集まる様子が観察できている。現在、試行実験の段階ではあるがコントロール、タウ、変異タウの間で蛍光強度の上昇に優位な差が見られている15)。今後は、他のアイソフォームや変異体についても蛍光強度の上昇に差異が見られることを確認して、オンチップ検出を実現する。

4.まとめ
 本稿では、我々のグループにおけるタウタンパク質の検出に関する研究成果を二つの分子系に分けて紹介した。我々が得意とする微小流体デバイスの開発技術と合わせることで、一定のタウ検出技術を確立することができた。これまでのELISAベースの検出技術に対し、新たな手法を提案することができたと考えている。結果として、萌芽的な研究として各種国際論文誌に成果を報告することができた。実用化には、脳脊髄液に含まれる様々な夾雑タンパクの除去や、他の微小管結合タンパク質の除去が必要であり、今後の課題である。