2011年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第25号

マルチ時間スケールな自律神経調整機能から観た一人称視点映像効果の評価

研究責任者

木竜 徹

所属:新潟大学大学院 自然科学研究科 人間支援科学専攻 教授

共同研究者

岩城 護

所属:新潟大学 自然科学系 准教授

共同研究者

飯島 淳彦

所属:新潟大学 医歯学系 助教

概要

1. はじめに
急速な視聴覚関連技術の展開と汎用化に伴い、携帯デバイスによる一人称視点映像や3D映像に代表される様に高臨場感を求めた映像にふれる機会が多くなった。しかも、その様な映像は映像制作のプロでなくとも比較的簡単に撮影できる。さらに、今や制作した映像を誰でもインターネットで幅広く提示できるパーソナル・メディアの時代である。しかし、高臨場感映像がもたらす視聴効果の生体への影響が懸念され、様々な方面から生体影響が調べられている。この10年、映像に関する問題は、手振れのひどい映像を視聴した際に、めまいや吐き気などが引き起こされたとの報道が散見され、産業技術総合研究所では「映像の生体安全性評価法の標準化」の研究が進んだ[1]。海外でも関連研究が盛んになり、移動体での運動酔い(Motion Sickness)との類似性を手がかりに映像酔い(VIMS: Visually Induced Motion Sick-ness)の原因解明、映像酔い評価の定量化の研究報告[2]、さらに、映像酔い評価に使われた自律神経系調整の観点から映像酔い防止策の報告があった[3]。
映像酔いの発現メカニズムに関しては運動酔いに関連した論文が多く[4,5]、運動酔い(乗り物酔い)はpassive動作での注視や姿勢の不安定が原因であり、注視の安定化と前庭系の感度を抑える慣れの訓練が効果的とある[6]。Cybersicknessとも称されるVIMSでは、視覚系と体性感覚系で実際の情報(real)と過去の経験から予期される情報(virtual)との不一致によって引き起こされるという説があるが十分ではない。VIMS評価の定量化では心理的評価が先行した。これは、シミュレータ酔いや遊園地のジェットコースターでの乗り物酔いアンケート評価[7]が一般に受け入れられて研究が進んだ事による。最近、VIMSに対する懸念の広まりから、生体信号を計測してVIMSを評価しようとする研究が報告される様になった[8'9]。これは自律神経系の振る舞いからVIMSを評価しようとするアプローチである。自律神経系の評価法は幾つかあるが、R-R間隔(RRI)時系列の変動(心拍変動:HRV)の周波数パワーから求める研究が多い。HRVには、呼吸に同期した約0.3Hzを中心にした呼吸性成分(HF成分)と血圧調整に関わるMayer波関連の約0.1Hzの成分(LF成分)が顕著に含まれる[lo]。ここで、HF成分は副交感神経系を、LF成分は交感神経系と副交感神経系の両方を反映し、LF/HFは交感神経系指標の代表として多くの応用が報告されている。VIMS評価でも映像酔いの被験者群においてLF/HFが増加したとの報告があるⅢ。しかし、心拍変動は呼吸による影響を非常に大きく受けるとの報告があり[12]、呼吸を考慮した自律神経系の評価が必要である。ここでは、実験環境におけるストレスを排除し、呼吸周期変動を考慮した自律神経系の評価手法を提案する。さらに、運動酔いで指摘があった注視や姿勢の不安定との関係を報告する。
2.方法
2.1一人称視点映像映像
酔いを引き起こすとされる検証済みの映像(自然を背景とした荒野をマウンテンバイクで下る2分間のプレの強い一人称視点映像[13])で呼吸の影響を探った。さらに、最近の携帯デバイス(iPodNano5G)を頭部に付けて、自転車走行時のプレのある一人称視点映像を撮影し、その2分間の映像を用いた。視聴環境は約25m2の個室であり、プロジェクター投影時の椅子と70インチスクリーンとの距離は1.7m、映像の解像度は720×480ピクセル、フレームレートは30フレーム/秒である。
2.2生体情報計測
映像視聴時の視聴覚以外を原因とする生理的生体影響を抑えるため、座位でビデオ視聴した際の生体信号を計測した。具体的には、胸部双極誘導で心電図、肺呼吸トランデューサを介して呼吸波形をバイオアンプ(100Cシリーズ、BIOPAC Systems)にて計測し、BIOPAC(MP-150、BIOPAC Systems)のLAN接続機能を経由することで、被験者にストレスを与えない環境で生体信号をモニターしながら、サンプリング周波数1000HzでノートブックPC(CF-W4, Panasonic)に計測データを収集した。さらに、生理的・運動学的生体影響を探るため、携帯デバイスによる映像を座位や立位で視聴した際の心電図、呼吸波形、左腓腹筋筋電図、左前頚骨筋筋電図、重心位置を計測した。表面筋電図及び姿勢動揺(センサ貼付部位の動揺)の同時計測にはワイヤレスセンサ(Trigno Wireless, Delsys)を使用し、重心位置の計測にはフォースプレート(Wii Balance Board, Nintendo)を使用した。計測データは、BIOPACKの1/0モジュール(UIM100C, BIOPAC)を経由してPCに記録した。なお、心理的評価にはシミュレータ酔い評価で標準的なアンケート(SSQ: Simulator Sickness Questionnaire)[7]を用いた。
(1)呼吸統制実験
映像負荷なしの状態で、5分間の安静後、3分間の0.25Hz(呼吸周期4秒)呼吸統制、3分間の安静、3分間の0.125Hz(呼吸周期8秒)呼吸統制、最後に1分間の安静からなる計15分間の呼吸統制実験を行った。被験者は男性4名(23.7±1.0歳)である。
(2)映像視聴実験
バイク搭乗体感映像(BE: biking experience)による生体影響は数分から数10分の時間が掛かるため、2分間の映像を繰返し5回提示し、計10分間の映像とした。座位にて、この10分間の映像視聴中と視聴前後の5分間の安静時で生体情報を計測し、視聴前後の安静時でSSQ調査を行った(図1)。なお、被験者は17名(22.7±2.5歳)、映像の内容に関する事前の告知はしなかった。
(3)撮影者による映像視聴実験
撮影者(21歳)を被験者とし、座位と立位で自ら撮影した携帯デバイス映像(MD: mobile device)を視聴してもらった。なお、被験者には運動習慣はない。実験シーケンスは体感ビデオ視聴実験と同様(図1)である。さらに、視聴実験経験のない被験者1名と視聴実験の経験はあるがこの映像を初めて見る被験者3名にも実験に参加してもらい、合計5名の男性(23.7±1.0歳)で生体影響を生理的・運動学的側面から計測・評価した。
2.3映像酔いの評価
(1)生理的応答
自律神経系指標を推定するため、不等間隔となるRRI時系列に3次スプライン補間を施して等間隔時系列とした後、映像のフレームレートである30Hzでリサンプリングした。その上で、等間隔RRI時系列に対し連続Wavelet変換でパワースペクトル推定し、オーバーラップなしの区間長30サンプル(1秒)毎にHF帯域(0.15~0.45Hz)とLF帯域(0.05~0.15Hz)でのパワー成分(HF,LF)の時系列を求めた(図2)。一方、呼吸周期が長くなりRRI時系列のLF帯域内に含まれた場合にLFが増加するとの報告がある[12]。そこで、LF/HFに含まれる呼吸の影響を抑えるために、呼吸波形のパワースペクトルRESPを求め、RESPが最大となるピーク周波数fresp周辺の帯域(fresp±0.05Hz)をタスク毎に追跡した。このfresp周辺の帯域でRRI時系列のHF帯域を修正し、修正HF帯域でのRRI時系列のパワーの平均値から修正LF/HFを求めた。加えて、時間領域の評価値としてRRIの標準偏差(SDNN: Standard Deviation of the NN Intervals)と隣接したRRIの差の二乗平均平方根(RMSSD: Root Mean Square Successive Differences)を算出した。なお、これらの指標はタスク(120sec)毎(図1)に推定した。
(2)心理的応答
数10分の映像視聴前後で、映像酔いの症状(吐き気や不快感)と関連があると考えられるSSQのNauseaスコアNsから映像視聴前後の差分値
を求め、∠」N≧25の被験者を"酔い群"、∠N〈25の被験者を"非酔い群"として群分けした。
3.結果
3.1呼吸統制実験
呼吸統制に伴う呼吸波形のパワースペクトルRESP及びRRI時系列のパワースペクトルから求めた時間周波数構造は類似していた。図2は被験者1名の例である。そこで、RESPとRRI時系列のパワースペクトルにおいてHF帯域とLF帯域の成分及びLF/HFの時系列の類似の程度を相関係数で調べたところ、HF成分で(0.18±0.20)、LF成分で(0.79±0.12)、LF/HFで(0.74±0.12)であった。その結果、LF成分、LF/HFに比べ、HF成分はほとんど類似しなかった。
図3は各呼吸周期の180秒間及び安静時の180秒間(図2:480~660秒)におけるHF,LF,LF/HF,LF/HF,e、pの全被験者から求めた平均±SDである。その結果、LFとLF/HFは、安静に比べて呼吸周期4秒で低く、呼吸周期8秒で高い値を示した。一方で、HFとLF/HF,e、pは呼吸周期が変化してもほぼ一定の値を示した。
3.2映像視聴実験
被験者17名を酔い群8名、非酔い群9名に分類し、映像視聴中の各タスクでLF/HF、修正LF/HF,RMSSD及びSDNNの平均値を求めた(図4)。酔い群と非酔い群においてタスク問で1要因分散分析を行い有意差が見られたので、多重比較(Turkey法)を行った。なお、有意水準1%で有意差ありとした。その結果、LF/HFでは酔い群、非酔い群ともにタスク問の変化は見られなかった。一方、修正LF/HFを用いた場合、酔い群のT1とT4で有為な増加が見られたが、非酔い群では変化が見られなかった。RMSSDでは酔い群と非酔い群ともタスク問の変化は見られなかった。一方、SDNNでは酔い群のT1・T2とT4のタスク問で有意な増加が見られたが、非酔い群のタスク問の変化は見られなかった。
バイク搭乗体感映像と携帯デバイス映像のpan方向の動きベクトル(動きベクトルの推定法は文献[13]を参照)それぞれを図5、図6に示す。バイク搭乗体感映像では(0.3-2.OHz)の周波数帯域が顕著であったのに対し、携帯デバイス映像では(0.5-1.OHz)の周波数帯域が顕著であった。
全被験者の/Nのスコアを図7に示す。その結果、バイク搭乗体感映像(BE)では、5名中2名が酔い群に分類されたのに対し、携帯デバイス映像(MD)では、座位と立位での視聴で5名中3名が酔い群に分類された。また、被験者全体の平均値では、バイク搭乗感映像よりも携帯デバイス映像での∠Nのスコアが低く、座位での視聴よりも立位での視聴での∠Nのスコアが低かった。
携帯デバイス映像で、酔い群と非酔い群の各1名の左右方向の重心位置(COP: Center Of Pressure)の時間変化と時間周波数構造をそれぞれ図8、図9に示す。その結果、酔いを起こした被験者では、0.2Hzを中心とした成分が多く見られたのに対し、酔いを起こさなかった被験者では0~0.IHzの成分が多く見られた。
被験者を酔い群の1名として、T4(図8(a))における重心位置と筋電図を図10に示す。その結果、腓腹筋が活動した際に重心位置が左から右に移動する傾向が見られた。一方で、前頚骨筋の活動と重心位置との関係は見られなかった。
4.考察
安静時の副交感神経活動による変調はHRVのHF成分に現れ、HF成分の増加は副交感神経活動の顕著化を意味した。しかし、運動によって呼吸周期変動の帯域は変化する。呼吸統制実験によると、呼吸がHRVに大きく影響を与えていることがわかる。ここで、HRVのHF成分が副交感神経活動を反映するとされる。しかし、これは呼吸による影響がHF帯域内に含まれる場合であり、呼吸統制や運動を行った場合、呼吸の影響はHF成分ではなく他の帯域に現れる。
0.125Hzで呼吸統制を行った際に(3.1)、LF帯域内にゆっくりとした呼吸周期が含まれることにより、LF/HFが増加した(図3)。運動後の回復をHRVから評価するには周波数帯域を限定したHF成分に比べ帯域を限定しないRRIの分散などが自律神経活動を反映しているとの報告がある[14]。そこで、呼吸波形のパワースペクトルから求めたピーク周波数fresp帯域を追跡し、呼吸による影響を考慮した修正LF/HFを提案した。その結果、強制的な呼吸による影響としてのLF/HFの増加が修正LF/HFで見られなくなった(図4)。なお、LF/HFと修正LF/HFの差は、呼吸周期変動がHF帯域内に含まれる0.25Hzの呼吸統制下に比べ、安静時や0.125Hzの場合に大きかった。この様に呼吸の周波数がLF帯域内に含まれる場合は、呼吸の影響を非常に大きく受けるため、呼吸を考慮した評価を行わなければならない。
これを踏まえて、映像視聴実験では呼吸統制を行わずに自然呼吸とし、修正LF/HFを用いて映像酔いの評価を行った。また、LAN接続ユニットを使用して実験ストレスの軽減を図った。その結果、LF/HFは映像酔いの有無に関係なく増加したのに対し、修正LF/HFは映像酔い群のみで有意に増加した。SSQの結果とも一致することから、修正LF/HFは映像酔いを評価する有効な手法であると考える。
運動後の副交感神経充進の効果が示唆されている[14]ことから、呼吸周期変動に大きく影響するのは運動であろう。しかも、視聴前での事前運動が映像酔い防止に効果があったとの報告がある[3]。ここで、事前運動の効果は運動時の交感神経元進後に呼吸を落ちつかせる副交感神経元進への切り替わりを促す効果ではないだろうか。また、注視実験で注視しているほど頭を動かし注視と姿勢が不安定だと酔いの症状が出るが[6]慣れることで酔いを回避できたとある[15]。そこで、映像酔いにおける事前運動と慣れとの関係を解明するため、立位で交感神経充進とした上で映像酔いスコアの高い被験者の頭部動揺を調べた。視聴実験における映像以外の環境ストレスをコントロールしたが、映像酔い防止策に役立つポイントが見つかる様な結果には至らなかった。しかし、身体動揺は運動酔いの原因とも考えられており、被験者の日常習慣及び映像酔いのある映像の特徴(映像酔いが発生し易い映像はプレがあり、そのプレをバイク搭乗体感映像で動きベクトルの周波数で調べると(0.3-2.5Hz)の周波数帯域であった[13])。また、運動酔いでの頭部動揺との関係[6]から映像酔いを評価するには、神経筋活動と姿勢動揺の同時計測可能なワイヤレスセンサの適正な貼付位置の更なる検討が必要である。それによって、適正な酔い防止策の提案をすることが今後の課題である。
5.まとめ
呼吸による自律神経系への影響を評価するために異なる周波数での呼吸統制実験を行った。その結果、呼吸の変動周波数が低い場合において、LF帯域への呼吸の影響を確認した。また、自然呼吸下において呼吸による影響を除去するために、呼吸を考慮した手法を提案した。修正LF/HFとRRIの時間領域の評価指標を用いて映像酔いの評価を行った結果、映像酔いの被験者群に明らかな変化が見られた。また、映像酔いの防止策を映像酔いの原因とされる身体動揺から調べたところ、関連はありそうであるがさらなる調査が必要であった。今後、携帯デバイスによる一人称視点映像を含む高臨場感映像が多くなってきていることから、高臨場感映像の生体影響を視聴覚だけでなく身体性の評価とあわせた研究が必要と考える。