2009年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第23号

マイクロ波イメージングによる初期乳癌検診法の確立

研究責任者

桑原 義彦

所属:静岡大学 工学部 電気電子工学科 教授

概要

1.はじめに
日本では成人女性の30人に1人の割合で乳癌が発生し、女性の癌の中では最も罹患率が高い。現在、癌検診法としてX線マンモグラフィーが用いられている。しかし、
(1) 石灰化を伴わない癌を見つけることが困難
(2) 検査・診断に時間がかかり検診コストが高い
(3) 若年層についてはX線被曝の影響が無視できない
などの問題点が指摘されている。
本研究はX線マンモグラフィーと比較し、安全・確実・低コストのUWBレーダを用いた初期乳がん検出装置を実現することを目的とする。近年、高速無線通信の1手法として、UWB(UltraWide Band)通信が注目されている。UWBは通信のほかレーダにも応用でき、欧米では初期乳癌検診技術に関する研究が活発に行われている。電磁波による癌検診システムの基本原理は、癌と周辺組織の電磁気学的性質の顕著な差1)である。この差はX線トモグラフィーに比較すると10倍以上大きく、より鮮明な画像を得ることが期待できる。
複数のアンテナから乳房にUWBパルスを照射し、時空間ビームフォーミングによって散乱波エネルギーの分布画像を構築する方法が提案され、計算機シミュレーションにより数mm程度の初期癌が発見できることが報告されている2)。この方法では0.1ns程度の短パルスを送信し、散乱波を50GHz程度の標本化周波数でデジタル信号に変換する必要があるが、そのようなAD変換器は実現できていない。このため、周波数掃引信号を用い、時間領域の代わりに周波数領域で受信信号処理を行う方法が用いられる3)。しかし、最初の研究発表から8年を経ているがいまだに生体画像は得られていない。
本研究の目的は、これまで発表されている手法を実験的に検証してその問題点を明らかにし、その解決手法を提供することにある。このため、次の事項について検討を行った。
(1) 基礎実験装置の構築
(a) 層ファントムの試作水槽に大豆油を張って乳房組織を、水を満たした円筒容器で腫瘍を、グラスファイバ基板で皮膚を模擬する。
(b) XY ステージによるアンテナ機械走査システムの構築
(a)の水槽の上にUWB アンテナを取り付けたXYステージを設置し、アンテナの位置をPC 制御する。アンテナは媒質とのインピーダンス整合のため大豆油の中で走査される。
(c)広帯域アンテナの試作大豆油の中で広帯域動作可能なアンテナを試作する。
(d)ネットワークアナライザを用いた反射応答計測システムの構築アンテナの位置と連携し、ネットワークアナライザでS11(反射応答)を記録する測定プログラムを作成する。
(2) S11より診断画像を再構成するプログラムを開発する。
(3) ファントム、XY ステージ、広帯域アンテナ、ネットワークアナライザ、プログラムを組み合わせ、ファントム中の腫瘍が検出できることを確認する。
2.基礎実験装置の構築
図1 は、層ファントムと計測装置の概念図である。
2.1 層ファントム
乳房は90%が脂肪組織なので、正常組織を大豆油(εr=2.6, σ=0.05S/m)で模擬する。油を満たす水槽の大きさは(40?24.5?28cm)である。腫瘍のファントムは直径6mm、長さ10mmのビニール管に水を満たし、両端を樹脂で封印したものである。これを10cm 四方の木枠に0.2mm のナイロン糸で取り付け木枠の位置をXY ステージで設定する。アンテナの位置を変えるとケーブルが変形し、測定信号の位相が変化するので、今回の測定では腫瘍のファントムを動かすことにした。図2 は木枠に取り付けられた腫瘍のファントムである。皮膚は電子回路用の1.6mm 厚ガラスエポキシ基板(εr=4.3, tanδ=0.016)で模擬し、油面から9cm の位置に固定する。ガラスエポキシ基板とアンテナの距離は5mm とした。図3 は層ファントムの写真である。
2.2 測定システム
測定システムはネットワークアナライザ(アンリツ37347C) 、XY ステージ( シグマ光機SGSP20-85(XY))、2 軸ステージコントローラ(シグマ光機SHOT-602)、PC から構成される。PCには実験ソフトウェアがインストールされ、GPIB でネットワークアナライザ、RS232C で2軸ステージコントローラと通信が行われる。
最初に反射電力測定のためネットワークアナライザを所要の周波数帯域(4-14GHz)で校正する。反射電力測定では、測定点に接続するケーブル端にOPEN、 SHORT、 LOAD 負荷を接続して校正するが、ここではLOAD の代わりにアンテナを接続し、アンテナのインピーダンス特性の影響を測定から除外する。
実験ソフトウェアで、周波数範囲、周波数間隔、XY ステージの可動範囲、移動ステップを設定し自動計測する。すなわち、腫瘍のファントムを移動しながら、指定の帯域、ステップで反射電力が測定される。測定結果はテキストファイルに保存され、後述する画像再構築プログラムによって診断画像を生成する。図4 は測定システムの写真、図5 は実験ソフトウェアの設定画面である。
2.3 広帯域アンテナの試作
変形ダブルリッジホーンアンテナ4)を試作し、油中でのインピーダンスと伝送特性を測定した。
(1)設計
図6 は変形ダブルリッジホーンアンテナの構造である。
変形ダブルリッジホーンアンテナは、角錐ホーンの上下にリッジを取り付けた構造を持つ。試作アンテナでは広帯域性をえるため、上部リッジを金属フレアに置き換え、その終端2 か所に100Ω抵抗を介してホーンに接地する構造としている。給電のため、SMA コネクタの中心導体が上部フレア、外皮がホーン導体に接続されている。上部フレア、下部リッジの曲線は、給電点からホーン開口に向かう軸をz 軸、これに直交する軸をy 軸とすれば、次の式で表わされる。
ここで、
Ra は曲率である。表1 の設計指標を満足するようアンテナの寸法、曲率Ra を、FDTD 法によるシミュレーション解析5)によって決定した。
油中での動作を評価するためホーン内部に誘電率2.6 の誘電体を充填した。設計寸法を図6 に示す。 Ra は上部フレアがxz、zx 平面とも0.1、下部リッジが0.2 である。
(2)試作・評価
図7 は試作したアンテナの外観とVSWR の測定結果である。アンテナは2 台試作し、油中に沈めた場合(図の点線)と空気中においた場合のVSWR を測定した。VSWR<2 の帯域は4.6-18GHzで、設計目標より帯域が少しずれている。
図8 に示すように2 つの試作アンテナを対向させ、油中と空気中における伝送損失をアンテナ間距離を変えて測定した。油中での伝送損失は空気中に比較すると大きくなるが、アンテナ間距離が10cm より小さい時、4-14GHz で伝送損失の変動は比較的小さい。
図8 は、図7 の伝送損失特性を逆フーリエ変換してえた油中のパルス伝送特性である。
距離が離れるにつれ遅延時間が増すとともに振幅が小さくなることがわかる。図9 は対向したアンテナのうち1 つを回転させ水平面指向性を測定した結果である。アンテナの主放射方向には指向性のヌルが発生していないことを確認した。試作したアンテナの測定結果から、実験で使用する周波数帯域を4-14GHz とした。
3.診断画像生成アルゴリズム
3.1 前処理
診断画像生成処理に先立ち、腫瘍以外の不要信号(特に皮膚からの反射)を取り除く前処理を行う。アンテナからの応答を平均して校正信号とし、各アンテナの応答との差を取る。この処理によって各アンテナからの応答に同じように含まれる皮膚からの反射が取り除かれる。
3.2 Delay and Sum (DAS)
DAS は、図10 に示すように、アンテナと診断領域にある任意の点の距離に応じた伝搬遅延だけ各アンテナの反射応答時間を前に戻して加算するアルゴリズムである。その点に腫瘍があって散乱波が放射されている場合、各アンテナからの応答信号の時間がそろい、加算すると大きな応答が得られる。その点に腫瘍がなければ応答信号の時間はそろわず、加算しても大きな応答は得られない。診断領域全体について以上の処理を行い、3 次元の散乱エネルギー分布画像を生成する。
3.3 MIST
(1) アルゴリズム
DAS は媒質の周波数特性が考慮されていない。媒質の周波数特性を考慮して各アンテナからの応答信号を同相合成する手法がMIST(MicrowaveImaging via Space-Time beamforming)である。診断領域の位置r0 での処理手順を示した図11 を参照してMIST の処理を説明する。
前処理されたi 番目のアンテナの受信信号をxi[n]とする。n は離散時間を表す。xi[n]を整数倍サンプル( 0 ) ( 0 ) n r n r i a i = ?τ だけ遅らせる。ここで( ) 0 r iτはi 番目のアンテナのr0 での位置の往復伝搬遅延(サンプル間隔単位)、
で、診断領域での最大伝搬遅延である。a n より前にあるクラッタを除くため次の窓関数をかける。
この信号を周波数領域に変換して、周波数・空間領域でビームフォーミングする。
はl 番目の周波数、[ ] l I ω は送信パルスのスペクトル、( ) ii l S r ,ω 0 はi 番目のアンテナのl 番目の周波数のr0 の位置でのモノスタティックレーダ応答である。M はアンテナ素子数、N は離散周波数の数である。単一振幅応答と線形位相応答を持つビームフォーマのウェイトW [l] i は次の条件を満足する。
S? r ,ω0 は往復の伝搬遅延に関する位相シフトを除いた周波数応答、( 1)/ 2 0 τ = N ? はビームフォーマの平均伝搬遅延である。( ) ( ) 0 0 n r n r a i i =τ + より(4)式の条件を簡単化すると
これをベクトル表記する。
このとき、周波数lω でのビームフォーマの出力は
となる。ビームフォーマの出力を逆フーリエ変換して時間領域信号z(n)に戻され、クラッタを除くため窓関数h(r0、n)をかけて合成する。r0 での出力エネルギーは
ビームフォーマのウェイトW[l]は次の式で表わされる
S S が小さいと(9)式で求めたウェイトは大きくなる。特に、高い周波数では( ) ii l S r ,ω 0 が小さく、深い位置を探索するとき雑音に弱くなる。このため、次のペナルティ付き最小2 乗問題を考える。
を小さくすれば(10)式の第1 項は小さくなるがウェイトが大きくなってロバスト性が失われる。妥協案として[ ] ( ) i ii l λ l S? r ,ω0 = とすれば

(2) シミュレーション例
MIST ビームフォーミングにより散乱応答は送信パルススペクトルに等化され、観測点とアンテナの位置に対応する媒質の周波数応答を考慮した伝搬損失と遅延が保証される。MIST の高分解能を検証するためのシミュレーションを次に示す。シミュレーション条件を表2 に示す。

(x,y)=(30,30)、 (50,20)mm に散乱源を置いた時の散乱エネルギー分布を図12 に示す。図12 に示すようにMISTビームフォーミングではきわめて高分解の診断画像が期待できる。
4 層ファントムを用いた診断画像の生成
4.1 実験条件
アンテナとガラスエポキシ基板までの距離を5mm とし、腫瘍の位置を変えて診断画像を再構築した。使用するアルゴリズムとしてDAS とMIST を用いた。アンテナを固定しているので腫瘍の水平方向の位置の変化は図13 に示すように走査範囲の変化に相当する。
アンテナ(腫瘍)の走査範囲は25mm?25mm、走査ステップは5mm、周波数範囲は4-14GHzで周波数ステップは400MHz である。腫瘍の深さを皮膚より20mm 下とし、水平方向の位置を変えて散乱エネルギー分布を計算した。MIST による診断画像、DAS による診断画像を図14 と図15 に示す。いずれのアルゴリズムでも所定の位置にある腫瘍のファントムが検出されている。しかし、図14 と図15 の比較から明らかなように、MIST を用いた方が解像度の高い鮮明な診断画像が得られる。
図16 と図17 は、腫瘍の水平方向の位置を(10,10)mm とし、皮膚からの深さを変化させた時の散乱エネルギー分布の計算結果である。MIST では深さの変化に応じた散乱エネルギー分布が得られるが、DAS では腫瘍の位置が深くなると異なった位置での散乱エネルギーが高くなる。これは腫瘍が深くなると散乱信号が小さくなり、DASでは腫瘍応答より前にあるクラッタでの散乱が現れるためと考えられる。
5. まとめ
X 線マンモグラフィーに代わるマイクロ波イメージングによる初期乳がん検診技術の確立のための基礎実験を行った。広帯域変形リッジホーンアンテナを試作し、4-14GHz の油中での伝送・反射特性を確認した。ネットワークアナライザとXY スキャナーを統合制御してモノスタティックレーダ応答を自動計測するソフトウェアを開発した。画像再構築アルゴリズムとしてDAS とMIST を用い、散乱エネルギー分布を求めるプログラムを開発した。大豆油(脂肪組織)とガラスエポキシ基板(皮膚)と水を満たしたビニールチューブ(腫瘍)で層ファントムを構築して実験を行った。MIST により鮮明に腫瘍ファントムからの散乱エネルギーをとらえることができた。今後、生体に適用して実験を行い、実用化を図っていく所存である。