1995年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第09号

マイクロ波による体内温度の断層撮像技術に関する研究

研究責任者

宮川 道夫

所属:新潟大学 工学部 情報工学科 教授

共同研究者

林 豊彦

所属:新潟大学 工学部 情報工学科 助教授

概要

1はじめに
癌の温熱療法,すなわちハイパーサーミアは,腫瘍組織が正常組織よりも熱に弱いことを利用し,腫瘍組織の温度を一定時間43℃以上に保ことにより治療する方法であり,主として放射線や化学療法との併用で治療が行われている。治療の有効性を増すため新たな選択加温技術の開発と共に温度分布を少なくとも二次元的に計測できる測温装置が求められている。しかし現状では直接センサーを生体に刺入し数点の温度を計測するほかなく,感染や癌転移のリスクに加え,被験者に与える苦痛も大きい。このため体内温度分布を無侵襲計測する技術の開発が切望されている。
このような要請に応え,現在,生体内の温度分布計測法として超音波断層撮像法(1)やX線CT(2),NMR(3),マイクロ波イメージング技術(4-6)等を利用した無侵襲測温法が研究されている。マイクロ波を用いたCTは生体組織の誘電特性,すなわち比誘電率ε,および導電率σの2次元分布を計測する装置と言えるが,これらの電気特性には温度依存性があるため,2時点間の画像差分を求めることにより生体断面の温度変化量を画像計測できる。血液の電気特性の温度係数は筋肉など所謂高含水組織の温度係数とほとんど変わらない(ηので,血流変化の影響を受けにくい特徴があり,この意味でX線CTやMRIなどよりも生体温度計測には適しており,さらに超音波断層撮像法のように測定部位が限定されない利点もある。
マイクロ波を用いた生体の断層撮像法としてマイクロ波の直線伝搬を仮定したマイクロ波CTや,再構成にBorn近似を仮定したディフラクショントモグラフィも研究されているが,マイクロ波の波動としての振る舞いを無視した計測手法で生体内のイメージングが不可能なことは明白であり,生体内でBorn近似の成立する箇所があると考えることも現実とは遊離していると言わざるを得ない。
そこで,我々はチャープレーダの技術を応用することで送受信アンテナ間の直線パスを伝搬した信号成分だけを取り出し,X線CTと同様,簡単な画像再構成アルゴリズムを適用してCT画像が取得できるチャープレーダ方式マイクロ波CT(8・9)を開発した。開発したチャープレーダ方式マイクロ波CTのプロトタイプでは,生体と電気的に等価なファントムを対象として空間分解能約1cm,温度差計測能力が少なくとも1℃はあることを確認している。しかし,この実験装置では一対の送受信アンテナを機械的に並進・回転走査して計測を行うため,1枚のCT画像を再構成するのに必要な128×50点の計測に約100分という長い測定時間を必要とする。モデル実験でも100分の間,微小温度差を保ち続けることは難しく,正確な温度分解能の評価ができない主因となっている。さらに実際の生体撮像を考えれば,測定時間を大幅に短縮する必要性があるのは明白である。
本研究では温度分解能の評価と生体計測の実現を目的に,従来のチャープレーダ方式マイクロ波CTに変調散乱法の技術を応用した高速撮像法の実現可能性を検討した。具体的にはチャープ信号と変調散乱法を併用したマイクロ波CTによる高速撮像可能性の理論的検討および当該システム実現に際し問題となるアンテナ特性の検討,さらに変調散乱法による撮像可能性の実験的確認を行った。
2.変調散乱法を用いた高速計測法
2.1変調散乱法の測定原理
図2.1に変調散乱法の技術を応用した高速マイクロ波CTの測定原理図を示す。掃引発振器により生成するチャープ信号S。(t)を次式のように表す。
Sc(t)はミキサの局部発振器端子に基準信号として供給されると同時に,送信アンテナから測定対象物に照射される。次に変調散乱用のダイポールアンテナに給電される変調用信号S、(t)を次式のように表す。
照射波は様々な経路を辿り受信アンテナに到達するので,受信信号には励振されたダイポールアンテナの位置を通らず直接ホーンアンテナに受信される成分と,様々な非直線経路を経てダイポールアンテナに到達し,変調され,受信される成分がある。経路Pjを通る事により,基準信号S。(t)より時間Tjだけ遅れ,振幅がa;倍され微小ダイポールで変調を受けずに受信された信号成分Snj(t)は,
と書ける。また,Pjとは別の経路P;を通りダイポールアンテナで変調された信号Smi(t)は,ダイポールアンテナに到達するまでの時間を笥,さらに変調されてからミキサに入力されるまでの時間をT;,変調散乱における利得効率タγとすると,次式のようになる。
変調を受けない信号成分S。j(t)と変調された信号成分Sml(t)を含む受信々号と基準信号S。(t)との積をミキサにより取り出すものとし,それぞれをM。j(t),Mmi(t)で表せば,両者は以下の式で示与えられる。
ここにβはミキサの変換効率などを含めたシステムのゲインファクタである。Mnj(t),Mmi(t)の高周波成分は低域通過フィルタにより除去される。この信号をFnj(t),Fmi(t)と書けば,
となる。上記の式から分かるように,Fnj(t)の角周波数はK、T、であり,Fmi(t)は角周波数ωm+K,T;,蜘一K,T;の二つの周波数成分を持つ。ここで,蜘>>K,Tiとなるように変調用信号SL(t)の角周波数ωmを決めれば,高域通過フィルタによりFnj(t)を除去し,Fmi(t)だけを取り出す事ができる。従って,直線経路に対応する適正な周波数を選択,送信アンテナからその対向位置にあるダイポールアンテナに向かって直進,変調された信号成分のみを選択的に測定する事ができる。
実際の測定系では受信アンテナの利得パターンに応じ,Fmi(t)を空間的,時間的に積分した信号Fm(t)が計測される。均一な電気特性を持つ媒質中では,対向する送信アンテナと変調散乱用ダイポールアンテナ間の直線経路を伝搬してきた信号成分がピーク周波数になる。このピーク周波数をf11,,f12とすると,Fm(t)をFFTアナライザでスペクトル解析し,周波数f11、またはf12の信号の振幅を測定することにより直線経路を伝搬した信号成分の減衰や位相遅れを計測できる。従って,原理的には空間的に分布配置した要素アンテナを順次電子的に切り替えることにより,極めて高速に投影データを取得することが可能になる。
2-2受信アンテナ特性の補正
変調散乱法を用いた高速マイクロ波CTでは測定原理上受信アンテナは開口面上で一様な利得特性を有することが求められる。しかし,現実的にはマイクロ波CTの様に送受信アンテナ間の距離が短く,減衰の大きいボーラス中で一様な利得特性を実現することは難しい。そこで,受信アンテナの利得特性を補正して減衰量の分布,つまり投影データを取得する手法を検討した。図2.2に実験装置を示す。実験では利得補正の容易さから,利得パターンが単調なホーンアンテナを用いた。なおアンテナのアレイ化は行わず一対の送信アンテナ,変調散乱用アンテナを使用し,これらを間隔2mmで150mm並進走査して減衰量分布の測定を行った。送信および変調散乱用アンテナ間の間隔は200mm,変調散乱用アンテナは受信アンテナ開口面から50mm離して配置した。チャープ信号は周波数が1.9~2.5GHz,掃引時間が200msで出力は2W,ボーラスには37℃の純水を用いた。
2-3変調散乱法を採用した撮像システム
分布計測に変調散乱法を採用したチャープレーダ方式マイクロ波CTにおける撮像可能を確認するため,実際に撮像実験を行った。実験装置を図2.3に示す。原理実験であるためアンテナのアレイ化は行わず,一組の送信アンテナと変調散乱用アンテナ対を用い,2.2mm間隔で282mm並進走査して減衰量分布を測定,これを50方向について繰り返し全投影データを得た。送信アンテナと変調散乱用アンテナの間隔は282mm,変調散乱用アンテナは受信アンテナ開口面から50mmの位置に配置した。また,受信アンテナには開口寸法340mm×25mmのホーンアンテナを用いており,測定には前述のように周波数1~2GHz,掃引時間200ms,出力2Wのチャープ信号を用いた。
3. 実験結果
3-1利得補正により得られた減衰量分布
実験結果を図3.1,図3.2に示す。図3.1は厚さ0.5mm,直径40mmのプラスティック製円筒型容器に37℃の0.3%食塩水を満たしたファントム1本の減衰量分布である。図3.1(a)は補正前の測定データであり,受信アンテナの不均一な利得特性のため,ファントムの存在と形状が正しく反映されていない。これに対し,受信アンテナの利得パターンで利得補正した図3.1(b)の結果では妥当な分布形が再現されている。図3.2は,図3.1と同様なファントム2本を10mm間隔で配置した場合の減衰量分布である。図3.2(a)は補正前の,図3.2(b)は補正後の分布9つまり投影データであるが,ファントム2本が存在する場合でも,単純な利得補正によりより妥当な投影データの得られているのが分かる。以上の結果から,撮像対象の電気定数分布が単純である場合,受信アンテナ開口面上における利得パターンにより計測された減衰分布を補正することにより,チャープ信号を用いたマイクロ波CTにおいても,ほぼ妥当な投影データ取得が可能となるとの結論が得られる。
3-2撮像実験結果
図2.3の実験装置で変調散乱法により得られたCT画像を図3.3,図3.4に示す。図3.3(a)は直径6cmのプラスティック製円筒に32℃,0.5%食塩水を満たしたファントム1本の断層撮像結果である。ボーラスには32℃の純水を用いている。計測信号が非常に微弱でSN比も悪いため,画像の粗さが目立つが,ファントム形状を確認することができる。図3.3(b)は減衰量分布を投影データの段階で平滑化し,それを基に再構成したマイクロ波CT画像である。同図(a)に比べ,ファントム形状がより明確化されている。測定時のSN比改善により画質改善が可能であるとの推論が成り立つ。
図3.4(a)は上述した直径6cmの円筒容器に32℃の純水を満たしたファントム2本を2cmの間隔で平行配置し,画像計測した結果を示す。ボーラスには32℃,濃度0.15%の食塩水を用いた。一方,図3。4(b)は平滑化した投影データから再構成されたCT画像である。SN比が悪いため必ずしも満足のいく画質とは言えないが,ファントムの形状は明確に確認できる。
以上,一連の結果より,チャープレーダ方式マイクロ波CTにおいても,受信アンテナの利得補正など工夫を重ねることにより変調散乱法によるCT撮像は可能であり,今後計測信号レベルの向上を図り,SN比を改善し,さらにアンテナのアレイ化と電子走査を取り入れれば,CT撮像の高速化が実現できるとの結論が得られた。なお,測定点数が従来のままでよい,あるいは従来と同じ投影データ量が必要であるとすると,測定時間は約4分強と試算される。
4.まとめ
温度分解能の正確な実測評価と生体計測実現に不可欠な高速撮像を実現する目的で,チャープレーダ方式マイクロ波CTに変調散乱法の技術を組み合わせた高速マイクロ波CTの実現可能性を理論的,実験的に検討した。受信アンテナの開口面上における利得特性が見かけ上一様になるように補正することで,少なくとも電気定数分布が比較的単純な測定対象では妥当なCT画像の得られることが実証された。SN比の改善や相互結合の影響を考慮したアンテナ・アレイの実現など実用化のために解決すべき問題点も残されてはいるが,今後,アンテナの改良等により,これらの問題点を解決し,高速マイクロ波CTにより生体内温度分布の無侵襲計測を目指し研究を進める予定である。