2003年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第17号

マイクロマシン技術を応用した術中使用可能な耳小骨可動性測定装置の開発

研究責任者

小池 卓二

所属:東北大学大学院 工学研究科 機械電子工学専攻 講師

電気通信大学 助教授

共同研究者

和田 仁

所属:東北大学大学院 工学研究科 教授

共同研究者

小林 俊光

所属:東北大学大学院 医学系研究科 教授

共同研究者

湯浅 涼

所属:仙台・中耳サージセンター 院長

概要

1.はじめに
 中耳は、外耳道の終末にある鼓膜と、ツチ骨(malleus)、キヌタ骨(incus)、アブミ骨(stapes)からなる耳小骨で構成されており、聴覚機構において、音を外耳道から蝸牛に伝える重要な役割を持つ(図1)。正常耳では、耳小骨は鼓室内に靱帯や筋腱で振動しやすいように保持されているが、靱帯の骨化などにより耳小骨が固着すると、伝音性難聴が生じる。伝音性難聴は通常、外科的手術によって治療する。この時、術後の聴力成績の向上や安定化のためには、耳小骨の可動性を定量的に評価することが重要となる。特にアブミ骨の可動性は、聴力に大きな影響を及ぼすため、その可動性を評価することはきわめて重要となっている。
 中耳の可動性の定量化に関しては、さまざまな知見が報告されている。従来より広く用いられているインピーダンスオージオメータは,低周波数のプローブ音を用いて中耳のコンプライアンスを計測するものである。この方法は滲出性中耳炎の診断に有効であるが、耳小骨の疾患の診断には有効ではない1)・2)。そこで我々は,耳小骨の疾患も診断可能とするために,より詳細に中耳インピーダンスを計測できる、3次元周波数掃引型インピーダンスメータ(3D-SFI)を開発し,耳小骨の固着や離断の診断に有効であることを示した3)。
 これらの装置は鼓膜でのインピーダンスを計測するため、鼓膜が正常であることが疾患の診断には必須条件である。しかし、鼓膜が正常だとしても、インピーダンスの計測だけでは疾患部位を特定するのは難しい1)・3)。従って、個々の耳小骨の可動性を評価するためには、耳小骨の動きを直接観測することが不可欠となっている。
 耳小骨の各部位の可動性はガンマ線を用いたM6ssbauer法4)・5)、ビデオ観察6)、レーザードップラ振動計7)・8)により直接計測されてきた。これらの方法により、耳小骨の可動性はnmレベルまで計測することができるが、術中使用が困難であるという問題がある。また、これらの技術は、耳小骨の機械インピーダンス、すなわち、与えたカに対する振動振幅の関係を計測するものであるが、機械インピーダンスは質量・ばね・粘性の要素からなり、ばねの要素は低い周波数で支配的である。従って、靱帯の骨化などに伴う、ばね成分の上昇に起因する耳小骨の可動性変化を計測するためには、低周波数、あるいは静的に計測する方が有利である。
 そこで我々は、アブミ骨の変位とそれに伴う反力を計測する簡単なセンサを開発し9)、アブミ骨の変位一荷重曲線の勾配をその可動性の指標として用い、正常な場合と固着した場合のアブミ骨の可動性には、定量的に大きな違いがあることを示した。しかし、このセンサ形状は、術中使用に適しておらず、小型化することが求められていた。そこで、本研究では、術中においてアブミ骨可動性の客観的計測を確立するために、術者保持にて使用する新しい装置を、小型力センサと油圧マイクロマニピュレータを組み合わせることで開発した。

そして、ヒトとモルモットにおける耳小骨の可動性計測を試みた。
2,実験方法
2.1計測システム
 図2に耳小骨可動性計測のための装置の概略図を示す。
アクチュエーターとして油圧マイクロマニピュレータを用い、プローブのグリップ部に組み込んである。アクチュエーターはコントロールユニットを通してコンピューターによって制御される。カセンサは図3に示したような、静電容量型の小型センサを新たに開発した。プッシュロッドをプローブ先端部に組み込み、カセンサの中央、ダイアフラム部に接合した。プッシュロッドに力がかかると、容量型センサ内の二つのコンデンサC1、C2のうち、C2の容量のみが変化し、その変化量をブリッジ回路における電位差として検出する。電圧は増幅器によって増幅し、AIDコンバーターによってデジタル信号に変換する。これら電圧データはコンピューターで記録し、グラフ化される。
 計測は外耳道にプローブ先端を挿入して行う。手術は狭い視野で行われ、その視野直径は10~15mmである。そのため、プローブ先端は細くする必要がある。本研究では、プローブのパイプ部とプローブ先端センサ部の直径をそれぞれ3mm、5mmとした。また、アブミ骨底板面は,外耳道の伸びている方向に対して20°傾いているため,プローブ先端の方向は、アブミ骨を垂直に押すために20°傾けた。
 図4に計測の原理を示す。プローブ先端はワイヤーを介してマイクロマニピュレータに繋がっており、プローブ先端のプッシュロッドが耳小骨に接触したとき、コンピューター制御の下で前後方向に移動する。その時の耳小骨からの反力をカセンサにより計測する。荷重によるセンサのダイアフラムの変位は小さいため、耳小骨の変位はプローブ先端の変位と等しいと考えられるので、耳小骨に与えた変位とそのときの反力(荷重)との関係が得られる。
2.2対象と計測方法
 実験には体重0.2kgから0.54kgまでの白色モルモットを用いた。モルモットを断頭し、側頭骨を取り出した後、中耳骨包を開放し、鼓膜、ツチ骨、キヌタ骨を取り除き,アブミ骨単体を露出させた。その後、側頭骨を、アブミ骨底が水平になるように粘土に固定し、プローブをプッシュロッドとアブミ骨底が垂直になるようにして計測を行った。プッシュロッド先端がアブミ骨頭に接触したときを計測の開始とし、センサ部を5Hzで150?m駆動させた。
 次に,アブミ骨を、およそ0.6mgの瞬間接着剤を用いることにより人工的に固着させ、同様にして計測を行った。
 以上とは別に、ツチ骨、キヌタ骨を摘出せず、耳小骨連鎖が保存された状態でアブミ骨を固着させ、その際の変位一力の関係をツチ骨柄先端、キヌタ骨長脚、アブミ骨頭において計測した。
 また、三人の患者に対し、術中計測を行った。患者の詳細は以下のとおりである。
CaseI:37歳男性中耳炎によりツチ骨、キヌタ骨損失アブミ骨は正常と見なせる
Case2:51歳女性鼓膜に穿孔あり耳小骨は正常
Case3:60歳男性中耳炎によりキヌタ骨の一部が損失アブミ骨は正常と見なせる
ただし、今回計測を行った手術は、耳小骨連鎖の固着を治療するためのものではなかったため、各症例で、計測条件を一定にすることは出来ず、図5のように、症例によって、計測部位と状態は異なっている。
3.結果
3.1モルモットの正常および固着耳
 図6に、モルモット5耳におけるアブミ骨変位と荷重との関係を示す。
アブミ骨にかかる力は変位に対し指数関数的に増加し、非線形性を示した。実際のアブミ骨の振動振幅は、60~80dB程度の音圧下では数十ナノメートル以下であり、今回与えた変位よりも小さいため、本システムでは通常振動振幅域でのアブミ骨可動性を直接評価することはできない。そこで、アブミ骨に加えた力が1.Ox10'3N以下の比較的線形な領域に於いて、最小二乗法により線形近似を行い、その直線の傾きをアブミ骨の等価バネ定数と定義し、アブミ骨可動性を定量的に表す指標として用いた。今回測定したモルモットアブミ骨の等価バネ定数の平均値は、17±3Nlm(N=5)であった。
 図7に、アブミ骨輪状靭帯に瞬間接着剤を滴下し(図7(a)参照)、人工的に固着耳を作成して可動性を計測した結果を示す。接着剤の滴下量に応じ、曲線の傾きは大きくなり、等価バネ定数は、正常耳の19Nlmに対し、一滴滴下時は124Nlm、二滴で185Nlmと増加した。よって、本装置によりアブミ骨固着の程度を判別可能と考えられた。
3.2ヒトの術中における計測
 図8にヒトの術中計測結果を示す.各測定とも3回行い、再現性を確認し、その結果を平均した。また、以前に計測したモルモット(30匹)、ウサギ(17匹)の結果9)も同時に示した。ヒトの場合も、変位一荷重関係は非線形性を呈し、ヒトのアブミ骨可動性はモルモットよりも小さく、ウサギと同程度であることが分かる。
3.3キヌタ骨・ツチ骨の可動性
 実際の手術では、アブミ骨に直接変位を与えて計測することが困難な場合も多く、臨床応用のためには,他の耳小骨の可動性を計測することによって,アブミ骨の固着を知ることは重要である。そこで、モルモットを用い、アブミ骨の固着前後でのキヌタ骨およびツチ骨の可動性を計測した。
 図9(a)にアブミ骨固着前後でのキヌタ骨の変位一荷重の関係を示す。各場合とも、変位の増加とともに荷重は非線形的に増加した。アブミ骨が固着した場合の曲線の勾配は正常の場合よりも大きく、アブミ骨単体での計測と同様な傾向を示した。
図9(b)にアブミ骨固着前後でのツチ骨の変位一荷重の関係を示す。変位が23?m以下の小さな変位領域では、荷重は変位に対し線形的に増加したが、大きな変位領域では非線形であった。また、小さな変位領域では、固着前後での曲線の勾配はほぼ同じであった。一方で、大きな変位領域では固着後の方が勾配が大きくなった。
4.考察
4.1ヒトでの結果とウサギとモルモットでの結果との比較
 まだ、ヒトの計測例が少ないため、断定は出来ないが、図8に示したように、アブミ骨の可動性、すなわち曲線の勾配は、ヒトとウサギでほぼ等しかった。対照的に、ヒトのアブミ骨の可動性はモルモットのものよりも小さいことが推定された。実際、経験豊富な医師がピックを用いて直接アブミ骨を押すことによって得た見解も、ヒトとウサギのアブミ骨の可動性はほぼ同じであり,客観的な計測から得られた我々の結果は、経験豊富な医師の認識と一致した。ただし、ヒトの計測では、耳小骨をアブミ骨の底板に垂直な方向に押すのは難しく、実験動物での計測とは、耳小骨変位の方向が異なっているため、単純に比較することは出来ない可能性がある。計測方向の違いが計測結果に及ぼす影響については、今後、明らかにしていかなければならない課題である。
4.2臨床応用
 臨床使用においては、アブミ骨を直接押し動かすことが不可能な場合もある。図9(a)、(b)の計測結果は、キヌタ骨やツチ骨を押すことによるアブミ骨固着診断の可能性を示している。キヌタ骨で可動1生を計測した場合は、小さな変位領域におけるアブミ骨固着状態の変位一荷重曲線の勾配は正常なものよりも大きく、正常なものから固着したアブミ骨を分けることができる可能性がある。ツチ骨で可動性を計測した場合は、大きな変位領域におけるアブミ骨固着状態の変位一荷重曲線の勾配は正常なものよりも大きく、アブミ骨固着の診断が同様に可能である。
5.まとめ
 本研究で新たに開発した耳小骨可動性計測システムを用い、ヒトとモルモットの耳小骨可動性を計測した。その結果、以下の知見が得られた。
1.ヒトのアブミ骨の可動性はウサギのものとほぼ同じで、モルモットよりも低い。
2.アブミ骨固着前後で、キヌタ骨やツチ骨の可動性の違いは明らかに区別できた。そのため,本研究で開発した新しい装置は直接アブミ骨を押すだけでなく、他の耳小骨を押すことでもアブミ骨固着の診断に有用である。
 今後は、ヒトの計測例を増やし、耳小骨可動性と聴力の関係を明らかにし、本システムを診断と治療に応用していきたいと考えている。