2001年[ 技術開発研究助成 ] 成果報告 : 年報第15号

マイクロチャネル微小血管モデルのマイクロマシーニングと血球細胞の変形・凝集能の画像解析システムに関する研究

研究責任者

南谷 晴之

所属:慶応義塾大学 理工学部 物理情報工学科 教授

概要

1.はじめに
血液を循環させる血管系のうち、顕微鏡レベルの血液循環系は微小循環と呼ばれ、細動脈や細静脈などで構成され、その最小単位が毛細血管である。この循環系を流動し酸素代謝を担うのが赤血球であるが、赤血球の直径は約Bumであり、変形しないと毛細血管を通過しえない関係にある。赤血球の変形・凝集能は毛細血管レベルの血流動態を左右する重要な因子であり、組織への酸素放出に大きな影響を与えるとともに血管傷害にも深く関わる。一方、血小板は直径数μmの小さな血球細胞であり、止血作用を主な役割として偽足の形成、血管損傷部位への粘着・凝集、作用物質の放出、凝固充進、血栓形成などに関与している。
本研究では、赤血球と血小板が微小血管内で示す挙動を直視し、その動態を解明するためにマイクロチャネル微小血管モデルと血流動態可視化用の画像解析システムを構築した。構築したシステムを用いて、血球細胞が低ずり応力下でどのような変形、凝集、粘着、等を行うか、細胞を覆う膜タンパクや膜脂質層の組成と変性によってそれらの力学・化学作用がいかに変化するか、また血中化学成分と血小板血栓形成過程の関係など、赤血球及び血小板の生理機能と血流動態に与える諸因子の関係を明らかにした。本報告では、赤血球と血小板の変形・凝集特性の解析結果について、また病態として糖尿病を対象に健常コントロール群との対照実験結果について述べる。なお、in vivo系ではラットの微小循環を対象に、in vitro系ではヒトおよびラット採取血を本研究で新規に開発したマイクロチャネル微小血管モデルに流動させた状態で行った。
2.マイクロチャネル微小血管モデルのマイクロマシーニング
半導体微細加工技術を利用して、微小で精巧なアクチュエータやセンサを作製する試みは、マイクロマシンあるいはマイクロメカニクスとして広く知られている。従来までに、シリコン基板にプラズマエッチング法で小孔を開けてミリポアフィルタ状にしたものや多数の溝状のマイクロチャネルを成形したものなどが開発されD、3)、これに血液を流し、赤血球の流動変形能を測定している例がみられる。しかし、シリコン基板のものでは、流路を流れる血球細胞の可視化は不可能で赤血球自体の変形状態を解析することができず、流路の流入出端の圧力差、流出量と流出時間を測定してサンプル全体のレオロジカルな特性を議論しているに過ぎなかった。
本研究では、今まで困難であったクリスタルガラス基板表面にドライエッチング加工を施し、幅4~20,um、深さ5~10um、長さ50~200μm、チャネル数が20~50本のマイクロチャネル微小血管モデルを成形した。ドライエッチングは深さ方向のみの異方性エッチングが可能、平面的にはパターンの寸法通りの微細加工が可能で、また種々のデザインのものをリソグラフィーにより加工できる。図1は、クリスタルガラス基板上に成形された直線状マイクロチャネル微小血管モデルである。このガラス基板マイクロチャネルをカバーグラスで覆い、アクリル・アルミ筐体ホルダー内に設置・密閉し、接続したシリコンチューブを介して、遠沈分離した赤血球浮遊液を静水圧(10~30cmH20)をかけてチャネル内に流動させる。赤血球浮遊液は、このチャネルを図2のように流れるが、チャネル幅が狭いので赤血球は変形して流路を通過する。静水圧の増加にともないチャネル内の流速は増加する。このホルダーを顕微鏡鏡筒下に置き、適切倍率で個々の細胞を観測するとともに以下の撮像系にてイメージングを行うことができる。従来、血球細胞の変形能や透過性を測定する装置には膜フィルタやガラスピペット法があるが、再使用が不可能であること、一方、シリコン・マイクロマシン・フローチャネルではチャネル中の細胞の挙動が可視化できないなどの問題点があった。いずれの場合も血球の通過孔とその周辺で細胞がトラップされる(詰まる)可能性が高く、正確な特性を測定できない場合がある。本システムではそのような問題点が皆無であることが最大の特長である。
3.血球細胞の動態解析用撮像システム及び画像処理システムの構築
細動脈、細静脈内の血流状態やマイクロチャネル微小血管モデル内の血球細胞の挙動を可視化する撮像システムとその取得画像から流速や形態変化を解析する画像処理システムの構築を行った。赤血球など血球細胞をミクロレベルで可視化するためには、200~500倍(対物レンズ40~100倍)程度の高倍率での観察が必要である。しかし、高倍率の顕微鏡視野内では、標準ビデオレートの30フレーム/秒の撮像では血球単体の動きが確認できない。そこで高感度・高速度ビデオシステムを用いて、個々の血球細胞を識別できる1000フレーム/秒で撮像した。取得画像は512x512画素のイメージサイズでフレーム毎に2000フレームまで画像メモリに記憶される。録画画像を1133の低速で再生し、標準ビデオレートのVTRに再録画した。これは、高速度ビデオの1フレーム(111000秒)が標準ビデオの1フレーム(1/30秒)に対応することになる。したがって、赤血球などの有形成分による血液の濃淡パターンが明瞭に撮像でき、局所的な血流速度を算出することが可能となった。本システムの特徴は、測定の自動化であり、各フレーム画像の前処理、対象となる血球細胞の移動量の算出、ビデオ画像のフレーム送りなどの一連の作業を自動的に行えるようにしてある。従来、オフラインで多大な解析時間を必要としていたものが、1110以下の処理時間で終えることが可能となった。解析用コンピュータに512x512画素、256階調に量子化した連続フレーム画像を2枚取り込み、ノイズ処理、平滑化などの前処理によって画像鮮明化を行い、つぎの演算処理を行った。図2に示すようなパラシュート状に変形しながら流動する赤血球に対して、移動速度の算出には独自に開発した画像相関法を適用した。すなわち、2枚の画像濃淡パターンの2次元相互相関関数を算出し、相関値最大の移動部位を求め、対象物体の移動量を算出するものである。この移動量を2枚の画像のフレーム間隔(時間)で除すれば、移動速度が求まる。また、細胞の変形状態についてはフレーム毎に各々定義した幾何学量に基づき変形能を算出する。赤血球細胞については、パラシュート状に変形した細胞の変形指数(Deformation Index :DI)を求め、赤血球変形能を定量化した。
4.赤血球の変形能と局所弾性特性の測定
糖尿病と高脂血症を対象にヒト及びラットの赤血球変形能の低下因子を力学的特性、生化学的特性から分析するとともに数種の薬理効果を健常例をControl群として比較検討した。本報告では紙面の都合上、糖尿病に関する結果のみを示す。図3は、ヒト健常群と糖尿病群の赤血球の変形指数と流速の関係を示したものである。糖尿病(DM)群の血糖値は、242.2±43.8mg!dl、Control群の血糖値は140.6±21.3mg!dlである。両者とも低ずり速度(低流速)では急激に変形能が増加する傾向がみられ、中ずり速度ではさらに変形能が増加するが、変形の度合は少なくなり、高ずり速度では変形特性の飽和傾向がみられた。糖尿病赤血球は健常例に比べて変形能が小さく、中ずり速度から変形飽和特性を示し、とくに高ずり速度では大幅に低下している。細胞膜の弾性変化から変形しにくくなっているものと考えられる。血色素と血中のブドウ糖が結合したglycosylated hemoglobin(HbAlc)は、約120日の赤血球寿命内の平均的な血糖値を反映する1つの重要な指標(正常値は6%以下)であり、糖尿病においては健常者に比べてHbAlcの増加が認められる。図4は流速2.5mm!s以上の赤血球変形能とHbAlcの関係を示したものであり、糖尿病群であるHbAlcが6.4%以上の変形能は有意に低下する傾向が認められた。また、図5は同様に糖尿病患者の赤血球内ソルビトール濃度と変形能の関係およびHbAlcと変形能の関係を示したものであり、両者ともその濃度の増加にともなって変形能が低下している。糖尿病赤血球変形能に対する薬理効果を調べた結果、糖尿病群にアルドース還元酵素阻害剤(ARI)を投与すると変形能は上昇し、健常値に近づく。これは、ARIが赤血球内へのソルビトール蓄積を抑制することによるものであり、逆に変形能低下が赤血球膜の硬化のみならず赤血球内の代謝変化によっておこることを示唆している。
これらの結果を踏まえて原子間力顕微鏡を用いて赤血球のミクロな弾性特性を解析した。原子間力顕微鏡は、カンチレバーの先端に付けた微小プローブ(探針)が対象表面の原子、分子に近接してこの間(1nm程度)に働くファンデルワールスカによるカンチレバーの擁みから表面性状を観測する装置である4)。本研究では、生物用にカンチレバーのバネ定数を柔らくし、溶液中に浸しても使用できるプローブを導入した。ヒトまたはラットの採取血から分離した赤血球をプラスチックディッシュ(dish)に入れ、PBS緩衝液中に静置して生理状態に保った。その細胞表面にプローブを近接させ、さらに法線方向に押し込むことにより、カンチレバーの擁みから求まる細胞膜の反力とプローブの変位量から、いわゆるフォースカーブが得られる。本システムの変位検出分解能は0.lnm、フォース検出分解能は0.8pNである。図6は赤血球のミクロ弾性を表すフォースカーブを示したものである。図には、dish底面の硬さを表したもの、健常赤血球(Control)、健常赤血球をグルタールアルデヒドで硬化させたもの(GA)および糖尿病赤血球(DM)のフォースカーブを示した。フォースカーブの傾きが急峻であるほど対象が硬いことを表す。これらのフォースカーブからHookeの法則およびHertzモデルを用いて算出した赤血球中心部のバネ定数とヤング率をまとめたのが図7である。GA硬化赤血球は正常赤血球に比べて明らかに硬くなっており、バネ定数、ヤング率とも高値を示す。また、糖尿病赤血球の弾性も正常Control群に比べて有意に高値を示した。糖尿病においては赤血球の細胞膜の糖化変性により膜弾性の低下が起こり、また浸透圧抵抗性を示して細胞内粘度が上昇するとともに流動性が低下し、その結果、赤血球そのものが変形しにくく硬くなり、変形能が低下するものと考えられる。
以上のように、糖尿病では健常群に比べて赤血球変形能が血流ずり速度の増加とともに有意に低下するが、それは血中の糖濃度に関連するHbAlcおよび赤血球内ソルビトールの増加と相関している。また、原子問力顕微鏡で測定された赤血球のミクロ弾性の結果からも細胞膜の糖化変性によるヤング率の増加すなわち硬くなることが確認された。このため、硬く変形しにくくなった赤血球が血管壁の損傷を促進する可能性が大である。
5.血小板の凝集・粘着能の測定と血栓形成の薬理的制御
赤血球変形能の低下と弾性変化(硬化)は、微小血管内で高ずり応力を発生させ、血管壁の損傷を誘発する可能性が高く、それにともない血小板の粘着・凝集の促進と血小板血栓・血管閉塞への発展が考えられる。とくに糖尿病においては、微小循環レベルの細小血管症(microangiopathy)の発生頻度が高く、その軽減は臨床上の大きな課題である。
本研究では、血小板の凝集、粘着、血栓形成が健常Control群に比べて糖尿病群で容易に起こることを糖尿病ラットのin vivo実験によって明らかにした。実験では光感受性物質とレーザ光の光化学反応で発生する活性酸素による急性の血栓形成法を導入し5)6)、各種ずり速度下における血小板の変形流動、血管内皮損傷部位への粘着・凝集、血栓形成のプロセスを可視化し、その程度を数値的に評価した。また、血小板血栓に関わる活性酸素種の影響と血栓抑制に関わる薬理効果を検証した。光感受性物質のポルフィリン誘導体ZnCPⅢまたはポトフィリンをWistar系雄性ラットの尾静脈より投与し、対物レンズを通して励起光を対象組織の微小血管(腸間膜の細動脈と細静脈)に照射した。励起光源にはZnCPⅢ用にQ-switchedNd:YAG-SHパルスレーザー(532nm)を、ポトフィリン用に水銀ランプG励起連続光(540nm)を用いた。照射部位の血流動態をビデオカメラで撮像し、血小板粘着・血栓形成による血管閉塞部の面積、血管径の経時変化、血管閉塞時間などを画像解析から求めた。
図8は血小板粘着に始まり、血栓成長、血管閉塞に至る過程をラット腸問膜の微小血管で観測したものである。励起光の照射開始時間を起点にして血小板粘着開始時間(Ti)、血栓成長時間(To-Ti)、血管閉塞時間(To)を血栓形成の一次評価指標とした。Tiは血管内皮傷害と血小板粘着能の活性化を反映する指標、To-Tiは血小板粘着と血小板凝集能および凝固系の活性化を反映する指標、Toは血小板凝集により血栓が進行し血管が完全に閉塞するまでの指標を表す。図9は励起光強度に対するそれぞれの指標の関係を示したものである。
健常Control群では、光照射開始より30秒~4分(Ti)で血小板粘着が始まり、血栓成長時間(To-Ti)として1~15分の経過がみられ、2~20分で完全に血管閉塞に至る。照射エネルギーを高めると各指標の時間は同様に短くなることがわかる。血流速度と血小板粘着および血管閉塞時間の関系には正の相関がみられる、すなわち、微小血管内の壁ずり速度が大きくなると血小板の粘着は容易でなく、血小板凝集から血栓形成に至る時間が延長する。静脈系の由L管に比べ、動脈系の血管ではずり速度が速いために血栓開始・成長時間ならびに血管閉塞時間ともに有意に延長する結果が得られた。光感受性物質の投与濃度を増加すると明らかに濃度依存的にいずれの指標も有意に時間の短縮が認められた。光感受性物質の投与と光照射を行わない群、光感受性物質投与のみの毒性検討群、光照射のみによる光エネルギー検討群では、血小板粘着・凝集、血栓成長、血管閉塞はほとんど見られず、光感受性物質の毒性も問題にならなかった。一方、糖尿病群では、図9に示したように血小板粘着開始時間は光照射から20秒~2分、血栓成長時間は1~7分、血管閉塞時間は1分30秒~9分であり、血栓形成が健常Control群に比べて著しく速く起こることがわかる。光感受性物質の濃度、照射光エネルギー、血流速度とも健常Control群と同等であることから、血小板粘着・凝集が速く、血栓成長が急激で、血管閉塞が早期に起こることは糖尿病による易血栓性を示したものとして注目される。光化学反応で産生される活性酸素による血管内皮傷害とともに血小板膜破壊・脱穎粒・作用物質の放出が促進され、これに続いてカスケード的に血小板粘着能の充進、凝固系の促進、血栓成長、血管閉塞へ至る活性化メカニズムが働いており、とくに糖尿病微小循環では血流遮断が早期に起こるものと考えられる。
発生する活性酸素は主に102(一重項酸素)であるが、この一重項酸素は反応性が高いことから、血中で白血球などと反応して他の活性酸素を生成している。他の活性酸素種は、02-、H202、OHなどである。これらの活性酸素が血栓形成・血管閉塞に与える影響をそれぞれの活性酸素消去剤(スカベンジャー)を用いて検討した。スカベンジャーとして102に対してL一ヒスチジン50mg/kgを、02一に対してSOD(スーパーオキシドジスムターゼ)3mg!kgを、H202に対してカタラーゼ3mg/kgを、OHに対してDMSO(ジメチルスホキシド)1ml/kgを別々に投与した。いずれの場合も血小板粘着開始時間(Ti)、血栓成長時間(To-Ti)、血管閉塞時間(To)を求め、スカベンジャー非適用群と比較検討した結果、各スカベンジャーの投与によって細動脈、細静脈とも血小板粘着・血栓形成の開始と成長そして血管閉塞時間が有意に延長し、4種の活性酸素すべてが血流遮断に影響を与えることが明らかになった。また、活性酸素の血栓形成への関与の度合いは、102≧oz-≧H202=OHであることがわかった。102および02一は血管内皮細胞に傷害を与えて血小板粘着能を上昇させ、血小板血栓の成長を促しているものと考えられ、H202およびOHは血管内皮細胞と血小板の両者に作用し、血小板の粘着・凝集と血栓成長に関与しているものと考えられる。
6.まとめ
本研究では、血液細胞の赤血球と血小板の機能解析に焦点をあて、細胞の変形・凝集能を画像解析するためにマイクロマシーニングによるマイクロチャネル微小血管モデルと血球細胞の変形・凝集能の画像解析システムの構築を行った。あわせて原子間力顕微鏡を用いた赤血球のミクロ弾性測定と光化学反応で誘起される血小板血栓形成過程の画像解析を行った。構築したシステムを用いて、血球細胞が低ずり応力下でどのような変形、凝集、粘着、等を行い、微小循環レベルの血流動態にどのような影響を与えるか、細胞を覆う膜タンパクや膜脂質層の組成と変性によってそれらの力学・化学作用がいかに変化するか、とくに糖尿病疾患において血中化学成分や細胞膜の局所粘弾性とこれらの関係や血管内皮傷害と血小板血栓形成過程の解析など、赤血球及び血小板の生理機能と血流動態に与える諸因子の関係を定量的に明らかにした。
本報告では、糖尿病と健常例の比較検討を主体にして研究成果を述べたが、紙面の都合上、マイクロチャネルへの内皮細胞培養モデル、血液性状や血球構造物質の生化学的分析結果、赤血球の酸素・物質代謝の定量解析結果、糖尿病における易血栓性の諸因子の分析と薬理制御の結果などについては言及できなかった。今後の研究成果の蓄積をもって新たに報告する機会を持ちたい。