2016年[ 中谷賞 ] : 年報第30号

フレキシブルエレクトロニクス技術を用いた生体計測システムの開発

研究責任者

関谷 毅

所属:大阪大学 産業科学研究所 第1研究部門 情報・量子科学系先進電子デバイス研究分野 教授

概要

1.概要、研究背景

モノとモノがワイヤレスに繋がり連携し、新たな価値を生み出す“Internet of Things(IoT)時代”が幕を開けた。工場内に様々なセンサを取り 付けたり、生産、製造ラインにおいて無数のセン サを用いて工場全体を管理し、モノづくりを最適化する取り組みとして、ドイツの産学官が進めている Industry4.0 が有名であるが、日本国内にお いてもその取り組みが精力的に行われている。センサ技術により“実空間の情報”を取得し、情報をアルゴリズム化することにより可視化し、実空間へフィードバックすることで最適化する取り 組みは Cyber-Physical Systems(CPS)とも称され注目されている(図1)。いうまでもなく我々 が生活する実空間は、大面積、かつ複雑な形状を 有することから、ケイ素で形成され既存の Si-LSI をベースとしたセンサだけでは十分な実空間情 報が得られていない。実空間における情報の中で、 とりわけ重要とされているのが「人の状態」計測 である。すなわち生体から得られる情報をいかに正確に取得し、活用するかが真の IoT の目的であるといえる。近年、国内外の多くの研究者がウェ アラブルエレクトロニクスの実現を目指して、その取り組みを加速させている。代表例は、時計型

 

(注:図1/PDFに記載)

図1 IoT、CPS の概念図。サイバー空間と実空間がシームレスにつながり、実社会が最適化されていくと考えられている

 

の心拍センサ、加速度センサ、血圧計である。さらに眼鏡型のウェアラブルコンピューターなどがある。時計やメガネは“硬いもの”ではあるが、古くから人が身に着けてきた“ウェアラブルなもの”であり、これを中心としたウェアラブル端末が現在の主流といえる。さらに、近年では胸に直接貼り付けて日常の心拍などを計測する取り組み、ヘッドギアを取り付けることで脳波を計測する取り組みも始まっており、医療の分野からエンターテイメントまで、幅広い分野での波及効果が

(注:図2/PDFに記載)図2 ウェアラブルエレクトロニクスの将来展開を示す概念図

(注:図3/PDFに記載)図3 センサを真に社会実装するために求められている要素技術

期待されている。その一方で、ウェアラブル端末は日常生活にはいまだ浸透しきれていない。この理由は様々に議論されているが、主には以下の理由が挙げられている。

 

1. 装着時の装着感、違和感が生じること

2. 人には個体差があるため、正確な位置へ、センサを取り付けることが求められていること

3. 活動時に、センサの位置がずれること

 

上記三つの理由により、現状のウェアラブルセンサは、健康意識が強くかつ健康な人を対象とした計測に限定されている(第1世代ウェアラブルセンサ)。計測精度、ヒトの個体差から医療への展開が妨げられてきた。健康であるがとりわけ健康意識が高くない層が極めて多いため、この層に波及させる取り組みが重要である(第2世代ウェアラブルセンサ)。さらには、健康を損ね、通院もしくは入院を必要とする層へ波及させる取り組みも重要となる(第3世代ウェアラブルセンサ)。図2にその概念図を示す。

本研究では、柔軟なエレクトロニクス技術を用いて、違和感なく人の肌に貼り付けられる柔らかいウェアラブル生体計測センサの開発を行ってきた。一点のセンサノードではなく、柔軟な大面積シートに多数のセンサノードを配置することで、計測対象全体を覆い、個体差の問題、位置ずれの問題を同時に克服することに成功した。具体的な開発とその応用ついて本稿で紹介したい。

 

2.研究成果

柔軟な生体計測センサおよびその情報を外部PC などへ送り出すためには、図3に示す通り、5 つの要素技術が必要となる。

・「柔軟な生体適合性電極、各種センサ材料」

・「信号増幅アンプ」

・「Si-LSI プラットフォーム(AD 変換器、信号処理回路:CPU)、電源調整回路、無線モジュール」の総称)」

・「薄膜小型電池」

・「情報処理技術」

これらの要素技術を統合化し、システム化することで、センサは意味ある情報を実空間へと送り出すことができる。すなわち、この 5 つの要素技術の同時開発と、システム統合化を行う取り組みが必要となる。以下に個々の要素技術について紹介し、その後にシステム統合化による生体計測例を紹介する。

生体計測用柔軟電極

人の肌は、およそ 100kPa の弾性率を有する。すなわち、この肌に違和感なく、装着感なく装着する材料としてはこれよりも弾性率が低い

(注:図4/PDFに記載)図4 伸縮自在な生体用電極

Ag ナノワイヤーとゴムの複合材料により高い導電性と高い柔軟性を両立させることに成功した

 

極めて柔軟な素材、例えばゲルやゴムが好ましい。電極材料として知られている金属やプラステッ クなどは数 MPa~数 GPa の弾性率を持つため、新たな柔軟電極の開発が必須である。

我々のグループでは、導電性ナノ材料を異種の 材料へ均一分散させる技術を世界に先駆けて開発し、ゴムのように伸びて、金属のように電気を 流す“伸縮導体”の開発に成功している[1,2,3]。 この独自技術を応用し、本研究では、ポリウレタ ンゴムもしくはハイドロゲルの中に導電性ナノ材料である Ag ナノワイヤーを均一分散される技術を開発し、これにより高い導電率(10,000S/cm 以上)と柔軟性(伸縮率 100%以上) が両立した電極の開発に成功した。図4に示す通 り 100%以上引き延ばしても電気的、機械的特性が保たれる。すなわちヒトの活動時にも肌の動き に追従できる柔らかさを有する。ISOISO10993-5 およびISO10993-6 といった国際標準にのっとり、細胞毒性試験、生体への埋め込み試験を実施し、毒性がなく、生体の炎症反応も極めて小さいこと を確認することができた。

 

フレキシブル信号増幅回路

生体電気信号は極めて微弱なため、それを計測する生体センサには大きな信号・ノイズ比(Signal-to-Noize Ratio:SNR)が求められている。さらに高感度の一点センサではなく、多点の”面”センサにより広い範囲にわたって生体情報の計測を行い、マッピングにより可視化することは、ノイズに強く、かつ微細な生体情報が得られるという観点から重要である。しかしながら、面センサの場合には、硬い基板上に作製されると生体への物理的な密着、表面追従が困難になる。実際に「既存技術(硬いシリコンテクノロジ)」による多点センサでは、柔らかい電極が生体組織に触れているものの、それに付随する信号増幅器「アンプ」は硬いため、組織に直接展開することはできない。結果的に、生体組織とアンプの間には長いケーブルを必要とし、この間の信号混線により多チャンネル化が難しい。実際に Brain-MachineInterface(BMI)の開発において、多チャンネル 化が容易でないのはこの理由によるところが大 きい。すなわち、大面積かつ柔らかを兼ね備えた アンプ搭載型の“面”センサの開発が必要になる。我々のグループでは、これまでに世界で最も柔軟な薄膜トランジスタ素子とその集積化を実現してきた[4-8]。この技術を用いて 1mm 径の医療用カテーテル表面に巻き付けられる薄膜フレキシブル圧力分布センサを実現している[4-6]。さらに有機薄膜トランジスタ集積化技術を用いて接触センサ[7]や信号増幅アンプ[8]を作製し、これを用いて微弱な生体信号を、生体表面において即座に増幅し、高い品質の生体信号を獲得することに成功している。

 

(注:図5/PDFに記載)図5 有機半導体技術を用いて作製した薄膜の生体信号増幅アンプ

 

この技術を融合し、本研究では、低温において作製することができる「有機材料を主材料とした薄膜トランジスタ技術」を用いて、1マイクロメートルという極薄膜高分子フィルム上に大面積かつ生体に負担の少ない「柔らかさと高SNRを併せ持つ生体“面”センサ」を実現することができた(図5)。

 

(注:図6/PDFに記載)図6 様々なフレキシブル薄膜トランジスタの性能比較図

 

有機半導体を用いた柔軟な半導体は記述の通り、「柔らかさ、薄さ」が特徴である。その一方、従来の Si 半導体トランジスタの移動度と比べて、3~4 桁ほど低く、移動度としてはおよそ 1 cm2/Vs 程度である(図6)。この本質的な移動度の低さは、トランジスタの応答速度に影響し、本研究で用いた有機薄膜トランジスタの周波数応答は 50kHz 程度であった。この周波数応答では、高速動作が必要な CPU などを作製することは現実的でない。その一方で、生体より発せられる「生体電位」の周波数は、脳波で通常 200Hz、心電でおよそ200Hz、筋電でおよそ1kHz 程度である(図7)。すなわち、有機薄膜トランジスタの遅い周波数応答であっても、生体信号は十分に計測可能であることがわかる。柔らかいため、拍動中の心臓表面に適応し、心筋梗塞部位をモニタリングすることに成功しており、新しい医療用機器としての可能性を示すことができた。

(注:図7/PDFに記載)図7 生体信号の周波数成分を示す図

おおよその生体信号は 1kHz 以内に収まる

 

Si-LSI プラットフォーム

多チャンネルセンサで計測した実空間の情報はアナログ情報であり、かつ膨大な量となる。これらのアナログ情報を処理し、外部機器などで分析を行うためには、「1.アナログ・デジタル変換器(AD  Converter)、2.情報を処理するための中央演算モジュール(CPU)、3.情報を外部へと転送するためのワイヤレスモジュール、4.これらのモジュールを動作させるための電源調整回路」が必要となり、これらを一枚の基板に乗せたシステムを“Si-LSI プラットフォーム”と総称する。

本研究では、独自に開発した各モジュールを厚み100 ミクロン以下のプラスティックフィルム上に集積化し、システムとして作り上げることに成功した。ノイズをキャンセリングする回路上の工夫によりシステムとしてのノイズレベルを1マイクロボルト以下に抑えることに成功した。

 

薄膜電池

上記の回路を動作させるための電源として、厚 み 0.5 mm、大きさ 4 cm×4 cm の薄膜 Li イオン 電池を開発した。本電池はおよそ 200 mAh の容量、20 mA の電流、3.75 V の放電電圧を有しており、今回開発した薄膜アンプおよび SI-LSI プラットフォームを動作させるには十分な性能を 有している。Si-LSI プラットフォームにおいては、とりわけワイヤレスモジュールが 10 mA 程度の大きな電流量を必要とする。そこで、本研究では、電池内の内部抵抗を下げる電極構造の最適化を行い、この電流量を確保できるようにした。本電池を用いることで、10 時間程度の連続計測が可能であることを確認した。

 

情報処理技術

本研究の最大の特徴は、計測デバイスの開発に とどまらず、情報処理技術を用いた包括的な取り 組みである。実際に、多チャンネルにより得られる膨大な生体情報を、周波数解析により分類し、アルゴリズム化することで、意味ある情報を抽出 するプロセスを開発した。センサより得られる実空間の情報を、アルゴリズムを用いることにより、再び実空間において価値を持つ形でフィードバ ックさせる「Cyber 空間」と「Physical 空間」の融合研究の基盤技術と、その実証を行うことがで きた。デバイスから情報処理までのデータのフロ ーチャートを図8に示した。

上記の 5 要素をシステム統合化することで得られた生体情報の具体的事例を以下に示す。

(注:図8/PDFに記載)図8 生体計測に関するフローチャート

生体計測のみならず、取得したデータのアルゴリズム化が極めて重要である。

 

生体計測例

・脳波計測

アルツハイマー病やパーキンソン病、うつ病を含む精神病、小児発達障害など脳機能障害による疾病は極めて多い。その一方で、脳活動、すなわちニューロンの活動は極めて微弱であり、脳波は 数マイクロボルト程度である。そのため、正確な 計測には大型増幅器を搭載した医療機器を必要 とした。近年では脳波計測の重要性が認知され、かつアンプ技術などの向上により、頭へ装着でき る脳波センサの開発が進められている。そのほと んどはヘッドギアタイプで、筋肉の無い、すなわ ち筋電の発生しない頭頂部において、毛髪をかき 分ける櫛形の電極構造を用いている。この場合、筋電に邪魔されることなく脳波が計測できるこ とが知られているが、櫛形電極が頭皮にあたる時 間が長くなると装着感や、頭痛が伴うことが課題 である。医療機関では、櫛形電極ではなく、電極 と頭皮の間に導電性ゲルを注入することで脳波 の計測を行っている。しかしながら、計測後には、導電ゲルを洗い流す作業が必要であることから、患者には大きな負担を強いることになる。すなわ ち気軽に脳波を計測する技術が存在しなかった。そこで本研究では、柔軟な電極および薄膜回路技術等、著者の技術を結集して、パッチ式の脳波センサを開発することに成功した。図9にその写真を示す。見た目には「熱を下げるためのシート」に見えるが、ゲル表面には 8 チャンネルの柔軟電極(差動読み出しのため電極は 16 個)を配置した脳波計測システムである。おでこに貼り付けるだけで、多チャンネルにて脳波を計測し、その情報をリアルタイムで外部パソコンへ転送することができる。脳波計測用医療機器と本研究で開発したパッチ式脳波計測シートを同時に用いて、脳波を計測したところ、全く同じ精度で計測できることを確認した。家庭内で気軽に脳活動を計測できることから、将来的には家庭内における認知症の傾向観察、睡眠時無呼吸症候群の計測、要介護者の状態観察、小児発達の早期発見など、その用途は幅広いと考えられる。

 

・心電計測

心臓は筋肉の塊であり、常に動き続ける。その一方で、虚血や心肥大による心筋梗塞など心臓に関わる疾病は少なくない。動きの弱った心臓部位を切除することで、その動きを取り戻す術式があるが、どの部位の活動が弱っているのか判断することは容易でない。経験を積んだ医師は、心臓の動き、色などから切除すべき部位を判断すること ができるが、多くの場合においては判断が難しい。 本研究では、柔軟で柔らかいシート型生体電位計測システムにより、心臓全体を覆い、発生電位が少ない、すなわち活動が衰えた部位を特定することができる。実際に、ラットおよび大型動物(ブタ)の手術中の心臓に開発したシート型生体電位計測システムを展開し、虚血部位の特定をするこ

(注:図9/PDFに記載)図9 パッチ式の脳波計測シートの写真

とに成功した。

従来の硬い電位センサでは、鼓動時の心臓に押し当てるだけで心臓への負担が生じることが知られていたが、本研究で開発したシート型生体電位計測システムにおいては本質的な柔軟性を活かして、その課題を克服することができた。加えて、計測終了後には、使い捨てできるため、有機デバイスの懸案事項である「寿命」の問題を気にする必要がない点も重要である。有機フレキシブルセンサの、大面積性、柔軟性、そして使い捨て可能という利点を十分に活用した新しい医療機器として注目されている。

 

・筋電計測

筋肉の躍動は大きな電位(筋電)を生み出す。

発生周波数帯域は 1kHz 程度におよび、生体信号としては早い部類になる。数マイクロボルト程度しかない脳波などを計測する際には、筋電はノイズとなるが、逆位相アルゴリズムや周波数によるバンドパスフィルターなどを用いて除去することが多い。その一方で、筋電は、義足や義手を高度に制御するために極めて重要な生体信号である。また、意味ある体の動きは筋肉の動きであり、この筋電を用いてエレクトロニクスを制御する新しい“ヒューマンマシンインターフェース”としての用途が期待されている。また、トップアスリートの動作などを定量的な指標として抽出する用途にも期待が集まっている。

上記の通り、生体の活動により発生する“生体電位の変化”により現れる生体信号を脳波、心電、筋電を代表例として紹介した。また、生体電位にとどまらず、圧力、温度、歪み、pH、振動などの物理量センサも次世代の医療用デバイスを創出するうえで欠かせない。

(注:図10/PDFに記載)図10 圧電フィルムと信号増幅回路を集積化した薄膜圧力センサ

 

筆者らのグループでは、圧力や歪みがかかると電圧が発生する圧電ポリマー(ポリビニリデン・ジフルオライド)の薄膜シートと薄膜信号増幅回路を集積化することで、薄膜の圧力センサシートを開発しているので、これを代表例として紹介する。

 

・薄膜圧力センサのカテーテル表面への実装

圧電フィルムと薄膜信号増幅回路を集積化することでフレキシブルな圧力センサシートの作製に成功した。図 10 にその写真を示した。このセンサの柔軟性、薄膜性を利用し、直径 1mm の医療用カテーテル表面にらせん状に実装した。図10 の上図に示す通り、圧電フィルム単体で表面に圧力を印加した場合に、およそ 1 ミリボルトの電圧を発生させることができる。この圧電シートと上述した薄膜の信号増幅回路を集積化することで、出力電圧を 545 ミリボルトまで増幅することができた(図 10 の下図)。

このように電圧発生を伴う機能性フィルムと薄膜信号増幅回路を集積化することで、さまざまな薄膜の物理量センサへと展開が可能であることを示した。

 

3.まとめ

有機材料が本質的に持つ「柔軟性」、「大面積性」。

「低コスト性」を利用した新しいシート型医療用センサの基盤技術について紹介してきた。特に、多チャンネルであることを利用すれば、センサの位置ずれや人の個体差など従来のウェアラブルセンサが抱えていた課題を克服できることを示してきた。さらに、多チャンネル化は高感度計測にも貢献できることを見出した。これは、ヒトの肌が持つ温点、痛点などが一点一点は鈍感であっても、多点で差分読み出しする中で、すなわち「面センサによるマッピング」により、極めて高感度センサとなり、結果的に髪の毛一本にも気づけるという「皮膚の多チャンネル面読み出し機能」と同じであることに由来する。体内を含めて生体活動においては、汗、化学成分、温度の揺らぎなどあらゆる雑音を含むため、ウェアラブルセンサに求められている計測精度は、通常の理想的な環境に置かれている実験用計測器とは比較にならないほど難しい環境におかれている。このように計測が困難な生体であっても、柔軟、大面積、多チャンネル、生体表面追従性などを兼ね備えた薄膜フレキシブルセンサであれば計測可能であると考えられる。

(注:図11/PDFに記載)図11 細径カテーテルの表面実装による次世代の医療機器の開発

 

本研究成果は、次世代のヘルスケア、医療、福祉といった課題に取り組む大きな足掛かりとなると確信している。