2012年[ 技術開発研究助成 (開発研究) ] 成果報告 : 年報第26号

フェムト秒レーザーと原子間力顕微鏡の応用による細胞間接着力測定法の開発

研究責任者

萩山 満

所属:東京大学 医科学研究所 人癌病院遺伝子分野 大学院生

近畿大学医学部病理学講座 助教

共同研究者

伊藤 彰彦

所属:近畿大学 医学部 病理学講座  教授

共同研究者

細川 陽一郎

所属:奈良先端科学技術大学院 大学物質創成科学研究科 グリーンバイオナノ研究室 特任准教授

概要

1.はじめに
細胞間相互作用は多細胞生物の生命現象において本幹を成すものであり、その基本的な形態は細胞間接着である。細胞間接着はインテグリン、カドヘリン、あるいは免疫グロブリン・スーパーファミリーに属する様々な接着分子によって媒介される1) ~3)。接着分子を介した細胞間の接着は、例えば上皮細胞においては異物の侵入を防ぐ強固な生体防御装置を形成するし4)、白血球においては血管内皮細胞に接着し、血管外への遊走に関与する5)。また癌細胞が転移する際に、原発腫瘍からの離脱、脈管内への侵入・移動、遠隔組織血管への着床、脈管外への脱出と全ての課程に関与する6)。このように細胞間接着が織り成す生命現象については近年の生命科学の進歩に伴ってその重要性が詳細に明らかにされて来たにも関わらず、細胞間接着の物理的な側面にはほとんど答えて来なかった。その理由は、個々の細胞が非常に小さく(径10 μm 程度)、構造は脆弱であるが細胞間の接着は相当に強固であるため、接着している細胞同士を乖離し、その強さを測定することが困難であったからである。
我々は、顕微鏡下でフェムト秒レーザーを集光したときに発生する衝撃力を利用することにより、1 細胞レベルの細胞間接着力の非接触計測技術を開発した7)。本技術は、細胞間の接着を乖離するために必要なフェムト秒レーザー誘起衝撃力の大きさを原子間力顕微鏡 (AFM) 技術の応用により定量化する方法を考案し、その成功により達成された。フェムト秒レーザー誘起衝撃力の特徴、AFM により衝撃力を定量評価する手法について述べ、細胞間の接着力を評価した例について示す。
2.フェムト秒レーザー誘起衝撃力
近赤外のフェムト秒レーザーパルスを顕微鏡下で水溶液に集光すると、多光子吸収により衝撃波とキャビテーションバブルが発生する8)。この多光子吸収の効率は、パルスが継続する時間内(例えば本研究では150 フェムト秒)におけるパルスエネルギーの瞬間最大強度に従う。従って、フェムト秒レーザーでは、他のレーザー (ピコ秒レーザーやナノ秒レーザー)を使用するよりも遙かに少ないパルスエネルギーで多光子吸収が引き起こせる。さらに、多光子吸収による電子励起状態の生成と緩和を非常に短い時間で起こるため、定常状態でいう熱発生は極限にまで抑制される9)。多光子吸収に追随する衝撃波の伝搬とキャビテーションバブルの生成消滅に伴い、集光点の周囲では応力波が発生する。図1 に、この応力の力学作用を高速カメラ(Photoron FASTCAM-APX RS 250K) により観察した例を示す。ここでは、レーザー集光点の右側に直径20 μm のポリマー微粒子があり、その動きは集光点周辺への応力波の伝搬挙動を反映している。レーザー照射直後 (0 μs)にみられる集光点から広がる黒い円がキャビテーションバブルであり、その膨張と共にポリマー微粒子が集光点から外方向に押されていることが分かる。さらにこのキャビテーションバブルは4 μs 程度の時間で崩壊し、それにより微粒子は引き戻される。この微粒子の大きさは細胞と同程度であり、この実験結果は、フェムト秒レーザーによる過渡的な応力波を1 細胞への衝撃力として作用させられることを示している。ピコ秒やナノ秒レーザーでは、多光子吸収を引き起こすために、水にフェムト秒レーザーよりも大きなパルスエネルギーを持つ光を注入する必要があり、応力波の伝搬領域は大きくなる。つまり、フェムト秒レーザーを用いることによりはじめて、狙い定めた1 細胞のみに衝撃力を付加することが可能となる10)。我々はこれまでに衝撃力を利用することにより、基板から単一細胞を剥離したり、細胞を配列したりすることに成功している11)。
3.原子間力顕微鏡 (AFM) の応用による衝撃力の定量評価
我々はこの衝撃力の強度を定量評価することができれば、この衝撃力を単に基板から単一細胞を引き剥がすためだけではなく、細胞の接着力を細胞レベルで測定するためにも利用できると考えた。一般に溶液中の局所的な衝撃力の測定にはハイドロフォンが用いられるが10)、フェムト秒レーザーによる数10 μm の領域に局在した衝撃力は、ハイドロフォンの測定領域の最小限界を超えているため、その利用は不可能である。そこで、我々はこの衝撃力を測定するための新しい手法として、AFM 技術を応用した局所応力計測システムを考案した。図2A に実験システムの概念図を示す。AFM 探針は細胞培養液中に配置されており、その近傍に対物レンズを通ってフェムト秒レーザーが集光されるようになっている。レーザー照射により集光点で発生した応力波は、AFM探針に衝撃力として作用し、それによって探針は揺らされる。この探針の揺れにより、四分割フォトダイオードへの検出用レーザーの位置が変化する。四分割フォトダイオードの上部と下部の電位差が直接オシロスコープに出力されており、AFM 探針のたわみを電圧差の時間変化として検出することができる。この電位差を校正することにより探針のたわみ量の時間変化を計測する。
図2Bに代表例を示す。対物レンズ (10×、N.A.0.125) を通して170 nJ/pulse のフェムト秒レーザーを集光すると、AFM 探針は衝撃力により数10 nm の範囲で大きくたわみ、つぎに振動を開始した。この振動は水の粘性抵抗により数10 μs で減衰していく。
ここでAFM 探針に加えられる外力をF(t)とすると、探針の運動は、
で表される質点の過渡減衰振動として近似することができる。Y(t) の特殊解はデュアメル積分、
で表せる。外力F(t) がデルタ関数である場合、衝撃力の時間積分である力積F とF(t) の関係は、
となる。2 式に3 式を代入することで、衝撃力による過渡減衰振動を示す式
が得られる。ここで、F、ω、α、k は、それぞれ衝撃力 (力積)、角速度、減衰係数、探針のバネ定数である12)。本実験で使用した探針のバネ定数は44 N/m であり、ω、α、k を変数として4 式により実験結果を最小二乗フィッティングすることで、最初の振幅以外の振動を、ほぼ再現することができた。ω は水中で計測したAFM 探針の共鳴周波数と一致しており、探針が衝撃力により基本振動で自律的に振動していると考えられる。初期振幅が4 式で再現できない理由として、①外力が探針の振動周期 (6 μs) と同程度の時間加わっておりデルタ関数として近似できない。②初期振動には探針の基本振動のみでなく、高次の振動が影響を与えている可能性が考えられる。これらの効果を無視した上記のフィッティングは、①と②の効果を含む初期振幅がその後の振動挙動により外挿できると仮定した近似解と考えることができる。このようにして、AFM 探針により、フェムト秒レーザー誘導衝撃力の大きさを定量評価することができた。
4.細胞間接着力評価
4.1 従来の方法との比較・検討
従来の方法としてよく用いられる細胞凝集アッセイは、外来性に接着分子を発現させた細胞を単一の細胞にして、浮遊させた状態でローターを用いて回転させ、接着分子を介する細胞間接着能をその回転させている間に凝集した細胞の割合で評価する方法である13)。本研究では、フェムト秒レーザー誘導衝撃力によって、細胞凝集アッセイで形成した細胞凝集塊の細胞間接着を乖離する実験を行い、従来の方法である細胞凝集アッセイと比較・検討を行った。
先行研究おいて、我々は細胞凝集アッセイを用いて、cell adhesion molecule-1 (CADM1、別名:TSLC1、Necl-2)の接着能を評価した14)。CADM1は免疫グロブリン・スーパーファミリーに属する細胞間接着分子であり、傍膜貫通領域で選択的スプライシングを受け、4 つのアイソフォーム(a~d)を持つことが報告されている (本研究ではb~d に注目した)。内在性にCADM1 を発現していないマウス繊維芽細胞株NIH3T3 細胞にCADM1 スプライシング・アイソフォームの全長cDNA をそれぞれ遺伝子導入し、外来性に発現させた亜株を作製し実験を行った。
本研究では、細胞凝集アッセイに従って細胞を凝集させ、それをわずかに粘調のある0.35%の寒天培地に包埋し、フェムト秒レーザーを2 細胞から成る細胞凝集塊の接着面の端に集光させた。対物レンズ(10×、N.A.0.125)を通して230 nJ/pulseのレーザーを集光すると、2 細胞から成る細胞凝集塊が乖離するものと乖離しないものが観察された。細胞凝集塊への直接的なレーザーのアブレーションは無視できるほど小さいと推測され、細胞の損傷は考えられない。そこで1 時間で30 組の細胞凝集塊に対してレーザーを照射し、乖離する頻度を算出した。
同じCADM1 アイソフォームを発現している亜株同士を使ったホモフィリックな細胞凝集塊、または異なるアイソフォームを発現しているヘテロフィリックな細胞凝集塊に対して実験を行った。ヘテロフィリックの場合は2 つの細胞のどちらか一方を蛍光色素でラベルし、蛍光イメージングによってヘテロフィリックであることを確認しながら行った。その結果、細胞の乖離する頻度はヘテロフィリックよりもホモフィリックのほうが高いことがわかった。同様の細胞を細胞凝集アッセイに供したところ、全ての組み合わせにおいてヘテロフィリックのほうがホモフィリックよりも凝集した細胞の割合が高く、その割合はレーザー照射によって細胞凝集塊が乖離した頻度と反比例であった。これらの結果から、フェムト秒レーザー誘導衝撃力は、CADM1 アイソフォームを介した細胞間接着力に依存すると考えられた。以上より、接着分子を介した細胞間接着力は細胞を乖離させるのに必要な最小の衝撃力から評価することができる。
4.2 白血球と血管内皮細胞間の接着力評価
次に、生物学的環境下における細胞間接着力を乖離させるのに必要な衝撃力を評価した。血流を流れる白血球と血管壁との相互作用における物理的側面は、ヒト臍帯静脈血管内皮細胞 (HUVEC)単層と白血球細胞株HL-60 細胞との共生培養系とSingle cell force spectroscopy (SCFS)を組み合わせてこれまで研究されている15) ~17)。
本研究では、同様の共生培養系をカバーガラス上に構築し、HUVEC 単層側が下になるようにシリコンのスペーサーをつけたガラスボトム培養ディッシュに置いた。対物レンズ (40×、N.A. 0.9) を通して、接着したHL-60 細胞の側方に35 nJ/pulse のフェムト秒レーザーを集光したとき、HL-60 細胞が集光点 (Of) の反対側におよそ1~3 μm 動いた。この動きはHUVEC 単層上をHL-60細胞がローリングするのではなくスリップするのが観察された。2 回目、3 回目の照射でもHL-60細胞は同様にスリップするのが観察された。AFM によってOf における衝撃力を見積もり、これを基にしてスリップを引き起こすのに必要な衝撃力は2.6~2.8×10-13 N-s であることがわかった。無作為に選択したHL-60 細胞にレーザー照射した場合も同様の評価が得られた。SCFS による実験と照らし合わせて18)、本研究で評価した衝撃力は、HL-60 細胞から伸長しHUVEC 単層に実質的に接着している細胞構造物 (tether) をおよそ3 本分乖離させたことに相当すると考えられた。
4.3 上皮細胞間の接着力評価
次に、接着細胞間に衝撃力を付加し、上皮細胞を乖離させる実験を行った。Madin-Darby canine kidney (MDCK) 上皮細胞株を多孔性のフィルターをもつ培養インサートに播種し、3 日間培養して上皮様極性単層を構築させた。MDCK細胞を培養したフィルターは上記の白血球‐血管内皮細胞の実験と同様にガラスボトム培養ディッシュに置いた。図3に代表的な結果を示す。フィルターから4 μm 離して、細胞がいない領域に対物レンズ(40 × 、N.A. 0.9) を通して20 nJ/pulse のフェムト秒レーザーを集光したとき、興味深いことに、フェムト秒レーザー誘導衝撃力は、細胞の弾性を無視し、岩を割れ目から裂くように、細胞同士を乖離させ、結果として亀裂が観察された。この結果は、従来の方法では細胞同士の接着が強固で、評価が不可能であった細胞間接着に対しても、本手法が適用できる可能性を示すものである。
前述のとおり、Of における衝撃力の大きさはAFM により見積もられており、これを基に細胞単層の前面に付加された衝撃力を、細胞間を押す方向と広げる方向の直交軸で算出した。図5右上に示すように衝撃力の大きさは細胞の輪郭に色のグラデーションをつけて表す。前者と後者の衝撃力の大きさと方向は図5右上中に示し、それぞれ1.39×10-12 N-s と (0.59 + 0.80) ×10-12 N-sと換算された。図1に示されるように細胞への衝撃力の付加時間は、μs 程度であると考えられる。つまり、図5の計算結果はμs の時間にμN 程度の力 (μs×μN = 10-12 N-s )が付加されることにより、上皮細胞間の接着が乖離したことを意味している。AFM を用いたSCFS 18)などによる実験によって、細胞間接着力は、μN 程度であることが示されており19)、本研究における結果は、それらと照らし合わせても妥当なものであった。
6.まとめと今後の展望
本研究によって、フェムト秒レーザー誘導衝撃力は、非接触で強い力を過渡的に細胞へ負荷し、細胞と細胞を乖離させるのに有益であり、SCFS23)、24) などによる実験と異なり、機械的に細胞を操作する必要がないため、より生物学的環境下における細胞間接着力を解析することが可能であると考えられる。また、フェムト秒レーザー誘起衝撃力をAFM 技術の応用によって定量化することにより細胞間の接着力を評価する新しい方法を開発した。これまでに細胞間接着に関与する分子の分子レベルでの接着力について、SCFS により実測され、議論されている23)。本研究で示した細胞レベルの接着力と分子レベルの接着力の関係を明らかにするためには、細胞間の接着に関与している分子の数を定量評価する必要がある。そのためには、細胞表面に存在する接着分子のイメージングが不可欠であり、今後、本手法とイメージング技術を駆使することにより、細胞接着のミクロメカニズムとマクロメカニズムを統合的に理解し、解明していきたいと考えている。